【A視点】気まずい?

・SideA


 最近、彼女とは距離が空いたような気がする。


 そう感じてしまうのは私の勝手な思い込みだ。実際、話しかければ普通に返してくれるし、LINEを送れば返信はすぐに届く。

 ただ、そのラリーが前と比べて減っただけで。


 ひょっとすると、潮時が近いのか。彼女は顔に出さない人だから。

 私は悲観的な解釈の中、己の悪い癖を思い返していた。


 今までの学校生活にいい思い出がなさすぎて、同年代、特に女子生徒はほとほと苦手としていた。


 常に身だしなみを吟味する目が、無意識に上に立とうと腹を探り合う声が、男子に色香を振りまく媚びた態度が、正直恐怖すら覚えていた。

 今考えれば、それはライバルを蹴落として振り向いてもらうための努力に過ぎない。


 女子として当たり前のことができない私が、女子の友達と長続きするはずがない。

 そして同性とすら仲良くできない人間を、異性が相手にするはずもないのである。


 私は付き合いが悪すぎる人間だった。

 友達として何一つ歩み寄らない人間を見捨てるのに、警告や別れの言葉はいらない。

 会話を端的に断ち切るようになり、接触を避けるようになり。

 彼女たちの友人名簿からはそうやって少しづつ名前が薄くなって、やがて白紙に戻るのだ。


 だから高校では、なんとしてでも愛想を尽かされないようにしたかった。

 合わせてやっているのではなく、心からお洒落を楽しめるように。あらゆる話題にアンテナを張って、自分だけの世界に閉じこもらないように。


 一体、どのあたりから距離を感じた。心当たりがあるとすれば去年あたりから?

 私を今どきの女子高生らしく見繕ってくれたのは紛れもなく彼女のおかげだが、いつまでも一人に甘えてはならない。依存は相手をも孤立に追いやってしまう。


 それで話しかけられるのを待つだけの雛鳥をやめて、コミュニケーションを周囲へと広げていくようになってからか?

 いや、あまり構わなかったから疎遠になったなどと。驕るのもいい加減にしろ。

 第一、彼女は私でなくてもいくらでも友人はいるではないか。


 とにかく、悪く取って考えすぎるのはやめよう。無駄な壁を作って余計に話しづらくなる。

 今は自己を高めること。具体的に言うなら数日後に控えたインターハイだ。

 高校生活最後に掴み取ったチャンスを、絶対に無駄にしてはならない。


「主将」


 後輩に肩を突かれて、私は我に返った。

 視線の先には顧問がいた。険しい顔つきで手招きをしている。

 まずい。物思いに耽っていて、すっかり顧問の言葉を聞き逃してしまっていた。

 私は急いで立ち上がると、部員の前に膝を下ろした。


「珍しいな。お前にしちゃたるんでんぞ」

「すみません」


 言葉ほど顧問の声に厳しさはない。大丈夫かお主将さま、とばしばし背中を叩いてくる。いかつい容貌に反して気さくなお人柄なのだ。


 しかしこの流れを気を引き締めている部員全員の前でやられるのだから、私は十分すぎるほどに情けなさを覚えていた。

 後輩に申し訳が立たない。余計な雑念は捨てて、総体に専念せねば。


「いよいよこの時が来ました」


 数多の目が、私へと注目する。一年前は考えられなかったほどに増えた、若手の部員たち。

 ここまで頑張ってきたからこそ、希望を持って我が部へと門を叩いてくれた将来の有望株たちが来てくれたのだ。


「先月の金鷲旗は素晴らしい働きだった。ベスト4入りだ。これは我が校としては、史上初の目覚ましい結果をもたらしてくれた。特に2年生、君たちの活躍なくしてはここまで進むことはできなかった。主将として、著しい躍進に感動を覚えている。今後も期待しているよ」


 激励した2年生の中には、高校に入って柔道を始めた子もいる。

 彼女たちであればきっと、来年度も素晴らしいチームを率いてくれることであろう。


「さて。1年生以外の諸君は覚えているだろうか。去年のこの時期を」


 総体出場はこれで二度目。

 個人戦は予選落ちであったが、団体は出場権を見事獲得した。

 予選を強い先輩たちと共に駆け抜けてきたのだから、総体でも遺憾なく力を発揮できるだろう。

 その希望は、あっさりと打ち砕かれることとなる。

 結果は、一回戦負け。

 私は井の中の蛙であった。鼻っ面をものの見事にへし折られたのだ。

 全国の壁はあまりにも厚く、一人残らずオール一本負けを喫したのであった。


「今は、あのときとは違う。練習に勤しみ、技を磨き、相手校を研究し、階級を上げた者も、逆に落とした者もいた。そして、その努力は先の春高、金鷲旗に表れている。もう、去年の悪夢は決して繰り返さないであろう。君たちはすでに雪辱を果たしている。私が保証しよう」


 私は大きく息を吸った。

 回りくどい言い方をしたが、つまるところ、伝えたいことはたったひとつだ。


「存分に楽しんでいこう」


 言い切ると、はい、と力強い声が返ってきた。

 士気は十分。大丈夫、このやる気に満ち溢れた面々であれば安心して引退できる。

 そのためにも、私は示しをつけるため有終の美を飾らねばなるまい。

 もう、二度と去年の醜態はさらすものか。



「お疲れっしたー」


 本日も通常通り放課後の部活を終えて、私は部室内を軽く掃除していた。

 今は自分たちが培ってきた経験を信じて、とにかく怪我をしないように本番に向けて備えるのみ。

 戸締まりを全て終えて、帰路につこうとした時だった。

 ふと、制服のポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。


 開いてみると、クラスメイトからのLINEであった。新発売のエナドリでたよー、というなんてことのない会話。

 だがこういったなんでもない会話をおろそかにしてきた私からすれば、気軽に話しかけてもらえることがなんと嬉しいことか。


 総体祈願にキメておくよ、と軽く送る。その間に今度は部員からの個人LINEが来たので、画面を切り替える。

 最初は一言をひねり出すのに5分は要していたラリーも、最近は結構な頻度で通知が来るようになったのでレスポンスが速くなったような気がする。

 これも、複数相手に会話の引き出しを広げてみようと行動した成果が表れているのだろうか。


「…………」


 そうして、だいぶ下のほうに埋もれてしまった彼女とのトーク画面を開いた。


 日付は、実に5日前で止まっている。

 最後のやりとりは総体の報告と、開催時間が記されたpdfファイルの添付のみ。

 おけ。今年も見てるからねー。と彼女が送ったのを最後に、このやりとりは途絶えている。


 少しだけ履歴を遡る。予選突破の報告。欠席の連絡。試験勉強の相談。主要トピックはここのところこんな感じで埋め尽くされている。

 つまり、無駄がない。

 ビジネス上の関係ならそれが普通であるが、プライベートがこれでは単なるつまらない人間である。


 血の気が引いていく。

 人間関係を広げてもっと自分を出してみる。そればかりにかまけていて、まさか一番大事な友人とのコミュニケーションを見落としていたとは。


 そういえば、彼女から話題を振ることが無くなったのはいつ頃だったか。

 相手任せに考えていた結果がこれだ。つまらない人間だと見切りをつけた相手に、わざわざこれ以上仲を深める理由もない。

 私の中では、またも悪い癖が鎌首をもたげてきていた。負の思考のループに嵌ったのだ。


 そうは思っていても、今更なんと話しかければいい。

 何も考えず送信していた、一年前までの自分に戻りたかった。

 他の人になら一切の逡巡なく送れる話題が、彼女を相手にするととてつもなく難易度の高い任務にまで思えてくる。


 こう悩んでいる時間も無駄なのかもしれない。彼女は美しく気高く人望もあって、私などとは真逆の存在。

 私は有象無象の友人の一人にしか過ぎないであろうに。相手の気まぐれに一喜一憂するなど、子供ではないのだから。

 去年同様、今年も会場に駆けつけてくれるといった。それで十分ではないか。


 心残りはあったがそれ以降も送ることはなく、総体の日がやってきてしまった。



 ある種のトラウマとして残ってしまった団体戦は、難なく一回戦を突破した。

 続く二回戦も余裕のオール一本で抜けたので、ひとまず去年の呪縛からは逃れられたということか。


 そして今日は、三回戦から決勝戦までを行う。個人試合は軽量級のみ。

 この練度の面子なら後れを取ることなどないだろうが、五輪と同じく総体にも魔物が潜んでいるものなのだ。


「よう」


 今しがた三回戦を終えたばかりの学校、そのエース格であるNがこちらへとやって来る。

 彼女のことは手合わせした日から、片時も忘れたことがない。あの新人戦決勝で敗北の苦汁を飲まされた、因縁の相手である。


 否、今は良き好敵手というべきか。


 新人戦で華々しいデビューを飾ったNは、それからもとどまることなくめきめきと実力を磨いていった。

 時にポイントが優勢になると逃げがちになる柔道スタイルを咎められることもあったが、多彩な技で一本勝ちを決め続けるとバッシングは沈静化していった。


 奴とは合同練習・強化合宿・県大会・春高・金鷲旗で幾度となく対戦を重ねている。

(新人戦以降予選に現れなかったことに疑問を覚えたが、2年の進学時に諸事情で転校したと後に本人から聞いた)


 ちなみに成績は今の所3勝4敗。今日の団体戦と明日の個人戦で勝利を収めれば勝ち越しとなる。

 と、思ったのだが。


「惜しかったな」

「よく言うぜ。ライバル校が一つ潰れて嬉しいくせに」


 Nは私に向かって悪態をつくと、先程の対戦の感想を述べてくれた。


「どうせならおめーんとこに当たってくれりゃよかったのによ。3回めでこれだぜ、これ。ざまあねえや。初戦を落としたのがまずったわ。階級下だからカヨも油断しててよ、かなり粘ったんだけど優勢負け。そっからあれよあれよと流れがあちらさんになってな。うちは1勝返したけど、先鋒に行くべきだったと反省。あー、接戦だった分余計に悔しいわ」


 対する相手校は優勝候補の一つであったNの学校を破ったおかげで、一気に注目のダークホースへと躍り出た。

 どの選手もほとんどの階級に対応できる受けの強さを持っている。アイギスの盾のごとき強靭な守りに、Nたちですらも敗れ去ったとは。


「いーか。あの忌々しい牙城を崩すには、初戦で崩すほかない。ペース持ってかれたら終わりだ。戦力も出し惜しみすんな。パワーでねじ伏せろ。うちがブーイングを実力で黙らせたみたいにな」

「忠告痛み入る」


 経験者が言うとなかなか説得力がある。

 Nはペットボトルの中身を一気に飲み干すと、空になったそれで私を指した。


「明日の個人戦では負けねーかんな」

「こちらもそのつもりだ」


 ペットボトルを憂さ晴らしのように握り潰し、Nは踵を返した。

 あれは、団体で会えなかったぶんのあの人なりの詫びなのかもしれないな。その無念は今日晴らさせてもらおう。


 続く三回戦までは順調であった。

 準々決勝は初戦から組み負けて指導で敗れるなど、開始早々暗雲が垂れ込めていたが、中堅から取り返したことによって事なきを得た。


 部員たちもNの学校とやりあえなかったことを残念に思っていたのだ。ゆえに、流れを乱されたくらいでは心を乱されることはなかった。

 彼女たちに代わって、あの学校を下す。

 同じ方向を向いて我々は勝負に挑んでいる。一つになった心が、何よりも嬉しかった。


 そして。準決勝でいよいよ、その件の学校と対決することになったのであった。

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