【B視点】水面下の修羅場(後編)
・SideB
ほら、だから言ったじゃん。
あいつ、意外とモテるんだから。
後輩さんが去って、それから何人かが屋上でいろいろ叫んでいたけど。
あたしの耳にはもう何も届かなかった。
すぐ側で、群衆が悲喜こもごものステージに一喜一憂しながら熱狂しているのに。
スクリーンの中の出来事を眺めている感覚だった。
足はまるで、地面に縫い付けられたように動かない。
テンアゲムードから一人取り残されたあたしへと、しずしず近づいてくる足音がある。誰かは考えるまでもない。
「お久しぶりです、先輩」
彼女は現柔道部主将。
去年のインターハイ個人戦覇者で、今年は団体戦準優勝とかいうすっごい子。
告白の余韻が残ってるのか、やけに明るいトーンで話しかけてきた。
試合で気持ちよく勝っていい汗を流した、やりきった感に満ちた顔。
今のあたしとは、とてつもない温度差で。
「おー。久しぶり」
フランクな先輩をとっさに装ったけど、表情が固まっているのはばればれだったと思う。
つっこまれる前に、『今部員同士で集まってるみたいだけどどうしたの?』と尋ねてみると。
「店番だからって言って早々に切り上げました」
「何やってんの」
君は大好きな主将との時間よりもこっちを優先するのかい?
本人のいない場所で告白をした理由が、いまいちあたしには分からない。
「いたら主将が恥ずかしいじゃないですか。なので道場に足止めしておいたんです」
「は、はあ」
「ついでに白状しますと。わたし、見てました。先輩と主将がいるとこ。主将がわたしたちのとこに遊びに来たら、離れ離れになるじゃないですか。だからワンチャン先輩こっち来てるかなーって。賭けでしたけど。で、先輩見えたんで乗り込みました。わたし目はいいんで」
「ほう」
おう、いい度胸してるね君。さすが切り込み隊長なだけある。
あたしはインネンつけるヤンキーよろしく、一歩後輩さんの前に踏み込んだ。
「そんで、君はどうしたいのかな? あの子に伝えてほしいの? ずっと好きでしたって」
「いえいえ、ただ先輩の心をかき乱したかったんです」
「あははは。言うじゃん」
見えない火花が間にばちばちと散る。ってほどギスギスはしてないけどね。
でも、堂々とちょっかい掛けてくる子はあたしは嫌いじゃない。女子の中ではレアケースだ。
大抵は裏でいろいろやってるから。もうでろんどろんよ。
群衆のすぐ側だと声が届きづらいので、ひとまず木陰へと移動する。
「はあ。相変わらずお綺麗ですねえ」
露骨すぎるため息をつかれた。君も慇懃無礼なとこは変わってないねえ。
「まーね。今みたいに綺麗って言われたいから」
「それはよござんしたー。でもそれだと、余計じろじろ見られてうっとうしいんじゃないですか?」
言うねー。ほんと肝が据わってるよこの子。
あいつとの用事じゃないときは、地味子で通してるのを在学時からわかってるくせに。
「おしゃれするのはデートのためだからね」
というわけで、あたしも堂々と牽制した。2年越しの答えを出すために。
「…………」
後輩さんの表情がこわばり、目が見開かれる。あたしから視線を逸らして、気が抜けたようにだらーっと肩を下げて。
「やーっとですか」
こぶしを作って、こつんとあたしの肩に当てた。
『ちょっと、お話よろしいですか?』
あたしが後輩さんと出会ったのは2年の秋だ。
ちょうど、あいつがインターハイでボロ負けして主将の座についた頃。
あたしは後輩さんに呼び出されて、人気のない図書室廊下にいた。
後輩さんを筆頭に、この子のクラスメイトらしき女子数人。
このシチュからあんまりいい予感はしなかったけど、面識のない子たちばかりだ。
加えて学校モードのあたしは地味子。そうキャットファイトにはならんだろーと身構えていると。
「で、ご用件は?」
「先輩、主将のご友人ですよね。ほら試合とかいつも見に来てくれて」
「そうだけど」
「率直に言いますと。主将についてご印象をお伺いしたく」
なんで中心にいる子じゃなくて、後輩さんがぺらぺら喋ってんだろって思うけど。
でも、シチュと台詞ともじもじした女子の態度からあたしもなんとなく読めてきた。
「つまり、あこがれ? が転じてラブってこと?」
うつむいてた女子は、そこでようやく顔を上げた。
頬を染めてこくんと頭を下げる。
わあ、女子校みたいなことってほんとにあるんだ。
確かに、そっちで男役っぽい子がモテるって話は聞く。
あいつはもともと口調が中性的だったからボーイッシュ路線どうよ、ってあたしが示してからはますますハマってきていた。
「で、印象だっけ。そうだねえ。すげー大人しい」
「ああ、わかります」
だからなんで君が応対するんだ。会話が成立しないよりはいいけど。
でも、求めてるのは好物とか意外な一面とか、そういう断片的なものじゃないんだろうねきっと。
なぜ好きに至ったのか、あたしなりに考察してみいって聞きたいわけで。
「君らといるときと、そんな変わんないと思うよ。無口で、無愛想で、口下手で、あんまり輪に入らないような子で」
でも、それだけじゃない。
「だけど、すごくまっすぐで。誰に対しても。決めたことにもまっすぐで。試合中とかかっこいい」
あたしでも驚くぐらい、さらっとお褒めの言葉がでてきた。
それは共通する感情だったのか、うんうんと他の子たちもいっせいにうなずく。
「……あと、私服です。センスいいなって」
ずっと黙ってた女子は、それだけをぼそっと言った。
ふふふ、やっぱりあたしの目に狂いはなかったようだ。
あいつのことを言ってるのに、なぜか自尊心が満たされていく。
「……で、こんなもんだけどお気に召して?」
友人にしてはしょぼい収穫だけど、あいつは基本自分のことは話さないからね。
あたしは次に、これからどうするのか聞いた。
相手が男子だったらどう距離を縮めるか画策するけど、同性だとねー。
あこがれと恋のはざまでふらついてるっぽいし、そもそもあいつが同性愛者とは思いづらい。
恋をしたいって願望すらなさそうに見える。
予想通り、相手も叶うとは思ってない、ただ身近な話を聞きたいだけと言った。
あたしはいつもあいつの低すぎる自己評価が気になっていたから、こうして密かにモテていることが嬉しかった。
ねえ、あんたは誰からも愛されるわけないって思い込んじゃってるんだろうけど。
ちゃんと、見てくれている人はいるんだからね。
なので女子の頼みには快く了承して、たまに会っては守秘義務に抵触しない範囲であいつの話、つか恋バナを談笑するようになった。
転機が訪れたのは、数ヶ月後だ。
「先輩、ぶっちゃけ主将のこと好きですよね」
先陣を切ったのはあの後輩さんだった。
気づけば恋の相談に来たはずの女子を連れてくることは少なくなって、初対面から饒舌だったこの人を言伝に話すようになっていた。
「ちょ、ちょいちょい。なんでそう思った」
廊下に連れ出されるなりいきなし吹っかけられたもんだから、あたしは心の準備ができてなくて慌てふためいてしまう。
「いつも試合観に来てくれるじゃないですか。学校じゃそんな地味なのに、主将と学校外で会うときはすげー気合入った服着てくるじゃないですか」
「そ、それは」
あいつが、目標にしたいって言ったから。
気を遣わずきれいな格好で出かけようって言ってくれたから。
だから、希望通りの格好にしているだけで。
「そんなの。それこそ建前で言ったかもしれません。隣にすっごい綺麗な女子が並ぶってどれだけ女の劣等感を刺激するか。考えたことはないんですか」
後輩さんは責める口ぶりで言い募ってきた。
「男ウケのコーデで決めてるわけじゃないよ。マウントでもない。だいたいあたし男いたことないし」
中学時代はそれで痛い目を見たから、あたしは他の女子の目があるとこでは一貫して地味子で通している。修学旅行でも、他の子と会うときも。
あくまで、あいつと二人で会うときだけだ。気合い入れておしゃれするのは。
……あれ?
あいつと出会ってから、何度か浮かび上がってきた疑問。
筋は通ってるけど、感情的にどこか引っかかるもの。
それが今、これまでとは比較にならない重さで心に住まわった。
「それ。ですよ」
そして後輩さんは、あたしより先に明確な答えを口に出した。
「男ウケ狙ってるわけじゃない、嫉妬心も理解している。それでも特定の人の前でだけ身なりを整えるって。綺麗だって思ってほしいからとは違うんですか。
あなたのそばにいる一番綺麗な人は自分だよ、って無意識にアピってるのと何が違うんですか」
「…………」
何も言い返せなかった。
あいつに言われたからって、そのまま鵜呑みにするあたしもどうだ。
着飾ることによってあいつのストレスになってないか悩んだことは、ある。
一緒に出かけて、ナンパに出くわすことも一度や二度じゃなかった。
じろじろ見てくる通行人の視線には今更だとあたしは慣れていたけど。
でも、あいつから見れば。
扱いの差を気にしていなかったってことは、きっと、ない。
それでも、綺麗だって思われたいからあいつといるときだけ気合をいれる。
試合を見に行くようになったのは、あいつのかっこいいところが見たいから。
こうして言葉にすると、それはとてもしっくりいった行動原理になっていて。
……え? ……まじで? ……ええ?
「先輩はずるいです」
揺れるあたしにさらに退路を断つごとく、後輩さんはくさびを打ち込んだ。
「わたしが、主将にいちばん近いんだって思ってました。いつも褒めてくれて、試合で結果を出すたびに誇りだって可愛がってくれて。わたしは、主将よりもうまくなってやる気持ちでこの1年がんばってきました。結果を出し続けて主将を喜ばせることが、誰にも負けない強い武器になるんだって。そう信じてたのに」
びっと、後輩さんはあたしに指を突き立てる。
「県予選であと一歩だったとき、主将はわたしたちをいっぱい褒めてくれました。わたしは特に褒めてくれました。それが誇らしくて、優越感もあって、やっぱりわたしがもっとがんばるべきなんだと。そう思い上がってて」
でも、主将の中にわたしはいなかったんです。
後輩さんは悔しそうに、力なく言った。
「試合後、主将はひそかに泣いてました。あなたの隣で。涙を流した主将なんて、わたしたちは一度も見たことがありません。それって自分のいちばん弱いところを許してる人ってことですよね。決定的な差がわかっちゃったんです」
ずるいです。
今度は涙声で、あたしの心に後輩さんは刃物を突き立てた。
「同い年で。同じクラスで。友人で。すっごい美人で。泣き顔を見せられるくらい信頼されてるって。それって勝ち目ないじゃないですか。やっとわかりました、主将はわたしの実力だけを見ているってことを。あなたも表面だけかと思っていたのに。自分よりおしゃれで綺麗な人ってとこだけを見ているって思ってたのに。わたしじゃ、どんなに腕を磨いたって主将のこころに触れることはできない」
だってわたしは、きれいじゃないから。
全部持ってる、先輩になりたかった。
叫んで、後輩さんは踵を返した。
結局、思いの丈をぶつけたところで何も事態が好転するわけじゃない。
あいつの気持ちはガンスルーで突っ走っただけ。
どっちがどれだけ優れてようが、あいつがノンケなら無意味に終わる恋バナだ。
だから、これは、いまの関係にヒビを入れるやりとりであって。
あいつとの間に芽生えていたものは、本当に、友情だったの?
「待って」
立ち去る後輩さんに、あたしは本音をぶつけた。
「逆に、あたしは君たちが羨ましかったよ。一緒の舞台で、一緒に戦えて。見ることしかできない自分が歯がゆかった」
後輩さんは何も答えない。ただ、小さな背中がどんどん遠くなっていくだけだ。
声に出したことで、あたしもやっとわかってきた。
ひそかに、部活仲間が羨ましかったことを。
あいつが部活の話をするときはとても楽しそうだった。
一人一人を大事に思っていて、向上心も十分で。
だからこそ、どこまでもあたしは傍観者でしかないのだと疎外感を覚えていた。
戦えないなら、せめてそれに勝る強い結びつきを。
あいつが部活以外でも学校生活を楽しんでもらえるように、あたしが友人としてできる精一杯のサポートを。
……それは、本当に”友人として”行動していたことだったの?
違う。
家族でも仲間でも友人でもない、それ以上の特別な存在になりたかったんだ。
やっと、あたしには分かってしまった。
だけど、本当の気持ちに気づいたところで。叶わない事実を思い知らされる。
相手が男子の場合は、分かる。
仲良くなって、好みを引き出して、メイクして、気を引く素振りをちょいちょい見せて。
そんで『こいつ俺に気があるのかな?』とまで持っていければあとはタイミング次第だ。
でも、女子の場合は。そんなのどこにも書いてない。
女の子は男の子に恋をするのが普通、それが大多数の認識だから。
いくら性愛対象の範囲が広がってる現代でも、学校という狭い世界ではどこまで行ってもマイノリティなのだ。
ただでさえ初恋は実らないのに、攻略法のない同性は強敵ってレベルじゃない。
つかほぼほぼ無理ゲー。
ましてや多感なこの時期、告白なんて自己満足の公開処刑に等しい。
あいつの幸せを願うなら。守りたいなら。
あたしは友人としてこれからも徹し続けるべきなんだ。
無意識に縛り付けていたのだから、これからは適度な関係を保とう。
あたしがいなくたって、今やあの子は友達も仲間もたくさんいるんだから。
「おめでとーございます」
ちっともおめでたくないような低い声で、後輩さんは足元の砂を蹴った。
「やっぱずるいです。叶わないって言ってちゃっかりゲットしてるんですから。これなら1年前に告っとくべきだったですかねー」
「ある意味ずるいよ。お酒の力だったもの」
シラフだったら絶対今のような未来は無かった。
あたしのヘマとはいえどう転ぶかわからんのが人生。
だとすると今は、最高に運の出目が良かったということか。
「ここにいたのか」
声が聞こえて、振り返る。あいつが駆け寄ってきていた。
あ、スマホ見てなかったわ。
「ごめん。もしかして未読スルー結構ある?」
「いや、むしろ話し込んでいるところを邪魔して申し訳ない」
話している途中で、あたしもあいつも気づいた。
後輩さんは気配を消すように、そっと大好きであるはずの主将の前から消えようとしていて。
「あれ、店番……」
不思議そうに見やるあいつに後輩さんは静かに振り向いたけど、さっきまでの恋する乙女の表情はとっくに抜け落ちていた。
失礼します。そう言ってあたしの前を横切る後輩さんの肩を、あたしはそっと掴んだ。
「行ってあげなよ」
目をつぶってあげるから。
何か口を開こうとする前に、あたしはあいつへと端的に説明する。
「そこで暴露大会的なものやってるでしょ。この子もさっき出てたんだ。あんたにお世話になったお礼を伝えたいって」
「そう、なのか……? いや、それなら呼んでくれれば」
「それだと恥ずかしいじゃないですかっ」
後輩さんは一瞬だけあたしに向かって手を合わせると、まっすぐあいつに向かって頭突きをかました。
いや、抱きついた。
「え、え」
驚くあいつに、後輩さんは最初で最後の想いを告げる。
「改めて言わせてください。2年間本当にありがとうございました。去年インハイで優勝できたのも、今年団体戦で結果を出せたのも。全部みんなと主将がいてこそです」
そのまま、後輩さんはあいつの服に顔をうずめて泣き出した。
あいつはあたしの目もあるのか、こっちをチラ見してたけど。今日だけは譲ってやってもいい。
「受け止めてあげなさい、主将?」
いい女を装って、あたしは背を向けた。
やがて地に伸びた二つの影が重なるのが見えた。
「ありがとう」
涙を誘うどこまでも優しい声と、あらゆる感情がないまぜになった嗚咽。
いつかのあたしたちを見ているようだった。
それからしばらく、二つの影が動くことはなかった。
……羨ましくなんかない。
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