【B視点】気づいちゃった

続々・SideB


 そして、翌日。


 個人戦の時間帯は昨日より若干早いくらいで、ほぼ一緒。

 あたしはまだ抜けてないわくわく感を胸に、足取りも軽やかに会場へと赴いていた。


 ちなみに、あいつよりもあいつのご両親をあたしは先に見つけた。

 だってめっちゃ目立ってたんだよ。

 昨日の横断幕に加えて、団体準優勝でテンアゲ状態なのか二人ともおそろのTシャツ着てて。

 ハチマキも締めてて。おまけに名前が書かれたうちわまで持ってたし。


 ジャ○オタかよってあたしは吹き出しそうになった。応援ガチ勢に磨きがかかっている。

 でも、家族仲は超いいみたいでなんか安心した。あんだけ素直な子に育ったのはあの両親あってこそなんかな?


 応援席に座る前に、あたしは化粧室へと寄った。

 お化粧崩れがないかチェックするためだ。混雑時にやると他の人の迷惑になるから、あんまり長居はしないように気をつけて。


 当たり前だけど男漁り目的じゃない。

 どうせ同じクラスの人間は来てないだろうし、見せる相手は一人しかいないからおめかししてきただけ。

 ほら、気合入れて応援しにきた家族と似たようなもんだよ。


 また地味めな服で来てたら気遣ってるとかあいつに思われそうだしね。うん。

 あたしは誰に向かって言い訳してんだろうね。



 そんで、大会二日目が始まった。

 あいつの階級は70kg。これより上は78kgだから大きい方なのかな?


 試合は順調に進んでいった。

 もともと女子高生でそれくらいの筋力がある人、加えて上背のある人となると限られてくる。

 全国レベルならどっと壁は厚くなってくるだろうけどね。


 そもそもの数が少ないってのもあるけど。

 あいつは恵まれた体格と持ち前の持久力で、なんと決勝戦まで地道に駒を進めていった。


 この階級はパワーとスピードを兼ね揃えた層ばかりの激戦区だけど、受けがめっぽう強いあいつの前ではいかなる技も封じられていく。

 それくらい、今日のあいつは独壇場にあった。


 けっして、投げて一本勝ちみたいな派手さはない。

 けど時間ぎりぎりまで勝利に徹し続ける泥臭い戦い方は、ちらほらと注目を集めていく。


 あいつは絶対に逃げなかった。ポイントでリードしてても、最後まで相手と組み合っていた。

 点稼ぎの勝負を良しとせず、あくまで一本にこだわり続ける。


 反則狙いも一つの勝ち方ではあるけど、見ていて楽しくなるのはやっぱり攻めの姿勢でぶつかりあう試合だよね。


 だけど、あたしは少し不安を覚えていた。

 これまでのあいつの勝敗は、昨日みたいに持久戦に持ち込んでからの寝技での一本。

 もしくは時間切れでポイントによる優勢勝ちだ。

 いくらフィジカルに定評があるあいつでも、相当疲れてるんじゃないかってこと。


 もし、決勝の相手があいつと同じく防御力にすぐれる人だとしたら。

 あいつの勝ちパターンを読んでいて、ジリ貧の体力に浸け込み寝技で仕留める気だとしたら。


 そういうときに限って、あたしの勘は的中してしまうのだった。



『始め』


 相手はさすが決勝まで勝ち進んできただけあって、ひと目でわかるほどガタイがいい。懐も広い。

 でも、帯は白いのが意外だった。高校から始めたとか?


 対するあいつは、序盤から苦戦していた。

 まず、組み手争いではまともに組ませてもらえない。

 力ではおそらく互角か、それ以上。技をかけられないことにより”掛け逃げ”判定からの指導待ちを狙ってるんだと思った。


 これはポイントでリードされやすくなるだけではなく、体力を無駄に消耗させるリスクもはらんでいる。

 んー、やりづらい相手が来たねえ。


 なんとかあいつが得意の寝技に持ち込もうとしても、今度は亀の姿勢で防御に入る。

 体格もいいから、ちょっとやそっとじゃ返せない。あと、これも体力消耗になるからあいつの顔にも焦りの色が出始めてきた。


 もちろんずっと同じ姿勢でいればそのうち指導が入りそうだけど、そのへんは相手も狡猾だった。

 あいつが力技で脇に手を差し込んだところを狙っていたのだ。

 脇で素早く手を封じると、相手は横へと転がった。巻き込んで抑え込むつもりだったんだ。


 待て、がかかったことで事なきを得たけど、この時点であいつの息はだいぶ上がっていた。


 お互い、防御型で力も体格もほぼ互角。

 当然技をかけても潰されるからことごとく決まらない。

 あと、相手は試合前から明らかに帯をゆるく締めていた。これにより帯はほどけて上着はゆるみ、試合中に開いたままとなる。こうなると立ち技はかかりづらくなる。


 帯を締め直すのにも時間を稼いでいるのが見え見えだ。

 ぶっちゃけせこいけど、これも戦法の一つと考えるとしゃーないことなんかと思った。


 目立ったポイントがないまま試合は延長戦へともつれ込んだ。いわゆるゴールデンスコア方式ね。

 あいつは見てて辛くなるほどには体力を消耗していた。

 汗だくで、顔は真っ赤。息も切らしているけど、それでも瞳はまっすぐに相手を見つめている。や、睨んでるっていったほうがいいか。


 あいつのご両親も、今は応援の声がぴたっと止んで場内に釘付けになっている。

 お母さんなんかはこれ以上見てらんないのか、目をつぶってお父さんの腕にしがみついているほどだ。


 まるで取り憑かれたように、あいつは限界を超えかけても攻撃の手を休めない。

 なんとしてでも、一本を取りたい。そんな意地だけで突き進む想いが、こっちにまで伝わってくるような動きだった。


 が、熱量だけで勝てるほどスポーツの世界は甘くない。

 相手はその瞬間を待っていたのだ。防御を捨てて、攻撃的構えになる隙を。


「あ」


 あいつの渾身の技はあっさりとすかされて、重心を崩された。そのまま前へとつんのめる。

 転ばされる。あたしは思わず口元に手をあてた。


 あいつはなんとか腹ばいでしのいだけど、相手はそのまま寝技の連絡技へと移行した。

 こうなってはもう、逃れられなかった。無念の虚ろな瞳が、あたしの胸を刺した。


 奇しくも、最後はあいつが最初に見せたような流れで決着がついた。

 そこまではまだいい。実力で負けただけの話だ。

 でも、あたしがざわついたのはここからだった。


 試合終了の音が鳴り響き、観客席からは割れんばかりの歓声が上がる。

 そして相手選手は、咆哮とともに両方のこぶしを高く天へと突き上げた。

 よりにもよって、あいつの上にまたがって。


 あたしは唇を噛み締めた。

 べつに、ガッツポーズくらい五輪でもよく見る光景だ。喜びに湧く選手の姿に感激して拍手を贈ることだってあった。

 でも、今はこんなにも不愉快な感情が広がっているだなんて。


 それはあいつのほうが計り知れないだろう。

 普段から礼儀作法にはうるさいあいつのことだ、内心はとんでもない屈辱感に苛まれてるに違いない。


 でも、あいつは顔色ひとつ変えなかった。

 毅然と立ち上がって、道着をきっちり直して、静かに礼をした。

 握手を交わし、淡々と畳を下りていく。


 チームメイトが駆け寄ってきても、あいつは依然として唇を引き結んだままだった。

 他の子が泣いたり笑顔で激励しているぶん、変わらないポーカーフェイスが不気味さを感じさせるほどだった。


 よく最後まで食らいついたね。労る気持ちを胸に、あたしは控えめに手を叩いた。

 ふと、口の中に塩味が広がる。頬を伝う生温かい感触。いつしか視界はにじんでいた。


 ……え、あたし泣いてんの? なんで?


 脳の理解が追いつかないのに、流れ始めた雫は止まらない。

 わけもわかんないままあたしはハンカチで目元を押さえて、表彰式を見ることもないまま外に出た。


 たぶん、今の顔を見られたくなかったんだと思う。

 なにより、耐えている今のあいつをこれ以上見るのが辛かったんだ。



 それから、一時間ほど経ったかな?


 あたしは総合体育館の近くにあるファミレスで時間をつぶしていた。

 よかったらこのあと飯する? そう軽く送ったら、行く、と短く返ってきた。

 なのでコーヒーとサイドメニューだけ頼んで、ちまちまつまんでいると。


「……どうも」


 あいつがやってきた。当然だけど着替えてはいる。ずっと道着のイメージで固定されてたもんだから、近づいてくるまで正直誰だかわからんかった。

 顔と声で、やっと脳内に登録されてるデータベースが一致する。


「いいじゃん、それ」


 あたしは正直な感想を述べた。あたしが見立てなくても、ずいぶん垢抜けたもんだと思う。

 秋物を意識した暖色のロング丈アウターに、ハイウエストのタックパンツが映えている。

 シンプルなプルパーカーが女子高生らしい柔らかな印象に中和されていて、キャラ変中のあいつらしさを感じさせた。


 あいつは小声でお礼を言うと、ちらっと辺りを見回した。

 ま、そりゃ気になるか。

 会場の近くだから当然、お客さんは今日出場した選手やその親御さんが大半を占めている。


「気になるなら移動する?」

 あたしが促すと、あいつは申し訳なさそうに同意した。

 そのほうがいいよね。今日はその手の客を見込んで回転率を良くしたいだろうから、けっこう長く居座ってたあたしは店員の刺すような視線に気づいていた。

 はいはい出ますよ、出ますって。



 逃げるようにお店を出て、あたしたちは通りかかったコンビニで軽食を買った。

 そのまま河川敷に沿って歩いていたら無人のベンチを見つけたので、ここに腰を下ろすことにする。


「…………」

 何も言い出すことなく、お互い無言で包装を裂いて食べ始める。

 こういうときは、相手が話したくなるまでのんびりと待ってあげるのがいい。


 夕方の河川敷はけっこう好き。

 向こう岸では小さい子たちがサッカーかなんかやっていて、まばらな喧騒が透き通った空気に乗って流れてくる。

 伸び切ったススキの群れって、ちょっとノスタルジックな気分に浸れるよね。


 陽も傾いてきたのでちょっと冷たい風が吹いてきた。

 ひざ掛けみたいに置いていたジャケットを羽織ると。


「寒いか」

 あいつが聞いてきた。へーき、とあたしは手にした肉まんとペットボトルの熱いお茶を見せつける。ついでにカイロも持ってきてある。


 そうか、とあいつは言ってふたたび口へとおにぎりを運び始めた。

 機械的な動作と、淡々とした声。相変わらずなに考えてんのかはよくわかんない。


 ただ、少しだけ丸まった背中からは。誰かに話を聞いてもらいたいような、そんな哀愁を感じた。



「初めてだったんだ」


 唐突にあいつがつぶやいた。

 ん? とあたしは短く反応する。


「ここまでの成績を残せたのは」

「うん」

「それと、こんなに悔しかったのも」

「うん」

「嬉しい、はずなのにな」


 あいつの声はかすれていた。膝に置いた手の指が、少しづつ食い込んでいく。


「いいところ、見せたかったのに。決勝では何もできなくて」

 まるで心の内に語りかけるみたいに、あいつはぽつぽつと心情を声に出している。


「昨日の団体戦後は、こんな気持ちにならなかった。皆の働きあってこその成果だと誇らしかった」

 だからこれは、あいつなりの心の叫びなんだと思う。


「なのに今日は、喜べない。あんな無様に負けるくらいなら誰かにくれてやりたい、もっと周りを観察しておくべきだった。そんな暗い想いばかりが湧いてくる」


 準優勝なのに。や、2位だからこそすごくすごく悔しいんだろうな。

 純粋なあいつ個人の実力で勝ち上がってきて、あと一歩のとこで掴みかけた栄光だったから。銀メダルが銅より悔しいのと似た感じで。


「だから、逃げてきた。せっかく皆が打ち上げするって言ってくれたのに。情けなくて。合わせる顔がなくて」

 私は狭量だ。そう責めるあいつが見てらんなくって、あたしは思わず言ってしまった。


「強くなってる途中だからじゃないの」

「……?」


 ほんとは、部員でもないあたしが言うのはウエメセになりかねないけど。

 このままあいつが自分を傷つけていく前に、せめてそれだけは止めたかった。


「自分はこんなもんじゃない。もっともっといけるはずだ。そう思ってるから納得できないんじゃない。でもそれって、自信がついてるってことじゃん?」


 自分をできるやつと叩き込んでおくことも、折れない強さとなる。

 あたしが前にちらっと言ってみたアドバイスみたいなものだ。


「だから、2位じゃダメなんだって悔しがるのは普通のこと。喜びを噛み締めて向上心につなげるのも、苦汁をなめてバネにするのも、どっちも伸びしろがある証」


 この子とともに戦ってきた部員たちなら、きっと。ひとりでもわかってくれる人がいるはずだから。


「がむしゃらに一本を狙うとこ、かっこよかったよ。また見せてね」

「…………」


 あいつは黙ってあたしの話を聞いていた。

 ふと、あいつはうつむいた姿勢から顔を上げて。


「……なぜ、」

 不思議そうに、そしてどこか気まずそうにあたしを眺めている。


「なぜ、お前が先に泣く」

「え」


 ほんとだ。まばたきしたら熱いしずくがこぼれてきた。何度目だ今日。

 普通あいつが励まされてる途中でうるうる来て、あたしがそっとティッシュ差し出すような。そんな感じのしんみりシーンになるはずだよね。


「わからん。今日は元栓ゆるんでんだと思う」

 微妙なジョークを飛ばして、あたしは目元をぐしぐしとこする。

 う、アイシャドウが手ににじんで付いた。


「て、適当に拭いちゃ駄目だ」

 あいつはおろおろした様子でカバンに手を突っ込むと、がさがさとまさぐり始めた。

 やがてクレンジングシートを取り出すと、顔を背けて手だけをあたしによこす。


「貸す。それまで見ないから」

 んん、くれるのはありがたいんだけど。でもこのタイミングでお化粧直しってのもどうなんだろ。

 友人と今しがたシリアスな会話してたのに。空気読めない痛ギャルっぽくないか、あたし?


「……じゃ、じゃあ、使わせてもらうよ」

 あいつは頑なに伸ばした腕を引っ込めようとしなかったので、あたしはそのままシートを受け取った。

 自分のせいで泣かせちゃった、って気にしてるだろうしな。


 数分くらいでもとの顔に竣工して、もういいぞーとあたしは声をかける。

 ん、とあいつは少し減ったシートをカバンに入れて、そろそろ行こうかと呼びかけた。


「え、次はあんたがあたしに顔こすりつけておいおい泣く流れじゃないの?」

「そんなみっともない真似ができるか。あと、もう引っ込んだ」


 ちぇー、とあたしは冗談めかして立ち上がる。

 まあ、確かに顔ぐしゃぐしゃになった子が慰め役に抱きつくのは定番だけど。現実じゃ汚くしちゃうから遠慮しちゃうわな。


 あたし自身、いくら同性でも気軽に抱きついたりボディタッチし合うようなスキンシップは苦手だ。

 なんか同性だからセーフって暗黙の了解がある感じで。

 そういうのは、家族か恋人にやるもんだと思ってる。


 でも、なんでだろう。なんでだろうね。


 さっきのあいつに後ろから抱きつけますか? って問われたら。

 たぶん、できるって返してたと思う。

 泣き止むまで胸貸せますか? って言われても、同じく。


 なんで? いつからあたし、この子にだけこんな甘くなったんだ?

 あれ? あれれー?


「あ」

 あいつが短く声を上げる。目は手元のスマホに向けられていた。


「どったん?」

 ずいと突き出された画面に注目すると、グループラインの通知だった。

 ケーキの画像が添付されていて、中央のチョコプレートには『おめでとう』と書かれている。


「みんなでホールケーキ買って、プレートは後で作って置いたものらしい。私のぶんは切って親に預けたみたいだから、後で食べてくれって」


 画像の下には、つらつらと部員さんたちからの応援メッセージが届いている。

 高かったんだからありがたく食えよー、だの。

 ちゃんと親御さんのぶんもあるから家族仲良くいただいてねー、だの。


「いい仲間だね」

「私には勿体ないくらいだ」


 連れてってあげたいな、武道館に。

 囁かれた夢物語に、きっといけるよ。とあたしは返した。


 なんの根拠もないけど、夢じゃないような気もした。

 なにより、あたし自身がその会場に行きたいと思ったんだ。


「次は絶対に負けない」

 そう言ったっきり、あいつは無言になった。

 だけど足取りは力強く、前へ進み続ける強い意志を感じさせる。


 そのまま、あたしも何も言わず隣で歩を進めた。

 言いたいことはいろいろあったけど、晴れやかな顔で向かうあいつを見ていると何も出なくなってしまったからだ。


 こうして隣にいるのに、なんだかどんどん距離が空いていくような。そんな錯覚に陥っていた。

 どうして? 友人として、今日みたいに愚痴を聞いてくれる間柄でええやんけ。

 あいつもそれなりの信頼を置いているから、わざわざあたしに話してくれたんでしょうに。


 それじゃあ、足りない。そう思ってしまうのはなんでだろう。

 ご両親や部員さんたちみたいな関係性には追いつけない。なぜだか妙な焦燥感にとらわれ続けていて。


 あたしは一体、何になりたいの?

 その答えにたどり着くのは、もう少し先になってからだった。



 いや。

 きっと、とっくに気づいていたのに、気づいていなかったふりをしてただけなんかもしれないね。

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