エピローグ
【A.B視点】そして永遠を誓いましょう
・SideA
手分けして片付けた、新しいマンションの室内を見渡す。
二人で決めた間取り、二人で揃えた生活用品、二人で飾り付けた内装、二人で作った今夜の夕食。
目に映るものすべてに、現在進行系で彼女との思い出が刻まれている。
今日から私達は、この空間で生活を共にする。
大学時代に引っ越しを手伝っていた知識が残っていたためか、片付けはそこまで時間はかからなかった。
職業的に転勤はついて回るため仕方ないが、できればここで長く暮らしたいものだ。
サイドボードに上に飾られた、二つの花を見やる。
一つは旅行のときに私が贈ったフラワーギフト。
残念ながら寿命が尽きてしまったので本体は処分したが、いつまでも飾っておけるように写真へと残しておいた。
その写真立ての隣の花瓶には、生花が束となって刺さっている。
芳しい香りを放つ、純白の百合の花が。
新居祝いに今日、彼女の両親が花束として授けてくれたものだ。
『意味わかってんのかなぁ』と、彼女が含みを持たせて笑っていたのが印象に残っている。
「ではでは、改めましてー」
「乾杯」
食卓にて、お互い掲げたグラスを鳴らす。中身はもちろんお酒の類である。
とはいっても私も彼女もアルコールには強くないので、ほとんどジュースみたいな飲み物ではあるが。
「希望部署への配属、おめでとうございます」
「ありがとう」
大学卒業後、当初の予定通り私は警察学校の進路を選択した。
学校は全寮制なので卒業してすぐに同居とはいかず、職場実習や実践実習といった研修期間もある。
何年も恋人と離れるのは寂しい日々であった。
ちなみに研修後は、割り振られた寮や官舎に入るのが暗黙の了解となっている。
民間賃貸への居住の許可が下りるまではさらに数年の歳月を要するため、ここまで本当に長かったと思う。
待ってくれていた彼女には感謝しかない。
「警察学校って職業訓練校とかじゃないんでしょ? やっぱ脱落者もいた?」
「卒業時には20人くらい減っていた」
きびしー、と彼女が肩をすくめる。
市民の安全を守る責務を背負って世へと送り出されるため、中途半端な姿勢では任せられないと見越しての厳しさであったのだろうが……
「何が起こるか分からない現場のほうが、何倍も大変だったよ」
教官に怒鳴られ続けるよりも理不尽な現実が、地域課の勤務を通して嫌というほど実感できた。
そう考えれば、規律に塗り固められた歳月は必要な期間だったと言える。
「そか。えらいえらい」
グラスを一口傾けて、うんうんと彼女が頷いた。
気の休まらない日々の中で揉まれていたので、こうして優しい言葉をかけられると途端にじわっと、こみ上げてくるものがある。
この歳から涙もろくはなりたくないが、いつだって彼女の温かさは私に安らぎと活力を与えてくれる。
「そちらはどうだ」
「あたし? そっすねえ」
スキルは上がってるし、まあまあ順調かなと彼女が答えた。
上昇傾向にあり、福利厚生が充実している良い会社だと聞いている。
残す懸念は人間関係のみであるが。
「ただ他の女性社員が全員既婚者でね。もー結婚の圧がすげーわけ。恋人いるっつってもじゃあなんで籍入れないねん、って言われるしさ」
籍か。
未だこの国では、単身者に対する偏見の目は根強いのであろう。
「ああでも。意外と高齢の社員さんは理解あるんだよね。うちの子も結婚する気ないし、して当たり前の風潮じゃないんだよーって」
「それは良い傾向だ」
たまに言い寄ってくる人をあしらわにゃならんけどねー、ときれいな人への宿命を彼女は苦笑いで語る。
ちらりと、細く白い指に目がいった。
アクセサリーやネイルで飾り立てる必要がない、指の先まで光を放つ美しい手。
籍を法律上入れることができない私達には、大した意味をなさない。
それでも、自分は誰か一人のものなのですよと。外部に発信する効果はある。
夕食はあらかた食べ終わっていた。今が切り出すときだろう。
食器を片付けて、一息ついたタイミングで。
彼女を呼び止めて、一度席を立つ。
「新居祝い……みたいなものではあるが」
「え、なになに? なんかくれんの?」
嬉しそうに食いついてくる彼女へと、私は一つの箱を渡した。
「これって」
手のひらサイズの、藍色の高級感漂う箱。
声を震わせながら、おそるおそる彼女が蓋を開ける。
中には指輪が二つ、燦然と銀の輝きを放って差してあった。
「受け取って欲しい」
「え、あ、うん、もちのろんですが」
おたおたする彼女の左手を取って、手の甲へと口づける。
「すまない、待たせてしまって」
「い、いやいやいや。しゃーないよ、高かったし。つかあたしも出すゆーたやんけ」
「そのあたりの精算は後にして。どうしても今日渡しておきたかったから」
やっと手にすることができた。
桁違いの数字が並ぶショーウィンドウを彼女と眺めながら、互いのリングサイズを計ってどんな種類がいいか夢を膨らませた大学時代。
ついに叶えられた感慨深さに胸が熱くなる。
ずっと、待ちわびていた瞬間であった。
「つか……これ。あたしが良さげって言ったやつか。よく残ってたね」
「なるべく好みに合わせたかったから、間に合ってよかったよ」
まるで、ふさわしい人を待っていたかのように。
箱から取って、指輪の一つを薬指へと滑らせていく。
根本まではまった指を、しっかりと握りしめて。
「一緒にいよう。これからは、家族として」
「はい」
瞳を潤ませつつある彼女が、涙に震えた返事を絞り出す。
もうひとつの指輪を手に、今度は私の左手を取った。
「ずっと、離さないから。どんだけ転勤しようがついてくから」
口元をくしゃっと緩めながらこぼれる涙を拭おうともせず、ゆっくりと誓いの証を薬指へ埋めていく。
「夢じゃないんだね」
「醒めない現実だよ」
ハンカチを出して、目元へそっと当てる。
少し充血した目をしばたきながら、『これで君だけの人になったんだねー』と彼女が銀の輪が輝く左手を眼前に掲げた。
そのまま肩に手を置いて、瞳を閉じて、顔を近づける。
頬が熱い。
どれくらいの間、唇を重ねていただろうか。
ゆっくりと口唇をほどいていくと、新たな雫をこぼしながら彼女が笑いかける。
その瞳に映る私も、同じような顔をしていた。
・SideB
あいつと暮らすようになって、どんくらい経ったっけ。
ひとつ屋根の下でいつも一緒。ペアリングも買った。仕事もそれなりに順調。健康面でもお互い気をつけてるから問題なし。
あいつの仕事的に急な呼び出しが多いからあんまりデートはできないけど、そのぶんおうちデートを満喫している。
もともとインドア派でよかったわ。
こんなに幸せでいいんかってくらいな、あたしの人生。
でも、幸せも慣れてくるとちょっと欲が出てきちゃうんだよね。人間の性ですな。
籍の概念に縛られるわけじゃないけど、もっと家族みたいなことはしたいかなって。
その想いが行き着いた先が、今日のデート場所になる。
具体的に言えば、ある意味結婚式場というのかな。
こういうのは着れるうちにやっておきたいからね。もう20代も半ばだし。
「ほらほら、似合ってるんだから胸を張りなさい」
恥ずかしそうに顔を隠すあいつの背中を叩いて、撮影場所へと手を引く。
化粧もばっちり決まった姿は、お世辞じゃなく綺麗だと思う。
「着物は初めてだ。こんな着心地なのか」
「成人式出なかったって言ってたしね」
七五三は覚えてないんかい、という突っ込みは置いておいて。
目の前に立つのは、あたしだけのお嫁さん。
高そうな正絹の素材に覆われた純白の着物をまとっていて、背が高いから長い丈がすらっと伸びていっそう格式の高さが引き立つ。
綿帽子で額からすっぽりと頭を覆っているから、撮られるのが苦手なあいつにはうってつけだと思う。
同じく着替えたあたしを見て、あいつが相変わらず顔を隠しつつぼそぼそと褒め言葉を並べ始めた。
「あなたも、すごく、綺麗で。本当に、輝いてるというか隣に立つのが恐れ多いと言うか」
「並ばないと写真は撮れないのですよー」
あたしたちが今いるのは、フォトウェディングスタジオ。
同性愛者へのプランに対応しているスタジオを吟味して、あいつの貴重な休みの合間やっと向かうことが出来た。
大学時代だったかな? そんときの冬休みにちょろっとこぼした、式の写真を取りたいなーって願望がついに叶うことになった。
大人になると、やりたいことはだいたいできるんだねえ。
『お似合いですよー』と褒めてくれるスタッフを背に、あたしはちょっと気取って長いドレスの端をつまむ。
白無垢のあいつとは対象的に、あたしはウェディングドレスの姿で立っていた。
小さいときは将来はお嫁さんになるのーって夢見がちな女子を鼻で笑ってたけど、いざ恋人ができると、ね。
やっぱ憧れはあるんだね。ごめんよ夢見る少女たち。
ひらっひらの、いくつものレースが連なった純白のドレス。足元が見えんほどのロング丈。手にはちゃっかりウェディングブーケまで。
花のチョイスがカサブランカなのは、ある意味気が利いている。
一生に一度しか着ない服に金かけるなんてーって思ってたけど、やっぱり着てよかったと思う。夜の営みが進んでも心は乙女のままである。
スタッフの指示に従って、あたしたちは結婚式場を模したセットを背後に並んだ。
白無垢と、ウェディングドレス。和洋折衷の組み合わせ。
よくばりセットで、混ざり合ってなくて。
写真をこれから眺めるたびに、統一感ねーなーって思うんだろう。
でも、それがあたしたちだから。
何から何まで違うのに惹かれ合って、今があるんだから。
「どうして、今日撮ろうと思ったんだ?」
「夢で見たから」
首をかしげるあいつを横目に、あたしはまだぼんやりと残っている記憶を思い返す。
もう見ないと思っていた、好きだった夢。
久々に訪れたそこは、もうかつて夢見た景色からは色あせていた。
音もなく、鮮やかだった夕暮れの海辺は灰色となり色彩が失われて。
それだけあたしの中からは、遠ざかっていたということ。
それでもまだ、あいつはそこに立っていた。
高校時代と何一つ変わらぬ姿で、じっと、渚に。
ああそっか、とあたしは今更ながら意味を理解する。
あの子だけが、ここで取り残されていたんだ。
曲や景色はあの旅行で思い出と共に置いていったけど、まだ、あいつには何もしてあげていない。
だからあたしが再び訪れるときまで、ずっと。待ってくれていたんだ。
あたしは手を伸ばす。これまで醒めるまで隣に突っ立っていただけだった状態から、一歩を踏み出す。
指を掴んで、絡めて、隣へと並ぶ。
瞬間、世界が色づいた。
まるで手を取ったことで時間が動き出したように。
海なのに浜辺には次々と植物が伸びて蕾がひらいて、色とりどりの花で満たされていく。磯の香りから花の芳しさへと空気が塗り替えられていく。
天国ってそういうとこなのかもと思った。
そのままあたしたちは、再び鮮やかに染まり始めた浜辺を歩き出す。
歩くたびに、足取りが軽くなって。浮遊感を覚えるようになってきた。
たぶん目覚めが近いんだと思う。
視界に広がる世界はどんどん彩度が増して、目を開けていられないくらいまぶしくなってくる。
隣のあいつは、相変わらず無言のまま。
でも、ふと視線を向けると。
髪が伸びて背ももっと伸びて、顔立ちも化粧っ気が出てきて。
あたしの知る、今のあいつへと変わっていた。
連れて行こう。ここから。
そしていつか、肉体が限界を迎えてふたつの魂となったときに。
また手を取って、どこまでも花で敷き詰められたこの場所を歩き続けよう。
光がさらに強くなって、一面の白に覆われて。あたしの意識は急速に浮上していった。
「それでは、準備はよろしいですか」
スタッフがカメラを起動して、こちらへと向けられる。
ポーズはなんでもいいみたいなので、とりあえず今のあたしたちを象徴するブーケを一緒に持つことにした。
「ありがとう」
ブーケを持った瞬間に、あいつが耳打ちしてきた。独り言のように。
「あなたが手を引いてくれたから、ここまで来ることができた」
「そりゃもっと年老いたときに言う台詞ですぜ」
奇しくも夢のあいつと重なって、吹き出しそうになる。
でも、それはあたしも同じだ。
あいつと出会わなければ、こんな幸せな人生はありえなかったと思うから。
この写真は、いちばんいい場所に飾ろう。
いつかあいつが贈ってくれた、フラワーギフトの隣へと。
最高の舞台で、最高の姿で、最高の笑顔とともに。
至上の瞬間が、いま一枚の写真へと切り取られていった。
籍を入れられなくたって。
あたしたちはずっと、深い愛で結ばれているから。
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