【B視点】なんかいろいろやって来た

・SideB



 恋人を自宅に招くって、結構重要なイベントじゃん?

 そりゃ今のあたしの家は狭いし、床はコードまみれのスパゲッティ状態だし、家族以外の人間をもてなすにはちょっと気が引ける。


 今回の件とか設備の不満もろもろが重なって、もう手放す心構えになったからいーけどさー。

 まさか、こんな形であいつを家に入れるとは思ってなかったわけよ。


「…………」


 あたしは先頭に。あいつは背後にぴったり着く感じで、そっとアパートの階段を上がっていく。

 傍からだとうちらのほうが不審者に見えるけどね。まあここの住民に見つかっても、大半は顔見知りだから挨拶しときゃいいか。

 スマホの明かりを頼りに、あいつが親指と人差し指で丸の形を作る。他に人の気配はないってことみたい。

 なるべく音を立てないように、あたしは部屋に続くドアノブに手を掛けようとした。


「……?」

 靴がくしゃりと何かに触れた。

 反発力はそれほどでもないけど、質量はある。なんかでっかいのがドアを塞いでる感じで。

 何これ。足首にそっとスマホを向けると。


「ひ」


 悲鳴が吹き出そうになって、咄嗟に口を塞ぐ。一人だったら絶対声出してたと思う。

 同時に、あいつからも苦々しいため息が漏れるのが聞こえた。


 そこにはゴミ袋があった。

 感触からしてプラスチックゴミっぽい。口が固く結ばれてるあたり、どっかから取ってきたに違いない。

 少なくとも、こんな悪質な嫌がらせをする人は近隣住民にはいない。

 もし分別されてないゴミにクレームつけるとしても、日中注意する感じでこんな無造作に放ったりはしない。


 と、いうことは。予想はついてたけど、あたしの住居は特定済みってわけか。

 こんな安アパートに防犯カメラなんてついてるわけないし、当然誰がやったかって確証はない。ほんとこういうとこ狡っ辛いよね。


 撮るね、とあいつに耳打ちする。

 一秒たりとも見ていたくなかったけど、証拠を収めないことにはどうしようもない。なるべく直視しないようにスマホを構えてシャッターを切った。


 さて、撮ったはいいけどどうすっかねえ。この人様のゴミ袋。

 あたしは私物回収したらしばらくは戻らない予定だし。ずっと放置してたらいらん誤解を招きそう。仕方ない、帰るときにゴミ捨て場に戻しときますか。

 ずっと外でうろうろしてるのも、仮に見張ってるとしたらまずい。

 袋をそそくさと端っこに寄せて、あたしは鍵を回した。


 電気点けるか迷ったけど、覚束ない明かりの中手探りで物を取れる気がしない。

 あたしが戻ってきたと分かる方が他の隠れ家を悟られるよりはマシだろう。ちょっとお財布は痛いけど、居間の電気だけは点けておくことにした。

 はー。恋人を初めて家に上げてるシチュだっつーのに。まったくもってムードがない。


「……さて」


 ようやくまともに会話ができる状況に、あいつが長い息を吐く。

 それからスマホを取り出し、電話を掛け始めた。店長への報告だ。


「……はい。姿は見えませんでしたが。ええ。分かりました」


 通話が終わり、あいつが向き直る。


「一応聞くけど、こういった被害はこれまで無かった?」

「うん。一気に動き出したって感じ。ゴミのやつは今日の腹いせだろうけど、証拠残すくらいだから余裕ないんだろーなと」

「なら、これを突きつけて警察に被害届を出せばどうだろうか。張り込みで現行犯逮捕もあるかもしれない」


 それが一番理想のルートだけど、これまで目立ったことはしてなかったしなー。

 あたしはすぐに賛同できずに唸った。


「でもなー。こう分かりやすくアピってきたってことは、これ以上お縄になるヘマはしでかさないんじゃないかって」

「……どういう意味だ?」

「多分あの人は、ターゲットのメンブレが目的。追い出すってことね。警察のご厄介にならないギリギリのラインを攻めて、相手が勝手に自滅するのを待ってんじゃないの」


 こういったプライベートに侵食してくる嫌がらせは、実際ダメージがでかい。

 そのくせ職場にはただの客として悠々と居座られてるんだから、とっとと逃げ出したいと考えるだろう。

 前の被害者がみるみるうちに元気が無くなっていったのも、今なら痛いほど分かる。居場所が奪われるようなもんだしね。


「もしあたしが被害届を出すと読んでたとしたら、今後のこのこ姿を見せることはしないと思うんだ」

「簡単に尻尾は掴ませてくれないわけか」

「前の例を参考に先読みすると、お店にはまだ顔を出してきそうだけどね」


 そして、あたしがへばるまで通い詰める気でいるんだろう。

 つまり、これは忍耐力との戦い。あたしが簡単に折れないって分かったら、向こうはまたアプローチを変えてくる。そこを狙い目に警察案件に誘導できるといいんだけど。


「……だが、それまでずっと家に戻らないわけにもいかないだろう。前に転居を検討していると言っていたが、そうすぐに引っ越せるわけでもない。新しい住居も特定されては本末転倒だ」


 ほんとそれな。あいつや店長にいつまでも厄介になるわけにもいかないし、むしろターゲットになる危険性だってある。

 となると、やっぱあたしがここで耐え続けて奴を調子に乗らせる路線のほうがいいのか? そんなことを考えていたからだったのかもしれない。


「っ」


 唐突に、インターホンが鳴った。

 あたしは肩をびくりと震わせる。

 あいつも音に体を強張らせて、二人して一斉に玄関に首を向けた。


 もし、奴だとしたら。

 もちろんその可能性を考慮したうえでここに来たわけだけど、絶対にあいつの存在だけは知られるわけにはいかない。


 ただ、その場合は近くで見張っている店長が目撃してるだろうし。

 ここら一帯は見晴らしいいから、部外者が何時間も身を潜められる公園や公共施設はない。


 もう一度、インターホンが鳴った。あたしはビビるあまりあいつに思いっきりしがみついた。

 やっぱさっきの考え、訂正。

 こんな状態で一人暮らし続けるとかマジ無理ゲー。もう明日にでも不動産屋行きたい。


 あいつは庇うような体勢で、腕の中にあたしを抱き寄せる。隣に誰かがいるということが今はとても心強い。

 守られているという扱いに嬉しさを感じる反面、怯えているだけの自分が情けなく感じる。

 辞めないってあれだけ啖呵切ったのにこれとか。ったく、これしきでビビってんじゃないよ。

 とりあえず通報か、居留守するべきか決めあぐねていると。


「ちわー、××運輸でーす」


 は?

 あたしたちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔を互いに向け合う。

 え、そっち?


「何か頼んだのか?」

 あいつが小声で聞いてきた。

 もちろん今日指定の便なんてあるわけない。首を横に振る。


「なら、嫌がらせだろう。身に覚えのない荷物を送りつけて恐怖心を煽る手口かもしれない」


 あたしは頷いた。そっちの可能性が高い。

 一般的には受取拒否なんだろうけど、証拠収集の観点で考えると別だ。

 受け取るだけ受け取って、開封は警察に任せるのがいいか。


「はーい」


 あいつには背後に控えてるようにと言って、あたしは玄関先に向かった。

 ドアスコープはないから、チェーンのついたドアを数センチほど開ける。


「お荷物が届いております」


 立っていたのは初老の男性だった。

 トラックの排気音も聞こえる。配達員に扮装したやべー奴ではなさそうだ。


「あ、ハンコないんでサインで」


 これあたし頼んでないんですけど。喉まで出かかった言葉と不快感を押し留めて、必死で営業スマイルを形作る。

 宅配業者が去ったのを見届けると、あたしは手早くドアを閉めた。

 ダンボールもそのまま玄関に直置きだ。あー、気持ち悪い。


「……大丈夫か?」


 あいつが険しい顔で訪ねてくる。平気、とあたしは無理やり笑った。


「むしろ好都合。警察に持ってけば納品書から送り主の特定も一発だろうし」

「いや……どうだろう」

「えっ?」

 歯切れの悪いあいつの言葉に、あたしは目が点になる。


「この荷物は元払いだ。何度も送られてくるならまだしも、まだ一回。事件性が薄いと判断されてしまう可能性が高い」


 うへえ、と品のないため息が口から漏れていく。

 被害届も難しいんかい。もしそれも読んだ上で送っているのだとしたら、本当に悪質だ。

 露骨にがっかりしてうなだれるあたしを見て、あいつが即座にフォローする。


「た、ただ対応も警察署によって違う。持っていくことは無駄じゃない。これ以外に証拠品もあるわけだから。すまない、軽率な発言をしてしまった」

「いーよいーよ、あんたが気に病むことじゃない。警察が駄目なら弁護士ルートよ」


 あんまりフォローになってない言葉をかけて、あたしはさっきの恐怖を振り払うように日用品を詰めていく作業に取り掛かることにした。

 箱は……とりあえず今は写真だけにしておこう。

 警察に行くときにだけ持ち出しときゃいいか。でかいし。



「おかえり」


 あたしたちは無事に店長の待つ車へと戻ってきた。

 何か変わった動きは無かったか聞いてみると。


「そうだねえ。確かにさっきLINEでくれた通り、宅配のトラックは見かけたよ。それくらいかな」


 分かっちゃいたけど、収穫はいまいちだ。ゴミとか身に覚えのない荷物とか、目立った被害はちょいちょいあったのに。


「サトウちゃん、明日は非番だったよね?」

「あ、はい」

「私も明日は休むことにするよ。さっき交代をバイトリーダーに頼んだから。一緒に警察署行こう。また、ここまで送ったげるから」

「すみません……ありがとうございます」

「謝らないの。結構被害が出始めてるから、こっちからも動いたほうがいい。大丈夫、あなたの安全はみんなで守るからね」

「……はい」


 あたしは鼻の奥が熱くなっていくのを感じた。

 察した隣のあいつが、優しく背中をさする。

 本当にあたしは周囲の人に恵まれた。絶対辞めてやるもんか。


「それと、今日は心細いだろうからそこのお友達と一緒にいてもいいけどさ。明日からはやっぱり、心配だからホテル手配したげるね。警察も一時的な宿泊先だったら負担してくれるみたいだし、そこ相談するから」


 そうなの? とあいつに聞くとそういった制度があると返ってきた。

 何もしてくれないと思っていたけど、やっぱり然るべき処置はしてくれてるんだね。


 そんなこんなで、あたしのだいぶ波乱に満ちた一日は終わりを告げた。



 そしてこの事件の顛末は、意外な形で幕を下ろすこととなったのだ。

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