旅行編
【B視点】それぞれの春の兆し
・SideB
2月に入って、大学も春休みに入った。
約2ヶ月って無駄に長いよね。長いぶん、社会人や高校時代まではできなかったことをやれってことなんだろうけど。
サークルの先輩も言ってた。時間を使うのが上手いやつから勝ち組の人生のスタートラインに立つんだぜとか。
現にその人は起業のコネ作りに抜かりなかった。大学や、バイト先や、留学先や、インターン先で人脈広げて。遊びながら地盤を固めていた。
道を自分で切り開ける人をあたしは尊敬する。世間は新しいことに挑戦する人に否定的だから。長いものには巻かれろ精神。
いつの時代も、パイオニアは最初は理解されないもんだけどさ。
失敗が怖い若者っていうけど、実際大人になってからのほうが失うものが大きいから失敗できないよね。
だからみんな安定志向を選ぶ。とりあえず塾、とりあえず大卒、とりあえず公務員みたいに。
新ドラマはとりあえず人気シリーズの続編を放送したり、過去にヒットしたゲームのリメイク版を出すのもそうかもね。
人生そこそこに生きられるフォーマットがあるなら、それに倣うのが一番いい。
うーむ、そういう人たちからすると恋愛は無駄に見えてしまうのかしら。
特に若者に多い独身主義や、恋愛ドラマが当たりづらくなってるのも関係してんだろうか。
本当に一人でいるのが気楽なら、あんなにSNSに人が集まるわけないと思うんだけどねえ。
一方的に喋れて顔も気にする必要がない、刹那的な関係くらいが一番心地いいのかもね。
ま、難しく考えることはやめやめ。
あたしにとっては今が一番楽しいんだからさ。
あいつのいない人生なんて考えられない、みたいな。
……言葉にすると重いなー。
けど振り返るとそれしか残らないんだから、我ながらどっぷりだ。
「じゃ、サトウちゃんの来週の予定はこれで調整するからね」
「すみません。助かります、店長」
あたしはシフト表の休み希望を店長に渡した。記された予定には×マークがみっつ、連続で続いている。
誰がどう見ても、遠出すんだろうなーと分かる過ごし方だ。
「行くんだ?」
店長が好奇心たっぷりの弾んだ小声で耳打ちしてくる。
今事務所にはあたしら以外いないから、普通の声でいいんだけど。
こういうときの店長は同年代の女子っぽい無邪気さがあって、この距離感があたしは気に入ってる。
「ええ、今しか遊べないんで」
2年になったらあたしは長期インターンに入るし、あいつも留学に行ってしまう。
でも、共に生きるなら行動しなきゃ。大学生らしく。
楽したい真のサボり魔は努力家であるように。
恋に溺れて持たざる社会人にはなれない。お互いのためだ。
さっそく遠距離になるわけだからやることやっとくぜって算段だけど。
ええ、時間は無限に有限なので。
店長は無駄にビブラートで『ふぅぅん』と唸ると、これまた何かを含むようにサムズアップのポーズを取った。
うわあ、絶対見抜かれてる。
その後も店長のニヤニヤ攻撃をかわし続けながら業務をこなして、休憩時間に入ったので事務所で昼食を摂っていると。
「へいへーい」
勝手知ったる我が家のように、一人の女子が乱入してきた。
こっちも春休みで暇してるのか、最近よく来るようになった。
「ミヅキ、昨日もいたよね。戻ってきたん?」
弁当の卵焼きをむぐむぐ口へと運びながら、正面から頬杖を付く暇人に問う。
「帰省してんだ。ばーちゃんとこに」
あそっか。もともとこっちいた頃は、祖父母ん家に居候しつつ大学行ってたゆーてたもんな。
「暇なら春休みだけでいいんで短期で入ってくださいよ。学生ごっそり抜けちゃうんで、人かき集めんのに必死なんすわ」
うちらの話を聞いてたのか、更衣室から制服に着替えた男子が出てきた。
……実際シフト調整は厳しい。
うちの店って学生か、子育て終わった主婦層かの極端な従業員構成だもんなー。
だから毎年春は人材確保に苦労する。
「教習で忙しいんですわ。めんごめんご」
そう言って女子は人差し指でバッテンを作る。
それもまた、大学生らしい過ごし方だ。
「タケっち、今日なんかゴキゲン?」
どこかそわそわして、厨房を覗き込もうとする男子に女子が声をかける。
辞めてけっこう経つのに、よく通名覚えてんなあ。
「んと。親、来るんで」
「よかったじゃん」
カノジョじゃねーのかよーと関西人じみた突っ込みを繰り出す女子とは裏腹に、事情を知るあたしはほっとした心持ちでいた。
あのお父さん、回復に向かってるのかな。
「ちょっとずつですけど。外食くらいなら行けるようになったんで」
「そっか」
本当に嬉しそうにはにかんで話す男子に、年相応の幼さをあたしは垣間見る。
求人に奮闘する店長。忌まわしきストーカー被害から立ち直った女子。壊れかけた家庭に希望の光が差しつつある男子。
もう何ヶ月もログインしてないフェ○スブックでは、委員長が彼氏らしき人とツーショットを撮っている写真が上がっていた。
文面を見ると、婚約したっぽい。
お祝いコメントには、当時の懐かしいクラスメイトの名前がずらっと並んでいる。担任の名前まである。
あのぶっきらぼうだった男子も書き込んでいたのは意外だったけど。
クラスぐるみで作ったアカウントだから、放置してると思ったのに。
いいねボタンをあたしは押して、密かに心の中で祝福を唱えた。
みんな、何かしらに挑んでいて。少しずつ進んでいる。
そしてあたしも、あいつも。
自分たちの力で旅行に行けるようになったってことは進んでる、のかな。
「てか、サトちゃん。店にいるのにまかない食わないんだね」
女子があたしを一瞥して、今更のように弁当箱を指差した。
男子も『そういえば』と納得がいったような声を漏らす。
そすね。相方がメシウマなんで、うん。
ちょっとは女子力磨いとかないとなって。
花嫁修業ってやつかな。冷凍食品ばっかのラインナップじゃ説得力ないけど。
「ここ炭水化物ばっかじゃん。ちょっとカロリー気にするようになって」
それっぽく言い訳を繕う。
サ○メシみたーいとからかってくる女子を無視して、あたしは残りの弁当をかっこんだ。
バイトの帰り道。あたしはとある一軒家に足を運んだ。
最近顔を出せてなかったけど、旅行で思い出した。出発前に会っとこうと思ったのだ。
「ごめんくださーい」
木製の、大きな門に備え付けられたインターホンを押す。
名前とさっき電話した旨を伝えると、どうぞと老人の声が快く返ってきた。
門からお家まではそれなりに距離がある。庭がでっかいのだ。
だから引き取ったんだろうけど。
落ち葉と砂利を踏みしめ、林のように木がそびえ立つ庭を突っ切って、玄関へとあたしはまっすぐ向かっていく。
もう何回も来ているから慣れた。
「あ」
玄関先には先客がいた。
背の高い女性と、幼稚園くらいの背丈の子供。
顔を出してたことは知ってたけど、こうして親子ともども顔を合わせるのは初めてかも。
「お久しぶりです」
女性はあたしを見つけると、すぐに挨拶をしてくれた。
美容院に行ったのか髪は綺麗に整えられて、目の下のクマはすっかり消えている。
こうして見るともとの顔立ちがいいのか、けっこうキレイな女性だったんだなーとわかる。
それだけ、余裕が戻ってきたということなんかな。
「お元気そうでなによりです」
「ええ、お陰様で」
それ以上は踏み込まない。
前に来たときは子供はシッターさんらしきおばちゃんといたから、いい相談場所が見つかったんだろうけど。
「こちらの猫ちゃんには陰ながら感謝しております。あはは、しつけとかで」
”言うこと聞かないと猫ちゃんとは遊ばせないよ”とか、そのあたりだろうか。
きゃっきゃと猫をなでる子供の靴はきちんと揃えられて、玄関からずかずか上がっていこうともしない。ある意味親代わりに見える。
「おねーちゃん。こんにちは」
「はいこんにちは」
子供はあたしがいることに気づいて、頭を下げて挨拶してくれた。
うむ、健やかに育ってるようで何より。
「ねこ、みようよ。みよ」
コートの腕を引っ張る意外な強さにおっととバランスを崩しかけて、あたしは座布団にくるまるそいつの顔を覗き込んだ。
「きたぞー」
声に反応して、茶トラはくぁぁと口を開ける。
サイレントニャーってやつだ。
ちなみにお嫁さんは警戒心が強くて、ほとんど寄り付かない。
目を凝らすと、階段の上からじーっと見つめているときがあるけど。
背中を撫でると骨が当たるものの、だいぶ肉はついてきたように見える。
ノミもすっかり駆除してもらって、保護当時は毛をかきわけると黒いつぶつぶがのぞいていたのに、今はすっかりさらさらだ。
お腹に手を当てると撫でなさいと言わんばかりに転がって、前足をバンザイポーズでぐぐっと伸ばす。
すぐさま子供が白いお腹に顔をうずめた。
回復しても逃げなくなったね、茶トラも。
呑気にじゃれあう様からは、とても腎臓病末期の子には見えない。
「…………」
あたしはスマホを取り出して、シャッターを構えた。
フォルダはもう、1ページ茶トラのアルバムで埋まっている。
今日は動画を撮っておこう。元気に見えるうちの一瞬を遺しておくために。
少し濁り始めた茶トラの片目に切なさを覚えつつ、あたしは数分に渡るホームビデオみたいなものを撮った。
また、帰ってきたら遊びに行くからね。
そして、旅行当日。
集合場所を決めていなかったことを、あいつの家に向かう途中で思い出した。
「よ」
「ども」
あたしたちは中途半端な場所ではち合わせた。
お互いの家に行こうとしていたので。
「呼びに行こうとしてた」
「同じく」
LINEも電話も忘れて直接行こうとしたのが、まだ正月の同棲期間を引きずっているみたいで自然と笑いがこみ上げてくる。
「忘れ物ない?」
「貴重品、着替え、飲食物、救急セット、よし」
指差し確認は大事なので、その場でお互いチェックし合う。
「おし、行くべ」
と、その前に。
あたしは意味深に前髪をかき上げて、ちょいちょいと指差す。
出発前の大事なお守りだ。
「…………」
そうは言っても、あれは片方だけにする挨拶であって。
今日は一緒に出かけるわけだから。
少し考えて、あいつが顔を寄せる。
互いのおでこが軽くぶつかる。
柔らかいものが、一瞬だけ唇へと触れた。
周囲に誰もいなかったとはいえ、ここ外だったわ。
当たり前のように求めたあたしも、応じたあいつも大概だ。
「これでどうですか」
「花マルあげます」
ちょっと照れ笑いを浮かべて、お互いおずおずと手を突き出す。
「一緒に楽しもう」
「いぇす」
コートのポケットにお互いの手を突っ込んで、そっと中でつないだ。
さあ、行こう。
貯めたお金で、今日から地元を離れる。二人きりで。
小さな旅の始まりだ。
あたしたちの頭上で揺れる梅の木からは、真っ赤な花がほころんで芳しい香りを放っていた。
まだ遠き春の予告を感じさせる、一足先の開花だった。
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