【エンディングノート】

 あれから40年。

 いえ、もう少し経ちましたでしょうか。


 町の外れに建つ、長らく買い手がつかなかったその大きなお屋敷には。

 とても仲のいい女性がふたり、一緒に住んでおりました。


 ふたりで住むにはちょっと広すぎるくらいの、和風の古民家。

 定年後にようやく安寧の地を見つけて、昔からの夢だった住居にて第二の人生が始まりました。


 街の人は、ふたりについて口々にうわさを立てます。

 結婚できなかった者同士住んでるんだ、だの。

 いやいや二人とも指輪をしているから、旦那さん没後に寂しくなって余生を過ごす茶飲み友達を見つけたんだ、だの。


 あんまり、本当のことを知っている人はいないみたいです。



「同性婚が制定されて、もう何十年にもなるんだけどねえ」


 今回私達の取材に応じてくれたのは、冒頭で紹介したお屋敷に住むBさん(仮名・××歳)。

 もう還暦を過ぎているとは思えないくらいのお綺麗な女性で、同年代の女優さんに匹敵するほどの美しさを保っております。

 若い頃は、もっともっとお綺麗だったそうです。


「見せたい人がいるとね。いくつになっても手ぇ抜けないんだ」


 乙女心を持ち合わせているというのは可愛らしいものです。

 そんなBさんは現在、週3回のお化粧教室をカルチャーセンターで開いております。


 主にご自身のような高齢の方に向けた、何歳からでも始められるシニアメイク講座を。

 評判は上々のようで、職場の人間や旦那の見る目が変わった、とか。先立たれて老け込んでいたけどまた楽しく過ごせそうだわ、とか。

 さまざまな嬉しい声が寄せられております。


「なって分かったけどさ。今のじーさんばーさんって、うちらが小さい時にイメージしてたじーさんばーさんとはぜんぜん違うよね」

 目的地に向かう途中。

 Bさんは元気な足取りで、こう語ってくれました。


 おばあさんになれば、腰が曲がって杖をつくようになって。

 身体がちぢんで、髪もうすーく真っ白になって。

 声もしわがれて、のじゃ口調に変わると。そう思っていたみたいです。


「キラキラネームや、パンクファッションのご老人が珍しくないようにね。その当時のスタイルで育った人間が、そのまま歳を取っただけなんだから」


 そうなんです。たとえば女言葉を使う女性は、その年代の方が次々といなくなってしまったためか。

 今やほとんど、フィクション作品でしか見かけない言葉づかいとなってしまいました。


 しかし一周回って新鮮ということで、今若い人を中心に密かなブームが巻き起こっているというのは面白い変化ですね。


「いい時代……かはわからんけど。面白い時代にはなったよねー」

 かつて老老介護と懸念されていた、どんどん負担が大きくなる介護現場。

 でも今は、専用のロボットがだいたい請け負ってくれます。


 認知症も研究がずいぶんと進んで、専用の治療薬で病気の完治が見込めるように。

 国の主導のもと、海底に眠るたくさんの資源を掘削技術で探査を行い、資源大国を目指して本格的な産業化も始まりました。


 そして。今回の主要テーマとなる、同性婚の法制化も。


 良くはない、でも決して悪いところばかりではない未来を面白おかしく語り合ったところで。

 いよいよ、目的地へとたどり着きました。

 着いた先は、年季のある小さな道場です。



「次、乱取り行くぞ。3分10本」


 木造建ての道場に入ると、引き締まった空気を肌でびりびりと感じ取りました。

 漂う木の香りが、行われている練習も相まって古き良き日本を呼び覚まします。


 ここは、地区内にある柔道場。

 Bさんと共に住んでいらっしゃる、大切なパートナーさんが指導者を務めております。


「正面に、礼」

「ありがとうございましたー」


 しばらく私達は入口付近で正座したまま、練習風景を眺めます。

 やがてお稽古の時間が終わって。生徒さんたちは一斉に、Bさんのもとへと駆け寄りました。

 講座のない土曜日はこうして、お昼ごはんを振る舞うのが恒例だそうです。


「がっつくなよー。まだまだあるから」


 朝から早起きして作った、何合もの炊き込みご飯のおにぎり。

 あらかじめ仕込んで大きな鍋で煮込んだ、たっぷりの豚汁。

 食べざかりの腹ペコさんたちの胃袋は底なしで、あっという間に消えていきます。


「おばちゃーん、おかわりー」

「おばあさんでもいいんだけどねー」


 自分に向かって伸びる、空のお椀を差し出したいくつもの手にニコニコしながら。

 Bさんはひとつずつお椀に豚汁をよそっていきます。


 生徒さん全員におかわりを授けたあと。

 控えめに、そっと差し出されるお椀を持つ手が隣からありました。


「はいはい」


 もう底が見えてきた鍋におたまをかつかつと鳴らして、残り数人分となった豚汁をよそって渡しました。


「ありがとう」

 いいえ、と手を合わせて、Bさんも箸をつけ始めます。


 女性は、先ほどまで生徒さんを厳しく丁寧に指導されていた人。

 Aさん(仮名・××歳)は、道場でのお昼どきはいつも仲良く隣に座って、静かにご飯をいただきます。


 Aさんは、現役時代は警察官に奉職しておりました。

 警察関係の柔道大会にも数多く出場し、たびたび上位入賞を飾っております。

 その実力を見込まれて、青少年の指導育成を委嘱され、定年後も地域社会の向上に努めているお方です。


「今日はよく食べるね」

 粒がひとつひとつ立った何個目かのおにぎりに手を伸ばす相方を見て、Bさんは手元のまだひとつめのおにぎりをもそもそとかじりました。


 この歳になっても、お互いちょっとかためのご飯が好きという傾向は変わりません。


「食べすぎると、今夜のご馳走が入らなくなりますぜ」

 小声でいたずらっぽく笑うBさんに、咀嚼していたものを飲み込むと。

 Aさんは『……そうだった』と何かに気づいたようにつぶやきました。


 壁に掛かる11月を示すカレンダーは、もうじきめくる頃を迎えます。

 そろそろクリスマスムードも本格化してきた、秋から冬へと移り変わる時期。


 今日は、Aさんの何十回目かの誕生日です。

 そして、ふたりの何十年目かの結婚記念日でもありました。



「おつかれさまでーす」

 お腹がぱんぱんにふくれた生徒さんたちを見送ると、ふたりで道場の戸締まりにまわりました。

 生徒さんがかかさず行きと帰りにお掃除してくれるので、道場はいつもぴかぴかです。


「ここに来た頃は掃除の習慣すらなくてひどいものでしたが、長く指導してきた甲斐がありました」


 いつ来てもきれいな状態で迎えてくれる道場を見渡して、Aさんは感慨深そうに息を吐きました。



「さてさて、今年も無事迎えることができましたー」

 誕生日に記念日をかぶせたのは、いくつになっても忘れないようにするため。

 祝って祝われる日というのは、素敵なことです。


「おめでとうございます」

 パートナーの誕生日と、一緒に歩み続けた今日までを祝って。

 暮らし始めた頃から長らく使っているグラスを、お互い合わせます。

 さすがにもう、お酒は飲めないのでソフトドリンクになりましたが。


 畳が続く広間、丸テーブルにケーキと一緒に作った手料理を置いて。

 ふたりだけのパーティーのはじまりです。


「なんだかんだで、この歳まで大きな怪我や病気もせずに生きてきたもんですな」

 フォークで苺の生クリームのスポンジ生地を切って、Bさんは上品に口元へと運びます。


「がん患者が普通に社会生活を送れているように、医療技術も発達したものだからな」

「お年寄りが元気になったぶん、再雇用の支援も手厚くなったからね。まあ子供少ないってのもあるけど」

「老後にこうした和風の家でのんびり余生を過ごしたいといった願望が、本当に実現できるとは。嬉しいことだ」


 あとひと月で今年も終わりなので、取り留めもなく今年を振り返った重要ニュースの雑談を続けて。

 ふと、ほとんど平らげたお皿を見て、Aさんがぽつりと言いました。



「あと何年、一緒にいられるのかな」



 黙々とケーキを減らす手を止めて、Bさんが顔を上げます。

 どれだけ医学が進んでも、老いには決してあらがえません。

 生きとし生けるもののさだめなのです。


「なんだい、辛気臭いな」

 君長生きしたいとか言うタイプじゃなかったでしょー、とBさんは明るい調子で少なくなったグラスに飲み物を注ぎました。


「かつてはそうだった。こんな顔に生まれた上に、私達は不景気の時代しか知らない。明るい未来なんて見えなかった。長生きなんぞしたくないと思っていた」

 だけど、と続けてAさんは新しく満たされたグラスを煽ります。


「未来は悲観するほど悪くなくて、みんな頑張っていて。あなたともっと生きたいと、歳を重ねるごとに強く想うようになった」


 老いが近づくに連れて死にたくないと願うようになるのは、人間のエゴだなと。

 自嘲気味に笑うAさんへ、Bさんは身を乗り出して両手を握りしめました。


「そんなん、魂だけになってもずっとつきまとってやりますよ」

 もう先立った親もペットも友人も、たぶんそのへんに浮かんでいるからと。

 この世界は生きている人より死んだ人のほうが圧倒的に多いのだと、Bさんは当たり前の事実を説きます。


 どんなに歳を重ねても、その瞳のまなざしだけは出会った頃と変わらず強い輝きを放っておりました。

 弱気になりかけていた心を奮い立たせるには、十分すぎるほどに。


「……私が先なら、きっと迎えが来るその日まで成仏できないな」

「あんまり年数が開かないといいねえ」


 何年経とうが、お前はずっと美しいなとAさんが褒め称えると。

 それを毎年言ってくれるから頑張れるんだよと、Bさんは少し顔を赤くして笑いかけました。


「死がふたりを分かとうとも、そんなん関係ない」

「うん」

 記念日に、改めて誓いの小指をふたりは絡めました。


「お望みとあらば、どこまでも」

「この世の果てまで、お供いたしましょう」


 指切りを交わして、ふたりは一緒に暮らし始めたときから変わらず最初に飾ってきた、壁の一点を見つめます。

 そこには、豪華な額縁に飾られた写真が三枚。


 ともに生きることを誓ったときに贈ったお花の写真と、社会人になってやっと撮ることができた、異なる花嫁衣装に身を包んだふたりの写真。


 そして、ようやくこの国で同性婚が認められた頃に。

 正式に式を挙げたときの、少し歳を重ねたふたりの姿が映っておりました。



<<終>>

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