【A視点】彼女の家に来た
・SideA
とりあえず洋間へと招き入れ、少々早いが暖房を入れた。熱い茶も淹れた。
茶葉を蒸らしている間に、今回の件について話を伺うことにする。
「一応、交番には行ったんだ」
だいぶ落ち着きを取り戻した彼女が、詳しい事情を説明してくれた。
常連客に前々から目をつけられていたこと。
その客は、以前にも別の従業員に付きまとい辞めるきっかけを作っていたこと。
目立った害はなかったので静観していたら、服装をそっくり真似されるなどの執着行為が見え始めてきたこと。
そして今日、同じ時間帯の車両に乗り合わせた上で直接絡まれたこと。
そのときは周囲の協力により事なきを得たが、客の発言から下車駅はすでに特定されていること。
上記の被害を警察に訴えたものの、証拠不十分ということで相手にされなかったこと。
「しゃーない事情はあるんだよ。そもそも相手の身元もまだ分かんないんだから。証拠もさ。行き過ぎた着信件数やメールやプレゼント攻撃とか、分かりやすい被害もないし。追われてることに気づいたのも今回が初めてだから、継続性が証明できないってことでね」
警察官志望の身としてはまこと遺憾な実態である。
彼女も途中で気づいたのか『夢もない話してごめんね』とフォローを入れた。
「構わない。現場からの意見は貴重だから。しかし、そこまで動いてくれないものなのか」
「異性間か、かつ恋愛感情があるかってのを重視するみたい。男女であっても、決定的な何かがないと向こうも動けませんってことだけどね」
法改正された現在であっても、同性間は検挙数が少ないためか軽視される傾向が強いという。
さらに男性が被害者のパターンだと”腕力で対処可能”と判断され、取り合ってすらもらえない警察署も少なくない。
時代は男女で括る価値観から変わろうとしているのに、一度定着したイメージはなかなか払拭されないのが現状だ。
「確かに誤認逮捕は避けたいのだろうが……何かあってからでは遅いだろう」
「そこなんだよ。ググっても結局は被害者側が逃げるオチばっかで。結局は自衛するしかないんだねぇ」
彼女は諦め半分に長い息を吐くと、淹れたばかりの焙じ茶を一気に呷った。熱くないのだろうか。
まるでビールのジョッキのように勢いよく飲み干して、空になった湯呑みに再度急須を傾けていく。
「いる? おかわり」
「ああ」
どっちが客人か分からない。流れで湯呑みを差し出した後に気づく。
「物理的に離れるしか、根本的解決にならないってのは分かるんだけどね」
難しい問題だ。
そもそもの話として、被害者に精神的苦痛を味わわせる犯罪行為に対して刑が軽すぎるというのがある。
万が一のことが起こりうる緊急性の高い案件であっても、服役期間は長くて数年。保護命令に至っては半年だ。
出所後、加害者が数年がかりで居場所を突き止め報復したケースもある。
一度目をつけられたら最後、一生彼らの目を気にして生活し続けないといけないとは。
「辞めないよ。あたし」
苦い顔をして爪を食い込ませた私の手に、温まった細い指が重ねられる。
「誰とも離れたくないから」
あたしを狙うなんていい度胸じゃない。そう軽く笑い飛ばして、彼女は私を見つめる。譲らない確固たる意志を感じさせる、鋭い眼差しで。
こんな状況にあっても彼女は強く、気高かった。その心を守るためならばと、計り知れない気持ちが湧いてきた。
ならば、掛ける言葉は決まっている。
「私も全面協力する」
「そ。頼りにしてるよ」
まるで戦友のように互いに拳を突き合い、背中を軽く叩く。
まずは店長に報告しないとね、と余韻もそこそこに彼女はスマートフォンを取り出した。
「店長、すみません。こんな夜分遅くに」
「いいんだよ。大事な従業員のためだもの」
私達は店長さんの車に乗って、彼女の自宅付近へと向かっていた。
彼女が電話口にて今日の一件を伝えたところ、『着替えがないと不便でしょ?』と店長さんが提案したことにより、急遽取りに行くことになった次第である。
わざわざ危険な場所に赴くのもどうなのか、と思ったが、今の私達には絶望的なまでに物的証拠が足りない。
仮に出くわせば写真か動画に収めることも一つの手段だと言えた。その場で通報も有効であろう。
「えっと……」
助手席の彼女と話していた店長さんが、後部座席の私へと話しかけてきた。
明らかに言い出しづらそうな声で。
「君……お昼あたりに来てくれた子だよね。その、ね。お家で待っててくれてもよかったんだよ? これって危険な案件だから」
「いえ、あたしがテンパってたのも悪いんです。つい喋っちゃって。本気で心配してくれて」
「そこ。怖かったんだろうけど、お友達を巻き込むのは駄目だよ。ここまで大事に思ってくれる子なら尚更。泊まるならお金私が負担して、ホテル手配したげるからさ」
「はい、申し訳ございません……」
言いたいことは分かる。
親しい恋人や友人の存在が相手に知れわたると、加害者はターゲットを取られたと逆上し襲いかかる例もあるからだ。
上司には部下を守る大義名分があるが、部外者までは管轄外だ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
「ご忠告、痛み入ります。ですが了承は得ています。私も出来る限りは尽力いたします」
「お友達として、助けてあげたいのはわかるんだけど」
客観的に考えれば、女子が一人増えたところで大した戦力にはならない。
むしろ彼女を追い詰める結果を招かないためにも、首を突っ込むなと至極まっとうな大人の意見を述べるのは当然といえる。
「店長、」
彼女が弁明する前に、私ははっきりと決意を表明した。
「必ず護ります。彼女は私の大切な人ですので」
「…………」
一気に沈黙が車内に訪れた。双方声を詰まらせている様子が伝わってくる。
種類の違う困惑の空気がしばし流れて、私はもしや真摯さが伝わらなかったのかと的はずれな補足をした。
「本気で言っております」
「畳み掛けんでいい」
助手席から体を乗り出した彼女に両頬を挟まれる。
くっと店長さんから押し殺した笑い声が漏れるのが聞こえた。
勢いでとんでもない台詞を口走っていた。急激に血の気が引いて、わなわなと全身が羞恥に震えていく。
だが言ってしまった以上、後戻りはできない。本心に変わりはないからだ。
デキてるの? と聞かれたらそうですと答えるつもりで、私は次の発言を待った。
「ほーほー。なるほどー。そういうことかー」
店長さんは一人で納得したように、急に軽い口調になった。
「……その、この子、警察官志望でして。腕っぷしには自信を持ってますし、力仕事も得意です。なので」
彼女が顔を真っ赤にしながら付け加えたが、もう遅い。
店長さんは君も隅に置けないねーとばしばし彼女の背中を叩くと、私に声をかけた。
「そういうことなら、私も引き離せないね。サトウちゃんの大事な大事な人だもの」
サトウ? と首をかしげる私に『あたしの通名』と彼女が付け足す。ああ、防犯のためか。
「だけど本当に、危険と隣り合わせってことは忘れないでね。突っ走るとかもっての外。分かった? 未来のおまわりさん」
「はい。無鉄砲に行動しないように務めます」
着々と話が進んでいる中、置いてきぼりを食らった彼女がおそるおそる口を挟む。
「……あの店長、どうかあたしのプライベートは内密にお願いします」
「もちろん、お口チャックするよ。守秘義務だもの。根掘り葉掘り聞いたりしないわ。サトウちゃんから話す場合はその限りでもないけど」
「絶対その機会は来ませんのでご安心を」
あーんひどーい、と猫なで声を上げる店長さんを彼女は肘で押し返す。
ここまでうろたえる彼女も珍しい。照れる姿に興味が引かれたが今はその場合ではないので押し黙る。
「店長、こういうの平気なんですね。意外でした」
「うん。だって珍しくないでしょ? 壁やペットと結婚する人もいるくらいだし。とくに今は、なんちゃら運動とかでよくTVで報道されてるもんね」
その手の報道が差別と偏見の払拭に繋がっていることは事実だが、同時に新たな反感を産む結果ともなる。
人は理解が薄いものを理解しろと押し付けられることに、少なからず反発を覚える。
それが常識だとメディアを通して塗り固められている途中なら、尚更窮屈に感じるだろう。
実際、この追い風を利用して過激な主張を通す声も少なくはない。
そういった少数派の意見を切り取り、反対派を増長させている対立構図はまた厄介ではある。
「いいじゃない、多様化。万歳、お一人様文化。今や独り身でもなんも言われなくなったことが一番気持ちいいんだよねー」
「ちなみに、店長はバツイチ」
「そうなのか」
ここにさっそく人のプライベートを暴露する部下がいるのだが、それはどうなのか。
「別にいいよ? コブ付きじゃないしペットいるからさみしくないし。もう私には無条件で愛をくれるあの子がいればそれでいいの」
赤信号で停車したタイミングで、店長さんはスマートフォンの待ち受けを見せてくれた。
艷やかな毛並みをした愛らしい顔立ちの大型犬が映っていた。
「幸せそうですね」
「君たちもね」
そろそろです、と彼女が到着が近いことを告げた。
その一言で、先程の浮ついていた車内の空気が一気に引き締まる。
彼女は私物を取りに帰り、私は危害を加える者がいないか同行する。
店長さんは疑わしい人物がいないか見張る係だ。先程番号を交換した。
仮に件の人物がいなくても、いつ他の不審者が待ち伏せているか分からない。
この国は夜間でも女が歩けるほどの稀有な平和の最中にあるが、一寸先は闇なのだ。
警察が動いてくれないのなら、全力で自衛する他に身は守れない。
「行ってまいります」
「うん、気をつけて」
駅の近くとはいえ、すでに人の通りは乏しい。
時折電車の走行音が響き渡る以外は、不気味なほどの夜の静けさに包まれている。
大丈夫、私がついている。不安げな彼女の肩にそっと手を置いた。
念の為目深にフードを被り、私たちは静かに車を降りた。
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