【B視点】妹さんが来た(後編)

・SideB



「すべては、私が姉と向き合わなかったことが悪いのです」


 今回の事件の因縁は、妹さんたちの生い立ちから遡ることとなる。


「わたしの家庭は、普通とはだいぶ違うものでした。はっきりと言うと、姉だけが虐待を受けておりました。わたしはおかしいことだと分かっておきながら、何もしなかったのです」


 そんなに珍しくないタイプの毒親の話だった。


 お姉さんは実の両親から愛されずに育った。

 理由は単純。不細工に生まれたからだ。

 そこの親は性格ブスだが容姿はそれなりだったので、なお運が悪かったとしか言いようがない。隔世遺伝ってやつね。

 その次に産まれた妹さんは親譲りの美形だったのが、さらにお姉さんの冷遇っぷりに拍車をかけることとなった。


「思えば、姉と一緒に食事をした記憶がありません。大人になって当人から聞きました。いつも廊下で食べさせられていたと」


 妹さんが毒親あるあるを語る度に、店長の目がどんどん赤くにじんでいく。

 普通の家庭で育った人には耳を塞ぎたくなるような実情だろう。

 あたし? あたしはひねくれてるから、その手の書き込みを見てるうちにそんなに珍しくないもんなんだなって思うようになった。

 世の中、想像を絶する人生が多すぎるんだ。


 とにかく。そこんちの親は妹さんを愛玩子、お姉さんを搾取子として扱うようになった。

 お人形か、金づるか。どっちもロクな人生じゃない。親ガチャとはよく言ったもんだよね。


「母は、姉に色気づくなと目を光らせておりました。ブラジャーも、スカートも、化粧品も、生理用品も。お友達に指摘されるまで、一切の女としての常識を奪われていたのです」


 ここらで店長が耐えられず涙をこぼした。あたしはそっとティッシュを差し出す。

 妹さんがそんな店長の様子に気づいて話を打ち切りそうになったけど、店長は目元を押さえながら続けて、と促した。


 これも、毒親的にはそんなに珍しくない。

 とくに綺麗な人ほど老いていく自分を受け入れられず、女になっていく娘を抑圧する傾向が強いとか。お局が新人女性をいびるのに似た感じだね。


「それでも……姉は折れませんでした。見返して綺麗になってやるんだといつも前向きでした。お友達からこっそり化粧品を譲ってもらって、必死に自分を磨いて。わたしが他人事のようにしか話せないのは、すべて後で姉に聞いた話だからです」


「……ねえ、」


 涙にふるえた声で店長が口を挟む。

 片方の手は固く拳をにぎっている。怒っている口調なのは誰の目にも明らかだった。

 ここまで聞いていれば察しはつく。なぜ、あなたは知った風な口を叩けるのかと。


「親のせいにはあまりしたくありませんが、わたしは洗脳されていました。親はいつも姉の悪口を聞かせていました。だからお姉ちゃんみたいになっちゃだめよ。と。わたしは、それにまんまと騙されていたのです」


 妹さんの目から、ひと筋の涙が伝った。

 罪の告白だ、苦しくないはずがない。この方だって虐待児なのだ。

 妹さんはハンカチを取り出すと、しゃくり上げながら罪の吐露を続けた。


「大学も費用がもったいないからと、親は一銭も出してくれませんでした。姉は学がない不器量に道はないと知っていたため、奨学金での進学を決めました。高校卒業と同時に姉は家を出ていきました。お金を要求されないために一切の連絡を絶って。そこで……終わりではなかったのです」


 その先のやりとりを、妹さんは今日直接家に押しかけた際にお姉さんと交わしてきたと言う。

 お姉さんは変わり果てていた。

 親に目にもの見せてやるのだと、かつて瞳に宿した炎はとっくに燃え尽きていた。

 希望の灯火が消えたかわりに、憎しみのみが火種となって燻っていた。


 努力を続けていたのに、終ぞ報われなかったからだった。


 お姉さんは綺麗になることを夢見ていた。お金も時間もかけて美人への険しい道を歩き続けた。

 諦めなければいつかきっと実を結ぶと、最後まで抗った。けれど。


『……気がつけばこの歳だったの。もう、子供も相手も望めない年齢。いくら妥協しても箸にも棒にもかからない、売れ残りの、産業廃棄物。結局、全部無駄だったのよ』


 訪ねてきた妹さんに対して、お姉さんはそうぼやいた。

 だからってあんな犯罪行為に手を染める必要なんてない。どうしてあんなことをしたの、と妹さんはまっとうな正論を放った。

 自分を見捨てていい子ちゃんぶってた肉親に何を言われても、お姉さんの耳には届かない。


 独身だって今の時代は恥ずかしくないよ。わたしだって独り身だし。独りだからって人生終わったわけじゃないんだよ。二人で楽しもうよ。

 そんな慰めが、お姉さんの導火線に火をつけた。


『アタシは好きで独身やってんじゃない』


 心からの絶望と慟哭が、妹さんにぶつけられる。


『独身ならお金使い放題とか、責任背負わなくていいとか、自由でいいねとか。そんなすでに満たされた側からの余裕は聞きたくないの。アタシはただ、ただ、女として愛されたかったの。選ばれたかったの。娘として愛されなかったんだから。他の人に愛を求めてなにが悪いっていうのよ』


「……わたしはどこまでも考えなしの人間でした。姉の孤独をわかろうとせずに、自分の価値観で推し量ったのです」


 誰からも愛されず。巡り合うことも叶わず。

 空っぽの状態で自分を肯定しろと言われても、これまで自己肯定感を得られなかった人間が受け入れられるわけがない。

 だから。嫉妬心から始まった向上心は折れたことによって、ふたたび黒い嫉妬心が膨れ上がっていった。

 上を向いてもたどり着けなかったのだから、引きずり下ろす方向へと。


「姉は、綺麗な人に恨みを募らせるようになりました。追いつけなくても、追い詰めることはできると。追い出してはじめて自分の居場所が得られる快感は、何物にも代えがたい幸せであると」


 そうして何人もの美人に目をつけて、なりきり日常を侵食することによって彼女たちを潰していった。

 服やアクセはそのたびに合わせてコピーした。それが一番付け入る隙を作るのに効くやり口だったから。勝手に向こうから消えていってくれるから。


 ……なんか、ここまで歪んだ話を聞くと怒りよりも哀れみの感情のほうが湧いてきちゃうなあ。

 どうしてこんなになるまで放っておいたんだって定番の台詞が浮かぶ。孤独はここまで自分を追い詰めちゃうもんなんかーってね。


「……思うんです。もし、わたしが洗脳に屈しなかったら。姉の味方であり続けることができたら。親に取って代わる愛情を与えられていたら。姉はこんなことにならなかったのかもしれないのかなって」


 これから先、わたしは姉とともに在る覚悟です。

 それがわたしの償いであり、罰なのです。

 多大なるご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。


 妹さんはこう締めくくると、静かにあたしたちに向かって頭を下げた。

 めっちゃ高そうな包装紙にくるまれた箱をあたしに手渡して、その場を後にしようとする。


「すみません」


 放心状態にあった店長が呼び止めた。

 振り返る妹さんに、あなたの中では決まっていてもお姉さんは暮らすことにはどうなのですか、と問う。


「ご心配は無用です。どのみち姉は仕事を辞めてお金も尽きかけており、そう遠くないうちに追い出される予定みたいだったので。わたしが養うと告げたところ、じゃあ一生面倒見なさいよと快く了承してくれました」


 お金ないのにプレゼントや荷物押し付けてたってこと?

 身を削ってまで陥れる欲はあるって、何かに取り憑かれてるとしか思えない。

 でも、最後の最後に救いの手が差し伸べられたってことは、まだ人生捨てたもんじゃなかったんだね。


「それに、姉を苦しめた親はもういません。わたしがそれまでは二人の介護をしていたので。あとは存分にわたしをこき使ってくれれば、それが本望です」


 それであなたの人生はいいのかとあたしたちは言いたくなったけど、生き方を決めるのは他人じゃない。

 妹さんはこれが罰とは言ったけど、いつか二人にとっての救いに変わればいいな。綺麗事だけどさ。


 あたしと店長はそれ以上言葉を継ぐことができず、黙って女性を見送った。



「お疲れ様っす」


 事務所に戻ると、ちょうど上がる時間だったのか従業員の男子がいた。

 非番であるはずのあたしと店長の姿に驚くことなく、いつもの調子で話しかけてくる。


「あ、もしかして」

 事情知ってたりする? と店長が探ると、あの妹さんとは先に会っていたと男子は答えた。


「ちょっと、そのことなんですけど」

 男子はバツが悪そうに頭を掻く。え? なんか粗相でもしでかしたとか?


「はい。思いっきりキツく当たりました。ついカッとなって」

「なにやったの……」


 あたしと店長は同時に顔を覆い隠した。

 でも、ふだん取り乱すことは絶対にしないこの子のことだ。なんかあったんだろうと叱りつけることは棚に上げて、店長は詳しい話を聞き出した。


「なんか、あんまり悪く思ってない感じだったんで。同性がやったことだし、みたいな。そんで店長たちに謝ればそれでいいっしょ? 的な流れになりそうだったんで」


 男子はなあなあの空気が我慢ならず、思わずこう言ったみたい。


 絶対にお姉さんに罪を償わせてください。

 被害届取り下げようとしないでください。

 示談で逃げないでください。


「言いすぎでした。つい、ウチの事情と重ねてしまって。でも、それだけは譲れなくて」


 ああ、だから妹さんあんな覚悟完了した口ぶりだったんだね。

 だけど言ってることは正論だ。

 あたしも店長もまだ被害が浅かったこともあって、あの妹さんの前だったら引き取るならいいよーで終わってたかもしれない。

 あたしはともかく、前のあの子や他の被害者が苦しめられたことも忘れて。


「ありがとう。正しいことを言ってくれて」


 責める道理なんてこれっぽっちもない。

 あたしはさっきまでの早とちりを反省し男子に頭を下げた。店長もなんにも気にすることないよと首を振る。

 でも、不思議。なんでこの男子はここまでストーカー被害の心理に詳しいんだろ。その疑問に答えるかのように、男子が口を開いた。


「……その、聞いてもらっていいすか」

 何が? と一瞬頭の中をハテナマークが掠めたけど、取っ掛かりを感じた。

 あ、そいや昨日言ってたわ。身内に似たようなことがあったって。


「いいよ。どうしたの?」

 いつも以上に柔らかい店長の言葉に後押しされて、男子は途切れ途切れに話しだした。



「うち、ストーカー被害遭ったことあるんすよ。家族が」


 それも、父親が。

 男子の父親は、別部署の距離感のない男に目をつけられていた。

 ちょっとしたやりとりから懐かれるようになり、そのうち社内ストーカーが始まった。


「お昼一緒にするとこから始まって。お店変えても着いてきて。自分の机で食べるようにしたら廊下から見張られてて。ホラーっすよね」


 会社どころかプライベートでも監視が始まり、休日だろうと心は休まらない。自宅にだって押しかけられたこともある。

 男性は次第に心をむしばまれていった。これはもう個人で解決できる問題ではないと動き始めたのに、地獄はそこから待っていた。


「誰も、相手にしてくれなかったんです。警察も、総務も、……あと、俺たちも。俺、最低でした。親父ホモに好かれてやんのーって深刻に考えてませんでした。父親が付きまとわれている光景を、コントかなにかだと思ってたんです」


 ストーカー事件。その言葉を聞くと真っ先に浮かんでくるのは、男性が女性に執着するパターンばっかりで。事件に取り上げられるのもほとんどがこれ。

 男なんだから。力でなんとかできるでしょ。

 無意識の常識が、親しいはずの人間をもって男性を孤独へと陥れていった。


「だから、家に突然警察が来たときはびびりました。お父さんが襲われたって。そうなる前に誰も取り合わなかったせいで。こんな最悪の事態を招いてしまって」


 男性は一命を取り留めたものの、手術からの人工臓器を強いられるほどの大怪我を負った。そして、傷を負ったのは体だけじゃない。


「……もう、手遅れだったんです。親父は今は仕事をしていません。あの日から笑うこともなくなりました。食べて、寝て、あとはぼーっと外をながめるだけで。ぬけがらに、なってしまったんです」


 男性は心が壊れてしまった。心療内科に通ってはいるけど、治る見込みはいつになるかわからないという。

 ……でも、男性はひとつだけプライドがあった。あれだけの暴行を受けたのに、訴える声を上げなかったのだ。


「情けないからって。親父、それだけは譲らなくて。俺たちにバカにされたことだけは頭に残っていて。相手の示談を受け入れてしまったんです」


 そして、男性の被害は知られることなく闇へと葬られた。

 偏見が未だに根強いせいで、まだまだ声を上げられる人は少ない。報道されない裏では苦しんでいる人がいっぱいいるんだ。


 稼ぎが無くなった父に代わって母親は身を粉にして働くようになり、男子も高校進学のタイミングでアルバイトに専念するようになった。


「……親父、あんなになっても生きようとしてるのに。周りが言うんです。情けないお父さんだねって。奥さんと子供さんに働かせておいて自分は家でグータラかって」


 そうじゃないのに、と男子は怒りを顕にした声でカバンを叩いた。


「親父がいったい何をしたって言うんすか? 男だから、いい歳した大人だから。それなら何を言ってもいいんすか? 同性だからノーカンじゃないんです。だから、性別で括って軽視した犯罪とか死ぬほど許せないんです。でも、いちばん憎んでるのはそれまで軽く思っていた俺自身で。俺が、味方だったら。今でもきっと。返せよ。今までの親父を。返せ、」


 そこから先は言葉にならなかった。男子は声を押し殺して泣いていた。

 店長も、あたしも涙ぐんでいた。


「話してくれて、ありがとう」


 うつむく男子の丸まった背中を、店長は優しく叩いた。


「よく、我慢したね。えらいよ。がんばったね」


 たぶん、あたしはここにいるべきじゃないんだろう。今は二人だけでたくさん涙を流させてあげよう。

 なんだかいたたまれなくなって、あたしはお先に失礼しますと小さく言って外に出た。


「…………」


 外に出ると、夕方時の冷たい風が涙でにじんだ目元をさらっていった。

 今はセンチな気分にいるためか、一人でいることがちょっとさみしくなってきた。つながりが欲しくて、あたしはスマホのLINEを起動する。

 終わったよ。そう、あいつに送って。


 返信はすぐに来た。お疲れさま。無事でいてくれて、本当によかった。と。


 もう、こんなこと言うなんてずるいなあ。会いたくなっちゃうじゃんか。

 あたしはこみ上げてくるものをこらえて、明日詳しく話すからねと返した。

 


 その後、ホテル宿泊取り下げのために警察に連絡したところ。

 犯人の目星がついたので被害届が受理されることになり、家宅捜索をしてくれることになった。

 そのへんの処理は専門家に任せるとして。


 一連の事件は一応、これにて解決となったわけだ。

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