【A視点】ゆうべもお楽しみでした◆

・SideA


『触ってるときって、どんな気持ち?』

 以前の行為のあとに、彼女からはそう聞かれた。


 向こうとしては、与えられる側の快感は分かるが与えるほうはどう感じているかが気になっていたらしい。


 外部接触を通して感じるものではなく、心から愉しむとはどんなものなのかと。


 それは、いまいち私としても掴めていなかった。

 何せ最初は、ちゃんと楽しませられているだろうか。これでいっぱいいっぱいではあったから。


 今であれば、答えられる。

 恋人が反応してくれる姿に、興奮を覚えるのだと。



「…………」

 先ほどまで吸い付いていた首元に手を当てて、彼女の唇からほうと吐息が漏れた。


 甘く潤んだ瞳がこちらを見据えて、まだ余韻が残っているのか肩が小刻みに震えている。


 血流が上昇していくのを感じていた。

 滾る熱情に、脳が痺れていく。


 あまりにも、艶やかだと思う。


 温泉の時に垣間見た、色気の度合いは比べ物にならない。

 理性を根こそぎむしり取っていくような、魔性といっていいものが今の彼女には備わっている。


 まだ手探りではあるものの、誰も知らないであろう表情を引き出せたことに例えようもない感情があふれていく。

 それがきっと、心から愉しんでいるということなのだろうか。



「次、あたしね」

 向かい合った矢先。

 バスタブに頭を預ける私に寄り掛かるようにして、彼女が胸元に顔を寄せた。


 頬を擦り付けて、指の腹でとんとんと胸骨のあたりをつつく。あたしのだからとつぶやいて。

 お返し、らしい。


「つけていい?」

「そこなら」

 私がしたように肌を出す位置でも問題はないが、するところを眺めていたいという下心のほうが勝った。


「あむ」

 てっきりそのまま吸い付くのかと思いきや、ぞろりと舐めずる舌の感触を覚える。

 軽く声が出てしまった。


「し、湿ってるから舐めなくてもいいんだ」

「や、だってこれ、内出血させてるってことだし。傷をつけてるわけだから労んないと悪いかなって」


 ああ、それもそうか。

 今更自分の肌がどう傷つこうとも気にならなかったが、彼女にとっては気になるわけで。


 それならお気の召すままにと身体を委ねて、優しい傷を受け入れていく。


「ん、ぅ……っ」


 十分すぎるくらいに肌に舌を這わせる様は、愛情表現を繰り返すペットのようで。

 健気な奉仕に愛しさがこみ上げてきて、思わず頭へと手が伸びる。


「ぁう」

 肩がびくっと跳ねて、彼女が訝しげにこちらを見た。


 乗せるだけで何もしないからと念を押すと、少しだけ頭が下がってふたたび胸元への接吻が始まった。


「む……」

 しばしの時間が流れて、ようやく彼女が満足そうに口角を上げる。


 吸う力が弱いのか、なかなか痕がつかなかったのだ。

 何度か繰り返し吸うことで、胸元にはうっすらと赤く小さなしるしが浮かび上がっていた。


「いたく、なかった?」

 最後にまた、痕をそっと舌を這わせて。


 唾液に濡れた部分へと、蛇口からひねり出されたお湯がぱしゃぱしゃとかけられる。

 むしろ良かった、とフォローしたところ。


「じゃ、こっちでも味わってみますか」


 口端から桃色の舌先をわずかに出して、私の唇へと指先が突き立てられた。


 心臓が跳ねる。

 理性が檻でできているのであれば、とんでもない勢いで溶解していってるのだと思った。

 美人に狂わされていく人々の気持ちを、今身を持って実感した。



「…………」

 すっかり湯気が抜けて、曇っていた浴室鏡に水滴が伝い始める。

 少し冷えてきた浴室のタイルへと、天井から雫が滴り落ちる音が聞こえた。


 真冬の寒気にさらわれて、ぬるくなっていくだけの浴槽内で。

 冷めぬ熱がまとわりついた私達は、互いに見つめ合っていた。


 以前は直視できなかった艶やかな素顔を、網膜に灼きつけるがごとく。

 今は、取り憑かれたように目をそらすことができない。


 彼女もまた、ぴくりとも動かぬまま上気した顔でまっすぐに見つめ返してくる。


 静止しているから、作り物みたいな整った顔立ちが本当に人形を間近にしているようで。

 なんて綺麗なのだろう、と高鳴る鼓動に周囲の音が消えていく。


 たっぷり視線を通わせて、やがてどちらからともなく顔を近づけていく。

 吐息を。髪を。肌を。

 そして、唇に。


 重なって、溶けていくぬくもりからは。

 厭らしさとは裏腹に多幸感が湧き上がってくる。


 両の指を絡めて、静かに目を閉じて。

 ただ口唇への柔らかさを感じ取るがままに、一切の激しさがない穏やかな口づけを交わし続ける。


 どれくらいの時間が流れただろうか。

 握った指へと反応を覚えた。


 親指でつんつんと、次を促すように彼女が信号らしきものを送ってくる。

 催促に導かれて、私はゆっくりと口唇をほどいていった。


「ん」

 その際に這い出た彼女の舌が、そっと下唇をなぞっていく。

 離さないでとも言うように。


 彼女から覚えて応えてきてくれたことに、欲求が膨れていく。

 もっと、深い場所へと。

 今度はこちらから舌を突き出して、なるべく力を抜いて舐めあげる。


 何度か行き交ったところで、やがて引き結んでいた唇がほころんでいくのが分かった。

 受け入れる意思を示すごとく。

 ぎこちなく舌が突き出されて、続きを紡がれる。


「来て」


 コツは、絡める前に触れるところかららしい。

 いきなり動かさず、優しく、丁寧に。


「んぅ、」

 舌先が触れ合って、温い感触がつながっていく。


 包み込むように這わせていくと、彼女からもおずおずと応じているのが伝わっていく。

 突き出した舌の受け皿となるように、慣れない鼻息を継ぎながら。


 しかし、不慣れなので仕方のないことだが。

 長く舌を外気にさらしていると、だんだん文字通り舌の根が乾いていく。


 そこは、無理をせず引くことも大事なのだそう。


 苦しくない程度に舌を出したら、軽く触れて、舌先を少し絡めて、また口を離していく。

 がっつかず、少しずつ。


「ふ、ぁぅ、」

 彼女のくぐもった甘い声が耳に届くたびに、ぱちぱちと耳の奥が爆ぜるのを感じていた。


 聞いた端から脳が蕩けていくような、鮮烈な色香を振りまく嬌声。

 油断するとふやけて、力が抜けてしまいそうになる。

 本人はまだいい声が出せないと気にしていたが、自然に漏れる声だけで十分すぎるというのに。


 なのに、もっと聞かせてほしいとも思ってしまっている自分がいて。

 お互いに舌を出してつつきあっているだけだった状態から、私はさらに距離を詰めた。


「ん、くぅ、」

 重ねて、口内よりも浅く。

 唇の少し内側に舌を這わせる。


 いきなり突っ込んでしまえば苦しいだけだ。

 ゆっくりと、舌先だけを潜り込ませて。


 入り口で留まっているだけの状態がもどかしかったのか。

「ふ、うぅ、っ、ん……」

 やがて、生温かく柔らかい感触がそっと触れてくるのを感じた。


 もっと来てもいいと、舌先がゆっくりと動いてなぞっていく。

 絡めた指を握り返して、少しずつ求めに応じていく。


「…………」

 少し奥まで潜り込ませたところで、握った片方の指が動かされるのを感じた。

 ある場所へと導かれるように、彼女の腕に引っ張られて、そして。


「…………っ」

 彼女のとある部位へと指が触れたところで、口が一度離れていった。


「……ここって」

 それは、少し大胆な夏服にしか見えない水着の中で、ひときわ大胆に露出している場所。

 お腹であった。


 見た目は引き締まっているのに、触れた肌は瑞々しく、柔らかい。

 何故ここを? と聞いてみると。


「まだ、局部は無理だけど。ここだったらセーフかなと」

「お腹だぞ。くすぐったくないのか」

 さすがの私も、ここをくすぐられれば耐えきれない。


「婦人科のエコー検査では飛び上がったけど」

 光景が容易に想像できる。

「なんか、むずむずするから。今なら、気持ちよくなれる、かも」


 腹部は性感帯なのか? どこか別の部位と勘違いしているだけでは。

 とはいえ、それを気持ちいいと認識できるのであれば開発するに越したことはない。


「……えっと。嫌であれば」

「”終わって”だよね」

「そう」


 とりあえず同意は得たので、軽く刺激してみることにする。


「うぅっ」

 ぺた、ぺたと。

 手のひらを腹部に這わせていくと。

 3秒くらいで終われと却下を申しだされた。


 続く脇腹を掴む行為も、つまんで揉む動作をしたところで無理と耐えきれず終了し。


 やはり腹を感じる場所と思い込むのは無理があるのではと、さじを投げかけたところで。


「き、キスと組み合わされば。うまくいくかも」

 そう提案される。


 確かに、昂ぶっているときに性感のようなものを覚えるのであれば。

 気持ちいいと認識できる他の行為と進めていくのがいいのか。


「声は出せないから、嫌だったら思いっきりどこかをつねって」

「おけ。よろしく」


 そのまま、再度唇を重ねた。



「ん、んんぅ、っ」


 今度は奥まで、絡み合うように。

 互いの舌をすり合わせて、深くつながっていく。


 舌先でつついて、時折唇を軽くふちどって、また口内へと。

 こそばゆくも気持ちいい口内への感触に溶け合いつつ、そっと手を望む場所へと近づけていく。


「っぁ、ぅ……っ」


 お腹の上や横は跳ね除けられたので、なら、下はどうか。

 へその下へと、静かに触れると。


「…………っ」

 ぶるりと半身が震えたものの、振りほどくほどの反動はなかった。

 となると、ここなのか?


 そのまま、ぐっ、ぐっと指圧マッサージでもするように刺激していく。

 ……部位が部位なので、生理痛緩和のケアを施しているかのようだ。


「ぁ、ぅ、んん…………ぅうっ……っ」


 何度か押し揉んだところで、急に彼女の力が抜けた。

 絡み合っていた舌がぐっと突き出されて、それからずるりとほどかれていく。

 あわてて崩れ落ちる身体を支えた。


「っく……ぅ……」

 意識はあるようだ。


 全身が弛緩しきったかのごとく私へともたれかかり、ぴんと伸ばされたつま先が小刻みに震えている。

 痛かった、というようではなさそうだが。


「……大丈夫か?」

「え、あ、うん。平気」

 放心状態にある彼女に話しかけると、ややあって反応が戻ってきた。


「えっと。間違ってなかったから。たぶん、気持ちよかったと思うから」

 お腹への刺激は外してなかったよと、フォローがかけられる。


 何がどうそういう感覚につながったのかは掴めなかったが、苦痛でなかったのなら安心はした。



「うお、なんだこれ」

 そろそろ上がろうかというところで、彼女が素っ頓狂な声を上げたので振り返る。


「どうした?」

「や、こっちの問題。先上がっていいよ。あたし身体洗うから」

「わ、分かった」


 早く行けとでも言うように、半ば追い出される形で私は浴室を出た。

 どのみち、着替える時間はバラバラにしたかったので好都合ではあったが。



 もろもろが済んで、寝間着に着替えて私達は横になる。

 風呂場であれば、汗を流す手間も省けるので行為の場所としては今後もいいかもしれないと思った。


「今年もホワイトクリスマスにはならんかったかぁ」

 窓を開けて、乾いた寒気だけが流れる暗い夜空に彼女がため息を吐いた。


「関東だし。ここは滅多に降らない地域だから」

「降っても喜ぶのは犬と子供くらいなんだけどね。路面凍るからチェーンつけないとだし」


 言い忘れたけどめりくりー、と適当に祝って彼女が窓を閉めた。それでいいのかキリスト教。

 そのままぼすっと自分の枕に倒れ込むようにして、こちらに寝返りを打つ。


「どうよ。それ」


 クリスマスプレゼントに買った枕の使用感は、控えめに言って最高であった。


 ほどよい弾力感が心地よく頭を包み込んで、すぐに意識を手放してしまいそうなほどの安らぎを与えてくれる。


「買ってよかったなと思う」

「そ。また使ってあげてね」


「ああ、そうだ。一応」

 昨日撮影したツーショットをLINEへと送信する。

「メリークリスマス、ということで」

「そっか。初めてだっけ。二人で撮るの」


 よう考えたねえ、と感心そうにスマートフォンを見つめて、慈しむように彼女は二人で映る画面を撫でた。


 なお、速攻で待ち受け写真へと登録していた。

 少し恥ずかしいが、嬉しくもある。いずれこちらも飾ってみよう。


 眠気が深まってきたところで、片手にそっと重ねられる感触があった。


「一晩、いい?」

「いいけど、珍しいな」


 こんなふうに手をつないで寝たことはなかったはずだ。

 なにか寂しいことでもあったのだろうか。


「夢の中でもつながってたいかなー、なんて」

 恥ずかしいことを口走ってしまったと笑い飛ばされて、そして会話が途切れる。

 とっさに舌のことを思い出して顔が熱くなった。


「じゃ、また明日」

「おやすみ」


 電気を消す。

 すぐに隣からは静かな寝息が届き始めて、しっかりと握りしめられた手のぬくもりだけが残される。


 明日は二人で、一日のんびりと過ごそう。

 良い枕と、柔らかな手の感触に包まれて。

 今日は良い夢を見れそうだと長く息を吐いて、私は眠りへとついた。

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