【A視点】恋人成分の補充

・SideA


 かつての部活仲間や顧問と楽しいひと時を過ごして。

 何故か途中で抜けていった後輩に涙ながらに礼を言われて、しばらくの間胸を貸して。


 何度も頭を下げて去っていく後輩を見送った後、私は無駄に距離を取っている彼女へと近づくと。


「行こう」

 さりげなく手を取った。


「…………」

 驚いたように彼女の肩がびくっと跳ねる。

 だけど振りほどかれることはなく、歩き続けているとそっと指が絡んできた。


 知り合いの目があるかもしれない。

 今日はそればかりを気にして、触れないように過敏になっている節があった。


 でも、せっかくのお出かけなのに外面ばかりを気にして寂しい思いをさせるのもどうかと思ったのだ。

 特に、今は。

 後輩との時間を作ってくれたとはいえ、内心複雑に感じているかもしれない。


「お腹は?」

 さすがに家庭科部のお菓子だけでは、空腹は免れないと思う。

「まあ、ちょっとはね」


 彼女は実際の状態よりも少なく見積もる癖があるため、結構なものだと推測できた。


「さっき学食で買った。お好み焼きと焼きそば。どっちか後でどうぞ」

「え、いいの? お金は」

「いい。おごり」


 イベント会場の食事はコストパフォーマンスが悪いため、これからお金がかかる彼女のためにもあらかじめ作ってくるか迷った。

 しかし今は9月。食材の傷みという万が一のことがあってはならない。


 それに、特別なときに食べられる料理というのは何割も増しで美味しく映るだろう。

 縁日の屋台のように。だからこそ値段を釣り上げている気もするが。

 私は衛生と雰囲気重視で身銭を切ることにした。


「ありがたくごちになります」

 演技めいた嘘泣き声を聞いて、私は安堵を覚えていた。少しでも寂しさを埋められればいいのだが。



 彼女は焼きそばを。私はお好み焼きを。

 なんとか混雑前に席を確保したので、ステージ本番前のざわついた空気の中黙々と箸を動かす。

「それ、おそば入ってるね。広島のほう?」

「いや、ミルフィーユのような層になってないからモダンのほうかと」


 お祭りには長いこと行ってないので、こうしたパック詰めの屋台メニューは数年ぶりだ。

 味は正直近所のモールにあるフードコートのほうが上だが、妙に濃い味付けは懐かしさを覚える。


「そうそう。これ買ったんだ」

 鞄から取り出された、一冊の薄い本に注目する。


 表紙は真っ白で、『2021年度文芸部誌』の簡素な明朝体がぽつんと右上に。おまけにホチキス留め。

 売る気があるのかを問いたくなる寒々しい装丁である。


「……去年まではちゃんとした本じゃなかったか?」

「あたしの代まではね。作家志望の子とか何人もいたから」


 ちなみに、彼女は幽霊部員だったため寄稿は一度もしたことがないらしい。

 画力の高さを活かして毎年表紙デザインを担当していたとのこと。


「でも、今年もわりとおもろいよ」

 彼女がとあるページの一節を指差す。自作の短歌だ。


『恋なんて しょせんそんなの気の迷い マジになるなどバカげたことだ

P.N.フラグの折れたAngel』


 この方にいったい何があったんだ。


「あと、これとか」


『あたたかいおうどん食べたい肉うどん わかめにたぬきも食べたいな

P.N.きつねそば』

『三日目の宿泊先で入浴後 かずまにパンツかくされました

P.N.中○健人と佐々木○介を足して二で割った奴』

『角砂糖そのまま食べると甘すぎる ミルクといっしょにたしなみましょう

P.N.誘われたあたしはカブトムシ』


 これは短歌と呼んでいいのか。どこから突っ込んでいいやら。

「ノリが命だよ。こういうのは」


 おふざけに偏った部誌を二人で面白おかしく眺めているうちに、本日のメインイベントが始まった。


 ギター同好会による、ヒット曲の演奏。

 教師一同による、年替わりの特別パフォーマンス。

 どちらも在学時からの風物詩だ。


「プロがやるものじゃないから、生モノならではの楽しさがあるよね」


 ちなみに、うちの高校は毎年何かしら本番でやらかすことにも定評がある。

 去年は教師の漫才コーナーで突如校長が登場し、一発芸で『マジ卍』と披露して盛大に滑り倒していた。

 あれはすでに死語だと思う。


 バンド演奏は体育館のどこで聞いても鼓膜がやぶれそうなほどの大音量で流れるので、彼女との会話はLINEに切り替えた。

 やがて、部員らしき派手な格好をした男女が壇上に上がった。

 周りに合わせてなんとなく拍手を送る。


『お 最初これかー』

『聞いたことある』

『あれだよ 車のCMでよく流れてる』


 馴染みのあるイントロが流れたことで、期待が高まってくる。

 やがてボーカル担当らしき中央の女子が、口元にマイクを構えた。

 そして、何も聞こえてこなかった。


『あちゃー』


 周囲が一斉に首を傾ける。耳も傾ける。

 いや、ステージの女子は声を張り上げてるように見える。

 熱唱を表すかのように足と首を思い切り振り回している。断じて口パクではない。


 ベースの音が大きすぎて、声が埋もれているだけなのだ。

 加えて音域にドラムとギターの奏が重なってしまっており、余計に声を拾うのが難しい。


『これってどうすれば改善される?』

『バランスと音響設備の問題だからなー』

『マイク音量を上げるのは駄目なのか』

『それやるとハウリング起こすからねー』


 つまりリハーサル不足なのか。

 高校生バンドにはありがちだというが。


 女子生徒は最終的に顔を真っ赤にして、きええええと声を張り上げていた。

 もはや音程など気にしてはいられない状態であった。

 どの楽器パートも自己主張が激しすぎた弊害による叫び声だ。ボーカルに罪はあまりないと思う。

 演奏自体は悪くなかったので、客はペンライトを振ってそれなりに盛り上がってたのは救いか。


 ちなみにバンド側も声が通ってなかったのは分かっていたのか、二曲めからはバラードものに移り変わっていた。

 ただし最初の曲で喉を潰したのか声が完全にかすれており、サビの高いキーが全く出ていなかったのが切なかった。


『なんでス○ッツにしちゃったんだろ』

『最初にこれならなあ』

 こういった失敗もコピーバンドの醍醐味である。

 大抵のグループが通る道なので、彼らにはくじけず今後とも頑張ってほしい。


 まあまあの盛り上がりで学生たちが壇上を下りて、いよいよ教師陣が登場した。


『あ 国語の先生だ』

 件の国語教師は、軽く咳払いをするとこう言った。


「えー、おもてで在校生の主張なるものが盛り上がっていたそうですが。ここでいち教師の主張をお聞きください」


 あまりユーモアめいた印象がなかった真面目な先生なので、何を言い出すのかと冷やかしの声がぽつぽつと上がる。



「私は独身です」

 あんまりな一言に、早くも笑い声が上がった。



「そして、私のほかにも二人。若い独身の女教師がいます」


『男性教師を出さないのは良心なのかな』

『全員既婚という可能性もある』

『やー たしか科学のあの人は非モテをネタにしてたよ 毎年クリスマス近づくとクルシミマスぼっちってうるせーあいつ』

『……よく覚えてるな』


「ですが。この二年間で二人とも名字が変わってしまいました。三人中二人です。この絶望がわかるでしょうか」


 ここで突如、二人の女性教師が登場した。

 独身の教師を両脇から挟んで、二人同時に手を合わせて首をかしげる。許してねとでも詫びるように。

 それから同時に左手を掲げた。

 双方の薬指には紛うことなき結婚指輪が光っている。


 煽っているとしか思えないパフォーマンスに、あちこちで吹き出す声が聞こえた。


「二年前。確かに私達は誓いました。全員新卒の同士としてバリキャリを目指していこうと。しばらく色恋に現は抜かさないと。しかし。一人はまもなく産休に入ります」


 この裏切り者ーと叫んだ辺りで収集がつかなくなり、三人は見かねた他の男性教師に連行されていった。


 どこまでが台本通りか分からないが、とりあえず会場から笑声は止むことなく続いていた。


『いろいろと大丈夫なのか これ』

 本人同意の上とはいえ、独身ネタも最近はいじりづらい風潮にある。


『大丈夫だよ あんなこと言ってるけどあの先生、ちゃっかり同棲してる彼氏いるから』

『いても結婚の意志が感じられないから、焦っていたとかではなく?』


『結婚の意志というよりは、結婚のシステムについての異論だね

二人とも公務員だし、義実家付き合いはめんどいし、子供も作る予定がない

対等な関係でいたいからしないってこと つまり実質独身』


『男女でもあえて結婚しない道を選ぶ人もいるんだな……』


 そこまでいけば独身の枠では無いと思うのだが、あえて茶番劇にしたのか。

 しかし、何故この人はそこまで他人の恋愛事情に詳しいのだろう。


『結婚が幸せの正解じゃないって皮肉ってやってるのかもしんないけどねー』


 そういった意味では、私たちも該当する。

 国の法律上同性婚が認められていないとはいえ、籍を入れなくても共に生きることはできるのだから声を上げようとは思わない。


 それで『結婚できないなんてかわいそう』などと同情されようものなら却って心外である。


 いくら恋愛や人生のかたちが多様化しているとはいえ。

 独り身で一定数笑いを取れる以上、まだ法律婚していない男女に向けられる偏見の目は根強いのだろう。


 それから何事もなかったかのように、教職員による恒例のバンド演奏が始まった。

 ドラムが上手いのか、先ほどの高校生バンドとは比較にならないほどの安定感だ。

 声もよく通っていて、知らない曲なのに高揚感が湧いてくる。


 一人だけ数合わせで選ばれたのか、キーボードを指でつついているだけの絵面がシュールだった。

 何故無理に演奏の体を装わせようとしたのか。


「…………」


 ふと、膝に置いた手に温みを感じる。

 いつの間にか、彼女の手が重ねられていた。


『甘えたい気分なので』


 器用に片方の手でスマートフォンを操作して、私に見せてくる。

 観客はステージに夢中だ。今だけ目立たない形で補充したいと。そんなところだろうか。


『君もどうぞ』


 どうぞと催促されたところで、どこまでが人目がある場所でも許されるラインなのかいまいち良く分からない。


「…………」


 私の迷いを察してか、彼女が首だけをこちらに向けた。

 片方の指で、ちょいちょいと私に向いている肩を指した。ああ、そういうことか。


 身体を傾けて、頭を彼女の華奢な肩へと寄せる。寄りかかる体勢だ。

 柔らかな感触をこめかみに覚えて、いつも付けている香水の匂いが強くなった。


 彼女といい、綺麗な女性ほど芳しい香りを漂わせている頻度が高いのはどうしてだろうか。電車内で特に顕著に感じる。


 こうしてもたれていると、騒がしい体育館内なのに眠気を覚えてくる。

 やがて、背後から後頭部に手が回された。

 髪を撫でてくる動作は完全に安眠を誘っている。


 甘えてもいいらしいので、しばらくこうしていよう。

 そのまま、私はまぶたを閉じた。



 文化祭後、スマートフォンには元クラスメイトからの通知があった。

『二次会参加の人は坂下りたとこにいてねー』とのこと。


 久しくこの手の集まりを行っていなかったこともあり、私たちはそのままクラス会に参加することにしたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る