【A視点】イブの火花(後編)

続々・SideA



 親は、私の突然の告白を聞いて固まっていた。

 驚愕の表情を貼りつかせたまま、言葉の意味がすぐには飲み込めずこちらをじっと凝視している。


「お待たせいたしましたー……?」


 お茶の間ではなく、外食先で凍りついている私達に店員がおそるおそる声をかけた。


 料理が運ばれてきたようだ。

 相変わらず動かないままの二人に代わって、私が置く場所を促す。


 せっかくのご馳走を目の前にしても、和やかに食事といった雰囲気とはこれっぽっちもいかず。


 先に口を開いたのは、母親であった。


「彼氏、じゃなかったの?」

「いるとは言ったけど、彼氏とは言ってないよ」

 なるべく深刻さを打ち消すように、柔らかい声色で答える。料理を口に運びながら。


 母親はそ、そうなのと辿々しく声に出すと、再び口をつぐんでしまった。

 父親は、先ほどからずっと腕を組んだまま静止している。


 デリケートな話題だ、どう口にしたらいいか迷っている様子なのは空気で察知できた。

 目の前には当事者、それも自分の子供がそうであるのだから。



「ま、まあでも女の子って。あるわよね、そういう時期」

「……時期?」


 母親にとってはフォローのつもりであったらしい。

 その手の知識は(制作現場に携わってきた関係で)持ち合わせているであろう父親が、母さん、と牽制するように横から控えめに口を出す。


「え、ああ、あの。よく言うじゃない、思春期の男女は同性に惹かれやすいって。一時的なあこがれみたいなもので」

 それ以上は言ってはならないと父親が口を挟む前に、私は制止の手を出した。


「だから、最終的に異性のもとに行くかもしれないと?」

 あえて同調する。

「そ、そう。だからおかしなことじゃないの。お母さんの学生時代にもそういう子いっぱいいたけど、今はみんな結婚してるし」


「そんな軽い気持ちではないんだ」

 私は叫びたい感情を抑えて言った。


 いくら、今は同性愛への偏見を薄める動きが出てきたとはいえ。

 結局はまだ、その程度の認識なのだ。


 たとえ親といえど、なぜうちの子が? と受け入れられない気持ちのほうが先走ってしまうのは当然といえば当然なのかもしれない。

 私の場合は昔からそうだったわけではないから、余計に。


「認めてほしいとは思わない。ただ知ってほしいだけ。二人がどんなに仲が良くても同性と友人以上の関係は結べないように、私も異性、いや恋人以外の同性に対しても同じような価値観でいる。それ以上でも以下でもない」


 ただ、孫を期待していたのであれば本当に申し訳ない。

 それだけを付け加えて、私はいったん口を閉じた。


 親が子に幸せな家庭を築いてほしいと望むのは、すでに古い価値観だと一蹴されそうではあるが。

 やはり、心のどこかでは待ち望んでいたのではないかと思ったからであった。


 母親は特に、不器量に苦しむ私を何かと気にかけてくれていた。

 そして私に相手ができたと知った時に、心の底から喜んでいる様子であったから。

 少しだけ、胸が痛くなる。


「い、いいんだよ。私も理解の足りなすぎる発言だったわ。うん、本当にいいの。あなたが幸せであれば」

 母親は何度も頭をぺこぺこと下げると、冷めかけている料理にようやく手を付け始めた。


 無理やり納得させている言い方であったのは、仕方のないことだ。

 親に複雑な思いを抱かせてしまったことには変わりないのだから。


「そっか。よく勇気を出してくれたね」

 一方父親は、ある程度同性愛に理解がある余裕から来ているのか。

 あっさりとした対応であった。


 しかし、父親は極一部の過激な集団から今日に至るまで人格否定の攻撃を受け続けている。

 やはり、そう簡単に偏見は払拭できるものではないのではと聞いてみると。


「信じて育ててきた自分の娘というのもあるがね。君はむしろ、そうした声の大きい存在にマイナスイメージを植え付けられて迷惑している側だと思っている」


 女の敵は女という言葉はあまり用いたくはないが、似たようなものだろうか。


「だけど、本音を言うなら。少しだけ疑っていた節もあった」


 これまで父親は私に現実的な生き残り方を伝授してくれたが、この一言だけは決して口にすることはなかった。

 結婚しろとは、ただの一度も。


 おそらくは、自身の遺伝子が娘のコンプレックスに直結していることに対する後ろめたさもあったのであろう。

 謝るなら作るなとまで糾弾した娘のことだ。

 自分の遺伝子を残す気はないに違いないと。


「疑っていた、とは?」

「母さんと同じく。本当にその愛は一時の感情ではなく永遠のものなのか、と」


 それは、思ってはいても決して口にしてはいけない言葉。

 しかし同時に、この世界のどこかで誰かが思っているかもしれないであろう言葉。


 やはり、思うところはあるのだろう。

 過剰なまでに異性を嫌う、同性愛を自称する輩にバッシングを受けてきた父親としては。


 父親は何かを試すように意味深な笑みを浮かべると、私に問うた。


「親の立場としては幸せを応援したいけど、もしかしたらこの先、君は心無い偏見の目に晒されるかもしれない。これまで俺は教えられそうなものは何だって君に教えてきた。だからここで、子供から存分に学ぼうと思う」


 私にわざと、反発心を抱かせようとしているのか。もしかすると。


 私は言葉に乗った。

 そういえば、生き方とやらを教えろと詰め寄ったときも似たような心境であったか。


「容姿による評価は同性のほうが、ずっとずっと厳しいですよ」


 異性に相手にされなかったから同性へ走ったなどとは、とんだ勘違いではある。


 その理屈が通用するのであれば、同じく容姿で差別を受けてきた父親がどうして同性を選ぶことはなかったのか。


 ありのままの私など、誰にも愛されるわけがない。


 彼女が好きなのは、みすぼらしく人との接触を避け続けてきた私ではない。


 化粧を必死に覚えて、服装を整え、欠点であった付き合いの悪さを改め、勉強や部活においてある程度の成果を上げてきた今の私である。


 仮に、高校時代のあの日。

 化粧や洋服選びを余計なおせっかいだと跳ね除けていたら。


 いくら私に好意があったとしても、友人としてすら歩み寄らない人間を好きで居続ける理由などどこにあろうか。


 これまでは、そうしたら喜んでくれるからと頑張れた。

 今でも、好きな人の好みに近づけたいと応え続けるのは当然である。

 彼女も私の好みを熟知して、毎回服装や化粧に気合を施してくれるのだから。


「初めて心の底から愛した存在が、彼女であっただけの話です。他に理由などない」


 同性愛者が今や珍しくもなんともないように。世界が当たり前と認識しつつあるように。

 異性も異性愛者も無性愛者も両性愛者も同じ空間内で生きて当たり前で。


 すべてが同じ思想ではないのだから、誰かが誰かに今日も区別をして差別を受けている。

 それだけの話だ。


 親はじっと私を見つめながら話を聞き終わると、ゆっくりと頷いた。


「十分だよ。君の覚悟は伝わった」

「ええ。幸せを願っているわ」


 短い言葉を交わして、それで話し合いは終わりとばかりに3人で黙々と食べ始める。

 それで十分であった。



 食べ終わって、締めくくりとばかりに父親が最後にこう言った。


「その相手の女性を連れてきて、とは言わないよ。挨拶に来たくなったら来ればいい。いつでも。生きていられそうな期間までは待っているからね」

「写真か年賀状でもいいからねー」


「分かった。ありがとう。それと」

 娘として、せめて一言を。

 今回の件に関して、精一杯の応援を贈る。


「そのドラマ、見れなくてとても残念だった。でも、またいつか作ることになったら絶対に応援する。だから、諦めないで。父さんたちの新作、いつまでも待っているから」


「うん、確かに受け取ったよ。バッシングに関しては、こちらも法的手段を打ってるから安心してくれ。また1から頑張るからな」


 こうして、おそらく最初で最後になるかもしれない家族会議とやらは終わりを告げた。


 その後は何事もなかったように自宅へと招き入れて、談笑して、くつろいで、ごく一般的な家族団欒の空気へと戻っていった。


 なお、泊めるとは言ったものの来客用の布団を用意していなかったので、親の猛反対を押しのけて私はソファーで寝ることにした。



 翌朝、クリスマス当日。


 親を見送って、いつも通り家事と日課とアルバイトを済ませて、クリスマスとは無縁のなんでもない時間を過ごしていく。


 そうして日が暮れてきた頃。


「はい、おかえりー。ってあたしもさっき帰ってきた側だけど」

「ただいま」


 私は帰宅するタイミングを待って、彼女の自宅へと訪れていた。

 そちらの家でもいいかと、昨日申し出たのだ。


 彼女には前のクリスマスプレゼントで買った枕を使ってみたいと説明したが。

 本音は、昨日親を泊めたベッドの上で事に及ぶのにいささか抵抗があったからである。


「おぉい、せっかくのクリスマスなのにテンション低いぞー」

「ごめん」


 それとも寂しかった? とまるで心の内を見透かしたように優しく声をかけられる。

 それは、ある。大いに。


 なので、いつも彼女がこちらに訪れるときに半ば定着してきたあれを行うことにした。


「プレゼントは前に買って、今日は手ぶらなので。つまり」

「ああ、はいはい。かもーん」


 言うが早いか、そのままなだれ込むように抱きついた。

 体格差があるため、重さを支えきれず彼女の上体が少し後ろへと崩れる。


「これするのも久しぶりですなあ」

「来たばかりだから。冷たいかもしれないが」

「別にいーよ。いつもあたしがあっためてもらってる側だし」


 ただ、抱擁を求めて密着する。

 相手との体温を分かち合うだけの行為なのに、とたんに何もかもが満たされていく多幸感に心が温まっていく。


「何かあった?」

 ややあって、なかなか離れようとしない私に彼女が感づいたように探ってくる。


 話を聞いてほしいから、という構ってほしい心情はお見通しであったらしい。


「ちょっとな」


 隠すことでもないので正直に告げた。

 親に私達の関係を告白したと。

 親子関係も崩れることなく、祝福してもらったと。


「そ」


 勝手にばらしたことを咎めるわけでもなく、彼女は回した腕に少しだけ力をこめた。

 そのまま、背中をぽんぽんと叩く。


「えらい。よく言った。あたしと違って、よく勇気出した」

 テストで満点を取った子供を称賛するように。

 明るい調子で、労りの言葉がかけられる。


 涙がこぼれそうになるのを、私はすんでのところで押し留めた。


「ま、あたしは挨拶に行っても行かなくてもいいけど。どうせ行くなら、数十年後がいいかなと」

「どういう意図で?」

「付き合っていることがそんな軽いもんじゃないってとこ、見せつけたいからかな」

「そうだな」


 いつか、必ず会いに行こう。

 私達の関係は永遠のものであると、今日の誓いは嘘ではないと証明するためにも。


「さて」


 ゆっくりと、身体が離れていく。挨拶と補充は終わりだと言うように。

 今日ここに訪れたのは、単なるご報告だけではないから。


「じゃあ。しよっか。ね?」


 少し恥ずかしげに手を組んで、先にお風呂にしますか、それともあたしにしますかと創作の世界でしか聞かないような台詞を投げかけてくる。

 どういったプランにするかは、事前に決めてあるというのに。


「両方で」

「はぁい、1名様ご案内ー」


 というわけで。

 2回めにして趣向を変えて、本日の営みの舞台は風呂場に決まったのであった。

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