【A視点】うるわしの白百合

・SideA


「会うの、クリスマスでいいかな」

 バイトを終えたある日の夜。

 私は母親に電話を掛けていた。


 もう12月だというのに、一向に何の連絡もない。

 親戚宅には帰省しなくなって久しいが、さすがに実家からこの時期まで何も便りがないのは不審に思っていると。


『え、クリスマスも過ごすんじゃないの? 彼氏と』

 連絡したらあんた気遣ってこっち優先するじゃない、と母親は寄越さなかった理由を述べた。


 ある意味、勘違いされていることに胸が痛む。

 理解が早いのはありがたいと言うべきなのか。


「サービス業だから無理だって。正月まで。だからクリスマスイブは三人でどうかなと」

『そうなの? 路上練習もさせたいからいいけど』


 親よりも恋人との時間を優先するのはどうなのかと思う節もあるが、休みが重なるのは正月くらいである。

 店によっては稼ぎ時だからと休まないところもあるが。


「夜からでいいよ。こっち泊まってって」

『あらそう? 助かるわ。お父さんにも言っておくから』

「よろしく」


 電話を切って、スマートフォンのカレンダーアプリに新たな予定を打ち込む。

 最近は少しづつ用事が増えていって、時間の流れがなんとなく遅く感じている自分がいた。


 早く、来るといいなと。年甲斐もなく待ち焦がれている。

 サンタクロースに思いを馳せる子供のようだ。



 翌週。

 私はクリスマス礼拝なるものに生まれて初めて招待を受けたため、現地に向かっていた。

 彼女の実家の近くの教会で行うらしい。ご家族も含めて。


「うちの親送迎に呼んでもよかったのに」

「いいよ。悪いから」

「そう? こっからわりとかかるけど」

「構わない。一緒に行きたかったから」


 そうさらりと言うと、彼女がいひひと口元を釣り上げた。チェシャ猫みたいな笑い方だ。

 甘えん坊さんですねーと横から小突く肘を受けつつ、私達は電車に揺られていた。


 日も落ちかけて、ちょうど帰宅ラッシュの時間帯だ。

 乗客は学生とサラリーマンが大半を占めている。


「隠してたつもりはなかったんだけど」

 急に彼女が小声になる。内緒話をする女子の話し方だ。


「ぶっちゃけ、複雑? あたしはノンクリスチャンだけど」

「…………」


 遠回しな言い方であったが、なんとなく心の内は読める。

 宗教関係者ということに、偏見を持っているのではないかと。


「べつに。カルトとは違うだろう。れっきとした世界三大宗教であるのだから」


 それに、これまでもそうかもしれない、と思う瞬間はあったのだ。


 キスの経験もないほど身持ちが固かったこと。

 文芸部と統合される前の部活である『聖書研究会』に所属していたこと。

 ハロウィンを『異教徒の祭り』だと刷り込まれていたこと。

 別の日で覚えていたというが、おそらくは『宗教改革記念日』であること。


 何より、あの告白のときに。

 聖書の一節を引用していたこと。


「悪いイメージだと、無差別に訪問して回ったり駅でパンフ配ってるとかあるだろうけど。うちはやってないからね。日曜礼拝のときにドア開けてるくらいで。来たくなったら来てねってスタイル」


 誓って勧誘はしないからと、彼女は立て続けに安全性をまくし立てる。


 参加は自由。宣伝も営業もしない。

 無神教というか多神教である日本では、健全な運営だとは思うのだが……


「それで信者は集まっているのか?」

「ぜんぜん。昔からずっと伝道所(信者数が20名以下の場合の名称)」


 教会とすら呼ばれていなかった。

 日本における割合は1%と出てきたから、仕方ないのかもしれないが。


「ちなみに、うちはプロテスタント。もっと宗派はいるけど、カトリックとプロテスタントの二つあると覚えとけばおけ」


 あまり耳にしない単語が出てきた。どこがどう違うのだろうか。

 疑問を抱えていると、答えるかのように彼女が軽く聞いてきた。


「そいや、教会ってどんなイメージある?」

「煌びやかなステンドグラスがあって」

「それはカトリックだなあ」


「修道服に身を包んだ女性がいて」

「それもカトリックだなあ」


「聖母マリアの像がある」

「それも……カトリックだなあ」


 つまるところ、一般人が想像する教会というのはカトリック教をモチーフにしているパターンが多いということか。


 絵になる側のほうが、イメージとして定着する。世の常である。


「ようは考え方の違いかな。神が降りてくる家だから荘厳に着飾るか、神と対話する家だから聖像や絵画といった偶像崇拝を良しとせず、飾らず質素に出迎えるかで」


 そこまで差があると、あえて正反対を狙って教えに定着させたのではと勘ぐってしまう。

 思っていたイメージと違って肩を落とす前に、地味だと先手を打ったのであろうか。


 ……あれ。そういえばキリスト教といえば。

 私は数少ない知識を掘り起こして、食い気味に彼女に詰め寄った。

 いきなりなんだと彼女の肩が跳ねる。


「キリスト教って、確か同性愛と婚前交渉が禁止だったはずでは」


 そうなると、いずれ挨拶に行くときに相手の親から祝福してもらえる可能性は限りなく0に近い。

 むしろ、娘をたぶらかしたサタンの手先として引き剥がされることもありうる。


 恐れる私に大して、彼女はいつもの淡々とした声で言った。


「かもね。だからあたしは言わない」

「…………」

 いつかは立ちはだかる壁をあっさり迂回した彼女に、言葉が詰まってしまった。


「いくら親でも完全にはわかり合えないもの。包み隠さず打ち明けることがすべて正しいとは思わない。今更価値観変えろっても無理な話だし。うちは成人したら結婚も独身も勝手にしろってスタイルだから、このまま好きにさせてもらうよ」


 片思いは自己満足で、告白は公開処刑。

 いつか彼女が言い放った台詞を思い出した。


 相手の価値観を尊重する。

 しかし同時に、自分の価値観にとやかく言われる筋合いはない。


 だから、決着がつかないと分かっていることに関しては必要以上に干渉しない。

 そういう距離感もあるのかと、私は新たな視点に感心していた。


「他になにか聞きたいことはある?」

 それならばと私は聞いてみた。無神教の視点で。

 なぜ信徒は神を求めるのかと。


 物理的に存在しない相手が、困った時に手を差し伸べてくれるはずもない。

 ありもしないものにすがる理由は何かと伺うと。


「人生の指針かなあ。その人たちにとってはそれが神様だったってこと」


 彼女はこう述べた。

 長い人生の途中では必ず、どうしようもなく辛い時がやってくる。


 そのとき、何によって立ち直り歩きだせたかは人それぞれではあるが。

 一人でも迷える子羊の救済となるように、宗教は存在する。


 神の御言葉に心打たれて、生きる希望を与えられた人も大勢いるのだ。

 実際、世界中に信徒があふれているあたり。

 愛だけで地球は救えないが、一人の人間は救えるかもしれないということ。


 ……その理屈で言えば、まさしく私は彼女によって救われたと断言できる。

 外見の美しさも相まって、女神様と形容しても過言ではないほどには。


「あたしがノンクリスチャンなのもそう。人生に必要としてるのは神様じゃないからね」


 そう言って、彼女はさりげなく腕を組んできた。



 そんな感じで、信仰心のかけらもない私達は件の教会へと到着した。

 確かに彼女が言ったとおり、飾り気のない施設の屋根に十字架が立っているだけであった。


 せいぜい、入り口に『本日クリスマス礼拝 どなたでもお気軽にご出席ください』と達筆な文字でつづられた紙が貼られている程度である。


「らっしゃーせー」

 軽い調子で中高年の女性集団に出迎えられたので、ギャップに戸惑ってしまう。


 彼女もおひさっすーと古くからの友人に接するような態度で、大きくなったね攻撃をけたけた笑いながら受け流している。


「よく来てくれたね」


 彼女のご両親が私へと丁寧に頭を下げる。

 釣られてこちらも深々とお辞儀を返した。


 教えに反することを行っている立場ということもあり、今は後ろめたさを感じてしまう。


「よかったら。今日のお土産にどうぞ」

 彼女のお母さんから、丁寧にラッピングされたお菓子の詰め合わせを受け取った。


 しかし、カゴの数が多い。

 教会内にいる人の数に対して、明らかに作り過ぎと言ってもいい量だ。


「12個のカゴだなんて洒落てますねー」

「パンくずにすれば傑作でしたのに」


 私たちの後に入ってきた出席者が、カゴを指差し笑っていた。

 他の人も釣られて笑っていた。意味が分からない。


「そうそう。実は私ディナー作ってきたのよ」

 その出席者の一人が、大きな包みをテーブルへと広げる。


 重箱に入っていたのは、ロールパン5つとメザシ2匹。

 付け合せがぶどうジュース。質素にもほどがある。


「ちゃんとちぎって人数分分け与えるんですよー」

「これは最後の晩餐ですわ」


 私を除く出席者全員が腹を抱えて笑っていた。意味が分からない。

 彼女に聞くと、聖書のパロディと返ってきた。ノリの良い人達である。



 さて改めて礼拝堂を見渡すと、私の思い描く教会とはずいぶん違う殺風景な内装が広がっている。

 板張りの床に、木製の長椅子。

 暖房は効いているものの、ずいぶん寒々しい印象を与える。


 入り口から祭壇までまっすぐに白い布が続いていて、壁には木を二本交差しただけに見える十字架が掲げられている。

 左右の観葉植物はシュロの木だ。


 あとは、伴奏用のパイプオルガンが設置されている程度。

 一応クリスマスなのでツリーもキャンドルも置いてあるものの、飾らないという意向に沿ってか色合いは控えめだ。


「ね、地味っしょ」

 彼女が耳打ちしてくる。

 そうだな、とは首を振れなかった。


「あ」

 思わず声を上げる。

 講壇の横、小さなテーブルに儚く咲くものを見つけたからであった。


 真っ白な花びらを目いっぱいに開く、テッポウユリの花瓶を。

 落ち着いた雰囲気の中でその存在は、ひときわ輝いて見えた。


「ああ、これ?」

 私の視線に気づいたのか、彼女が花瓶を指差した。


「イースター・リリーとも呼ばれるやつだね。教会では縁深い花なんだよ。葬儀の献花もこれかカーネーションだしね」

「花言葉でもあるのか?」


「生命と純潔の象徴。理由はイエスの母であるマリアが清らかな身体で身ごもったからだってさ。受胎告知って絵が有名だね。カトリックだと白バラもそうかな」


 聞いたことがある。

 だから、キリスト教は処女性を重視するのか。


「皮肉だよね」


 美しく咲き誇る白百合へ、一瞬だけ酷薄な笑みを浮かべて彼女は踵を返した。

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