【A視点】エスコートしたかった

・SideA


 思えば遠くまで来たものだ。

 恋人ができたことも、旅費のためにアルバイトを始めたことも、こうして自力で旅行に行くことも。


 去年の9月以前の私に予言しても、到底信じなかったであろう。


 それは高校時代から言えたことか。生まれ変わった、までは言いすぎだが変わったことは確かだ。


 いつだってきっかけには彼女がいた。

 救われたのだと何の疑問も持たず断言できるほどには、私の中に住まわる彼女の存在は大きい。


 私は恋人として誠実に応えられているだろうか。

 たくさんの愛情表現を与えてくれる彼女に対し、私はその十分の一も伝えられていないのではないのか。


 いつもされるがままで。10返さねばいかないところを、5返したから愛情のやり取りが成立していると自分を甘く採点して。

 好意にあぐらをかきすぎてやしないかと、脳内で一人反省会が始まる。


 この旅行を通じて、もっと頼れる相方となろう。

 いつもと違った場所でなら、人は積極的になれるものだから。



「学割効いてよかったね」

「相場より安いとはいえ、数万は飛んでいくものだからな」


 旅館の最寄り駅までの片道は、約110km。

 距離が100km以上の場合学割運賃が適用されるため、条件に合った旅館を見つけられてよかったと思う。


 片道は約2時間半、乗り換えは2回。

 15時のチェックイン時間に合わせて、正午を回った電車に私達は揺られていた。

 ボックスシートの4人席に二人で並んで。


 ラッシュ時を過ぎているため席はほとんどが空席で、車内は開放感あふれている。

 車両内を見渡す限り、乗客は私達だけだ。


 昼下がりの穏やかな日光を浴びながら、貸し切りめいた空間内で堂々と会話ができるのは良いものだと思う。


「同じ関東圏でもまだ未踏の地だったんよ。この路線も初めて乗った」

「私は……昔一度連れてってもらったかな」


 家族旅行で、確か高学年あたりだったか。

 海があまり綺麗ではなかった記憶しか残らなくて、正直いいイメージがない。今回の旅行でぜひとも払拭したい。


 口コミの評判は、ざっと調べたところおおむね上々。

 料理が美味しく、地元名物のアンコウを味わえるという。海のすぐ側にあるため眺望も良いとのこと。


「ちなみに最後に海に行ったのっていつ?」

「修学旅行時の北海道」

「あたしは夏に行ったデ○ズニー」


 どちらも海に面した場所に訪れただけである。

 とんと海に馴染みがない県に住む私達にとっては、それだけで心が踊るというものだ。


「はい、サプライズ」

 何駅か過ぎたところで、彼女がキャリーケースからお菓子の箱を取り出した。

 冬季限定と記されたチョコレートの箱だ。


「これは」

「メル○ィキッス。旅行中にバレンタイン過ぎちゃうから、取り急ぎってことで。さっき買った」

 すっかり忘れていたことを思い出して、一気に申し訳無さが募ってくる。

 旅行に浮かれていて、恋人として重要なイベントを見逃していたとは。


「お返しはいらんから。一緒に食おうぜ」

 下車後にどこかで買おうと言いかけた言葉が引っ込んでいく。

 ぺりぺりと切り取り線に沿って箱を割いて、彼女は一口サイズの包装をつまんで差し出してくれた。


「せめて。ホワイトデーは何か贈らせて」

 受け取る直前で指が止まる。

 貰いっぱなしというのは体裁が悪い。いいところを見せたいという尾を引きずった思いから、私は渋った。


「そう? じゃあホワイトチョコでうまそーなのあったらよろ。あんたも食べそうなやつでね」

 封を切って、彼女はチョコを口に放り込んだ。


 具体的なリクエストを言っていただけるのはありがたい。ただ物を送っているところで完結してしまう私とは違い、彼女はその先を行く。


 どうしたらもっと、私は広く見渡せるようになるのだろう。

 友達が多い者と少ない者の差はここから来るのであろうか。


 角砂糖くらいの小さな生チョコレートを口に含む。

 抹茶味とパッケージに記されている通り、舌に最初に触れた味覚は苦い。

 抹茶菓子にしては甘さも控えめで食べやすく、ついついつまんでしまった。


「たまに食べるとんまいよね」

 空になった箱を解体し、丁寧に畳んで彼女はゴミ用のビニール袋にしまっていく。


 パウダー付きのお菓子は手が汚れやすいので、ウェットティッシュの回収も抜かりなく。

 旅行中に流れで済ませたバレンタインというのも、なかなかないと思う。


「…………」

 相変わらず何区間か過ぎても人はまばらで、のどかな田園風景が延々と続いている。都心に続く路線とは大違いである。


 次の乗り換え駅までは、実に1時間半ほど揺られてないといけない。

 当然眠気も訪れてくるわけで、口を押さえて彼女があくびの動作をした。


「あ、眠かったら。遠慮なく」

 寄りかかっていいと肩を指したところ。


「それはあたしが言うべき台詞ではないかい?」

 窓枠へと彼女が頬杖をついて、頭を傾けた。

 ……窓際に腰掛けている人なのだから、そうなる流れが自然である。


 またも外した私に『ああでも』と彼女がそそくさと音楽プレーヤーを取り出して、イヤホンの片方を眼前にぶら下げた。


「眠気防止にこれ聞いてるから。よかったら」

 つなぎとめようとカバーしてくれたらしい。

 すり抜けた手が戻ってきたかのような安心感に、私はイヤホンを持った手を取った。

 両手で。


「や、あたしの手ではなく。イヤホンをだね」

「わ、悪い」

 ……何をしているんだ私は。

 差し出されたのは手ではないことくらい、見ていれば分かるであろうに。


 この時点で情けない気持ちに自信がしぼみかけていたが、こうなると私は負のループにはまってしばらく抜け出せなくなる。


 せっかくの旅行を楽しんでないと誤解されることだけは避けたい。顔に出る前に、気持ちを落ち着かせよう。


「何か聞きたいのある?」

 そちらのおすすめを聞きたい、と返したところ。


「じゃ、これにするね」

 彼女はひとつの楽曲を選択した。

 タイトルにも、アーティストにも、馴染みはない。15年近く前の曲らしい。


「子守唄っぽいチョイスにしてみました」

 それは余計に眠気を促進させるのではないのか。

「スマホのアラームあるから大丈夫だよ」


 落ち着いた曲調を好むことを知って、選んでくれたのだろうか。

 イヤホンを分け合って、曲が再生されるのを待った。


 女性の透き通った声が耳に沁み込んでいく。

 ピアノの美しい旋律に乗せて、静かな歌声が流れていく。

 ……子守唄、というよりは物悲しいバラードだ。


 歌詞も失恋を想起させる届かぬ想いが綴られていて、ささやくように歌っていた女性の声はどんどん激情の声量へと変わっていく。

 眠気を誘うどころか、意識の奥から引っ張り上げてくるような。


「…………」

「どうだった?」

 綺麗で、透明で、そして空虚な曲。

 曲自体は好みの旋律であったが、どう感想を述べればいいか分からない。


「美しい、曲だと思う。夜にひっそり流したくなるような」

「そうそう。ほどよく自分に酔いたいときとかね」

 どこか感傷めいた言葉を乗せて、彼女は軽く笑った。


 それ以上彼女は突っ込むことなく。

 別の、今度は私でも聞いたことがあるメジャーなヒット曲を流し始めた。


 眠気を振り払う明るいメロディーを耳に流し込みながら、冴えてきた頭で考察する。


 叶わないと最初から諦めて、友達、いや見ているだけでいいのだと言い聞かせる歌詞。


 それでもぽつぽつと降り注ぐ切ない旋律と力強くなる歌声からは、それでいいわけがないのだと未練を訴えている。だから感情を揺さぶられる。


 何曲か過ぎたところで、彼女が突然手を取ってきた。


「何か」

「んと。そすね、さっきの曲なんだけど、」

 何かを伝えたそうにくるくると指の腹で円を描く。くすぐったい。


「一番好きな曲だったんだよね」

 ……過去形?

 ただ、失恋ソングを恋人にわざわざ好きと言うのも違和感があるから、好きだったとぼかしたのであろうか。


「今は違うのか」

「まーね。報われたから更新された。だから」


 から回ってなんかないよ。

 あたしのために何かをしてくれることが、ぜんぶ嬉しいから。そう耳元で囁かれる。


 照れ隠しのように手のひらに何度も丸を指でなぞって、最後に大きな輪を描く。

 花丸の書き順であった。


 おすすめを聞きたいと言って選ばれた曲。恋人へと聞かせる報われぬ歌。

 彼女なりの、かつての想いと重ねていたのだろうか。


 そうだとするなら、どれほどに深く想われていたのか。じわりと頬に、胸から湧き上がった熱が満ちていく。


「…………」

 なんとなく、頭を垂れた。

 そのまま傾けて、彼女の肩へと預けるように。


「おや」

 そのまま目を閉じていると本当に眠気が湧き上がってきて、私はゆっくりと意識を手放し始める。


 これからはずっと側にいるよと伝えるかわりに。

 膝に置かれた手を取って、力強く握る。


 指はすぐに、握り返してくれた。



「やっと着いたー」

 出発から実に2時間以上。

 無料送迎バスに運ばれて、ようやく目的の旅館へと到着する。


 委員長の家に訪れた際にこぼした本音を配慮してか、彼女は和室のプランを選択してくれた。


 8畳ほどの広々とした和室。温かみを感じる畳と、心地よいい草の香り。

 窓の外に広がる一面の海を見に来ただけでも、満足感を十分に覚えてしまうほどだ。


 文化祭のときはまさか本当に行けると思っていなかったから、いっそう感動がこみ上げてくる。


「気に入ってくれたみたいだね」

「とても」

 それもこれも、彼女がいなければ叶わなかったことだ。


 一方彼女もはしゃぎ様は負けず劣らずである。

 わーい海だーと大きく開いた窓へと手を伸ばして、さっそくスマートフォンを構えている。


 さて、どこから巡ろう。

 まだ時間もあるし、観光にも適した町だ。事前に一通りのスポットは調べてある。


「行きたいところはある?」

「本当にどこでもいい?」

 真剣そうな顔で、何度も彼女は念を押してくる。行けそうな範囲でなら大丈夫だよと返すと。


「一度でいいから、自由行動は旅館でごろごろしてみたかったんだよね。あちこち歩き回りたくなくて」

 滑り込むように彼女は畳へと寝そべった。

 ……なんとなく、そう言いそうな予感もしていた。


 一日目はのんびりと、部屋でお互いくつろぐことになったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る