【B視点】聖夜が明けまして

・SideB


 休日のおふとんの気持ちよさって格別だよね。

 真冬ならなおさら。


 なんとなく意識はあるんだけど、あたしはまだ起きたくないなあって抵抗から目をつぶってる。

 ぬくぬくの沼に引きずりこまれるように、ぼんやり夢と現実のはざまをたゆたっている。


 そんなあたしを引き戻したのは、人の温みだった。


 あたしの右手はしっかりと指を絡めて、離れぬまま今もつながれている。

 お、ということは。


 眠気がさっと引いていく。今のあたしにはこの上ない目覚ましだ。

 まだ、隣であいつは静かに寝息を立てていた。


 名残惜しく指をほどいて、そっと身体を起こす。

 とたんに室内の冷気がまとわりついてきたので、ガードするべく毛布を肩まで引っ掛ける。エアコンも入れた。


 膝をついて、あいつの顔を覗き込む。


「…………」


 頭を預けている枕と、よっぽど相性が良かったのか。

 普段ならもう朝ランへと着替えている時間帯なのに、あいつは深い眠りについていた。


 穏やかに上下する胸元と、無防備な寝顔。

 普段気難しそうな面構えでいるぶん、こういう安らかな表情はすんごいレアだ。


 起きないなら、もう少し見ていてもいいよね。

 見てるだけならさ。うん。休みなんだし。


 都合のいい言い訳を作って、あたしはその場から動けずにいた。


「…………」


 カーテン越しの陽光が、ちょっとだけまぶしくなった気がする。

 壁時計の針が3から6の位置をまわっても、相変わらずあたしは隣で眠る恋人の寝姿をガン見していた。


 ほっぺつんつんしたくなるいたずら心を抑えて、代わりにふくれ上がってきた下心を自覚し始める。


 うっすらと開かれた、リップケアが行き届いた唇ばかりを見てしまう。

 何度も重ねていて、柔らかくて、温かかった感触を思い出してしまう。


 キス、したいなあ。

 なんて、夜這いじみたことを考えてしまう。


 唇にはまだ、昨日のぬくもりが残っている。

 触れ合ったどころか。吸って舐めて絡めてついばんだりした。

 あああ、思い出すとうがーって枕に頭をうずめてシャドーパンチを繰り出したくなるんだけど。


 行為のあとはいつもそうだ。

 なんかすごかった、って一言に集約されていく。

 度合いもどんどん更新されていく。


 優しく受け止めてほしいけど、ときに激しくぶつけてほしい。

 気まぐれなわがままを夜の営みで発散したはずなのに、まだ欲の微熱が残っているみたいだ。


 あいつへと、それとなく顔を近づける。

 どうしよう。見てるだけでは物足りなくなってしまった。

 心に燻った熾火に身を焦がされかけている。


 恋人であれど寝込み襲うのはめーですと警告する理性と、恋人ならおめざのちゅーは外せないっしょという感情がつば迫り合いを始める。


 ほのかな体温を肌に覚えて、吐息がかかるくらいの距離まで近づいて。


 すんでのところであたしは思い留まった。

 長い髪があいつの顔をかすめかねて、我に返ったのだ。


 あぶねーあぶねー。

 やっぱさ、不意打ちはあかんでしょ。

 向こうさんは休んでいるわけだから、睡眠を妨げてはならんのです。


 とりあえず、朝ごはんの支度をしよう。

 もう情事の夜は終わって、日常にお帰りの時間だ。


 朝ランに出発するあいつのためにも先に起きて、煩悩はさっさと水に流そう。

 そう決めて、あたしは顔を上げようとして。


「んぶっ」


 腕が強い力で引っ張られた。

 磁石みたいに引き戻されて、顔面にぶわっと人の熱を直に感じる。


 あいつと顔がぶつかっていたのだ。

 奇しくも、唇に。


「ん、んむぅぅ」


 ど、どゆこと?

 ちょっと歯ぁ当たっちまったよと反論する口は塞がれて、硬直したあたしは先回りのキスをわけもわからず受け止め続ける。


 目の前のあいつは相変わらず涼しい顔つきで目を閉じているから、寝ぼけてやってるんじゃないかとすら思う。


 けっこう強く吸われて、唇が無理やり突き放されるように解放される。

 あたしは朝イチの刺激に、完全に脳がバグって全身の力が抜けていくのを感じた。


 そのまま膝が崩れて、あいつへと倒れ込む。


「…………」

 何事もなかったように、おはようと至近距離であいつは告げた。

 スイッチの切り替えスマートすぎない君?


「ず、」

 舌すらもバグってうまく言葉がでない。

 ずいぶん大胆な寝ぼけ方ですなと、めちゃくちゃどもりながら返すと。


「いや、なかなかしないから」

 タヌキ寝入りしてたのかよ。


「い、い、いつからっすか」

「少し前。毛布が浮いて、寒いなと思って、覗き込んでいたので待ってみた」

 エアコンつけたあの時からだったらしい。


 いけない子だね、まったく。いやあたしが言えたことじゃないか。

 まあ、いいか。ある意味同意の上になったんだから。

 それはそうと。


「ごめん、重いよね」

 覆いかぶさったままだったあたしは退こうとした。

 が、なんか立てない。当たり前のことができない。


 なぜや。まさかさっきのキスひとつでまた腰抜かしたとでもいうのかいな。

 そんなんでこの先やっていけるとでも思っているのか。


 とりあえず寝返りを打つようにして、あいつから転がり落ちる。

 添い寝する形で一向に起き上がろうとしないあたしに、あいつが首をぐるっと向ける。


「二度寝か?」

「おかげさまで」


 君のせいだぞーと軽い調子でつぶやいて、ほっぺを両側からむいむいと手のひらで弄ぶ。


「お腹すいてる?」

「起き抜けではあるから、まだ」


 とは言われたけど、ひとんちだから気を使ってそうだしなー。はよ復活せんと。

 もうやんなるぜ。最近へばりやすくなったクソザコの腰回りは。


「朝ラン行ってていいよ。その間復活するから」

 日課を犠牲にするわけにはいかないしね。


 なのにあいつは提案にあーとかんーとか歯切れの悪い声を漏らしていて、いまいち乗り気に見えない。

 なんだろう。あいつにもやる気のムラがあるのかな?



「おいで」


 あいつはあたしの肩を叩くと、自分が潜っている毛布の中身でも見せびらかすように内側から高く持ち上げた。


 シーツも、ぱんぱんと招くみたいに叩いて。

 ペットにこっち来いと、寝床へと誘っている光景が思い浮かぶ。


 え、まさか付き合ってくれてるの?

 珍しいにも程がある。明日は雪崩かもしれない。


「ま、前に言っていたから。二人で布団の中で過ごすのもいいなって。今日は休日だし、トレーニングはいつでもできる。だから」


 ああ、最初にしたときの朝言ったやつか。覚えててくれたんだね。


 大真面目に真に受けて、叶えようとしてくれる姿勢はいいと思いますよ。

 あたしも冗談じゃなくて、いつかしたいなーって気持ちで言っちゃったからね。


「じゃ、お邪魔します」

 だらしなくも寝たきりの身体を引きずって、あたしはあいつの腕の中へと転がり込む。


 いつかの抱き枕騒動みたいに。

 今度はあいつの腕が回されて、あたしはがっちり拘束されてしまった。

 どこかじんわりと、懐かしさがこみ上げてくる。


 既視感の正体はあれかな。小さい頃だっけ。

 親と川の字で寝てたときは、毎回どっちかにべったりくっついてたなー。


 あなたはそうしないとぐずつくんだからと、母さんが眉を八の字にして笑い飛ばしていた記憶がよみがえってくる。

 甘ったれだったのか、あたし。



「はふー」

 あいつの香りと体温に包まれて、呂律の回らないへにゃへにゃの声が漏れていく。


 いいねえ、ただでさえ気持ちいい真冬のおふとんの中で恋人とべたべたするの。

 いいねえ。くせになりそう。

 ダメ人間の始まりみたいな思考回路になっていく。


「そうしていると猫みたいだ」

 頬ずりするあたしの頭を掻き撫でて、あいつが率直な感想を漏らした。

 む、それは行為の役割を知ってて言っているのか。


「まあ確かに」

 深くも浅くも取れる言葉で返す。

 飼い主のゴロゴロタイムにはいつまでも付き合ってくれるからね。

 でも、モノホンのあいつらはもっと気まぐれかなあ。


 呼んでも来ないし、誘っても来ないし、そのくせこっちが寝静まった頃にもぞもぞ潜り込んでくるし。ケツ向けて寝るし。

 朝ぴったりと、貼り付いて丸くなる姿見たらぜんぶ許しちゃうんだけどさ。


「しゃーわせー」

「私もだよ」


 何気ないつぶやきにマジレスされたもんだから、えっさらっと言ったなあと遅れて顔が熱くなってくる。

 良い意味で心臓に悪い。


「本心だよ。心の底から幸せだと思えるようになったのは」

 高校までは常に結果を出し続けねばとピリピリしてて、そんな余裕はなかったのだという。


 あたしと出会って、心にゆとりができたのだと。

 そんな殺し文句を言ってのける。



「たぶん、父親もこうやって母親を選んだのかもしれない」

 あいつは長年の疑問を話してくれた。

 なぜ、孤高のエリートだったあいつのお父さんは家庭を作るに至ったのかと。


「父は最初、結婚願望は無かったと聞いた。下手に希望を持つよりもキャリアアップに専念して、一人で生きていける地盤を固めるのが先だったと」


 それはある人にもない人にも言えることだ。人間、最後は一人なのだから。


 容姿で差別を受けていたお父さんは、社会に認めてもらおうと必死だった。

 駆け出しから人一倍努力を続けて、上へのし上がっていく。


 何のために?

 理屈で言えば、安定した老後の資金を貯めるため。

 感情で言えば、見た目でバカにしてきた有象無象を黙らせるため。


「周囲をすべて仮想敵だと捉えて、馴れ合う傍らライバルを蹴落とすのに必死だった。地位をもぎ取るだけの熱意と努力、そして実力が備わっていなければ簡単に地に落ちてしまう世界であったから」


 そうして厳しい競争社会を勝ち抜いてきたあいつのお父さんは、ある日突然気まぐれで婚活パーティーに参加した。思い知らせるために。


「どいつもこいつも。父親の年収を聞いた瞬間に、手のひらを返した連中ばかりだったと聞いた。生活の安寧を求めて、好きでもない男に必死に媚びを売る。そうした連中を鼻で笑うために参加したらしい。……本気で求めて行ったわけではないから、やってはいけないことだけどな」


 そんなお父さんも、やがて一人の女性と籍を入れた。

 新人の頃から慕ってついてきてくれた、今の奥さんと。


「そこがずっと疑問だったんだ。なぜ、遺伝子のリスクを分かっていながら結婚に踏み切ったのかと。一人で暮らしていくのに収入は十分だったわけだし」


「メリットとかデメリットとか関係ないくらい、好きだったんじゃないの?」


 実際、今のこの子がそうだ。


 あたしの側にいるということは。

 いくら気にしないようにしていても、比べられて傷つくこともある。

 同性愛だって、まだまだ世間が認めるには時間がかかる。


 それでも、あいつはあたしの告白を受け入れてくれた。

 心から愛してくれて、今も幸せだと言ってくれた。


 そういう、ことなんじゃないかなあと思う。

 かもな、とあいつは同意するように短く言うと、また語り始めた。


「いつかのお前が言った通りだ。上を見上げればきりがない。追い抜いても、追い抜いても、壁は高くて。でも歩みを止めたら、自分程度の人間は簡単に落ちぶれてしまう。それが怖くて進む以外の選択肢がない。周りは全員出世争いの敵にしか見えず、常に心が休まらない。数字の上下に心を乱される日々。悪循環の始まりだ」


 人間、常に気を張り続けていればいずれ疲れてしまう。

 あいつもそうだったと聞いた。


 培ってきた実力だけが信じられるもので、周囲は全員自分を見下している者に見えていたと。

 だから、人付き合いがあそこまで希薄だったのだと。


「どこかで、もういいよと休ませてくれるとまり木が必要だったんだろうな。それが母であったのかもしれない」


 なるほどねー。話を聞く限り、わりと子煩悩みたいだし。

 だから愛の結晶である子供を望むのは当然なのだ、と主張されたら首をかしげるけど。今は子無し家庭も多いからね。


 でも、あたしは感謝以外の言葉がない。

 だって産むのをためらっていたら、こうして出会うこともなかったんだから。



「生まれてきてくれて、ありがとう」


 胸に顔をうずめるように、そっと頭を寄せた。

 目を閉じて、脈打つ命の証を耳に刻んでいく。


 あいつは『それはこちらの台詞だよ』と照れくさそうに笑いながら、回した腕に力を込めた。


 そのまま頭から布団をかぶって、あたしたちはぬくぬくの世界に誘われていく。

 もう少し浸かっていたいから。


 それから起きたのは、正午をまわってからだった。


 午前中だらけたぶんを二人で走って、途中寄ったコンビニで売れ残りのケーキとチキンを買って、一日遅れのクリスマスみたいなメニューで夕食を済ませた。



 こうして、付き合ってから初めてのクリスマスは過ぎていった。

 でもこれからは、待ちに待った一緒に過ごせる正月がやってくるんだ。


 今か今かと待ち望みつつ、あたしたちはレポートの仕上げへと取り掛かった。

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