クリスマス編・当日
【A視点】はじめてのツーショット
・SideA
私は父親に似たのだと思う。
最初にそう気付かされたのは、まだ親戚宅に帰省していた頃だったか。
『あなたはお父さんと本当にそっくりだね』
盆と正月が来るたびに、親戚の人々は口々にこう言ってきた。
当時私にとって父親は自慢の存在であったので、なんの疑いもなく誇らしいと思っていた。
いい大学を出て、いい会社に入って、家族を一番に愛してくれる人であったから。それは今でも変わらない。
だけど、いつしかその言葉に隠された真意にたどり着くことになる。
聞こえがよく、バリエーションに乏しい褒め言葉でしかないことに。
『ますますべっぴんさんになったなあ』
『あの俳優さんみたいだねえ』
イトコたちはいつもそう言われていた。
一緒に並んで食卓を囲んでいても、親戚たちの目は年々垢抜けていく彼らに向けられている。
いっぱい名前を呼ばれて、いっぱい笑顔をもらえている。
私には、そのような顔をしてもらった記憶がない。
つまり、なんの期待もされていないということ。
難しい言葉は分からなくても、子供は自分に興味が持たれていないことはすぐに察知してしまう。
孤独という感情は、一人でいるときにしか分からないものだと思っていた。
が、大勢で集まっている時にこそ、より強く痛みを覚えるものなのだと実感した。
座敷の奥。
一人冬休みの宿題である計算ドリルを解いていると、父親が障子を開ける音が聞こえた。
雪かきで母と近所を回っていて、今帰ってきたとこみたいだった。
「デパート、行ったんじゃなかったか?」
「私はお呼びじゃないんだって」
声がふるえないように答える。
なんでもありませんよと涼しい顔をして、計算に集中する。
きっと今頃、他の子供たちはお年玉を握りしめて新春セール中の洋服コーナーを歩き回っているだろう。
ふさわしい人に着てもらえて、きっと服も嬉しいはずだ。
「だからってこんな小さい子を留守番させるなんて、」
信じられないと父親の声が強くなったが、もともと断ったのは私なのだ。
「あの人たちが勝手に置いていったわけじゃないよ」
私がいないところで服がどうこう盛り上がりだして、行く流れになって、直前で声をかけられたのだから。
ついでに言っておくか、みたいな感じで。
決定権を委ねられた子供は、よほど図々しくない限りは来てほしくないんだなあと受け取る。誘う側に温度差があるから。
なら、行かないのがお互いのためだ。
「私、もうここには来たくない」
はっきりと言った。
はみ出し者に、最初から居場所などない。
帰省する時間とお金と食事の無駄だ。
「…………」
父親の顔は強張っていた。
無理もない。行きたくないと子供が駄々をこねているわけだから。
家族の一存でおいそれと決められたことではないのだ。
「どうしてだい?」
「いらないみたいだから。他の子ばっかちやほやして。私なんのためにいるかわからない」
「…………」
「父さんもそう思わない?」
父親は言葉に悩んでいた。
難しい課題を目の前にしたように唸って、顎に手を当てている。
今なら分かる。大人にはしなければならない我慢があることに。
合わない会社の上司、やりたくもない仕事。親戚との付き合いも、その一つだ。
来年から顔を出さなくなれば、どんな噂を立てられるか分かったものではない。
田舎であればなおさら。
面目が潰れれば立場が悪くなり、私よりも両親が肩身の狭い思いをするのだ。
「……ごめんな」
父親はとても辛そうに言葉を絞り出すと、私の頭を撫でた。
何に対しての謝罪なのだろう。
帰らざるを得ない立場か。
その場に居合わせられなかった後悔か。
あるいは、私がこんな顔に産まれたことに対する罪悪感なのか。
だって、今のうつむく父親の顔はひどく傷ついているのが伝わってくる。
とてもちっぽけに見えて、まるで叱られている子供みたいで。
私にそっくりだ。
ああ、だからか。
「謝るなら作らないで」
吐き捨てた。
言ってはいけないことだと分かっていても、そう言葉にしなければ気が静まらなかった。
「……そんな悲しいことを言うんじゃない」
謝るなと先手を打たれたから、父親は違うなだめ方で結論を濁す。
ずるいと思った。
自分が全部悪いんですみたいな顔をして、私にののしられるのを待っている。
「それか、帰らなくてもいいように言ってよ」
「……それは、」
「じゃあいっそ消えたい。消してよ」
極論を述べると、いよいよ娘が追い詰められていることに気づいたのか。
父親は勢いよく肩を掴んできた。
「それは、駄目だ。絶対に」
「どうして。介護殺人はかばう声いっぱいあるよね。私も失敗作だ。似たようなもの」
「君は五体満足じゃないか。いつもまじめに取り組んでいて、成績だって悪くない。その時点で失敗作なわけがない」
何より、失うなんてことになればお父さんもお母さんもとても悲しい。
生かすのは親の義務だと、父親は泣きそうな顔で説得してくる。
分かっていないのだ。
醜いままで生き抜くことが、この世界ではいかに過酷であるかを。
父親は何度もごめんな、ごめんなと壊れたロボットみたいに私に頭を下げている。
今の私にとっていちばん楽な道は、父親のせいにすることだ。
遺伝子という疑いようのない証拠があるのだから、産み落とされる身勝手さを訴えたところで、責める者は少ないであろう。
それで美しくなるのであれば、いくらでも言ってやる。
だけどそれは、心までも醜くなる醜いやり方だ。
何より、私に親を悪人に出来るほど嫌えるわけがないのだ。
愛してくれる、唯一の存在だから。
「生かすのが親のギムなんだよね」
私はその言葉に乗った。父親に詰め寄る。
「じゃあ今日から教えて。みっちりと。なんでも一人でできるようになりたいから」
私と同じような立場の父親ができたのだから、これにまさる教科書はない。
「……分かった。母さんにも言う。来年から行くのはやめよう」
「うん」
「その代わり、一切妥協はしないよ」
「うん」
「君は絶対にやれる。鍛え上げてみせる。俺たちの子なのだから」
そして父親は、厳しい現実と私に生き残るすべを教えてくれた。
あれから、10年は経過したであろうか。
クリスマスイブとなる今日。
夕方までの講義を終えて家に着くと、すでに親の車が駐車場にあった。
どうやら渋滞を見越して、かなり早めに家を出たらしい。
「結構待った?」
「んーん。そんなにじゃないわ」
お店は予約してあるからと言うと、じゃあすぐ行こうかと母親が空腹を訴えるように言い出した。
夜間の運転練習も兼ねているので、当然私は父親と交代するように運転席へ。
「久しぶり」
「うん」
父親とはいつも通り、短いやり取りを交わす。
似た者同士は、会話も素っ気ない。
あんたら4ヶ月ぶりなのにそれかーい、と横から母親に突っ込まれた。
初心者マークのマグネットを忘れずに貼って、車を発進させた。
目的地はもちろん、彼女の職場だ。
週末のイブということで、駐車場は確保に苦労した。
暗いので視界も悪く、余計に見つけづらい。
さすがにここは親と交代する。擦ったら元も子もないので。
いつも以上に人が多い、夕方のモール周辺を縦一列で歩く。はぐれないように。
建物に光ケーブルが巻き付いていて、数秒ごとに色が移り変わる幻想的な光景にはついつい足を止めてしまう。
素直にクリスマスの夜を楽しめているのは、いったい何年ぶりだろうか。
店の前まで行くと、意外な光景が広がっていた。
人だかりができている。
ただしその行列は店の中からではなく、外からだ。
「あら。サンタさんがいるわ」
母親が指した先には、小太りの老人が風船の束を片手に立っていた。
赤い服と、赤い帽子と、白い髭と、愛嬌のある丸っこい顔立ち。
一般的なイメージとして固まっている、サンタクロースを忠実に再現した着ぐるみだ。
昨日送っていただいた画像そのままの姿なので、紛れもなく彼女だと確信した。
「中華まんとドーナツか。いいチョイスだね。お店でそのまま食べられるみたいだし」
感心する父親に同意する。
特に今日はイブなので混雑しており、いくらスタッフ数が十分でも待たされる可能性はある。
空腹をしのげるのはいい戦略だと思った。
「買ってくるよ」
親は長距離を運転してきたこともあり、だいぶお腹を空かせているはずだ。
希望のオーダーを聞いて、足を止めて並ぶ通行人に続く。
人だかりと言っても、列が動くペースは早い。
商品や代金の受け取り方もスムーズで、待ち時間を感じさせない。
歩きながら会計を済ませているかのようだ。
「ドーナツ3つ。お願いいたします」
私の順番が回ってくるのは早かった。
体感にして、5分も経過していないだろうか。
流れるようにお釣りと商品を受け取り、子供にまとわりつかれるサンタが立つ場所へと向かう。
彼女のサンタは終始大人気であった。
子供心をくすぐるサンタの姿というだけではない。
商品を買った客は、3分の間ふれあいが楽しめるからである。
サンタの背中にはそういった張り紙があった。
風船をもらったり、一緒に写真を撮ったり、高い高いやおんぶをお願いしたり、踊ったり、抱きついたり。
「さんたばいばいー」
時間が来たのか子供が名残惜しそうに離れていって、手を振るサンタに近づく。
「次、写真よろしいですか。ご一緒に」
商品の入ったビニール袋を指して、軽く頭を下げた。
サンタは私の登場に一瞬だけ固まった。
仰け反ったようにも見えた。
まさか写真を頼んでくるはずはないと疑問符が並んでいるのだろう。
しかもツーショットを。
実際、私は撮られるのを好まないからだ。
「…………」
どうぞどうぞと、頭が二回縦に振られる。
喋ってはいけない決まりらしい。
これまで、私は彼女と写真を撮ったことがなかった。卒業アルバムを除いて。
容姿の差が歴然である以上、恋人同士となった今でも釣り合わなさをまじまじと見せつけられる絵面は見たくないからだ。
だが、昨日彼女から制服姿の写真を送られて、不覚にも心が躍った。
世界でただ一人、己にのみ許された姿を拝見できる幸福を。
同時に、記念写真を一枚も残していないのは恋人としてどうなのかという罪悪感を。
であれば、着ぐるみ姿である今ならどうか。
容姿の差を気にすることもなく、周囲に不審がられることもなく、堂々と一緒に撮影ができる。イブという特別な日に。
待ち受けにする場合は、私の領域はアプリアイコンで隠しておけばいいだろう。
「じゃあ撮るわよー」
母親の掛け声に合わせて、二人並んでポーズを取る。
互いの片手を突き出して、控えめに手を合わせるだけ。
他の人の目もあるので、さすがにピースサインや抱きつくといった真似はできなかった。
明日、楽しみにしている。
小声で囁いて、私は親の待つ場所へと戻っていった。
「そういうとこはいくつになっても子供ねー」
「別にいいだろう」
預けたスマートフォンを母親に返してもらうときに冷やかされたので、適当に答える。
「寒いね。早く入ろうか。ドーナツが冷めないうちに」
身体を縮こまらせる父親に頷き、速歩きで店へと進む。
振り返り、再び子供たちに囲まれ始めたサンタ姿の彼女に、頑張れと心の中でつぶやいた。
店員に名前を告げて、私たちは店の奥にある予約席へと案内された。
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