【A視点】2周年記念ss

・SideA


 ※時系列:第一話から2年後の大学3年



 午後6時にもなれば陽が落ちて、蛙や鈴虫が鳴き始める。

 頃合いということで、とある準備のため私は部屋の窓を開けた。


 網戸越しに入ってくる風はぬるく、バルコニーに出るのをためらう蒸し暑さだ。今年は日の入りが早くなった以外はまだ、秋の気配が薄い。


「お月見日和とはいかなかったっすね」

「今年は29日だからな……」


 爪先ほどしかない三日月未満の月を見上げて、彼女が気の抜けた声を漏らす。

 それから横に立つ私に視線を向けると、両頬を挟んできた。


「まあいいか。ここに月があるし」

「どういう意味だ」


 顔が丸いという意味だろうか。頬から顎のラインをなぞるように手のひらでさすられ、くすぐったい。


「ほらギリシャ神話とかだと、月って女性の象徴とか言うし。ジェンダー平等の今だと古い考えになりそうだけど」


 彼女いわく、月のモチーフは女性の美しさや優しさを表すらしい。その理屈で言えば、自分の目の前にいる人のほうが何倍もふさわしいと思う。


「ただのこじつけだけどさ。今年も無事この日を迎えられたってだけで、あたしは満足」


 真っ直ぐな好意の台詞に乗せて、彼女が満面の笑みを見せてくる。

 薄暗い室内でも関係なく私の瞳は眩み、血流が一気に上昇していく。


 会った時から彼女は容姿的にも内面的にも輝いている方であったが、あの頃よりも一層、とどまることを知らず強い光を放っている。

 あるいは、己に向けられる彼女の熱がそう見せているのだろうか。


「あはは、ストロベリームーンになってますよ」

「それだと格調が高すぎる。ハムで十分だ」

「毎年ハムーンってSNSでネタにされてるよね」


 そもそもストロベリームーンは6月の満月を指すのであり色は関係ないのだが、水を差してしまうので口をつぐむ。


 頬から手を放した彼女が、今度は窓の外を眺めてポケットからスマートフォンを取り出した。

 月でも撮影するのかと思いきや、手招きされる。


「手なら撮っていい?」

「……ああ、なるほど」


 フリーの片腕を伸ばした彼女が、月を囲むように指を曲げた。半円にしてはちょっと歪んだ、親指を下に突き出した形。

 何を表しているかは察したので、同じく指を曲げて彼女の指先へと触れる。


「プリクラですらやったことないわ、こんなリア充ポーズ」

「……動作が自然だったから慣れているものだと思ってた」

「友人同士でやってる子もいるだろうけどね。あたしにとっては君とするものだから」


 ハート型に切り取られた夜空へと、シャッターが切られる。片手でよく操作出来るものだと思う。

 すぐさま色調補正済みの写真が送られてきて、風景ばかりだった己の写真フォルダにはまた一枚、彼女との新しい思い出が追加されていく。


 高校時代からの付き合いとなるこの方とは、現在はたいへん恐れ多くも恋人同士といった関係である。

 今日はその、ちょうど2年目となった記念日ということで。今の季節に合った行事をしてみようと思い立ったわけだ。


「お蕎麦分けてくるから、飾り付け頼んでもいい?」

「了解」


 居間の隅に置いていたお供え物を引っ張り出し、祭壇に見立てた窓枠へ置いていく。

 月に向かって右側が花瓶、中央が団子、左側が野菜らしい。


 まずはススキを数束ほど入れた、背の高い焼物の花瓶。花屋ではなくその辺の空き地産である。品質に大して差はないと彼女が教えてくれた。

 彩りのため、ついでに生えてたノハラアザミも添えている。


 葉の部分は固く鋭利で、対策をしていないと簡単に肌を引き裂いてしまう。

 園児だった頃は無策でススキ野原を走り回り、腿から下がホラー映画のような絵面になったものだ。


 あとは月見団子を乗せた三方と、実家から送られてきた野菜をお盆用の籠に入れたものをお供えする。

 里芋、茄子、サツマイモと秋の収穫物を多く送ってくれた親に感謝だ。

 これらは明日天ぷらとして頂くことにしよう。


「お待たせいたしましたー」


 インテリアがそれっぽく仕上がってきたところで、食事を運び終えた彼女から声が上がった。


 月見そば、里芋の煮っころがし、安かったので買ってきたらしいシャインマスカット。

 割り入れた生卵に添えられたかまぼこは、ご丁寧に兎の形にカットされている。


「それじゃ、来年も無事食卓を囲めることを祈って」

「乾杯」


 グラスを合わせて、箸を取った。濃い黄みがかった中身はオレンジジュースではなく、卵酒。

 本来は月見酒となるが飲める年齢になっても、未だに酒を美味しいと思えたことはない。そのため、こういった形になった。


「あ、けっこう飲みやすいかも」

「うん、これくらいだったら」


 特有の熱を喉に感じるものの、卵と蜂蜜の甘さでだいぶまろやかに中和されている。

 子供でも飲めるレシピを参考にしたらしく、アルコールはしっかり飛ばされているので悪酔いする心配もない。


「風邪引いたときに飲むものって印象刷り込まれてるけど、実際親が作ってくれたことある?」

「そもそも薬品ではないから効果は得られないが……よく飲んだのはバナナジュースだった」

「ま、そんなもんっすよね。うちは生姜摩り下ろした野菜スープだったわ」


 関係が変わっても、彼女とのやりとりは学生時代から変わっていない。

 なんてことのない日常をつらつらと語り、話題が尽きたら黙々と互いの時間に入る。

 同じ空間に、無言で長時間読書やアプリゲームに没頭していたことも珍しくない。


 私はその距離感が心地良いと思っていたが、彼女はなぜ口下手で流行りにも疎い私に付き合ってくれていたのだろう。


 友人になって少なくとも1年近くは『そういう目』では見ていなかったわけなのだから。

 なので会話が途切れたところで引き出してみると。


「や、あたし性根はインドア派だし陰キャ寄りだし」

「そうなのか」


 初耳だった。校内では女子へのやっかみ防止のため地味な風貌で通していることは知っていたが、女子のトップグループに難なく溶け込んでいた彼女だけに想像もつかない。


 残り少なくなった蕎麦を一気に啜って、彼女がどこか懐かしそうに遠い目で語る。


「頭にはいろんなあたしがいてね。流行りの話題できゃぴきゃぴしたいあたしも、最低限の会話でのんびりしたいあたしも気分によって出てくるの。だから無理してたとかじゃないよ?」


 私と過ごす時間が楽しかったというのもお世辞ではないらしい。

 確かに、普段あまり食べないものを無性に食べたくなるという瞬間はある。


 和気藹々と喋れる人間ではないが、その賑やかな空気に浸かりたくなって催しに参加するときもある。

 それと似たようなものなのだろうか。


「そういうもん。それに、あんたは確かに自分からあまり話すタイプではなかったけどさ。聞き役はあの頃から上手かったと思うよ。ひとつのトピックを広げて、会話を引き出してくれるって意味で。何振っても興味深そうに聞いてくれてたでしょ。話したいだけ話すって子のほうが世の中圧倒的に多いもの」


「……聞き下手でもあったから気をつけていただけだが、そう受け取ってくれていたのならよかった」

「よきよき」


 相手の良いところを見つけて即座に褒められるという意味では、やはり彼女は陽側の人間だと思うのだが。


 いろいろな素があるというのは、それだけ楽しめる選択肢が多いということであるから羨ましく映る。

 彼女の趣味が多岐にわたるのもそこから来ているのだろう。


「そういえばあたしのバイト先も、ついに月見フェア始めたんだよね。てか、けっこう短いスパンでころころフェア開催するようになった」

「それだけメニューも変わるとなると、覚える側は大変ではないのか?」

「まーね。けど、前より集客が増えたのは確かだから。うちの新人JKがめっちゃ頑張ってて、ばんばん他店リサーチしてメニュー考えてくれてるのよ」


 某ファーストフード店は2週間ほどで新メニューが出てくるという。コンビニスイーツも入れ替わりが激しい。

 定期的にチェックしていなければ、食べ逃してしまうかもしれない。


 期間限定や新商品に弱い日本人の性質を狙い、彼女の職場は常に先を追い求めているのだという。

 季節の境目も曖昧になった今でもちゃんと四季を感じられるようになっているのは、こうした方々の努力もあるのだろう。


「またペアクーポン券もらってきたから食べに行こうぜ。お店とあたしのために」

「夏休みも残り少ないから、なんなら明日でもいい」


 あそこのカフェは味は確かだから、彼女がいないシフトでも構わず一人で行く頻度も増えた。


 私達の関係を周知済みの店長さん以外にも顔は覚えられてそうだが、なんなら彼女との仲を悟られても構わない。

 そう思えるほどには、周囲の目を気にしなくなってきていることに我ながら驚く。

 この2年で、ずいぶんと己の意識も変わったものだ。


「すぐに予定を立ててくれるのはいい心構えだけど、明日は3連休最終日だから朝からなんすよ……すまぬ」

「あ、そうだったか……なら明後日で」

「承りましたー」


 箸を置いて、半分ほどに残った卵酒を彼女が飲み干した。

 味が気に入ったのか、また作ろうかなーと満足げに目を細めている。

 あらかた料理は食べ尽くしたため、こちらもグラスを呷った。


 そういえば、あの日以降彼女の飲酒する姿は見ていない気がする。私に遠慮して控えているのだろうか。


「や、嗜むようになったら酒代とかかかるし……もともとそこまで好きってほどでもなかったから飲まんでもやってけるようにしてるだけ」

「飲めるけれどあえて飲まないってこと?」

「そゆこと」


 若者の〇〇離れの中にはアルコールも該当する。

 親世代のアル中を反面教師にしている世代もいるだろうし、酒癖の悪さで人間関係が崩壊した話も珍しくない。


 依存すればその危険性は薬物と変わらない。

 健康上でも社会的にもリスクがある嗜好品を娯楽にする若者は減っているのだろう。


「てか、もう絶対あんな醜態晒したくないし」

 やはりあの日の1件を気にしているのか。彼女にとっては恥ずかしい記憶だったのかもしれないが、酒の力が今日の私たちの関係に繋がっていることは確かだ。


 あのときは動揺のほうが勝っていたが、あれほど無防備な姿は後にも先にもあれくらいだろう。

 などと邪な想いが膨れ上がっているのを悟られたのか、彼女が眉間に皺を作る。


「いくら君の頼みでもやらんからね」

「そこまでは思っていない」

「多少は下心あるんかーい」


 空中に手刀をかまし、彼女が席を立った。

 こちらへと距離を詰めて、どーんという軽快な声と共に背中に彼女が伸し掛かってくる。


 気分屋だという先程の会話を踏まえると、今は甘えたい気分ということだろうか。


「あー、やっぱあんたの背中は落ち着く」

「……未だにその感覚はわからない」

「愛し合っててもわかり合えないものがあったっていいじゃない、人間だもの。み○を」


 本家に叱られそうな言い回しを述べて、『あたしもただの脂肪の塊に毎回ご熱心な君はようわからんがなー』と仕返しのように呟かれ耳が熱くなる。


 そこまで執着していたか自覚はなかったが、今も背中に弾む感触を意識してしまっているからそうなのかもしれない。人のことは言えなかった。


「シラフだっていくらでも甘えてやるからさ」


 心臓に悪い言葉をさらりと吐いて、背中に抱きついたままの彼女が頬を擦り寄せてきた。

 全力で愛を表現してくる今の彼女に振り回されている時間は、甘く心地が良いものだ。


 いくら与えられても飽きず尽きることのない感情の奔流に、過去の私はすっかり侵食されてしまった。

 私が月というのなら、さながら彼女は太陽のようだと思う。月の光は太陽があってこそなのだから。


「片付けたらおいで。君の大好きな胸で甘やかしてあげる」

「……そう煽られると却って遠慮したくなります」

「いまさら取り繕わなくていいのに。まあされても抱きつきに行くけどさ」


 甘やかされるのは決定事項らしい。

 力が抜けそうな会話もそのうち途切れ、ふたたび沈黙が落ちる。


 なのに背中の重みは抜けることがなく、片付けようと互いに切り出すこともない。

 もう少し、この温かさを満喫していたい名残惜しさがあった。


 腕を伸ばし、彼女の頭に手を置く。

 彼女も私の欲を察しているのか、しばらくして『撫でてくれ』と返ってきた。



 月が満ちるまでにはほど遠い夜も、彼女と迎えるこの日は何者にも勝る記念日となる。


 夜風に揺れるススキの横で、私達はしばらく身を寄せ合っていた。

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