【A視点】ハロウィン記念ss
・SideA
私は県内のとある大学にて試験を受けていた。
内容は語学力を試す問題。
就活やキャリアアップの助けになるからとりあえず取っておけと、就職課の講師が口を揃えて言っている資格の一つである。
この日のために、夏休み中に一気に詰め込んだのだから。
教材自体は春に買って夏まで寝かしていたので偉そうなことは言えないが。
過去問や文脈はパターン化されているので、時間さえ取れれば短期でも攻略が可能。
つまりは時間がある学生のうちが有利。受験勉強の習慣が抜けきってない1年生なら尚更。
そんな誘い文句に釣られて受けてみた次第である。
手応えは、ぼちぼちといったところ。
今日が日曜日、そしてハロウィン当日だと気づいたのは、試験会場から出てスマートフォンを取ったときのことだった。
『しごおわ 今大丈夫?』
彼女からのLINEだ。
試験の終了時刻はあらかじめ伝えてあるとはいえ、まさかこんなに上がる時間が早いとは思わなかった。
休日に記念日が重なっている今日は、サービス業界的には絶好の稼ぎ時であろう。
彼女のバイト先も当然、今日は混雑が予想されるため拘束時間は長いだろうと思ったのだが。時刻はまだ5時半を回ったところだ。
お疲れ様と返すついでに、早く上がれた理由を聞いてみると。
『今日は開店準備からずっといたからねー せっかくだから夜はうちで食べてったらどうかって、店長に割引クーポンもらったんだ あと、あたしは社員割引あるし』
添付されている画像を見ると、2枚のクーポン券が表示されていた。
つまり、これからご一緒しませんかとのお誘いか。
社員割引、とわざわざ付け加えたのは以前間食の出費を咎められたことを気にしているのだろう。
別に、こういったデートのような外食であれば願ったり叶ったりではある。怖がらせてしまったか。
件の3割引クーポン券は『ペアプラン』と書かれていた。
私たちの事情を知っているあの店長さんだから、粋な計らいと言うべきなのであろうか。
『わかった。食べに行こう』
同意した文面を送ると、それまでモールで時間潰してるからーと返ってきた。
付近に商業施設があると、こういう時にありがたみを感じる。
私は早歩きに切り替えた。
吹きすさぶ寒風が、剥き出しの顔を撫でていく。胸に取り込んだ空気は冷たい。
秋も深まり、この時間にはもう陽が落ちてしまっている。体感上の気温も冬並みだ。
この寒空の下で今、各地ではお祭り騒ぎが起きているのであろうか。
テレビでしか眺めたことがない極彩色の光景を思い浮かべつつ、恋人が待つ場所へと歩を進めた。
日曜ということで、電車内はそれなりに混雑していた。
立ちっぱなしだったものの、試験後で頭が疲弊していたので座れば寝落ちしかねない。ドア付近にもたれていた今ですらうとうとしていたのだから。
乗客の中にもちらほら仮装している人が見える。ようやくハロウィンらしさを目で実感できるようになってきた。
『駅を出た』
もうすぐ着くとの旨を送ると、三階の本屋にいると彼女から返信があった。
店の前で待っててーと追伸が来たので、そのままお店のあるビルへと向かう。
店の外にはやはり今日を意識してか、大きめのジャック・オー・ランタンが紅葉の造花と共に飾られている。
夜間のライトアップのために点々と灯籠が置いてあり、何故かホオズキとイガグリ、ススキ、竹箒もオプションに。和洋折衷感漂う外装である。
オレンジの暖色で統一されているので、配役はともかく見栄えはいい。
スマートフォンを構える人も何分かに一度は見かけるほどだ。
「おつかれー」
見物客を眺めているうちに彼女がやってきた。
最初のLINEから1時間近くが経過している。お腹が空いてないか聞いてみると。
「へーき。まだ我慢できる範囲」
私もそれなりに空いてきたので、挨拶もそこそこに入店することにした。
以前会計時に貰ったスタンプカードは、しっかり財布に忍ばせている。
値引きクーポン目当てというわけではないが、味は気に入った。制服も気に入った。
今後とも足繁く通いたいものだ。
「いらっしゃいませー」
案内してくれた店員さんは、前回とは違う方であった。
彼女の姿を見るなりあらっと一瞬目を丸くするが、すぐに従業員として空いてる席まで案内してくれた。
ディナータイムということもあり結構席が埋まっていたが、女性客や家族連れが大半だ。カップル客らしき二人組はほとんど見当たらなかった。
ちなみに店長さんはレジの担当なのか、さっきからずっとレジ周りに立っている。だから、彼女が誘ってくれたのか。
「可愛らしい内装だ」
「でしょ?」
店内はハロウィン一色に装飾されていた。
カボチャ、魔女の帽子、松ぼっくり、布を被った白いオバケといった小物が、店内のいたるところにインテリアとして配置されている。
天井には『HAPPY_HALLOWEEN』とつづられたフラッグガーランド(三角旗)が吊り下がっている。
コウモリ・ドクロ・カエデの葉の切り絵が数珠状に壁一面を覆い尽くしているのも、彩りがあって雰囲気を盛り上げていた。
飾り付けは大変だったであろうが、ここまで気合を入れてくれると高揚感も湧いてくる。
時期に合わせて季節を演出してくれるシーズンイベント市場があるからこそ、日本の美点である四季を実感できる。
「ま、これも閉店後に全部剥がしてクリスマス仕様にリフォームしないといけないんだけどさ」
世知辛い事情を横でぼやく彼女がいた。
「商戦の世界は大変だな」
「前倒しで企画が動くからね。何ヶ月も前からトレンド読んで戦略練る必要があるし。目立った行事がなくて消費が落ち込みがちだった月にハロウィンはもってこいのイベントだったから、ゴリ押さない手はないんだろうけどね」
ざっくりと分割すると正月・節分・バレンタイン・受験・入学式・母の日・父の日・七夕・お盆・ハロウィン・クリスマス・年末商戦といったサイクルか。
「なんかそう考えるとさ。11月って実に不憫な月だと思うわけですよ」
「確かに」
七五三や文化の日やボジョレー・ヌーヴォー解禁といった行事はあるものの、どれも派手さはなく経済効果に期待はできない。
サンクスギビング(感謝祭)は日本では定着しづらいであろうし。
数少ない行事に舵を切るよりは、とっととクリスマスに備えてつなぎまでの期間に置き換えるほうが無難といえよう。
記念日は当日を過ぎたら雰囲気が廃れていくが、準備期間が長ければ長いほど期待は高まっていくものだから。
「ハロウィン過ぎたらクリスマスって、何? まだ秋ですぜ? 11月の存在意義ってなにさ? ってなるわけよ。この月生まれの子ってほんと気の毒。11月は売上伸び悩むから、最近はブラックフライデー(大規模セール)を採用している企業も増えてきたけどさ」
「この流れでは言い出しづらいが」
私は11月生まれである。
「なんかごめん」
「むしろ、長年の不満点を堂々と口にしてくれてすっきりしたよ」
嘘は言っていない。
クリスマス商戦が始まると11月が早く終われと急かされてるように感じるのは、きっと私だけではないだろう。
「ってことは、君さそり座の女?」
「いいえ、私は射手座の女」
そんな他愛ない話をしているうちに、頼んだ料理が運ばれてきた。
私は前回絶賛したホットケーキを。これだけだと物足りないので、季節限定のオニオングラタンスープも付けて。
対する彼女は……小さめの器に盛られたリゾットらしきメニューのみ。
付け合せのサラダも小鉢に入っている。それで足りるのであろうか。
「お腹空かないか、それ」
「ちょっと、カロリーのバランスを」
聞けば今日のお昼に、ハロウィン記念ということでオーナーがドーナツを差し入れてくれたらしい。
平均300キロカロリーオーバーのオールドファッション系統が中心だったそうで、ついついみんなでばくばくいってしまったらしく。
「美味しかったけど。フレンチクルーラー系だったらまだ罪悪感薄かったのに」
ひとつあたりのカロリーが低くても、食べ過ぎれば無意味だと思う。
そういえば、高校時代も彼女はジャンクフードを食べているところはあまり見なかった気がする。美を保つために、常日頃から食生活にまで気を使っているのだろう。
「少しくらいなら大丈夫だろう」
新しいナイフを手に取って、まだ口がついていない二段目のケーキに入れる。
一口サイズに切り分けると。
「はい」
別のフォークに刺して、眼前に突き出した。
ちらちらと私のお皿に視線が向けられていたので、こちらから食べなと促すほうがいいと思ったのだ。
「ちょっ、」
一方、彼女は驚いたままの表情で固まっていた。
声を詰まらせたように口をぱくぱくさせて、視線があちこちを彷徨っている。
「……?」
一向に食べようとしない彼女に疑問を感じ、ああ何もかけていなかったかと味の好みを聞こうとしたところで。
ようやく己が何をしようとしていたのか気がついた。
「…………悪い」
美味しいから食べてみな、と子供に勧める感覚でやってしまった。
彼女の職場で。無意識に配慮がないバカップル紛いの行動に出てしまった。
一言詫びて、フォークを引っ込めようとすると。
「むぐ」
手首を掴まれて、彼女がぐっと身を乗り出した。
一瞬のうちにケーキがさらわれて、フォークの先が露わになる。
パン食い競走を彷彿とさせる速さであった。
「うん。美味しい」
口元を手で覆い隠して咀嚼しながら、彼女が舌鼓を打つ。
急速に顔に熱が充填されていく。
やり場のない羞恥に脳内を支配されて、向かい合って食事をすること自体がとてつもなく恥ずかしい行為に思えてきた。
手持ち無沙汰にフォークを握る私の右腕は、まだ彼女の柔らかい手の鎖につながれていて。
「……もう一口」
二回目は、お互い照れが入っていたので筋肉痛同士みたいなスローモーションの動作で事を終えた。
「ありがとうございましたー」
会計を済ませてお店を出ていく。
外には行列ができていたので、ピーク前に食べられたのは幸いであった。
「…………」
店を出る前からこの調子だ。
お互い熱が抜けず、無言のまま街中を歩いていた。
会計時に店長さんから冷やかされたのがとどめになったか。
こちらが定型文を口にする前に、小声で『ご馳走様でした』と言ってくるとは。
でも、間を流れる空気は決して居心地の悪いものではなかった。
今もなお、固く繋がれている熱い手が物語っている。
寒い夜だったので手袋をはめたところ、並んで歩き出した途中で隣の彼女の手がさりげなく滑り込んできた。
手袋の中に。
脱ぐと、即座に剥き出しになった手のひらに細い指が絡んでくるのを感じた。
繋ぎたいなら言えばいいのにと言いたくなったが、こういった無言のアプローチも新鮮で可愛いものだと思う。
時折口元が上向きで震えているのが、一層愛しさを増長させた。
「あの、さ」
何分か歩き続けて、ようやく彼女が口を開く。
「実はあたし、この歳になってだけど。ハロウィン初めてなんだよね」
「それはまた」
知らなかったとかではなく。初めてとはどういうことだろう。
「この日は別の記念日のほうで覚えててね。むしろハロウィンは異教徒の祭りだとか言われて悪いイメージで定着していたと言いますか」
悪いイメージ。そう思われても仕方ない事例は日本でも記憶に新しい。
”変態仮装行列”と揶揄されたいつかのハロウィンが分かりやすいであろう。
ただ、彼女が指しているのはそういった事柄ではないようであった。
「禁止自体はされてないよ。ただ、小さいときからそれを親に刷り込まれるとブレーキ踏んじゃうねって話」
もともと、ハロウィンは宗教色の強い行事だ。
現代ではただの娯楽として仮装する文化だけが残ったが、相容れない考えの人にとって、行事として定着するのは良い気持ちはしないのであろう。
「今は違うよ。親元から離れたのもあるけど、やっとしがらみが抜けて楽しもうって思えるようになったから」
絡んだ指が、一層強く握りしめられる。
彼女はようやく私の方を向くと、万歳でもするように繋いだ手を持ち上げて。
「初めてのハロウィンをあんたと過ごせてよかった」
初めて。そう強調されたことに、私の中で熱が高まっていく。
己と過ごす今日をもっと楽しませたいと、しばし頭を熟考させて。
「もう少し、見て回るか。街中」
「うん」
そう言おうと思ってた。囁かれて、離したくないとでも言うように片方の手が繋いだ二つの手を撫でさする。
そのまましばらく、私たちはハロウィンに熱狂する若者たちが跋扈する街中を歩き回った。
特に会場が定められていない街であっても、仮装する人々の群れは絶えることがない。
雰囲気に浸かる楽しさを、一番大切な人と共有できる。それが何よりも嬉しかった。
もうすぐ、彼女はこの街に引っ越してくる。
このふわふわと漂う『離したくない』という気持ちの中で距離が縮まってしまったら。
今みたいに満足だと思いこんで、私は押さえきれるのだろうか。
一抹の不安を胸にしまい込んで、私は恋人と一夜限りのハロウィンを満喫した。
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