【A視点】初めての夜(後編)◆

続・SideA


 優しくしてね。そう囁いて、彼女は私へと静かにもたれかかってきた。


 すべてを預けて、身を任せてくれる。自分だけが特別なのだという意識から、この人を満足させてあげたいという想いが強まってくる。


「…………」

 枕に頭を預けた彼女へと、静かに覆いかぶさる。


 こちらを見据える彼女のまなざしは、いつもと違い覇気がない。どこか憂いを帯びて、甘やかに潤んでいる。

 綺麗、としか言葉が出てこない己の語彙力を恨めしく思う。


「ん、っ」

 衝動のままに唇を寄せた。受け止められた肉厚の口唇はいつ重ねても温かく、瑞々しい。

 薄く引いたグロスがよく映える、艶光った上唇をついばむように。何度か軽い接吻を重ねていく。


 押し当てて、離して、また求めに応じて重ねていく。

 触れ合うたびに接吻はどんどん深くなって、やがて味わうように、すり合わせていく動きへと変わっていく。


 先に我慢の限界を迎えたのは彼女だった。

 赤く淫靡な舌がこちらの下唇へとちょんと触れて、じわりと神経を撫でていくような痺れが走った。


「ん、は、ちゅ、っく」


 舌先が触れ合って、口内へと滑り込んでくる。

 時折漏れる唾液の水音が狂おしいほどに厭らしい。はしたなく音を立てて、奥深くまで舌を貪り合う。


 飽きる気配がないほどに吸って、扱いて、また絡み合って。

 なんて甘美で下品な行為だろうかと。分かっていても、止めようがない。


「つ、ぅ、は……っ……」


 最後まで名残惜しく、ゆるゆると舌を引き抜いていくと銀糸が滑り落ちた。行為の深さを物語るように。


 しばし思考すらも忘れて、また互いに見つめ合う。

 さきほどあれだけ熱い視線を交わしたのに、欲は尽きることがなく。


「するよ」

「うん」


 短く合図を交わして、彼女へアイマスクを装着させる。


 しかし、目隠しとは。今している行為は本当に同意の上であるのか心配になってくる。

 万一係員に見られたら、どう言い訳を取り繕っても無意味であろう。


「居眠りしてる恋人がいたんで夜這いしましたーでいいと思うよ」

「なにもよくない」


 冗談か本気なのか分からないジョークを軽く飛ばして、本格的な局部の責めへと移った。



「……っぁ、く」


 目隠しの効果はそれなりに表れていた。

 浴衣の上から、胸元を刺激する。首元に口を寄せて、時折舌でなぞりながら。


 直接触れるより感覚は鈍感になっているはずなのだが、服越しでもわかるほど突起の部分は隠しきれず尖って、快感の主張をこちらへと伝える。


「やっ、い、あふ、うぅっ」


 何度か固くしこりのある胸元をさすっていると、うなり続けていた彼女が背中をはぜしならせた。

 耐えるように肩で荒い呼吸を繰り返して、小刻みに身体を揺らしている。


「…………」

 なんとなくいたずら心が湧いて、手のひらに収まる胸部に指を伸ばす。軽く突起を弾いた。


「ひゃいっ」

 びくびくと、彼女から大きな反応を感じたのちに。身体がぐんと前かがみになる。


 無理やり私の腕から逃れると、彼女はまだ余韻が残るであろう身体を自身の腕で掻き抱いた。外敵から身を守るように。


「い、痛かったか?」

「や、そーゆーわけじゃ、ない……」


 持っていかれそうだったと意味深な言葉をつぶやいて、それほどまでに目隠しの効果はあったよと彼女は息を整えながら説明した。


「ひうぅっ」


 何度か胸元とそこから上を愛撫し続けるうちに、声色が変わってきた。

 くすぐったさに悶える泣き声にも似た反応から、湧き上がる欲を押さえつけるような、何かに我慢している唸り声へと。


「え、えと」


 唸る合間、ようやく会話目的の声が聞こえたので拾うと。

 もう少し強くてもいいと要望を受けた。身体が順応してきたらしい。


「んっ……はぁぁっ」


 浴衣の隙間から手を滑り込ませて、わずかな肌着越しに胸元を愛撫する。


 瑞々しく弾む感触をより近く味わえるようになって、少し揉む手に力が入ってしまう。痛くはないだろうか。


 尋ねると、潰さなければと返ってきた。

 想像するだけでもこちらとしても怖い。


 ひとしきり上への愛撫が済んで、次は、つまり。

 残っている部位は必然的に下になるのであって。


 優しくしてくれるなら大丈夫だと聞いているものの、やはり一抹の不安は残る。

 最初から感じて当たり前ではないと分かっていても、苦しむ姿は見ているのも辛くなる。


「平気。あたし我慢強いから」

 少し乱れた髪を梳きながら、彼女が吐息混じりに言った。


 本当に、強い人だと思う。何度か練習を重ねているとはいえ、素人同然のこちらを信じて受け入れてくれているのだから。


「わかった。けど、無理はしないように」


 叩き込んだ知識を活用させることを心に固く誓うと。

 今度は軽く、唇を寄せた。




 それから。

 事が終わって、生まれたままの姿同然の彼女へと乱れた浴衣を直してやる。

 入浴は明日ということで、今夜はもう布団に入ることにした。


 結論から言えば、いろいろあったが行けるところまでは行けた。

 苦しそうに耐えていたため、途中何度も中止の二文字が頭をよぎったが。


 それでも何としてでもこの旅行を初めての思い出にしたいと、健気に受け入れる様を魅せられては二の句が継げない。


 時間を掛けて、ゆっくりと。

 ようやく深部までたどり着けたときには、冬場だと言うのにお互い汗だくになっていた。


 時計は深夜を大幅に回っていた。

 途方もなく、濃密な時間であった。



「やー、しちゃいましたなあ」

 寝そべっていた彼女が首だけを起こした。

 今は毛布の中に潜り込んで、私の胸を枕代わりに身を委ねている。


「無事に終えて何より」

 頭にそっと手を置くと、満足そうに頬を擦り寄せてくる。


「……えっと、どうでしたかね」

「可愛かった」

「そりゃよかった。……ほんとよかった下品とか思われなくて」

「行為に品は必要なのか」

「どうせなら綺麗に乱れたいじゃん」

 いくら乱れようと、この人の価値が変動することはないのだが。


 幼子がしてくるような甘え方が、堪らなく愛おしく感じる。

 本当に、よく頑張ってくれたと思う。


「痛みはある?」

「なんかひりひりというか、まだ入ってそうな感はあるけど」

 でも、そんなに痛くないからと補足を受けて、ほっと胸を撫で下ろす。


「君も。ほんとーに、お疲れ様でした」

 お返しとばかりに腕が伸びてきて、頭をわしゃわしゃと掻き撫でられる。


 そんなの。彼女のほうが何倍も辛かったであろうに。

 思わぬ激励の言葉を受けて、甘えたくなる感情が揺り動かされる。


「つか、経験ないのに痛くしないように突っ込んでって。ムリムリのカタツムリじゃん。心臓ばっくばくになるじゃん。される側が怖い無理なら通じるけど、する側が怖い無理って言いたくても言えないじゃん。それでやりきったってのは、めちゃめちゃ頑張ったってことなんですよ」


 その言葉で、一気に張り詰めた緊張が瓦解していく。


 弱いところを見せないように虚勢を張った。安心して身を委ねられるように精一杯の格好をつけた。


 その判断は決して間違ってはいなかったと思う。だからこそ初めてにしては悪くない思い出を残せたのだから。


 それでも。

 苦痛にうめく彼女に何度、『やめるか』と言いそうになったか分からない。


 それは相手への気遣いよりも、これ以上苦しそうな姿を見ることに耐えられない弱さから来る予防線に過ぎないのに。


 ある意味、目隠しを施していることに安心していた。

 震えそうになる指先と喉を堪える私は、とてつもなく頼りない顔をさらしていたであろうから。


 だけどそんなものはとっくに、視界を塞がれている状態であろうと見抜かれていて。

 だからすべてが終わった今、こうして労るべき人に励まされているのだから。


「……敵わないな」

 きっと、一生。

 吐きそうになる弱音は飲み込んで、頭を行き交う心地よい感触に目を細める。


「むしろ、まいってるのはあたしの方だけど」

 先に惚れた側だからさ、とさりげなく口説きつつ彼女はふやけた笑みを浮かべた。


「しかしまあ」

 布団にまた潜った彼女がもぞもぞと話しかけてくる。


「一線を越えても、そう劇的には変わらないもんだね」

「……成長の過程ではないのだから」


 するまでの私達もそうであったが。

 やたらと初夜という概念は神聖化されていて、架空の世界では一大イベントのように取り扱われている。


 だが実際に経験してみると、お互い超えるまでに必死だったせいか最中は特別感を味わう余裕などなくて。

 終わって初めて、いい思い出だったかもしれないと振り返られるのだ。


「とは言っても……」

 彼女は裸体を見られたどころではなく、あますとこなく痴態をさらけ出している。

 こうしてのんびり会話を交わせていることが、不思議なくらいであるが。


「一周回って吹っ切れた。どうせ今後も隠すことはできないんだからさ」

 それはそれで、すごい度胸である。


 むしろ本人以上にこちらは、あられもない姿に心乱されていたのだから。

 今でも思い返すと顔から火が出そうになる。よく最後まで失神せず気を確かに保っていたものだと思う。


「またそのうちしましょう」

「ああ」

 一緒に開発してこうねと意味深な台詞をついでに呟かれて、遅れて意味を理解する。

 吹っ切れたからか発言にも遠慮がない。

 少しずつ。私も慣れていこう。


 そろそろ寝たほうがいいということで、私も頭から布団をかぶった。

 彼女の体温がこもる中で、暗闇の中。手探りで手を取り合う。


「まだ繋がり足りないかい?」

「……そうなる」


 初めての夜なのだから、明けるときまで繋がっていたい。

 十分に密着しているのにさらなるぬくもりが欲しくて、私は指を絡めた。


「おやすみなさい」

「うん。お休み」


 温い空間で身を寄せ合って、互いの体温に包まれたまま夢の世界へと誘われていく。



 しばしの時間が流れて、意識を手放し沈んでいく瞬間。

 耳元へと彼女の吐息がかかって、小声で囁かれた。



「だいすき」



 その言葉が夢でなかったことに気づいて悶えるのは、翌朝になってからであった。







※カクヨムの規約上詳しくは書けないため、外部サイト『ノクターンノベルズ』にて初夜のシーンを掲載しております。

 https://novel18.syosetu.com/n0589hl/

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