【A.B視点】1周年記念ss
※時系列:第一話から1年後
・SideA
9月17日。
多くの人間にとっては何の変哲もない、ただの休日。
私にとっては親しい人が特別な人となった、記念日。
夕焼けににじむ空は静かに夏の終わりを告げていた。
遠くではまだ蝉の鳴き声が聞こえているのに、運ばれてくる風は天然の冷房を受けているかのよう。ひと月ほど前までは熱風だったものだ。
薄桃色に染まる雲と夕日の橙色を帯びた空の下を、私たちはあてもなく歩き続ける。
畑と民家ばかりが広がる、のどかな道をひたすらに進んでいく。
残り少ない夏休みとなった、世間的には3連休初日の夕方。うだる暑さが過ぎ去って、ようやく過ごしやすい気候となったからであろう。
寂しげな空模様とは裏腹に、すれ違う人々の足取りは軽やかだ。
私も例外ではなく、こうして散歩に出かけたくなるほどにはじっとしていられない高揚感を覚えていた。
あるいは、隣に恋人がいるからであろうか。
その恋人がいちばん好きだと公言している季節を、一緒に共有したかったからなのだろうか。
彼女もまた、解放感あふれる初秋の空を見上げて流行りの曲を口ずさんでいる。
「風は気持ちいいけど、まだ今年は秋って気配が薄いね」
「そうだな」
涼風に長い髪の毛とスカートを揺らして、彼女がきょろきょろと辺りを見回す。
釣られて私も視線を追った。
去りゆく夏に抵抗するように、あちこちの民家から真っ黄色に花弁を広げたヒマワリが伸びている。柵に巻き付いた朝顔も、まだ青い紅葉の木も。
このひと夏で育ち切った草花が、ぼうぼうと覆い茂って畑だった土地を支配しているのも見える。
去年はどうだっただろう。
もうこの時期には彼岸花やコスモスが伸びて、金木犀の甘い香りが漂い始めていたはずだが。
「暑かったからな、今年」
「蚊、まじで見なかったもんね」
今年の夏は留学のため海外で過ごしていたとはいえ、向こうの暑さも洒落にならなかった。
Danger_Seasonなどと物騒な名称がついたほどには、熱波の驚異は計り知れない。
山火事、ハリケーンのニュースも頻繁に流れており、いつ自分も災害に見舞われるか気が気ではなかった。
「あんたの話聞いてると、日本はまだ平和に思えてくるね。や、水難事故はしょっちゅう見かけたか」
「ごめん、心配させてしまって」
「いいんだよ。異国の地で過ごすって心細くなるのは当たり前だもの。ひとりで抱え込むほうが、むしろあかんのですよ。海外赴任で鬱になる話、よく聞くもの」
こうして無事に帰ってきてくれたんだからさ、と彼女がさりげなく頭に手を伸ばしてくる。帰国してから、こうしてスキンシップを取る頻度は増えていた。
しょっちゅうSkypeでは会話していたものの、目の前にいるのに触れることができないというのはもどかしい。通話が切れた瞬間に、いっそう寂しさが募るのだ。
彼女も、同じ気持ちだったのだろうか。
人目もある中での密着は恥ずかしさもあるが、今はそれ以上に愛おしさが上回っている。独りは慣れていた、というか去年の今頃まではそうだったはずなのに。
「お?」
背後に腕を回して、肩に手を置く。さらに距離を詰めるように。
手つなぎまでは外でもやっていたが、肩を抱くというバカップル丸出しの行為にまでは及んだことがなかった。たった1年で感覚もずいぶん麻痺してしまったものだ。
彼女が意外そうにほお、と声を漏らして、それから含み笑いに変わっていく。
「……っ」
西日に照らされてまぶしく光る、髪と肌と歯。
神々しい一瞬に頭の片隅で音がはじけて、時が止まったように錯覚する。私の心臓は何回撃ち抜かれているんだろう。
直前まで用意していた返答があったはずなのに、微笑まれただけですっかり主導権は霧散してしまった。顔を逸らして、代わりにばればれの建前を述べる。
「……あんまり車道にはみだすと危ないから」
「はいはい、そういうことにしておきますよ」
昔は人目もはばからずべたべたするカップルを見て目障りだと思ったものだが、今なら彼らの気持ちもなんとなく分かる。
傍にいてくれる存在がいるから、少しでも離したくなくて触れ合っていたいのだと。
隣に感じる柔らかさとまどろむ香りに包まれていれば、他になにもいらない。
そんな極端な幸福論を抱いてしまうほどには、恋心は己のすべてを作り変えてしまう。
私は、こんなに寂しがり屋だったんだな。
少々暑苦しいほどに密着したまま、私たちは陽が沈みつつある空の下を進む。
秋がもう少し深まった頃に、こうしてまた隣に並んで散策に出向きたいものだ。
・SideB
ところで今日は記念日だ。あたしの2年にわたる無謀な片想いが報われた日。
あいつは憶えているかな。まあ忘れてても問いただすことはしないけど。
付き合ってXX日記念~って自撮り写真やるカップルいるけど、結婚記念日でもないのに大げさなってクラスメイトをバカにしたときもあったな。
ごめんね、己の中で祝日を制定する理由がわかったよ。祝いたくなっちゃうもんなんだね。
「まだ1年なんだね」
というわけで、あたしは曖昧に声に出した。
さっきからあたしの肩を掴んでいるあいつが、『もう、ではなくて?』とどこか上の空で返す。
西日であいつの横顔は白く見えるけど、高校時代からずっと見てきたあたしには分かる。夕焼け色に頬が染まっていることに。
心ここにあらずってことは。照れてんなら肩じゃなくて腕あたりにしとけばいいのに。かわいいから言わないけど。
「大人になるとさ、だんだん時が経つのが早く感じるようになるって言うじゃん」
「ああ、ジャネーの法則か」
初めて聞いたわ。なんかの心理学用語かな。体がっちがちなのに頭は謎に回るんだね。
「日々のサイクルに慣れきって、新鮮味を感じるのが薄くなるらしいね。でも、なんかあんたといると10年くらい連れ添ってるように感じてさ」
つまりは、毎日が新鮮できらきらしているから。
高校時代から友人として交流はあったけど、まだまだうちらはお互いを知らなかったんだなって思う。
そして、もっとさまざまな表情を引き出したいと寄り添うことを願うようになる。この先も、ずっと。
はー、リア充ってそういうことだったのね。
あいつも言葉の意味に気づいたのか、『……暮らすまで長いな』とぼそっとつぶやく。
そうだね、加えて君は警察官志望だもんね。留学先から帰国してやっと遠距離が終わったと思ったのに、まだ控えているとは。
付き合ってからも、恋愛は順調とはいかないものですな。
のろのろと彷徨い続けて、そろそろ日も暮れてきた。
地平線だけが黄金色にきらめいて、空はもう夜のカーテンが降り始めている。
9月に入って日照時間もだんだん短くなってきたよね。まだ5時半なのに、あたりはどんどん薄暗くなってきて。
セミと交代するように、いま聞こえるちりちりとさえずる奏は鈴虫だ。
風もひんやりしてきた。風だけじゃなく、空気も。ちょっと前までは熱帯夜だったのに、今は夜にクーラーを付けることもそいや無いな。
日中はまだ暑いからノースリーブで出かけちゃったけど、ちょっと肌寒い。
なのにまだ暑さを覚えているのは、隣に物理的な意味での熱いやつがいるからだ。
「大丈夫? 汗やばいけど」
影が濃くなってきたなかでも、あいつの首元ははっきり視認できるくらい汗ばんでいる。
密着している半身も、背中に回された腕も、肩をつかむ大きな手のひらも。
あいつだけ炎天下を歩いているように見えてしまう。
「あ、悪い……暑苦しいよな」
「や、あたしは肌寒くなってきたとこだからべつに。とりあえずいったん風に当たれや。見てると干からびそうだから」
湯たんぽみたいなあいつの体が離れて、涼をむさぼるように胸元をぱたぱた扇ぐ。
額から汗が伝ってポカリを一気飲みしている光景は、背後に陽炎ゆらめく真っ青な空の幻覚が見えてきそうなほど。CMかよ。
この時間帯で熱中症起こされるなんて、なんのコントかって話だけど。
恥ずかしさよりも上回る衝動から、あいつはあんな大胆なことしたのかね。
その予感は当たっていたようで、ハンカチで汗をぬぐうとあいつは再び隣にひっついてきた。
ただし今度は、指先だけをきゅっと絡めて。
「あはは、幼児が親にやる仕草だ」
「さ、最低限のつながりがそれだと思ったから」
「指繋ぎってやったことなかったね。そいや。新鮮でいいけど」
さっきの大胆さから打って変わった最低限の恋人アピールに、あたしは吹き出した。
がっつり求めてくるのも嫌いじゃないからちょっと名残惜しいけど、オーバーヒート起こされるよりはマシだ。
しかし、つないだ指が小指か。なんか約束を交わしながら歩いてるみたいだ。
でも、あたしたちは今年の春先に誓った。ずっと隣で寄り添いたいと。
その将来を実現するために。あたしたちは前を向いて、進んで、ときにお互いの道に寄り道して、また並んで戻ってくる。
この小指も意図的に絡めたものとしたら、なかなかあいつもロマンチックじゃないの。
「ところでお腹空いてる? あたしは空いてきた」
「同じく」
「じゃ、この近くにマックあるから夕飯はそこでどう?」
「いいよ。というか珍しいな。ジャンクフード食べてるところってあまりなかった気がする」
「それを言うなら、あんたにも行くイメージなかったけど」
中秋の名月は先週だったけど、まあいいか。記念日だからね。
月見バーガーのCMを見て、月に想いを馳せる光景がなんかいいなって思ったんだ。大切な人とつながる心ってキャッチコピーもね。
でもあのCMソング三日月だけどね。
お店から帰る頃には、もう月が輝いているだろうか。
徐々に夜に近づきつつある、暗闇に沈む町中。
あたしたちのつなぐ指も、やがてお互いに縋るようにまた密着していく。
指先から、手のひらへ。
願わくば。どんなに険しい道でも、遠回りをしても、道の終わりが遥か彼方に続いていますように。
この子と末永く生き続けて、ともに老いていけますように。
小さな祈りをこめて、あたしは小さくつぶやいた。
たしかあの日は、酔ってて言えていなかったから。
あいしてる、と。
かすかな告白は、ちょうど横を通り過ぎた車によってかき消された。
「一年越しか」
お店が近づいてきて、あいつがそんなことを言う。
うっすら遠くの空に浮かび始めた月を見上げて。
ん、月見バーガーのこと?
言葉の意味に気づいたのは、家に着いて『乾杯』の台詞とともにグラスを掲げられたときだった。
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