【B視点】じれじれのお誘い

・SideB


 どうしてこうなったんだろうね。


「…………」

 会話と笑顔が絶えた旅館の室内で、あたしたちは焦らしプレイのまっただ中にいた。


 行為に及んでるわけじゃないんだけど、焦らされてるのは確かだ。放置プレイとのハイブリッドである。


 部屋は窓も大きくて見晴らしが抜群で開放感あふれる、くつろぐには最適の空間なのに。

 あたしたちの間にはずっともどかしい熱が漂っている。お互いから湯気でも立ち上ってんだと思う。


 実際、あたしは冷え性なのに指先も足の指もぬくさがある。

 とめどなく湧き上がるもどかしさが燃料となって、身体のすみずみに火をつけて周っているから。


 旅館着いたら読みまくるぞとマンガアプリを開いたのに、10ページくらいしか進んでない。

 つか台詞が頭に入ってこない。文字がすべって、絵だけを追っていた漫画はいつの間にかぼっちで旅してた主人公に仲間と敵が増えている。いつ加入したんだよ。


 さかのぼって最初から読み返そうとするんだけど、設定を理解するだけの脳みそが回っていない。

 ようは、落ち着かないのだ。


「…………」

 視線に気づいて、漫画のコマをどうにか拾おうとしていた目線を上げる。

 向かいで爪を切っていたあいつと目があった。


 なんとなく会釈を交わして、微妙に視線をずらす。

 さっきからずっとこの繰り返しだ。


 付き合い立てに発症した、もじもじ状態が再発しちゃったらしい。

 そもそも寝っ転がってだるーく読むはずだったのに、あたし何故か正座してるからね。気が抜けないってことで。


 ページをなんとかめくって内容を読み込もうとしている最中も、耳から届くぱちんぱちんと爪が整えられていく音が集中力を削いでいく。

 いくらしくじらないための下準備だからって、爪はもろ意識させられちゃうんだわ。


 とうとう、するんだ。今夜。


 何度目かの自覚に、また頭のてっぺんがむずむずとかゆくなってくる。

 飛び散った熱が這い回っているんだと思う。



 原因はちょっと前にさかのぼる。


 旅館に着いた頃。

 あたしたちは荷物を置いて、夕食まで各自まったりしてましょやと畳に足を伸ばしてだらーっとテレビを眺めていた。

 地方ローカル番組って、日曜日のテレビみたいな素朴感というかゆるさがあっていいよね。


 はー、すべすべの畳と低反発の座布団の感触が心身を癒やしてくれる。

 これまでの旅行は荷物置き場と寝床くらいにしか思ってなかったのか、あんまりみんなでくつろぐ時間なかったんだよね。ずーっと外に出てて。


 インドア派でもあるあたしとしては、どこにも出ないでごろごろしていたかったのに。せっかく普段とは違うところに泊まるんだからさ。



「あふ……」

 あたしは何度目かのあくびをして、目をこすった。


 電車で中途半端に寝たせいか、まだ眠気がまとわりついている。

 まあ旅行だからってはしゃいで、昨日なかなか寝付けなかったあたしのせいなんだけどさ。


 寝てていいとあいつからは気を回されたけど。畳に休日のお父さんよろしくゴロ寝するのもなーと、あたしは睡眠に旅行の時間が削られることに抵抗があった。


「目薬、よかったら使うか」

「あ、いるいる」

 あいつが化粧ポーチをよこしてくれた。こういうときにさっとドラ○もんよろしく求めているものを出せる人っていいよね。


 緑の容器が目印ということで、目的の品を引っ張り出すと。

 ぽろりと、スティックのりみたいな細長い何かが畳を転がった。


「おう、すまぬ」

 手を伸ばすと、『ま、待った』とあいつが急に取り乱し始めてさっと拾い上げてしまった。

 まるでやましいものを親に見つかって隠そうとする子供のように。


 そんなやばいブツ入れてたんかと却って気になってしまう。

「え、のりじゃないのそれ?」

「…………」


 あいつからは焦りがにじみ出ていた。

 慌てず何食わぬ顔で拾えばよかったと、後悔の顔色のまま言葉に詰まっている。

 両手で隠されると余計に興味を惹かれるわ。ドツボにはまってまっせ。


「なになに、めっちゃ気になるんですけど」

 興味津々で詰め寄ると、もう言い訳が思いつかないのか。

 あいつは頑なに唇を引き結んで、隠している両手を後ろへと回してしまう。


 うーん、そういうリアクションを取るってことはどんなものなのかはなんとなく想像がつく。

 法的にやばい代物か、えっちなやつか。


 規律にくそ真面目なあいつ的に、前者はありえないだろうから。

 すると、後者?


 なるなる。そういうことを自覚したてのお年頃だものね。

 あたしと寸止めみたいなことは何度もやってきたけど、自分で慰めたくなるのもわからんでもない。18歳以上なんだしね。


 なんでそれ持ってきてんのかって話にもなるけど。

 こっそりする気だったのかしら。おやおや。


 結論。踏み込んじゃ駄目なやつです。

「あ、返すね。これ」

 がらっとテンションを下げて、目薬を打って、あたしは化粧ポーチを渡す。


「あ、ああ」

 すんでのとこで逃げ切れてあいつ的にはセーフかと思ったのに、なぜかあいつはポーチにしまおうとしない。


 どしたと声をかけると、覚悟を決めたようにあいつは息を吐いた。

 何度か手の中のブツとポーチを交互に見つめて、あたしに向き直って。


「……後ろめたいことではないから」

 小声でぼそっとつぶやいて、ゆっくりと握った手を開いた。


「…………」

 知識がない人には化粧水かのりにしか見えない、手のひらサイズの筒。

 パッケージにはシンプルに『マッサージゼリー』と記載されている。


 つまり、ローションだった。

 スキン用でもボディ用でもないので、そういうことなのだ。


 ふーん。へー。ほー。

 やましいものだと予想はついてたけど、まさかガチで持ってくるとは思ってなかったのであたしはすけべ親父っぽく思わせぶりな鼻歌を漏らす。


「付き合ってそろそろ半年だもんねえ」

「そ、そうだな」

「段階、けっこう踏んだもんなー」

「前回は、その、ほぼ本番だったというか」

「で、外泊だもんね。期待するわな、そりゃ」


 過程をたどって、じわじわとあたしは責めていく。

 物理的にもじり寄っていく。磁石のごとく半身をあいつへとくっつけて。と思ったらあいつがたじろいで距離が離れた。


 こら逃げんな。とりあえず尻を引きずって壁際へと追い詰める。

 一つの答えを絞り出すために。


「ああ、あたしももちろんそんなつもりだから」

 初めての外泊なんだから、備えて勝負下着なんてのもこっそり買ってたりする。

 しかしアレ、穴あきタイプとか普通に売っててビビったよ。


 あたしは少し身を乗り出して、あいつへと膝立ちで見下ろす体勢になった。

 壁へと手をつけて。人生初の壁ドンである。


「覚悟なら。できてるよ」

 初めてはいい思い出にしたいから。

 その場所が二人で行く初めての旅行先なんて、これ以上ないシチュじゃないですか。


「…………」

 壁へとついた腕が掴まれた。

 見下ろすあたしへと、あいつは見上げる。まっすぐに。


 あたしのほうが物理的には上だけど、真剣な眼差しに見据えられた時点で攻守はあっという間に逆転してしまった。

 待ってたから。その顔を。


「……私、私は」

 か細くも、しかしだんだんと声は強さを帯びていく。揺るがぬ意思を表すように。


「今日をずっと待っていた。ここを最初の思い出にしたいと、そのための準備もした」

 潤滑油のほかに、指用の保護具と柔らかい素材の器具も。旅館を汚さないためにバスタオルも。備えて買っておいたと聞かされる。


 お互い初めてで手探りの中、少しでも痛みが紛れるように。いい思い出となれるように。

 できそうなことは、全部。


「精一杯、頑張ります。ので」

「うん」

 一晩、どうかお付き合い願えますかと。

 目をそらさず、勇気を絞り出した。


 欲しかったら求めてほしい。以前にそれとなくあたしが促した積極性だ。

 その機会が今やっと訪れた。


「喜んで」

 誠実なお願い事には、誠実な答えを。

 こぼれ落ちそうな笑みを心のままに浮かべて、あたしは受け入れる。

 怖さはあるけど、それ以上に嬉しい気持ちのほうが大きいから。


「ちゃんと誘えたじゃん」

 頭を撫でてあたしは褒めちぎった。

 お世辞なんかじゃなく、いざというときに逃げずに立ち向かうあいつが本当にかっこよく思ったから。



 さて、目いっぱいの想いには包み隠さず応えないといけませんな。

 その兆候にはあたしにもあった。来る途中、わざわざあいつに好きだった失恋ソングを聞かせたことを。


「ちょっと付き合ってもらってもいい?」

「いいが、どちらまで」


 旅館のすぐ側にある海辺へと。秘めていたものを胸に、あたしは誘い出した。


 何度も夢に見た場所へ。

 今度は現実世界で、恋人とともに。

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