【B視点】Prisoner Of Love(後編)

続・SideB


「…………」

 あいつは、ぽかーんと言った擬音が似合いそうな面構えで突っ立っていた。


 言われたことない言葉を掛けられてもそうリアクション取るしかないよね。

 え、どこが? って今脳内で必死に考えてそうだ。


「ほら、背高いし。髪短いし。大人びた顔立ち寄りだし。思い切ってそっちに舵切るのもいいんじゃないって思ったんだよね」


 要素を抽出して伝えると、あいつは我に返ったようにはあ、と声に出した。


「正直、私からはどちらも縁遠い言葉だが……二択で選べと迫られたら後者だろうか」

「おー。冒険しますか」

「ま、まだ合わせられそうという意味で」

「りょーかい」


 妥協した言い方には聞こえた。

 仕方ない。人からは似合ってますよーと言われても自分ではしっくり来ないことって、あるあるだから。


 さて、そうなるとセンスは全部あたしにかかっている。プレッシャー半端ない。


 人のコーデ見立てるのは好きだけど、これであいつが服に興味持つか持たないか転ぶわけだから。

 でも、こういうときの強い味方がネットにあるのだよ。


「はい、ちょっとやってみて」

 あたしはスマホからあるページを出して、あいつに渡した。


「これは……?」

「パーソナルカラー診断ってやつ。簡単に言うと、自分に似合う色合いが見つかるかもしれない質問ね」

「こういったものがあるんだな」


「自分の個性を探すのが、おしゃれ上級者の近道になるかな。ただファッション雑誌真似してたんじゃだめ。分析して、いらないものは消して必要なものを足していく。

化粧もそうだよ。引き算と足し算の繰り返し。何が自分の顔には足りていないのかわかれば、化粧しても無駄ってことには絶対ならないから」


 まずは自分をよく知ること。そう力説するとあいつはスマホに真剣な目を向けた。

 うむ、自分と向き合おうとしてる。えらい。


「……コーラル? アイボリー? フューシャピンク……?」

 耳慣れない横文字と悪戦苦闘していた。

 仕方ないのであたしも横から覗きつつ、二人で回答を進めていくことにした。


 さて、これで情報は出揃った。

 まずは着てみることを条件に、あいつには試着室で待機してもらうことにした。あらかじめ服のサイズは聞いてある。


 あたしは診断結果の色合いを参考に、頭の中でシミュレートを開始する。

 これで予算内でいけそうなものかあ。んー、よし。あれで行ってみるかね。

 結びついたものに近い服を取って、あたしは早足で向かっていった。



「着て、みたが」

 カーテンの隙間からあいつが顔を出す。

「サイズ、大丈夫だった?」

「ああ」


 台詞の端切れは悪い。明らかにギャップに戸惑っている声色だ。

 例えるなら、店員のお姉さんにおだてられるがまま着てしまったときの反応に近い。


「気に入ってない?」

 あたしは率直に訪ねた。あいつはそういうわけではない、と首を振る。

 じゃあ、あいつ基準では外してはないかもしれないけど似合ってるかもわからないってことか?


「あたしには受けるかもしれないよ。見せて見せて」

「……笑わないでくれよ」

「芸人用の服選んだわけじゃないから。大丈夫、しっくり来なかったら次切り替えるまで」


 自信持って、とあたしは胸の前に二つの拳を作る。

 それを見てあいつは息を吐くと、顎を引いた。

 姿勢を正して、そっとカーテンが開け放たれる。



「…………」

 一瞬、周りの音が消えた錯覚に陥った。

 無音となった世界にあたしと、あいつだけが取り残される。


 釘付けになっていたのだ。新たな一面を垣間見たことに。


 いつもは制服で、長めのスカートで、体操服も私服もゆったりめのものが多かったから分からなかったけど。

 単にサイズが合ってなかっただけだったんだ。

 背が高いのは知っていた。でも、足も意外と長いとは気づかなかった。


 ミリタリージャケットを意識したモッズコートに、すらっと伸びる黒のスキニー。

 筋肉に引き締まった足のラインが、辛口さを引き立てている。


 上はゆったり下はぴしっとしたコーデって定番だけど、足が短いと事故りやすい。

 だぼついて、服に着られている感が強くなっちゃって。


 それも配慮して、生地は薄手に。袖はまくるタイプに。

 前は開けて首元を大きく見せる、甘めのインナーにしたけどこれがハマってたみたい。


 いいんじゃないかな。大いにいいと思いますよ。

 初手でヒットしたあたしのセンスにも万歳。なんて自画自賛してみる。


「…………?」

 フリーズ中のあたしにあいつが怪訝な顔を向けた。それでやっと我に帰る。

「変、か」

 おそるおそるかけられた声に、あたしはとっさに首を振った。横にぶんぶんと。

 そして親指を立てて、ぐいっと前に突き出して。


「いい。好き」

 やっとあたしから出てきた言葉はそれ。

 つか、なんだ好きって。褒め言葉としてどうなんだ。口説いてるんじゃないんだから。


 後から思ったけど、人間、いっぱいいっぱいのときって語彙力が著しく下がるんだね。


 似合ってるというニュアンスだけは受け取ってもらえたのか、あいつはそのままレジへと向かった。

 あたしもいくらか出すことにした。選んだ側だからね。



「あたしは気に入ってるけど。あんたはよかったの? それで」

 帰り道、そのまま買ったばっかの服に着替えて出てきたあいつに聞いてみると。


「決めたんだ。この方向で行ってみることに」


 お洒落な人が選んでくれたものだから、信じてみるよ。

 そう言って、あいつは背筋をしゃんと伸ばした。

 その横顔は、いっつもむすっとしていた口角が心なしか緩んでいる。


 むう、服のせいか? こういうことさらっと言える子だったっけ?

 なんでだろ。あたし、こいつが着替えたときからなんか落ち着かない。むずむずする。PMS?


「ま、気に入ってくれるか心配だったんだけど。いい一日になったみたいでよかった」


 今のあいつからは、いつもの顔色を伺って言葉を絞り出してくるようなたどたどしさはない。

 胸を抑えて話すような気の弱さも感じ取れない。

 自信がついたんだなって思えるような、堂々とした歩き方がそれを悟らせてくれる。


「いいことだ。誰も振り返らない。生卵投げない。すれ違いざまに何も言ってこない。やっと、背景として認められた気がする」

「あんた、どんな壮絶な日々送ってたの……」


 どんだけ周りの治安悪かったんだ。

 あいつと似たような人から聞けば珍しくない光景なのかもしれないけど。

 自分の常識が世界の非常識ってことは、そんなに珍しくないから。

 分からない側にいるあたしには、それ以上何もかけられる言葉がない。


「それにしても」


 あいつは何か言いたげに言葉を断ち切って、あたしをじっと見ている。上から下まで眼球が動いた。


「ん? なに?」

「印象、全然違うんだなと。学校のときと」

「あー」


 あいつと同じく、あたしもさっきの店で買った服に着替えていた。

 買わない予定だったんだけど、ビビッときたコーディガンがあったからね。こういった出会いは早いもの勝ちなのだ。


「こんなに……き、綺麗なんだって気づかなくて」

「あら、ありがと」

 きれい、のとこで噛んでるのが言い慣れてない感バリバリだ。

 心から褒めてくれたのは分かるから、あたしも驚くほどさらっとお礼の言葉が出てしまったけど。


 しっかし、言われてみれば確かに。

 きれいになりたいって子にあたしがこんな格好したら当てつけかって思われそうだから、今日は地味めの服装で固めてたのにね。


 これじゃまるで、さっきみたいにきれいって言われたくて着替えたようなもんで……

 ……え? あれ?


「今みたいな感じにしないのか。向こうでも」

 もてそうなのに。と、あいつはぼそっとつぶやく。

 ん、これはどういう意味で言ってるのかな?

 皮肉で言ってるわけじゃなく、ほんとに思ったことそのまま口に出してるだけなんだろうけど。


「いい女は爪隠すんだよ」

 おちゃらけた調子で言ってみる。

 女子の嫉妬こわいんでやるわけないじゃーん、なんてマジレスしても場が白けるだけなんで。


「……難しいんだな」

 それだけを言って、あいつはあたしから目を逸した。

 ただ聞きたいことが終わったから見るのやめました、そんな感じの自然な動作だった。


 正直、まだこの子との距離感は測りかねてる。

 どこまで寄っていいか、どこまで本音と建前使い分ければいいか。

 でも、こういう空気は嫌いじゃない。

 だからたぶん、あいつとはこれからもゆるっと続いていくんだろう。そんな予感はした。



「すみません」


 なんとなく会話が途切れてのろのろ歩いていると、ためらいがちに肩を叩く感触があった。

 なんだもう、気安く。


「ちょっと今、お話いいですか」


 あ。しくじった。あたしはうっかり着替えたことをさっき以上に後悔した。

 特に、あいつと並んで歩いている今は。ったく今日イチのやらかしだ。


「そこのお嬢さーん。きれいなお嬢さーん」


 あたしはあいつの手を引いて、ガン無視して早歩きに切り替えた。

 聞いてやらなくていいのか? と横からナンパに慣れてないあいつが耳打ちする。

 うん。聞かない。こういった輩の前では止まったら負け。


 あいつは歩幅が大きいからあたしについてこれているけど、今日の相手もなかなかしつこい。

 諦めず小走りで食い下がろうとついてくる。お前は逃げる有名人にたかるマスコミかいな。

 で、さらに運の悪いことにそいつはガタイがいい輩だった。


「つれないじゃないっすか。ねー」

「っ」


 横にいたあいつを強引に押しのけて、そいつは割り込んできた。

 瞬間、あたしの中で何かが弾けそうになった。

 この野郎の無礼な態度にキレただけじゃなく。あたしは見てしまったのだ。


 あいつの、深く傷ついた顔を。凍りついた目を。

 せっかく自信を持って一歩前に踏み出そうとしていた少女を。

 こいつは、踏みにじった。


「ねーお茶。お茶しましょう。おごるんで。お嬢さんかわいいんでカラオケも出しちゃいますよ。ねーねー」


 視界の後ろで、あいつが速度を落として歩いているのが見えた。

 顔を伏せて、あたしから逃げるように人混みに紛れようとして。


「生憎ですが」


 あたしは駆け出した。人の波にさらわれかけていたあいつの腕を掴んで、大胆に絡め取る。


「あたしの連れをないがしろにするような人と、お話することは何もありません」


 あたしは考えなしに行動した。

 目の前の野郎も、隣のあいつも固まっている。あたし自身思考が途中で止まった。

 なんでだろう。それくらい許せないことだと体が勝手に判断した。


 あいつもどうすべきか察したのか、話を合わせてきた。


「そういうことですので。お引取り願えますか」


 おそろしく低い声だった。

 あいつも内心キレてたんだと思う。あたしまでぞっとするトーンだったから。


 公衆の面前でナンパに絡まれてるもんだから、周りはなんだなんだとあたしたちを遠巻きに眺め始めた。

 目の前の野郎は注目を浴びるたびに慌てふためきだして、最後にこんな捨て台詞を吐いて去っていった。


「んだよ。そっち系かよ」


 奴が踵を返すが早いか、あたしはそっと腕を解放した。

 いきなり組んじゃったもんな。ある意味ナンパと変わらない。引いていてもおかしくないはず。


「無茶振りしてごめん。でもありがと。合わせてくれて」


 あいつはああ、と生返事をするとさっきと同じように並んで歩き始めた。

 やばい、戻っている。

 あたしは胸が鷲掴みにされるような痛みを覚えた。だめだ、ここで引っ込ませたら。

 いたたまれなくなって、沈黙で過ごすべきところを言葉で紡ぐ。


「かっこよかったよ」

 これはあたしの本心だ。服装補正も相まって本当にそう思えた。

 あいつは意外そうにあたしを見ると、バツが悪そうに言葉を返した。


「……悪い。勝手にいじけるような態度を取って。友人が目の前で絡まれていたのに、私」


 ううん、気にしてない。あたしはかぶりを振ると、あいつの肩をそっと叩いた。


 ……本当に、今の流れはあたしの失態だ。赤点にもほどがある。

 油断してこんな格好で出たからナンパをつけ上がらせて、あいつを化粧しても無駄じゃんかと傷つけてしまった。

 明日からどんな顔して接すればいいんだ。

 失敗を引きずるあたしに、あいつは軽く咳払いをした。


「……なあ、」

「ん?」


「懲りなくていいからな。次もまた、今みたいにきれいな姿で、出かけよう」


 まさかあいつからそんなこと言ってくるとは思わなかったので、あたしはまじまじと見つめ返してしまった。

 あいつはちょっとだけ目を逸らすと、少し照れくさそうに空へとつぶやいた。


「目標にしたいから」




 やがて駅が近づいてきて、あたしたちは帰宅する社会人の群れに紛れようとしたとこで。

 ふと、あいつは足を止めた。


 そのまま、人の波からはぐれた道路沿いの植木に向かって歩いていく。

「……どした?」

 気分が悪くなったのかと心配して、あたしも向かうことにする。


 たどりつくと、あいつはおもむろに自分のスマホを差し出した。

「その、な。撮ってほしいんだ」


 本当に、今日は珍しい光景ばかりだ。あの写真嫌いだったあいつがお願いしてくるなんて。

 前にクラスの女子が卒アル用に撮ろうとしたら、恥ずかしそうに手を突き出して隠れちゃったあいつが。


「そんなに気に入った?」

 まるで母親のように、あたしは柔らかい口調で話しかけた。

 遠足の帰り、家に着くのを惜しむ子供を見ているみたいな。そんな光景が重なったのだ。


「せっかく綺麗にしてもらったのに、風呂に入れば落ちてしまうから。参考に残しておきたい」

「ほうほう」


 じゃあ、お化粧には前向きになってくれたのか。

 あたしは密かな達成感を覚えていた。


「本当に、今日はありがとう。私も頑張ってみることにする」

「ん、応援してるよ。また見せに来なさいな」

 あたしはシャッターを切った。無修正とちょっと修正したやつに分けて。


「誰だこいつ」

 ちょっと修正したやつを見せた瞬間、あいつが盛大に吹き出すもんだから釣られてあたしも笑った。


「あんた。美少女フィルター込みで」

「アプリってすごいんだな……」

「今はそれが普通だよ。インスタとか上げてるやつのほとんどはこれ。おっさんでも美少女になれる時代だもの」


 加工アプリバカにするやつもいるけど、あたしは個人的にはアリ。これが自分だって思い込み激しくなけりゃね。


 だって化粧でも整形でも綺麗になれなかった人が、これで手っ取り早く美少女になれたとしたら。


 いくつになっても画面の世界では綺麗によみがえれるとしたら。


 それは希望であり、とても嬉しいことだと思うんだよ。夢を見せてあげるって素敵じゃん?


 ひとしきり笑ったあと、あたしたちはやっと駅に戻ることにした。

 なあ、とあいつが声をかける。

「ん?」

「差し出がましい願いだが……また、いつかの休日に頼んでもいいか」

「お安い御用」


 あたしは二つ返事で飛びついた。

 嬉しい。おしゃれに食いついてくれたことが。一人の女の子の可能性が広がったことが。

「あ、も、もちろん化粧品代は出す。いや、揃える」

「丸投げしないのはよい心がけです。でも、まだよく分かんないでしょ。揃えるの付き合うよ」


 こうしてあたしたちはまた次の約束を取り付けて、休日に落ち合うことになった。


 ……なんであたし、出会ってひと月も経ってない子にこんなマジに世話焼いてるんだろ?

 友達だからだよね。うん。たぶん。

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