【B視点】妹さんが来た(前編)

・SideB



 帰る途中、あたしたちはほとんど会話を交わさなかった。いろいろあったからどっと疲れが湧いてきたのだ。

 なので付き合ってくれたあいつへのお礼も兼ねて、夕飯はそのへんのファミレスで済ませることになった。時間も結構回ってたしね。


 お腹は空いてたはずなんだけど、めっちゃメンタルが疲弊してるときに食べるご飯って味気ない。腹に溜まった実感もない。

 他の二人も同じ心境だったのか、ただ機械的にものを口に運んでるだけの光景が残っている。女三人寄ってもかしましさは微塵もない。まるでお通夜のテーブルだ。


 おごろうとする店長の反対を押し切って、会計を別に済ませたとこまでは覚えてるけど……なんか記憶が穴開きチーズみたいに飛び飛びだ。


「それじゃあ、また明日ね。連絡はあなたの都合がつくときで構わないけど、なるべく人通りの多い時間帯がいいかな」

「わかりました。よろしくお願いいたします」


 あいつの家まで送り届けてもらって、店長とは一旦別れることとなった。

 ストーカーは深夜か早朝に活動するっていうし、長々とあいつの家に入り浸るわけにもいかない。朝食後が一番タイミングいいかな。


 さて、あいつの家にお世話になるのは”こういった関係”になってからは初めてだ。

 ……だっつーのに、あたしもあいつものろのろとした足取りで玄関へと上がっていく。倦怠期かいな。

 ムードよりもなによりも、お互い眠かったのだ。お風呂さっさと済ませて泥のように床につきたかった。若者だからって体力有り余ってるわけじゃない。


 そんなわけで、淡々と就寝までタスク処理のごとく時間は流れていった、のだけど。


「いや、ほんといいんだよ? これまで通りで」

「駄目だ。気が引ける」


 こんな感じで、あたしたちは一歩も互いの主張を譲らなかった。

 単純に、どこで寝るかで揉めていたのだ。

 あたしは客人だからソファーでいいのに、あいつは恋人にソファーはあかん、自分がそっち行くからベッドで寝ろと言う。

 いやいや、そんな庇を貸して母屋を取るような真似はできないわ。そこまでお姫様扱いしてほしいわけじゃない。


 最終的に『ソファー以下の場所なら罪悪感が湧かない』と、謎理論に行き着いたあいつは床で寝るとか言い出した。

 さすがのあたしも頑固さに呆れ返って、


「よしわかった。二人でベッド使おう。それなら文句ないよね」


 というわけで、あたしたちは一つのベッドで寝ることになった。

 ……なんで酔った勢いで告るとか、自分ちに呼ぶとか、一緒の布団に入るとか、カップル的に重要なイベントをあたしは強引に進めてるんだろうね。断じて肉食系ではないのに。


 ハグの経験があるとはいえ、段階すっ飛ばしてここまで密着する状況は未知数だ。意識しすぎて眠るどころじゃない。

 ……なんてことはなく、毛布かぶって電気消して目を閉じたらすぐにあたしの意識は遠ざかっていった。

 他の欲求が束になっても睡眠欲には勝てませんでした。


 で、翌朝。


「んん……」

 起きた直後は、人んちで寝たって記憶が巻き戻るのに数秒かかる。

 すぐ隣に人の体温と感触があって、ああそういやあいつの家だったわとあたしは呑気にあくびをした。


「…………」

 ん、なんだこれ。目を擦ろうと思ったら手が思ったように動かない。なんか重いものが乗っかってて。

 つか、なんであたし、枕抱いてるみたいに腕を伸ばして……


「…………おはよう」


 抱き枕が振り返った。クマの張り付いたあいつの顔だった。

 一瞬のラグがあって、あたしはあいつを背後からがっちりホールドしていたことに気がついた。


「ご、ごめん」


 いやいやいや何やってんだあたし。昨日肉食系じゃないって心に誓ったはずなのに体は正直みたいなことやらかして。


「すぐ抜くからっ」

 って誤解招きそうな言い方になっちゃってもー。男子じゃないんだから。

 腕を引こうとすると、逆にあいつに引っ張られた。ほどけてあいつの体が抜けて、支えを失ったあたしは背後に寝っ転がらされる。


「あ、朝から大胆ですね……?」

「徹夜明けだから」


 あいつはいつも以上に抑揚のない声で言った。これから捕食でも始めるかのような姿勢で。寝不足の充血した目が余計にそれっぽさを際立たせている。

「うん、それはほんとごめん。でも、あたしは十分睡眠取ったし。寝る側は君だと思うんだけど」

「一晩枕にしたぶんを返してくれ」


 それだけをぼやいて、あいつはぼふっと崩れ落ちた。胸元に頭突きを食らわせるがごとく。

 あたしが枕になるのは構わないけど、胸にダイブするとか抱き枕ホールドより大胆なことしてますぜ? 自分でやるかやられるかの問題なの?


「…………」


 まるで糸が切れたようにあいつは動かなくなって、そのうち安らかな寝息が聞こえてくるようになった。その体勢息苦しくない?

 まあ、熟睡できてるっぽいし。多分だけど。それなりに大きい胸でよかった。


「よしよし」


 あたしは頭に手を置いて撫で始めた。赤子を寝かしつけてる母親みたいな絵面だ。

 しゃーない、こんな甘え方されたらすごく小さい子を相手してるような気分になってくるんだよ。

 でも昨日いっぱい甘えさせてもらったから、これくらいは返してあげたかった。


 それから撫でてるうちにあたしも二度寝しちゃって、二人してやっと活動し始めたのはお昼前になってからだった。

 ちなみにあいつはお留守番。昨日めっちゃ働かせちゃったし、今日はゆっくり休んでほしかったしね。



 で、約束通り店長に連絡してあたしのアパートまで出向いて箱回収して、警察署に持ってったんだけど。


「差出人不明の荷物ですね」


 ああやっぱり、とあたしと店長は同時に肩を落とした。予想はしていたから、そこまで落胆はしなかったけど。

 箱は警察が慎重に開けてくれたけど、中身は相変わらずあたしくらいの年齢向きではない、アクセサリーのたぐいだ。


「あの、被害届とかは」

「ちょっと、今の段階では難しいですね。元払いなので。汚物の送りつけや何十通も荷物が届くなどの緊急性を除いて、中身も悪質というわけではないので」


 見えないマニュアル本を朗読するように、警察は淡々と対応した。やっぱ犯人の身元が不明な段階では動けないんだね。あいつの言った通りだった。


「で、ですが。昨日店に放置されていたこの紙袋だって。洋服や化粧品の傾向から同一犯の可能性はあります。これらを元に、今度件の客が来店時にこちらまで任意同行とかは」


「そこから先は通販サイトの管轄になりますので、注文番号のお問い合わせを推奨いたします。見た感じこちらのアクセサリーは新品というわけではなさそうですし。出品者と購入者用に分けたアカウントを作り、お客様のもとへ送りつけたという手口も十分に考えられます」


 店長が食い下がったところ、警察は付き出せとは言わず別の方法を提示してきた。

 確かに、特定だけなら直接通販サイトに情報開示を頼むほうが手っ取り早いか。そこの利用規約には、緊急時には教えたげないこともないって書いてあるしね。


「我々が現在できることは、お荷物から指紋等の情報がないか調べること。それと、疑わしい周辺地域のパトロール強化のみです。また、新しい動きがございましたらご連絡くださいませ」


 といった感じで、期待半分失望半分に終わった。こんなもんだよね。

 ただ、昨日店長が言ったとおり一時避難用の宿泊費は補助してくれるみたいだから、しばらくそこにあたしは留まることになった。

 その間にパトロールしてくれるっぽいからそこで尻尾が掴めれば……と思ったけど望みは薄いよねー。


 重い足取りで駐車場に向かう店長の姿にいたたまれなくなって、思わず声をかける。


「一時の安全が確保できただけでも十分です。今日はありがとうございました」

「ううん、ごめんね。あんまり力になれなくて。そもそも防犯まで手を広げるとなると、数十万人以上の警察の増員が必要なんだってね……それは人手も足りなくなるし、法改正案件だし。事件にならないと動けないってのも今調べて分かったよ」


 だから、結局の所警察だけに頼らず自衛しろってことなんだねえ。あいつにこれ言うとがっかりしそうだから、そのへんはぼかしたほうがいいか。


「ホテルは通勤ルート上に予約しといたから、まずはそこ向かうね」

 そう店長が言った直後。唐突に、店長のスマホが鳴った。

「ありゃ、リーダーさんからだ。どうしたんだろう」

 店長は困惑の表情でスマホに耳を当てた。お疲れさまですと何度か頷いて、やがて驚愕に目が見開かれた。


「……え? ご家族様が?」


 てっきりあの客がまた迷惑行為でもやらかしたのかと思いきや、予想外のワードが出てきた。通話を終えた店長にすぐさま話を聞いてみると。

「その、例のお客様の妹さんと名乗る方が来て……お話したいことがあると」


 なんか意外な方向に動き出した事件に、あたしたちは振り回されるばかりだ。

 とりあえず事務所でその家族は待ってるらしく、すぐさまその場所へと急行した。



「お忙しいところ、大変申し訳ございません」


 そこで待っていたのは、確かにあの客と同年代と言えば近そうな見た目の女性だった。ただしこちらは身なりはきっちりとしていて、佇まいも品の良さを感じさせる。


 事務所は他の従業員も通るので、スーパーの係員に頼んで応接室に移動した。いったいなんの用事なんだろ。


「いえ、ご連絡ありがとうございます。さっそくご要件を伺ってもよろしいでしょうか」

「はい。……家族を代表して、お詫び申し上げるためです。詳しく言うと、そちらで迷惑客として通っているであろう……その、わたしの姉を連れ戻すご報告も兼ねて」

「えっと、お姉さまとあなたは一緒には住んでいらっしゃらないのですよね?」

「はい」

「では、どうして今になってその件について、お知りになられたのですか?」

「その……以前こちらで働いていた……」


 女性がたどたどしく告げた名前に、あたしたちは今日何度目になるか分からん驚愕の目を向ける。

 あの子が? どうして?


「その方から、警告というか……そんな感じの注意喚起を受けたんです。あなたのお姉さんのストーカー被害のせいで私は辞めるはめになりました。あなたを責めるのはお門違いかもしれませんが、このまま野放しにしておけばまた繰り返します。そうなる前に連れ戻してくれませんかと」


「えっと……そう言われてよく、信じる気になりましたね……? いきなり一緒に暮らしていない身内からの被害を告げられてもイタズラかと疑うほうが先でしょうし」


「ええ、最初はわたしも半信半疑でした。でも、次から次へと映像や写真といった動かぬ証拠が出てきては認めざるを得ませんでした」


 どうやって一緒に住んでいない妹さんの住所を突き止めたかは分からないけど、探偵かなんか雇ったのかね。

 確かに、ストーカーは逮捕されたところで病気なんだから簡単には治らない。

 それどころか殺傷沙汰に発展すれば、今度は加害者家族としてストーカー一家の人生が終わる。

 そういった脅しというか事実を突きつけられたら、この妹さんも動かないわけにはいかなかったんだろう。

 もし先に被害を受けたのがあたしだったら、同じ手段に出なきゃ腹の虫は収まらないだろうし。


「だから、姉は責任持ってわたしが実家に引き取ります。今は専門の病院もありますし、辛抱強く治していく予定です。暴れたら閉鎖病棟も検討しております。二度とここへは近づけさせませんから」


 一気にまくし立てる女性に、店長はおろおろと手を振る。

 でもこれを呑み込めばいいんじゃないの? とあたしは思った。ストーカー自体を遠ざけて治す方針に切り替えれば、再犯に怯えることも少なくなるだろうし。


「ちょ、ちょっとちょっと。確かにそうしてもらえれば理想的ですけど。でも、なにもあなた一人が背負うことでもないと思うのですが」


 ああ、店長はやっぱり優しいなあ。その通りにしとけばいいものを、ちゃんと相手の気持ちや状況も考えられて。

 女性は気を遣われると思っていなかったのか、一瞬泣きそうな顔をした。だけどすぐに目をぬぐって、あたしたちに毅然と告げる。


「いえ、これはわたし自身への償いでもあるのです」


 そして、女性は自身の背景を語り始めた。

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