【A視点】一緒に回る人がいるだけで
・SideA
『何かすることはある?』
なぜ、三年前の私はたった一言を口にできなかったのだろう。
話しかけられない限りは自分から話せない。
事務的な会話すらできない。
自分が介入すれば、和を乱してしまうと恐れすぎていたのだ。
何重にも己に壁を張っていたから、近寄りがたい雰囲気を醸し出していただけなのに。
だから、準備期間の時も何者にもなれず教室の隅に立っていた。
クラスメイトは全員仲良しグループで固まっており、とてもこの中に声をかける勇気は持ち合わせていなかった。
出し物自体も詩や作文といった、手間を掛けず脳内でひねり出せるものにした低予算の展示室といったところ。
当然設営自体も非常にシンプルで、そう言った点から見ても仕事が余りそうには見えなかった。
「…………」
何かと世話になっている、数少ない友人の方を向く。
忙しそうだった。
せめて教室の入り口だけでも豪華にしよう、と誰かが思い立ったせいであろうか。
彼女のように芸術分野に優れた人はデザインにこぞって駆り出されており、ラフスケッチを元に骨組みを作っているようであった。
美術のセンスがまるでない私には、ますます手伝えることがない。
取り残されてしまった。
無意識に長いスカートを握りしめていた。
空気と一体化して存在を認知されなくなったら、どれほど楽であろうか。
いっそ部活に赴きたかったが、まだ5時間目開始から一時間も経っていない。
地獄のような長さであった。
それまで準備は放課後のみであったが、前日ということで今日は午後の授業がまるまる潰れることになる。
昨日もその前も新人戦に向けた強化練習を言い訳に、私は準備に一切参加していない。
今日くらいは居合わせないと体裁が悪かった。
「…………」
今度は彼女と目が合ってしまった。
何気なく視線を向けた際に。
情けなさから来る羞恥心に、かっと耳が熱くなる。
どのみち一人でいることはばれていただろうが、忙しい人に暇を持て余している姿を見られるとは。
協調性のなさに呆れ返っていてもおかしくない。
「おーい」
硬直したままの私に、彼女が手を振ってこっち来いと招く動作をした。
何を言われても受け止めよう。
覚悟を決めて向かうと。
「暇なら買い出し行ってきてよ。領収書見せれば経費で落ちるから」
投げやりに言いつつ、メモを差し出してくる。
覗き込むと、設営の材料の類であった。飲み物も指定されている。
普段格闘技で鍛えていることもあり、これくらいの重さなら持てる範囲だ。
それを見込んで任せてくれたのであろうか。
了承して、廊下に向かおうとすると。
「おいおい」
彼女の側にいた男子が引き止めてきた。
隣の女子も同調する。
「さすがにこの量は酷でしょ。一人に押し付けんなよ」
「ね。可哀想じゃん」
当然といえば当然の反応だ。
普通、買い出しは複数で行くもの。特に女子の場合は。
彼らは私が運動部所属であることは知らないので、気を回してくれたのかもしれない。
「そだね。ごめんごめん」
一方彼女は、周りから咎められてあっさりと態度を変えた。
まるでお前も行ってこいと言われるのを待っていたみたいに、すぐさま席を立って持ち場を離れる。
「じゃ、ちょい席外すわ。しばらくよろ」
早口で述べると、行こーと私の腕を掴んできた。
そのまま引っ張りながら教室の外まで迷わず歩いていく。
私はいまいち真意がつかめないまま、一礼をして廊下へと出た。
今日は気温がいつもより控えめだ。
空は薄く雲が張っていて、それなりの暑さは感じるけど強い直射日光が当たらないのは買い物に行く身としてはありがたい。
そろそろ何か話さねばと思い、私は校門を出たところで声を振り絞った。
「あ、ありがとう。仕事、回してくれて」
気にかけてくれた嬉しさよりも、わざわざ気を遣わせてしまったことに罪悪感を覚えていた。
高校生にもなって他人に頼ることでしか行動できないとは。
自分の社交性の低さに嫌気が差してくる。
「べっつにー。眠気ピークだったからちょうどいいよ」
彼女はあくびをすると、凝りをほぐすように組んだ腕を伸ばした。
妙にぶっきらぼうな言い回しだったのは、何もしていなかった私へのヘイトを逸らそうとしてくれたのだろうか。
「そうだ、注意事項等は」
学生であってもお金の取り扱いは大事だ。会計規則が定められているはず。
会計担当でもない私が無知から誤った行動を取っては、クラス全員から徴収という悪夢もありうる。
それだけは避けなくては。
「んーと、」
彼女はスマートフォンを取り出すと、『これ実行委員会のコピペ』と一枚の画像を送ってきた。
中を開くと。
請求申請分の金額はなるべく超過しないこと。
領収書は原則再発行不可なので紛失しないこと。
宛名は”○○高校○○祭○年○組”と記載すること。印鑑も忘れずに。
個人の買い物は無効となるので、別会計で。
追加の集金の際は独断で支払わず、事前に必ず見積もって教師に相談すること。
「あとは1時間半以内に帰ってくること。何らかのトラブルで時間内の帰宅が困難な場合はその時点で連絡すること。サボリチェックも兼ねてね」
「分かった」
目的地のホームセンターまでは少々遠い。徒歩で片道10分ほどだ。
しかし、山に囲まれた田舎町とはいえ。
大通りの側を歩いているのに、車はほとんど通りかからない。のどかというべきなのか。
どこかで鳴く鳥のさえずりとコンクリートを叩く私達の靴音だけが、初秋の少し汗ばむ空気に混じって耳へと届く。
「あんさー」
会話が途切れて数分後。唐突に、彼女が質問を投げかけてきた。
「明日どうする?」
明日。文化祭当日。
本音を言えば、欠席か夕方の点呼まで外出していたかった。
単独で過ごす学校行事が、楽しいはずなどない。
彼女は友人と認識できるほどには付き合いはあるものの、自分だけの友人ではないことくらいはいくら鈍い私とて理解している。
ちなみに屋上、空き教室、図書室は開放されていない。
はぐれ者たちに居場所はないのだ。
中学生のときから思っていたが、休憩所を乱立する割に休憩の機能を果たしていない教室ばかりなのはどうなのだろう。(大抵保護者専用のキッズスペースと化すので長居はできない)
どこにも行き場のない生徒たちの受け皿となるフリースペースを、どこかのクラスが発案すればいいのにと思う。
絶対に需要がある。少なくとも、私には。
「普通に、部活仲間と見て回るつもりだよ」
私は見栄を張った。
見て回る人もいないのでどこかに隠れています。
そう正直に言えるはずもなかったが、嘘をついたことで却って虚しさが募っていく。
明日の過ごし方を気軽に聞いてくるということは、当たり前のように同行してくれる親友がいる余裕によるものなんだろう。
元々綺麗な人なのだから、人間関係が途切れたことはないはずだ。
湧き上がる卑屈な感情を抑えられず、乾いた声で返してしまう。
「そっか。残念」
彼女は大げさに息を吐いた。
一気に感情がひっくり返る。
フリーならなーと聞き取れない声量で言葉を口で転がして、スマートフォンを取り出した。
歩きスマホはいけませんと窘める言葉は吹っ飛んでいた。
「残念、ってなにが」
動揺を隠しきれず、私は問いただす口調になってしまう。
「明日、あっちこっち連れ回されんの嫌でさ。あの日でー、とは言いづらいし。だからサボリ仲間探してたんだけど」
今朝から月のものが始まってしまったらしく、文化祭当日は極力動きたくないのだと言う。
「だ、大丈夫か?」
それならば、今こうして私と外出していることも辛いと思うのだが。
「まだ一日目だから。薬も飲んだし。親が来るから休むとは言えないんだよねー」
二日目にこういった大事な行事が重なってしまうのは、なかなか辛い。
文字通りの生理現象なので不定期なぶん。
「じゃ、じゃあ」
他の人には言いづらい体調面を自分に打ち明けてくれたということは、それなりに頼りにしていたのかもしれない。
根拠のない自信をもとに、私は思いきって切り出した。
「私などでよければ。つ、付き合う。一日中でも」
「え、いいよ。つまんないよ。部活の子と回るんでしょ」
「それほどの、仲じゃない。後ろをくっついていく程度の関係だから」
汗をだらだらと流しながら、私は精一杯の虚勢を張る。
おそらく、回る人などいないということは見抜かれているだろう。
気後れして友人を突き放したくせに、歩み寄ってくれたらあっさりと手のひらを返す。そんな自分に反吐が出る。
ホームセンターはもう、目と鼻の先まで来ていた。
この機会を逃したら、一方的な友人関係で終わってしまう。謎の焦燥感に突き動かされていた。
つたない言葉で、本当は自分も回る相手を探していた、だから暇つぶしでも何でも構わない。そんなことを必死に口に出していると。
「そ。じゃ、明日よろしくね。裏切んなよ」
指切りでもするように軽く小指を立てて、彼女は軽くお辞儀をした。
その一言で、心に安堵が広がっていくのを感じた。
白黒の曇り空だった景色が急に色づき、晴れ渡っていくような気分に塗り替えられていく。
誰かとの予定がある。明日は一人じゃない。
それが確約されたことが、こんなにも嬉しいだなんて。
「こ、こちらこそ」
釣られて頭を下げる。
その後はメモを見合って、予算と相談しながら店内を回った。
無事買い物を終えて、店を後にする。
彼女の体調が悪かったこともあるが、調子に乗っていたこともあり荷物持ちをまとめて引き受けることにした。こういうとき、運動部でよかったと思う。
「あんたけっこう力持ち? みんな男子ばっか顎で使って見る目ないねー」
などとおどけて褒めてくれる彼女に、来年からはそれを強調してクラスの役に立とうと決意した。
かっこ悪い。
主観的にも、客観的にも、今日の私はこの様だ。
かっこいいと言われたら嬉しいか。
今年の春先にかけられた問いに、そもそもそう称賛されるほどの立ち位置にすら着いていないことを痛感する。
きっと、その殻を破れなければ私はずっとこのままだ。
可能性を信じて、まだ期待してくれる人が目の前にいる。
その気持ちに応えるために、自分がすべきことは。
あれから三年。
隣のかけがえのない友人は、かけがえのない恋人へと関係が変わった。
手を引いて、相変わらずの傾斜の坂を登りきる。
ようやく見えてきた懐かしい校舎の前に二人で立ちつくした。
手間ひまかけて作り上げたであろうバルーンアーチには目もくれず、私達は校舎に堂々と掛かっている垂れ幕を見上げる。
「ほんと強豪校になったよねー」
感慨深さを込めて、彼女がスマートフォンを構える。
『祝・インターハイ出場 柔道部 女子団体』
元々強かった吹奏楽部と並んで称賛されていることに、胸が熱くなる。
「あんたの代からじゃないの。ここまで強くなったの」
そう言ってくれるのは身内の贔屓目もあるのだろうが、気分がいいことに変わりはない。
あの新人戦で、もっと自分たちは上を目指せるはずだと意識が高まったのは事実であるから。
「温かい応援があってこそだったよ」
あなたのおかげだと言いたかったが照れがあり、私は微妙に言葉を濁した。
「ふーん」
面と向かって告げたことで多少は伝わったのか、彼女は微妙に顔を逸らした。
手早くスマートフォンを操作して、先ほど撮影した校舎を私へと送ってくる。
「今日はよろしくお願いします」
三年前の文化祭と全く同じ台詞を放って、彼女はこちらに手を出した。
柔らかい手のひらに触れて、固く握手を交わす。
さあ、まずは何をしよう。
彼女と回ればどこも楽しいだろうし、かつての部活仲間と積もる話もある。
誰と会っても、何も恥ずかしがることなどない。
一緒に回る人がいるだけで、それが一番大切な人であれば、心はこんなにも豊かになるのであろうか。
私は在学時よりも文化祭に胸を躍らせていた。
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