【A視点】ポッキー&プリッツの日ss
・SideA
いよいよ来週末、この街に彼女が越してくることになった。
私はどこか浮ついた気分で、講義も自主勉強も運動もいまいち締まらない日々を送っていた。
このままでは身につかないと分かっていても、一向に高揚感が抜けてくれないのだ。
なんだか、私を形作る習慣や存在意義の半数以上をごっそり持っていかれてしまったかのように。
空いた穴に残るのは喪失感ではなく、綿菓子にも似た甘くもやがかった夢心地。
ああそれを恋と言うのか。多分。
そして、週の半分を過ぎた今日。
バイトを終えた彼女から、今から寄ってもいいかと通知が届いた。
もちろん断る理由などない。今日はあらかじめ菓子類も買っておいた。
「毎度お邪魔いたします」
コートに厚着した彼女が現れた。先週くらいからお披露目するようになった姿だ。
11月にしては穏やかな気候が続いているが、やはり夜は晩秋らしくがくっと冷え込むため。
恋人に対する惚気もあるが、彼女が入るとそれだけで玄関の冴えない空気が爽やかに入れ替えられた感じがする。
「おかえり」
気まぐれに、おどけて言ってみる。
「ただいま……?」
疑問符をつけて言った後に、『新婚さんかい?』と彼女から突っ込まれる。
「久しく言われてない言葉だな、と思っただけだ」
一人で暮らしていると、たまにそういった寂しさを覚えることがある。
「うん、わかる。自分を迎えてくれる人がいるっていいよね」
丁寧に抜いだ靴を揃えて、彼女がずいと身を乗り出した。
「……?」
「人恋しいんだったら、もっとそれ以上のことをしてあげるのに」
彼女が両腕を控えめに開いた。ようやく慣れてきた光景だ。
きっかけは夏休みの終わり頃だったか。
生活もあるのに毎度それなりの質の差し入れを買ってくる彼女に、これ以上自分のためにお金を使わなくていい。そう私から提案した。
代案は、ただ来たぶんだけ恋人らしいことを示してくれればいい。抱擁とか。
思いつきで言ってみたところ快く了承してくれて、私達の間には少しだけ健全な身体の付き合いが増えたのだ。
「はい、プライスレスのお土産」
背中を両腕で拘束されて、柔らかな重みがのしかかって来る。
外から帰ってきたばかりなので、人肌より先に冷感が体の芯へとしみ込んでくる。
彼女もそれを分かっているのか、あっためて、とくぐもった声が聞こえてきた。
声で迎えた後に、物理的に迎えられる。
誰かに求められるというのは、とてつもない充足感をもたらしてくれる。
各家庭ではこの営みが日常的に生産されているのだろうか。
「ハンガー借りるね」
しばし抱き合って、名残惜しく身体が離れる。
もういいのか、と聞くとあったまったんでと頬を触らせてくれた。
両側を挟む。
熱い。内側から火がともっているかのようだ。
化粧技術とスキンケアの賜物なのだろうが、彼女の肌は芸能人並みに白くなだらかで透明感がある。
手のひらに伝わる弾力感が羨ましくて、ついついこねくり回してしまう。
やがて、もうええわいと両の手首が長い指に絡め取られる。こちらも温かった。
「いつも何時くらいにご飯食べるん?」
洋間に上がって腰を下ろした彼女に、唐突に尋ねられた。
「平日なら6時半か7時には」
「はやっ」
講義後で空腹というのもあるが、食事の準備は思った以上に気力を使う。
帰宅したばかりで、まだ余力が残っているうちに済ませておくのが億劫を感じづらいのだ。
「あたしなんて、ここ最近は弁当とまかないで生きてるようなもんなのに」
「大学とバイトの二足のわらじだ。仕方ないだろう」
ゆえに、大学生は一人暮らしを始めると太りやすい。
すぐ近くにお店がある都内だと、余計に誘惑に引きずられてしまう。自己管理する余裕がなくなってくるのだ。
私が自炊を続けているのは、別に大層な理由はない。
食費の節約と、彼女への見栄だ。
「じゃ、さ。今度の休日、よければキッチン借りてもいい?」
「え」
食事の時間の話題から手料理に変わる意図がいまいち分からず、私は聞き返す。
「ごめん聞き忘れた。設備いじくり回されるの無理な系?」
「激しく汚したり、無断で食材を使うとかでなければ別に」
「そ。良かった」
「……もしかして、手ぶらをまだ気にしてるのか?」
「ちゃうよ。たまには人が作ったもの食べたくなるんじゃないかなってこと」
どうやら、先ほどおかえりと言われたことが想像以上に効いたらしく。
似たような形でいつも与えられているぶん、返してあげたいと彼女なりに考えてみた結果とのこと。
夏休み中はともかく、明けた今は私も彼女も夕食の時間が合わない。
自分のために作って、食べる日々。
それが当たり前だと思っていた。が、手料理に美味しいと舌鼓を打ってくれた彼女の姿に、在りし日の家族の影を感じたのも事実なのだ。
大事な人と、食卓を囲む小さな幸せを。
「味は、まあ、あんたのハードルがあるから頑張るけど」
自分の料理をそこまで絶品だと思ったことはない。
譲り受けているであろう母親からも。たまたま好みに合致したのだろうか。
「ありがとう。楽しみにしている」
なんにせよ、嬉しかった。
自分のために家族以外の人がご馳走してくれるとは。
ドラマ見てから帰るとのことで、お茶の支度をする。
録画はしているらしいが、誰かと突っ込みながら見るのが彼女は好きらしい。
そう言えば、修学旅行で他の子と延々と実況しながら鑑賞していたことを思い出した。なお、私は隣の布団にくるまって寝入っていた。
「熱いから気をつけて」
テーブルの上に急須と、二人分の湯呑みが乗ったお盆を置く。
お茶菓子も添えて。
「おや」
彼女が意外そうに声を上げる。
いつもは煎餅か果物にするところだが、今日はある日にちなんでみた。
「あんた、そんなにプリッツ好きだったっけ?」
サラダ味、トマト味、ロースト味。プリッツの箱が計3つ、食卓に鎮座する。
「今日はその子たちの日らしいから。買ってみた」
言われて彼女が忘れてたわ、と漏らす。
実際のところは私もそうであった。商品棚を見るまでは。
食材の買い出しに近所のモールに立ち寄った私は、帰りにお菓子コーナーを何気なく覗いてみた。次に彼女が来たときのために。
何となく、子供が喜ぶからと頼んでもいないお菓子を買ってしまう世のお母さん方の気持ちが分かるようになってきた。
そして一箇所だけ、ごっそり陳列棚から消えているある商品が気になった。
ポッキーだ。そこだけ綺麗さっぱり売り切れている。
天井から下がる『今日はポッキー&プリッツの日』と書かれた見出しが目に入って、そう言えば今日だったかと理解した。
が、もう一つの目玉商品であるはずのプリッツの売れ行きはよろしくない。
せいぜい、私のようにポッキーを目当てに現れた客が品切れにがっかりして、仕方なくプリッツを手に取る程度である。
店側も分かっているのか、記念日だというのに明らかに入荷数がポッキーに比べて少ない。端に追いやられているのだ。
ポッキーの日。世間からもそう認知されている。
制定されて20年にもなるというのに、未だプリッツが日の目を見ることはないのか。商品開発部の心情を考えると、切ない気持ちになってきた。
気がつくと、私はプリッツの箱を複数買い物かごに入れていた。
「というわけです」
「君感受性強いね」
前にツイでバズってたよねー、と彼女は笑いながら箱の封を切っていく。
「好みを聞いてなかったが、大丈夫だったか」
「べつに。あれば食べるから」
「なんなら、持って帰ってもいい」
衝動買いしてしまったが、私は普段スナック菓子はあまり食べない。
置いていても湿気らせてしまうだけだ。
「じゃあ遠慮なくいただくわ」
定番のサラダ味を取り出した彼女が、ほいとこちらに一本寄越してくる。
受け取って、口に入れた。
「多分、小学生ぶりだ」
「そんなにご無沙汰だったん?」
ポッキーのチョコレートが掛かってない部分を味付けしたような食感は、そんなに記憶と変わっていない。
「ごめんよプリッツ。いつもじゃが○こに浮気して」
だんだんプリッツが人名に聞こえてきた。
続けて食べていると口の中の水分が奪われていくので、ときどきお茶を補給しながら食べ進めていく。
何気なく点けていたドラマは佳境に入っていた。
お決まりのBGMが流れて、凄腕の医者が神がかったオペを進めていく毎話恒例のシーンである。
「…………」
視線を感じる。
振り向くと、彼女がドラマではなくこちらを凝視していた。
「……何か?」
彼女は袋からプリッツを一本取り出した。
眼前に掲げて、ゆっくりと口を開く。
「したいです」
そう言って、口元にプリッツを咥えた。
そこまでお膳立てされれば、さすがの私にも察しが付く。
しかし、今からか。
「悪いが、音を絞っていいか」
テレビの緊迫した空気の中、こういった浮かれた行動に出るのはシリアスな笑いを生み出しかねない。
いったいどこで恋人のスイッチが入ったのであろうか。
とりあえず、一時ミュートにする。
「…………」
向かい合って、端を咥えた。
当然ながら眼前には薄目でプリッツを咥える彼女の顔がある。
さく、と噛む音が聞こえた。
釣られて数センチほど口を進める。
これは、意外と難しい。
音を気にして力を抜けば落ちてしまいそうだし、口だけで支えているというのも体力を使う。
何か掴まれるものが欲しくて、私は目の前の彼女の肩に両手を置いた。
「…………」
困ったことに、彼女が接吻を待つ姿勢を意識してしまったのか。
肩を掴んでから動きが止まってしまった。
目を固くつぶって、口はすぼめられている。
私一人で食べ進める他ないのか。この状況から。
とたんに自分は何をやっているのかと我に返りそうになり、凄まじい羞恥が胸の上から湧き出してくる。
仕方ない。一気に食べ進めて触れたら離れよう。
そう決意して、口元にプリッツを押し込み始めたところで。
「あ」
あっけなく、あと数センチというところでプリッツは事切れてしまった。
お互い、微妙な長さで咥える絵面で見つめ合う。
なんとなく、同時に残ったプリッツをもくもくと口内に引きずっていく。
「そういうときもある。どんまいどんまい」
口元を押さえて咀嚼しつつ、気まずそうに彼女が苦笑いを浮かべた。
触れる前に離れたから、ルールに則って考えればこれは負けたというのか。どっちが勝って負けたのかも分からない判定だが。
彼女がそれからプリッツを咥えて催促することはなかった。
いやもう一度と言われてもあの恥ずかしい行為に再チャレンジする勇気はないが、このままではいけないと思った。
何が。恋人の雰囲気的に。
己の中の負けず嫌いの精神に、何故か今火がついた。
「…………」
塩気の残る口内を洗い流すように、一気にお茶を煽る。
一呼吸置くと、彼女に声をかけた。
「今、いいか」
「いつでもどうぞ?」
了承を得たので、先ほどと同じように両肩を掴む。
察した彼女が目を閉じた。期待に応えるべく、そのまま唇を押し当てる。
「…………」
離れるときに口唇をそっと挟んで、ついばむようにほどいていく。
かすかに塩の味が残された。
「その、さっきのやり直しということで」
端的に弁明して離れようとすると、ぐわっと腕が伸びてきて両頬が捕らえられた。
私の顔を固定した彼女が、はっきりと目の前で告げる。
「……おかわりです」
その後、プリッツを見るとあの日を連想するようになってしまった。
ポッキーはキスの味でプリッツは涙の味とは誰かが言いだしたのだろうが、私にとっては真逆に上書きされている。
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