【A視点】クリスマス2022(前編)

・SideA


 ※時系列:『1周年記念ss』から数カ月後



 恋人が出来てから、二度目のクリスマスシーズンがやってきた。

 なお、今年のクリスマスはイブと合わせて土日の日付。


 休日と重なることと客が呼び込めることもあり。双方にwin-winの年なのだろうが、サービス業の方々には激務の二日間だろう。

 去年以上の混雑が予想されるため、当然彼女も土日ともバイトに出ずっぱりだ。


 休めないのは、仕方がない。かき入れ時なのだから。

 従業員の中には主婦層もいて、我が子とのクリスマスの時間を作ってあげるためにシフト希望もギリギリまで調整した。

 そう彼女から聞いている。


 しかし恋人としては、同僚やお客様のために頑張る彼女に何かサービスしてあげたい。

 一般家庭だって家族を守るために働くことは当たり前だが、いつまでも温かい関係を築くには相手への思いやりが必要不可欠なのだから。



『クリスマスデート?』

「そう。行きたいところはあるか」


 空きコマの時間になり、彼女に電話口で希望を聞いてみることにした。たしか今日は3限からだったはず。

 クリスマス前後は無理なので、近い日付を指定して。


 振り返ってみれば、私たちは今までデートらしいデートをしたことがなかったかもしれない。

 春先に行った旅行くらいで、あとは誰かに招かれたから行ったとか近くを散策していたくらいだろう。それも広義の上ではデートに入るのであろうが。


 この年頃の女子的に夢見るデートと言えば、テーマパークや都内のイベントといった華々しいものではなかろうか。


 彼女はインドア派と自称しているが、そう口にする女性の大多数は我慢しているだけとどこかで見かけた。

 言葉にしない本心を汲んで、こちらからリードすることも必要なのだ。


「お金はあるから気遣わず、本音で言ってほしい」


 さいわい、こちらも1年前から続けているバイトである程度の貯蓄はある。

 まさか己にこういった存在ができるとは夢にも思っていなかったから、高校時代からバイトをしておくんだったと今更になって後悔した。


『んー……強いて言うならモール? もっと包み隠さずマジレスするなら自宅かねぇ』


 モール。予想にはなかった回答が来た。

 ずっと家でマンネリ化しないか、私に合わせたように聞こえる。


『ほら、モール内ならあったかいし。寒い思いせずクリスマス気分味わいたいなら、これがベストかなって』


 ……あ。そうか。盲点だった。

 彼女は寒がりだから、真冬の外出は好まないであろう可能性に。

 サービスさせて格好つけたい私に気遣って、譲歩できる外出先を提示してくれたことに。


「悪い、冬のデートはリスキーだった」

『服装選びが難しいんだよね。重ね着しすぎると太って見えるし。暖房効きすぎてるとこだと暑いし。おしゃれ重視で薄着で行ったら、トイレ近くなるってよく聞くよね。でも今さら、気にする仲でもないっしょ』


 屈託のない笑い声が耳に届く。

 気遣うだけではなく、こうして本音も遠慮なく言い合えるような仲に進展したのは良い変化だ。


『でも、そうだねぇ。ちょうど観たい映画あったから、今度の休みはモール行こっか。駅から直通バス出てるからそれで』

「いいよ。どんな映画?」

『ア○ター2。たぶん前作知らなくても楽しめるとは思うけど』


 名前だけは聞いたことがある。

 娯楽映画らしく、万人向けのタイトルにしてくれたのだろうか。


 あんたは行きたいところないの? と逆に希望を聞かれたが、私はデートにさしたる願望はない。

 そもそも、一生叶わないと思っていたから。


 なので選択肢が多いモールは中々いい場所だと思う。時間帯によっては小規模のイベントも開催されているから、あとで詳しく調べておいたほうがいいか。


 予定も決まったし、通話はこれで終わり。かと思いきや。


『あ、ちょい待ち』

 彼女は意外な提案をしてきた。もうひとつ、デートの約束を取り付けてもいいかと。


『こっちは準備とか構えなくていいよ。いつも通り、今日の講義終わったらあんたのとこ寄ってくだけだし』


 訪れる予定はあらかじめ伺っている。わざわざデートに言い直したということは、彼女独自のプランがあるんだろうか。


『寒がりなあたしのわがままで、ずっとあっためてもらいたいかなって』

「…………」


 玄関先での挨拶だけじゃなく、今日は時間の許す限り密着していたいと。

 それだけでいいのかと口にしそうになって、それ以上の至福の時間はないことに気づき口を閉ざす。


 冷えは万病の元だが、冬は二人を近づける季節でもある。そんな感じの歌詞をどこかで聞いた気がする。


『おーい。もしかして人肌であっためるとかエロ漫画的妄想でもしてますかー』

「してません」

『ま、べつにそうなってもいいよ。生殺しには変わらんだろうから』


 ここ最近は、顔を合わせるたびにそういった流れになる頻度が増えてきた気がする。

 ゆえに下の発想に飛躍したのも無理はない。

 体目当てで会ってるんじゃないかと思われやしないだろうか。それで冷めたカップルの話などごまんと聞くし。


『あんたは性欲の発散だけじゃなく、十分すぎるくらい時間をかけてくれるでしょ? やめてと言ったらちゃんとやめてくれるし』

「それは……その、人として当然のことだろうから」

『できて当たり前、って身についてるのがすごいことなんですよ。てわけであたしは、コミュニケーションとして受け取ってるつもりだけど』

「ど、どうも」


 いつも気持ちよくしてくれてありがとねー、などと具体的な御礼の言葉が返ってきて、一気に耳まで熱くなっていく。

 最中の睦言よりも恥ずかしくなるのはどうしてだろうか。


『んじゃ、いつも通り帰る頃に連絡するから。期待して待っててやー』


 弾む声とともに通話が切れて、耳には雑踏の音が戻ってくる。

 快晴の空を仰ぎ、黄金に色づいたイチョウのまぶしさに目を細める。

 ずいぶん散ってしまったが、抜けるような青空に映える輝きは健在だ。


 今日は日差しが強く風も弱い。気温も15℃前後と、12月にしては異例の暖かさだと週間天気予報にあらわれている。


 だからか、私は珍しく図書館の外で電話をかけていた。いつもはLINEのところを。

 ……少しでも声が聞きたかったから、と思ってしまうあたり。恋をすると人は弱くなるのだろうか。

 愛情を受け止められ、与えられる心地よさを知ってしまったから。


 外にいたのに、指先まで温みを感じるほど血流が上昇している。

 のぼせた思考のまま、私は課題を進めるため図書館内へ戻った。



 講義が終わり、外に出た。

 スマートフォンを確認したところ、まだ彼女からの連絡はない。


 日中の暖かさはすでに失われ、夜の闇に沈んだ街はすっかり真冬の外気に支配されている。

 吐いた息がまだ白くないあたり、これ以上の厳しい寒さがこの先に待ち構えているのか。


 一人暮らしで迎える冬はまだ2年目ということもあり、気が重くなる。

 豪雪地帯に住む人からは軟弱者と一蹴されそうだが。


 さて、これから私以上の寒がりが訪れるのだから。早く帰って、温かい居間と熱いお茶で迎えてあげなくては。

 マフラーを巻き付け、容赦なく吹き付ける北風を突っ切って私は駅へと向かった。



「温まってきた?」

「ん、だいぶ。てか悪いね、こんなにもてなしていただいて」

「いや、こっちも唐突な思いつきで作っただけだから」


 私たちは炬燵に向かい合って鍋をつついていた。

 すぐに心身ともに温まるものは何か。

 考えて出てきたのは入浴か温かいものを食べるかの二択。お互い夕食はまだだったこともあり、後者がいいだろうと。


 お茶ではなく湯気の立つ土鍋が鎮座していることに、訪ねた彼女は大いに目を丸くしていた。


「豆乳鍋、初めて食べたけどごまの香りがめっちゃいいね。こういうのさっと作れるって尊敬するわ」

「されるほどのことでもないと思うが……豆腐と野菜と肉と鍋の素を入れるだけだから」


 鍋料理は調理も後片付けも簡単な部類のため、冬場は定番のメニューとなっている。

 実家にいたときもキムチ鍋、豆乳鍋、寄せ鍋のローテーションで冬の食卓は回っていた記憶がある。おでんがあまり出てこなかったのは、下処理に手間がかかるからか。


 頬を上気させつつ頬張る彼女を見て、こちらも口角が緩んでくる。

 食リポに慣れた芸能人のように食べ方が上品なため、育ちの良さはこういうところであらわれるのだなと思う。


「鍋の締めってご飯とうどんどっち派?」

「両方。どちらかと聞かれれば雑炊だろうか」

「あれ卵落とすとんまいよねー」


 白ごまの香ばしさが染みる汁がじんわり胃に落ちて、食欲を刺激する。

 湯だった野菜の甘さと、しめじの瑞々しい歯ごたえと、十分に煮えた豚肉の旨味を見事に引き出していて箸が止まらない。

 ついでにお米も炊いておいてよかった。


 調理直後は二人で食べるには量が多いかと思っていたが、なんだかんだでほとんどの具が私たちに収められる結果となった。


「ごっそさん。洗い物はあたしがやっとくよ」

「それだと温める趣旨が……」


 私が勝手に決めて勝手に作っただけなのだし、そもそも自分の家なのだから後片付けまでが料理のうちだ。


「いいんだよ。終わったらまたあんたに暖を取りにくるから」


 つまり、今度こそ当初のプラン通りの密着を満喫するということ。

 期待に焦がれた笑みで言われてしまえば二の句が継げない。適当にチャンネルを回しつつ、炬燵の端っこに潜って待つことにした。


 熱い食事の後ということもあり、暖房風と炬燵の熱は暖かいを通り越して暑いと感じるようになっていた。少し設定温度を下げて、羽織っていた上着を一枚脱ぐほどには。

 その熱の原因は、きっとそれだけではないだろうが。


「待たせたぜぃ」

 芝居がかった調子とともに、彼女が居間へと帰還した。そのまま炬燵へと直行し、遠慮なく私の隣へ潜り込んでくる。猫のような動きだ。


「向こう、本当に冷えるぞ。大丈夫?」

「お湯つかって洗ってたからそこまでは。むしろ若干暑いかね」


 言葉とは裏腹に、彼女はますます私へと密着してくる。頬を擦り寄せ、背中に手を回して。その仕草が愛らしく、保護欲を掻き立てられる。

 ただでさえ美しい人が自分にだけ甘えてくるというのは、贅沢すぎる特権だ。


「はへー、生き返るー」

 こっちは息苦しさを覚えていた。物理的にではなく、精神的に。可愛すぎて死ぬ、なんて惚気けるカップルの言葉を身を持って理解した。


「大丈夫? めっちゃ君の心臓どんどこ言うてはるけど」

「その原因が目の前にいるもので」

「もう付き合って1年以上なんだけど。相変わらずウブですねぇ」


 もっと撃ち抜いたるー、なんて私刑宣告を下した彼女の顔が近づいてくる。

 互いの額がぶつかって、両頬に彼女の柔らかい指先が触れた。

 洗った直後の、お湯のぬくみと清潔な香りが届く。


 視界いっぱいに広がる恋人の反則的なまでの美しい容貌に、サウナにでもいるような熱量が顔へ吹き出してくる。


「わー、セルフ湯たんぽやん。ほっぺ超赤いよ」

「と、当然だろう。そんなに近づかれたら誰だってそうなる」

「もっとすごいこといっぱいしてるのに?」

「い、今は主導権を握られてるから」


 きらびやかなデートスポットにいるわけでもなく、欲のまま激しく互いを求めあっているわけでもない。

 なのにこんなにも熱く満たされている気分にいるのは、日常の一部の光景だからだろうか。


「じゃ、交代。次はあんたに握らせてあげる」


 何かを期待するように、視線は逸らさないまま彼女の指がほどけていく。

 もちろん、それを察せないほど私も1年近く付き合ってきたわけではない。

 額だけが触れ合っていた状態から、さらに距離を詰める。


 やがて、互いの唇と熱が重なった。

 待ち焦がれていた光景に思考が舞い上がり、至福の心地へたゆたい始める。


 食後にしてはやけに潤った感触と、ミントタブレットの爽やかな香りが漂ってきて。

 ああ、準備してくれたのかと愛おしさがこみ上げてくる。


 熱さも忘れて、私たちはしばらく重なっていた。

 たっぷり長い間見つめ合って、互いの熱が溶け合っていく。


 どれだけ触れていただろう。

 ゆっくり顔を離すと、真っ赤に頬を染めた彼女が自身の唇へ指で触れた。それから、にぃっと口角が釣り上がっていく。


 私もきっと、同じくらいの色合いなのだろう。


「いまめっちゃ熱い」

「わかる」


 さすがに炬燵の熱に耐えきれなくなって、肩まで潜っていた状態から腰あたりまで身を引きずり出した。

 長座布団にふたたび頬をつけて、そのまま見つめ合う。

 だらしない体勢ではあったが、食後と接吻後で気力も力も抜けていたもので。


「じゅーぶんあたたまりましたよ。てか融けそう。もう蕩けてるけど」


 緩みきった表情でひへへへと声を漏らしつつ、彼女は暑そうに胸元を扇ぎ始めた。

 汗ばんでいるのはこちらも同じであったが、事後でもないのに私は密かに達成感を覚えていた。満足してもらえてよかったと。


「なんだったらアイス、買ってあるが。どう」

「お、いいねぇ。準備もいいねえ」


 お風呂上がりの定番はコーヒー牛乳だったはずなのだが、今は炬燵でアイスをかじる美味しさがわかるようになってきた。主に彼女の影響だ。

 ついでに熱いお茶とセットだとなお美味しく感じると思う。


「あ、そろそろドラマ始まるよ。観よ観よ」

「ああ」


 炬燵で肩を寄せ合いくっつきあって、アイスをかじりながら好きなドラマを観る。


 傍に居たい。

 ただ、それだけのささやかな幸せがここにある。


 恋人との2年目のクリスマスは、こうして始まったのであった。

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