【A視点】イブの火花(前編)

・SideA


「俺たちは持たざる者だ」

 幼い私に、まず父親はこう説いた。


 見た目では勝負にならない。

 何か一芸に秀でているわけでもない。

 努力をしたところで天才や秀才には届かない。


 無い無いづくしの凡人。

 それが、私達だ。


「そこそこに楽しく生きている人もいる。だが、それは容姿や経歴が人並みかそれ以上である場合だ。学歴フィルターなんて言葉があるように、容姿フィルターや年齢フィルターは確実に存在する。若いうちに武器を集めておかないと、老いたときに本当に持たざる者と成り果ててしまう」


 若さだけで許されてきた甘さを失い、どれだけの器に成れたか。

 最後は人間性そのものの価値が試される。

 それまでに、人は必死で中身も磨くのだ。


「だから人一倍勉学に励む。学歴と資格だけは裏切らないからだ」


 人は見た目が9割というこの世界で、外見以外で判断されるには実力で勝ち上がっていく他ならない。

 自分を売り込み会社へと滑り込み、成果を出してようやく社会で生きることを許される。

 スキルアップも怠ってはならない。

 終身雇用が撤廃された現代で、いつ会社から見捨てられても次があるように。


 父親は何も、私に超一流のエリートを目指せと言っているわけではない。

 一人で平凡な人生を歩むためには、それだけの心構えと準備が必要ということだ。


「もちろんただ机にかじりついていればいいわけじゃない。お稽古も、させたいものだけをさせる。子供のうちにいっぱい経験して、たくさんの思い出を作っていく。これは一生の宝物となる。絶対に」


 その言葉通り。父親は忙しい仕事の合間を縫って、休みの日は県内のあらゆる観光スポットに車を飛ばした。

 盆と正月は必ず旅行へ連れて行ってくれた。

 幼児期のインプットが何より脳の発達になるのだと、絵本を母親と交代で毎晩読み聞かせてくれた。


 家族サービス精神が旺盛な方ではあったが、さすがに休める日に家で休んでいないのは心配になる。

 たまにはゆっくりお家にいようよと切り出したところ。


「いいよ。お家でごろごろを希望するなら、今日はそうしよう」

「……父さんもちゃんと休みは取ろうよ。いつもお仕事づくめじゃ疲れちゃうよ」

「いつも?」

「休みの日は”お父さん”って仕事をずっと頑張ってるから」

「父さんが嫌々運転してることなんてあったかい? 一緒になって楽しんでるんだから、仕事のうちにも入らないよ」


 お出かけが好きな性分なのかと聞いてみると、小さい時に両親にあまり構ってもらえなかったことが影響しているらしい。


 一緒に遊びたくて声をかけても、疲れているからとなかなか相手にしてもらえない。

 歌ったり、質問したり、工作したり、おもちゃを出したり。

 あらゆる手段を講じて気を引こうとしても。

 はいはいと適当にあしらわれて、楽しそうに遊んでもらった記憶などない。


「親になった今だと分かったよ。育児は大変だ、想像以上に。うちは共働きだったし、自分の時間がほしいって思ってしまう気持ちを責められない。それでも、そんなに毎日しんどいのなら何のために俺は生まれたんだ? こんな顔だからいらない子なんじゃないの? って苦しんだ時期はあったなあ」


 父親は、かつての私と似たような台詞を吐いた。

 確かにそうだ。この人も祖父母のどちらかから容姿を受け継いでいる。

 父親もまた、過酷な人生を歩んできたはずだ。

 当然のごとくなぜ生まれてきたのかと、誕生に疑問を持つ。

 そうでありながら、新たに家族を作る。


 どうしてこの連鎖は生まれるのであろうか。

 だからこそ、私は私の代で血を断とうと思った。


 親には申し訳ないが、醜いのは私一人で十分だ。



「ごゆっくりどうぞ」


 案内された予約席は、店の一番奥のテーブルであった。

 隣の席との感覚も十分で、仕切りが設けられている。パーソナルスペースに配慮した良い配置だと思う。


「あら、テーブルクロスがポインセチア柄だわ」

「窓際も洒落ているね。丸いオーナメントにイルミネーションがちかちか光ってて。ムードがある」


 気に入ってもらえたようで安心した。

 とりあえずは先ほど購入したドーナツをかじりつつ、好きにメニューを選ぶことにする。


 ドーナツはしっとりとした柔らかさで、弾む食感が次の一口を楽しませてくれる。人肌ほどのほのかな温かさも、優しい口当たりとなっていて。

 もう2、3個買っても良かったかなと、少し物足りなさを覚えた。


「どうだ? 大学は」

 食べ終わったところで、家族らしく近況の話題へと入る。

 楽しいか、といった雑談ではなく。

 ちゃんと将来の研鑽を積んでいるか、と探る口調だ。


「単位は落とさずなんとかやっている。資格は10月に語学関係を取って、簿記3級も。あと、これは言い忘れたけど。リモートで家庭教師の仕事を始めた」

「ああ、採用試験にあると便利って聞くわよね。英語とか」


「柔道も。離れて一年くらい経つから、鈍らないようになるべく毎日筋トレと走り込みを日課に組み込むようにしている」

 下半期は恥ずかしくない大学生活を意識して過ごしていたつもりだ。

 上半期は勉強以外何もしていなかったという心残りがあったため。


「うん、よく頑張ってるね。バイト代の仕送りはいらないと先に行っておくよ。自分で貯められるだけ貯めておきなさい」


「ありがとう」

 もちろんそのつもりだ。旅費と、とある贈り物のために地道に積み立てている。

 このご恩はきちんと将来の働きで返すつもりである。


 その時、スマートフォンが震える音が聞こえた。

 発信元は父親から。

 父親は手にしたスマートフォンに大きくため息をつくと、胸のポケットへと戻した。


「また絡まれたの?」

「しつこいよね、あの人たちも」


 父親の仕事内容的に、厄介な連中、もとい暇人に目をつけられることは珍しくない。

 聞き流すつもりだったのだが、次に口にした言葉に私は反応せざるを得なかった。



「もう、同性愛者はこりごりだよ」

「…………なんて言った?」


 思っていたよりも冷淡で低い声が喉から出たことに、自分でも驚きを隠せずにいる。


 突然の娘の豹変に、親は不思議そうに目を向けてきた。

 え、何か気に障るようなことでも言ったかと、顔色をうかがうように尋ねてくる。


「気になって。ちょっと詳しく聞かせてもらってもいいかな」

 一体なんのつもりで言葉にしたのか詳細を伺うと。


「守秘義務だから黙ってたんだけど、もういいわよね?」

「どうぞ。半年も経ってるからね。もしかしたら将来の参考になるかもしれないし」


 私の知らぬ間に、父親絡みで何かがあったらしい。

 話を聞くと、半年前に放送中止となったあるドラマのことであった。


「できれば、世に出してやりたかったなあ」


 私の父親は、ドラマプロデューサーという仕事に就いている。

 番組制作を統括する、花形とも呼ばれる職業だ。


 AD(アシスタントディレクター)から始まり、長い年月と経験を積んで数年前にやっとこの地位につくことができた。ほんの一握りの成功者である。


「放送作家から企画が持ち込まれたんだよ。今回は恋愛もの、それも同性愛で攻めてみましょうって」


 近年、恋愛ドラマは苦戦を強いられてきた。

 主な原因は若年層のテレビ離れと、独身層の増加や度重なる不倫報道による純愛神話の崩壊によるもの。


 俳優も話題性を呼ぶために有名所を起用して導線につなげるため、必然的にオフィスラブものが中心となる。


 若手ジャニーズを主演とした、年の差恋愛。

 しっとりとした大人の関係を意識した、壮年同士の落ち着いた恋愛。

 フィクションでしか描けない禁忌に特化した、背徳感あふれる不純愛。


 コンセプトを変えて工夫を凝らしているものの、あまり視聴率が振るうことはなく。


「両片思いの甘酸っぱい純愛ドラマがヒットしてから、他局もことごとく真似し始めてね。雨後のタケノコみたいにぽこぽこと。でも、そのブームも長くは続かなかったかなあ」


 どうすれば、再び平成初期のように恋愛ドラマの天下に返り咲けるのか。

 そこで持ち込まれた企画が、同性愛をテーマとした学生同士の恋模様であった。

 ちょうど、世の中が配慮した動きになっている追い風もあるため。


 男性同士は、すでに名作とされる成功例が出ている。

 では、我が局は女性同士で挑戦してみてはどうかと。


「社内も賛否両論でね。なにせ同性同士、それも学生ときた。主演は当然無名の子たちばかりだ。原作本もないから宣伝効果は薄いし、ターゲット層である10代なんざ、ドラマを観る層はきょうびほとんどいない。視聴率大爆死ですよって反対の声が上がっても、作家は頑なに譲らなくてね」


 思春期に入って、恋を意識しだすあの淡い雰囲気はこの年代でないと絶対に出せないんです。

 少女の瑞々しい感情を描き出し、同じ想いを抱えている視聴者の背中をそっと押す。

 そういった恋の応援となる、優しいドラマをお届けしたいのです。


 これは絶対届きますからと、作家の熱意にとうとう父親たちは根負けした。

 そして、いざ制作が決まってからのスタッフのモチベーションは高かった。

 夜通し話し合いながらシナリオを練って、脚本家とも何度も意見をぶつけ合い、何度も打ち合わせを重ねて自分たちに作れる最高のストーリーへと仕上げていく。


 キャスティングも吟味して、どういったPVが興味を引きつけるかと広報宣伝担当者とアイデアを出し合い、細部を練っていく。

 誰もが、この企画を大成功させようと真剣だった。

 ところが。


「いざ公式HPを立ち上げて、SNSも開設した。そこからが地獄の日々だったんだ」


 父親たちは、猛烈なバッシングを受けた。

 いわく、おっさんどもの気持ち悪い願望で作り上げられたドラマなどとっとと放送中止に持ち込むべきだと。


 昨今の同性愛問題に乗っかり、美少女を出す都合のいい口実に利用している。

 一過性の儚いものだと、上澄みをすくい取っただけで薄っぺらいスナック菓子のごとく食い物にしているだけ。

 なぜ、同性愛の対象が若くてキレイな人だけに偏っているのか。

 本気で同性愛の生きづらさに向き合おうとしていない証拠だ。等など。


「有名俳優を起用したらおっさんとおばさんの恋する絵面なんて見たくないと叩かれ、若い俳優なら気持ち悪いと叩かれる。難儀なものだよね」


 ゴールデンタイムは主婦の視聴者が中心のため、視聴者層も棲み分けできているだろうと踏んで遅い放送時間帯に設定していた。

 していようが、一度厄介な連中に目をつけられたら大抵の理屈は通用しないのだ。


 自分たちが気に食わないから叩く。

 声が大きくなればテレビ局も動かざるを得ないので、拡散して無関係の人を巻き込んでいく。


 公式のSNSのコメント欄は、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 もちろん声が大きくなれば、反論する連中に反論する野次馬も湧いてくる。

 男性と女性。異性愛者と同性愛者。若年層と中年層。

 このドラマをダシにあらゆる対立煽りから壮絶なレスバトルに発展するなど、騒ぎは2週間ほど続いた。


 この炎上騒動は、ある最悪な結果によって幕引きがなされた。

 主演女優が逮捕されたのである。


 体内から薬物反応が検知されて、自宅を押収した結果ブツが見つかってしまった。

 当然のようにこのドラマも中止に追い込まれてしまった。

 薬物のニュースはあったなと今かすかに思い出したが、まさかつながっていたとは。


「クスリは絶対に駄目だけどね。この子らのSNSに凸撃する輩とかいたんだよ。そりゃあ病んじゃうよなと」


 父親は当時を振り返るように、寂しそうに話してくれた。

 中でも一番ショックだったのは、ターゲット層であるはずの同性愛者もバッシングに加わっていることであった。

 過激な者はスタッフの性別が男性であるというだけで、執拗に張り付き叩き続ける。

 その仕事を降りても、正義という熱に駆られた人間は変わらない。

 まるで自害でもしなければ許されないと言うように。


「あまりにも目の敵にされすぎて、もうくたびれてしまったよ。ここまで忌み嫌われるものなのかと」


 父親は心底疲れ切ったように、スマートフォンの入った胸ポケットを指で突いた。

 母親もお疲れ様と、ため息をつきながらコップの水を煽っている。


 知らなかった。父親が裏で心無い人々の批判にさらされていたなどとは。

 それも、今私が言うか否かと迷っている心の悩みを扱っていたなんて。


「……この人たちは、異性をすべて性犯罪者予備軍だとでも思っているのか? 敵視の度合いが強すぎて、正直怖くなってきてしまった」


 父親は、渾身の作品を世に送り出す前に過激な人たちに叩き潰されてしまった。

 そこまでは本当に気の毒であったと、心の底から同情する。

 だが、その反動で新たな偏見を根付かせてほしくなかった。


「それは違うよ、父さん」


 彼女は両親に言わない道を選んだ。それも一つの生き方である。

 なら、私は。


「匿名の世界では攻撃的な声が目立つから、父さんがうんざりするのも当たり前だと思う。だけど、みんながみんな、そうではない。それは、本当に一部の人たちだ。同性愛者は異性や異性愛を嫌悪していると決めつけるのは、やめてほしい」


「……どうしてそう言い切れるのかな?」


 父親は、不思議そうに私へと目を向けてきた。

 まるで知ったふうな口ぶりの娘に、一体何が分かるのだと。

 少し声色を低くして、次の言葉を待っている。


 膝の上に置いた拳を、強く握りしめる。

 腹に力を入れて、その言葉を口にした。


「私は、同性愛者だから」

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