【A視点】卒業式
・SideA
引退して、日常から部活という日課が消えて。
残りの高校生活は急速に季節を駆け抜けていった。
免許取得、期末試験、文化祭、持久走大会、受験勉強、大学入学共通テスト。
そして、合格発表。
どれもこれも、掛け替えのない一大イベントだった気はするのだが。
振り返っても風のように記憶がすり抜けていって、あまり感慨深くは残っていない。
ただただ課題をこなして次へ、さあ次へと毎日が気の抜けない日々だったのもあるのかもしれない。
いい思い出だったと綺麗に結論づけて眺められる頃には、もう、卒業式だ。
果てなき道を走っている途中ではくたくたで、いつ終わるのかと途方に暮れて。
ゴールしてようやく、もっと周りの景色を満喫しながら走るべきだったと気づく。
あの頃はよかったなあ、などと時間が経つごとに記憶は美化されていく。
多分、それを大人は青春と名付けて、苦しいことのほうが多かったはずの過ぎ去った時間に思いを馳せているのだろうか。
「では学級委員長、最後の号令を」
「きりーつ」
「礼ー」
「ありがとうございましたー」
学級委員は挨拶で途中から涙声になっていた。最後の役職の務めという立場に涙腺が刺激されたのであろうか。
意外と、他の人間は淡々としている。教師も、大多数のクラスメイトも、別れを惜しんで泣くといった光景は見られない。
私自身、大して感極まっていないのだからそんなものなのかもしれない。
しかし、小学校でも中学校でも思ったことだ。
体育館は寒い。手足がかじかんでいる。早く出て冷え切った身を解凍したいということしか途中から頭に無かったほどだ。
「はいはいぴーすぴーす。みんなスマイルでー」
誰かの計らいで、最後に記念撮影をする。二度と同じ教室で同じ面子では集まらないであろう景色を切り取っておくために。
撮られるのは今でも苦手だが、今日は卒業式なので自分なりに気合を入れて化粧を施してみた。
最後くらいは、まあ、いいだろう。
「帰るべー」
彼女が席に来たので、私も続くことにした。
他の子と遊ばないのか、と問うと今日は激混みだろうからまた今度にした、と一言。確かに理に適っている。
見ればクラスメイトは未練があるのか、ほとんどがまだ教室内に固まっている。
この辺りはドライな彼女のことだ、電車が混む前にさっさと退散しておきたかったのであろう。同意した。
無言で席を立って、教室を出ていこうとすると。
「おーい」
クラスの男子が私たちを呼び止めた。
相手は十中八九彼女であろう。目線と身体が露骨すぎるほどに向いている。
少し面倒臭げになんだい、と彼女が聞き返す。
「ちょっとこれからツラ貸してくれや」
「待て」
私は口を挟む。流石に今の言い分を見過ごすことはできない。
最後の最後に喧嘩を売りつけるとは。
卒業式に涙ではなく血を流すつもりなのか。どういう了見なのだ。
「いーよー」
彼女はあっさりと了承した。
拍子抜けして芸人のようにずっこけそうになった。
よもや卒業式の雰囲気に惑わされてないかと狼狽する私に、男子は危害加えるようなことはしないんで、と一言を添えた。
対する彼女はいつもと変わらず、暢気に男子と廊下の一角に固まった。
ちょっと外で待っててねー、と言われたのでそれ以上は何も言えず、従うことにする。
結局、3年間を通して私には男女の何たるかが理解できずに終わってしまった。
それから、10分ほど私は校門付近に立っていた。
外の気温はまだまだ冷えているが、陽の下にいれば温かい。
浴びる日差しはどこまでも穏やかで、麗らかな空気は今日という日にはこれ以上無いほど相応しい空模様であろう。
生命の息吹をそこかしこに感じるこの季節が、四季の中で私は一番好きだ。
坂の両端を埋め尽くす桜並木をぼんやりと眺める。
また、今年の卒業式も花吹雪に見送られることはなかった。
ちらほらと開花しているものの、全体的にはまだ4分咲きほどであろうか。
満開の時期はちょうど3月末であるから、卒業式にも入学式にも間に合わない。
ひっそりと静まり返ったさみしげな校舎に色を添えるように、毎年ここの桜は人目がない頃に揃って着飾るのだ。
ふと、思い出す。入学式に坂を登った日を。
すっかり散ってアスファルトへと張り付いた無数の花びらを踏みつけながら、何の期待も抱かず無心で校門をくぐった己の姿を。
あのまま、彼女と交わらず三年間を終えていたら。
一切の感慨なく、群れる他生徒を横目に坂を下りていったのだろうか。
何故だか、突っ立って背景と同化している今は。俯瞰した視点で眺めているためだろうか。
同じようにここに立っているかもしれないと、ありえたかもしれない自分の影が重なったのだ。
「おまたー」
少し暖を覚えて来た頃、ようやく彼女が帰ってきた。
心配が顔に出ていたのか、なんもされてないっすわ、と先に彼女が安心の言葉を吐いた。
「告られてました」
あの誘い方でか。
「丁重に振ったけどね」
「……勿体ない」
口を衝いて出た言葉に、同時に表情が固まる。
異性に骨の髄まで縁が無かった身の僻みと取られても、仕方がない言い方だ。まずい。
「悪い、今のは完全な失言だった」
「気にしてないよ。あたしもちょいデリカシーなかったし。自慢かって嫌味で言ったわけじゃないのはわかってるから」
お互い痛みわけじゃ、と彼女は手を振る。
即座に空気を切り替えられる人というのは、やはり眩しく感じる。
学校では地味な容貌で通していても、にじみ出る光に当てられて好意を抱く人が出てきてもおかしくないだろう。今更私は納得していた。
「本当に、喧嘩を売られたわけじゃないんだな?」
「好きの押し売りだよ」
乾いた声で、やたら棘のある言葉を投げ捨てると。
「だいいち、あんまり話したことなかった人だったしね。好きが頂上なら6合目にも来てない感じで。この先縮まる予感もないからばっさりと。でも、卒業式に言ってきた度胸は評価したいかな」
「どうして?」
もっと早く行動していれば、卒業までに成就できたかもしれないのに。
「片思いは自己満足。告白は公開処刑。同じクラスならなおさら、実らなかったらお互い逃げ場ない。自分の一方通行な想いで振り回して、好きな人を突き落としたくないじゃん? だから後腐れなく言って、あとは連絡次第でどうとでもなる今日にした。正しい判断だと思いますぜ」
そういう見解もあるのか、と私は二回目の納得をしていた。
容姿で人目を引くぶん、こういった異性関係には一歩引いた視点を持っているのが彼女らしい。
「でも、あなたに興味ないしこれからもワンチャン無いんでむーりー、じゃ告白がトラウマになっちゃいそうだからね。彼には次の人にがんばって欲しいから言った」
一度そこで言葉を切ったため、なんて? と聞こうとすると。
「あたし、実らない片思い中だから。すまんね。って」
「えっ」
初耳の情報に目が点になる。
傷が浅い振り方として考えれば、妥当ではある。
少なくとも、冗談で流したり異性として見られないといった言い回しよりは。
自身も片思いの立場なんだと共感を植え付けることで、互いに実らない辛さを知っているから謎の仲間意識が芽生える……みたいな流れが理想か。
それにしても実らない片思いとは。
まさか、既婚者や彼女持ちの殿方に恋をしているのではなかろうか。
「ちゃいますー。おそらくフリーですー」
それならなおさら疑問だ。この人ほどの容姿と社交性であれば落とすことは容易いであろうに。
だが、片思いの対象は同世代や三次元、ましてや人間であるとは限らない。今はグローバルな世の中だ。
そこまでは彼女も友人に知られたくないであろうし。
私はそれ以上深入りはしないことにした。
「でも、ただ片思い宣言だけだと嘘だって思われそうだからね。最後はお互い雑談会。その人のどこどこがどれだけ好きかって。よく知らなかった男子とあたしは最後に意気投合したわけですよ」
それでも好意はLIKEからLOVEに変わることはない。不憫だ。
「それで、最後はどうした?」
「そんだけ。連絡先交換もなっしんぐ。好きになってくれてありがとね、みたいな感じで解散しましたとさ」
「爽やか……な終わり方になったんだな……?」
しかし、友人として、想いが交わらないというのは聞いているだけでも辛い。
これだけの魅力が溢れている人にここまで想われているというのに。
その方は幸せであり、見る目がないものだ。
「そいや待たせちゃった? 寒い?」
「いや。日向にずっといたから」
手を出す。ほんとだー、と彼女は握り返してきた。指先が微妙に冷たかった。
「じゃ、行きますか」
そのまま彼女は、私の手を引いて歩き出した。
友人と、手を繋ぐ。なんらおかしい光景ではないが卒業式という場面も重なり、妙な気恥ずかしさが募っていく。
指は、坂を下りたところで自然と離れていった。
細く冷えた感触が手の中に残される。
少しだけ名残惜しさが残るのは、私自身も卒業といった雰囲気に惑わされているのか。
「なんかいいことでもあった?」
信号待ちで足を止めたタイミングで、彼女は何気なく声をかけてきた。
「なにが」
「や、にこにこしてたから。ご機嫌だなーって」
顔に出るほど口角が上がってたのか。気分がいいことは否定しないが。
本人に面と向かって言うか一瞬迷ったが、これも他愛ない会話の一つだと思い私は口にした。
「いいものだな、と思っただけだ」
「どゆこと?」
多分、彼女とはこういった話題になったのが初めてだったからであろうか。私は新鮮な気分に浸っていた。
「恋をしている人の顔というのは、微笑ましいなと。今になって青春たるものが分かった気がする」
「…………」
彼女の声が一瞬詰まって、頬がほの赤く染まっていく。
正直片思いというのは男子を傷つけないための嘘なのかと若干疑っていたが、この反応を見る限り本当ということか。
「君だって年頃の女子でしょうに。なにいっちょ前に客観視してんじゃい」
照れ隠しであろうか。
彼女は自身のおさげを指にぐるぐる巻き付け始めた。
しかしお年頃と言われたところで。
端から、私にそういう意味での春は永遠に来ないものだと思っているので響くことはない。
「私は持たざるものだよ」
だから、人の瑞々しい恋路に触れたくなるのかもしれない。
別世界の物語を読むように、遠くから眺めて温かい気持ちになれるだけでいい。
突き放すような私の態度を感じ取ったのか、彼女は突然声色を変えて言った。
「そんなことない」
本気の意思が伝わってくる、はっきりと耳から心に届く声。
「何一つとりえがない人も、一生誰からも好かれない人もいない。気づいてないだけ」
どこにも根拠なんてないのに。
まるで彼女の中には揺るがない答えがあるかのような確信めいた表情に、私は呑まれていた。
「本当に?」
有無を言わさない雰囲気に押されて、私は傍観者から引きずり降ろされていくような錯覚に陥っていた。
その証拠に、神でも預言者でもないただの友人に可能性の有無を問うてしまう。
丁度、山の向こうから強く暖かい春風が運ばれてきた。
彼女の長いおさげが風に靡いて、光の粒子が舞う。
陽光に透ける亜麻色の髪をかき上げると、彼女は信じてねとでも約束するように指を立てて。
「いつか。きっと」
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