【B視点】奴がついて来た

・SideB



 あいつを見送った後、あたしは裏で作業をしていた。店長が気を利かせて品出しの仕事を回してくれたのだ。


 業者さんが台車へと大量に積み上げた箱の群れを開封し、冷凍庫へと詰めていく。

 うー、陽も落ちてきた頃だから冷気が身にしみるわ。制服は基本薄着だから、真冬とかほんと死ねる。


「じゃ、お先に失礼します」


 どうやらあの客は退店したらしく、それに伴い延長してくれた男子もここで上がることになった。

 すれ違いざま、あたしは声をかける。


「今日は本当にありがとう。さっきの、ファインプレーだったよ」

「いえ。マニュアル通りにやっただけなんで」


 それにしたって、高校生であんなすらすらと対応できるのは称賛に値すると思うんだ。

 副店長やマネージャーにステップアップも望めるんじゃない?

 そう想像が膨らむくらいにはこの子の評価はうなぎ登りになっていた。フォローされた補正ってちょろいね。


「あと、これ。一応」

「げ」


 思わず後ずさってしまう。

 男子が手に持っていたのは見間違えようがない、あの客が渡そうとした紙袋だ。


「置いて行きやがりました。多分わざとでしょう」

「うん、回収したのはいいけど見せんでいいよ。ゴミ袋にボッシュートでいいよ」

 穿ち過ぎだけど、もしその中に盗聴器やGPSとか取り付けられてたらほんとヤバい。そういう手口聞くし。


「や、捨てたくなる気持ちは分かりますけど。これ貴重な証拠品でしょう」

「……あ、そっか」


 やっぱり第三者からの冷静な視点は貴重だ。そこまで頭回らないとかあたしもバカだなー。

 十分な物的証拠がないと警察も動けないんだから、本当は捨てずに倉庫裏にでも放ってホコリ被せとくべきだったね。猛省。


「じゃあそれ、預かっとくわ。厳重に放置しとくね」

「了解っす。それと」

「ん?」

「念の為、さりげなく周り見ときます。出待ちするパターンとかありますし。もしいたらラインで回しますわ」

「本当にさりげなくでいいからね。気づかれて逆上されたら君も危ないんだから」

「肝に銘じておきます」


 それだけを交わして、男子は更衣室へと向かっていった。本当にしっかりした子だ。

 だからこそ、周りに危害が及ばないようにあたしも気を張らないといけない。

 これはあたしだけの問題じゃないんだから。



「おつかれさまでーす」


 そんなこんなで本日分の業務は終わったので、あたしはディナータイムの子と代わるように店を出た。


 今日はめっちゃ晴れてたから、待ち受け映えしそうな夕焼けが空一面に燃え盛っている。

 時刻はちょうど5時。もうこの時間帯になると吹き付ける風は冷ややかだ。仕事帰りの肉体にはちょうどいい涼しさだけどね。


 大きく深呼吸して、秋の風を胸いっぱいに取り込む。


 波しぶきみたいな巻雲に沈んでいく夕日の下、あたしは足元の伸びる影を蹴散らすように駆け出した。

 帰る際はなるべく走るようにしているのだ。

 トレーニング時間の確保も兼ねてるけど、のろのろ歩いてると変なキャッチーに捕まるときがあるからね。帰宅ラン、悪くないよ。


 さて、今日はどこで時間つぶししよう。

 駅ビルにスティックシュー専門店ができたっぽいから、そこ寄ってみるかな。

 ほんとはあいつのとこ立ち寄るか迷ったけど、お母さんいるだろうから団欒を邪魔しちゃ悪いしね。適度な距離感は大事。


 フォームを意識しつつ、あたしは大通りへと足を動かした。日替わりの気まぐれコースが決まったのだ。

 あそこのイチョウ並木は徐々に色づいてきてるから、変化を眺めるだけでも楽しい。


 チャリや歩行者や犬と散歩中の人を邪魔しないように、あたしはできるだけ端に寄って快調走へと切り替えた。



 目的通り駅ビル内を適当に散策して、あたしはホームへと並んだ。

 すでに外は夜の帳が下りていて、地平線にわずかなオレンジ色のグラデがかかっている。

 ちょっと前まではこの時間でもまだ明るかったのにね。最近日没が早まってるのを感じる。


 あ、あいつからLINE来てるわ。電車を待ってる間に開いたスマホには、相変わらず短い通知文が届いていた。


「(”ご飯美味しかった、制服似合ってた、また行きたい”、ね)」


 淡々とした感想文は正直なままに綴った感があって、いい言葉をひねり出そうとしたけど結局素で送ることにしたあいつの姿が浮かんできた。吊り上がりかけた口元に手を当ててこらえる。


 でも、嫌いじゃない。恋人から向けられる好意の言葉は特別だから。言い回しは二の次だ。

 つか、豊富な語彙であいつが褒め言葉を並べだしたらむしろ怖い。キャラ変は見た目だけでいい。


 さんきゅ。会計時にあげたスタンプがたまったら常連特典で値引きクーポンつくからね。またいらっしゃい。

 ちゃっかり宣伝を兼ねたお礼の文を打って、送信ボタンを押す。

 タイミング良く電車到着のアナウンスが鳴った。

 あたしはネトサしようとしてた手を止めて、スマホをしまい電車を待つことにした。



『東武××線にご利用の方はお乗り換えでーす。お忘れ物にご注意くださーい』


 帰宅ラッシュとちょっと重なった時間というのもあり、車内はサラリーマンが多く占めている。

 大混雑ってわけじゃないけど、席は一通り埋まってるぐらいの密度。

 それでも座れたのは運がよかったんかも。しかも端っこ。ラッキー。


 一応ここは接続駅ってのもあって路線がもひとつあるから、そっち乗り換える人も多い。

 待ってたホームは階段すぐ側だったから、ばーっと人が集中して降りたのも大きかったね。

 膝に荷物を置いて、あたしは前かがみに頭を垂れた。

 最寄り駅着くまでちょっと目を休めてるかな。そう思ってまぶたを閉じようとして。


「(……は?)」


 一気に眠気が吹っ飛んだ。

 視界の端にありえないものを目撃して、背中にざわざわと戦慄が走る。

 あの客が、向かいのドアの出入り口付近に立っていたのだ。


 ……なんで? いつから尾けられてた? だいぶ寄り道したはずなのに、どこで?

 脳内に疑問符がわらわらと埋め尽くされていく。


 ばか、落ち着け。ここで混乱したらヤツの思うツボだ。

 とりあえず眠ったふりをする。

 数秒たりともラレ元にリスペクトのないパクリ先を見ていたくない。目の毒だ。

 汗ばみ始めた手を握りしめて、まずは思考を整理する。



 たまたま一緒の電車だった、これはありえない。

 あの客が退店した時間を考えれば、ゆうに1時間は経過している。そもそもそれまで見かけたことなかったし。


 次に、ターゲットの目の届く位置にいるのもありえない。人の多い時間帯なんだからもっとこそこそ隠れることはできたはず。


 お店からずっとあたしの後を尾けてきた。多分……これもありえない。

 出待ちなら他の従業員が目を光らせてるし、帰宅ラン中のあたしの後を見失わず追うことも難しいだろう。けっこう長く走ってたし。


 と、いうことは。

 あたしがどこの駅で降りるかは、多分、とっくに特定されている。

 希望的観測にしても……駅だけしかバレていない、ってことはないと思う。

 職場と家の距離が近いとこういうとき怖いから、わざわざちょっと遠いとこにしたのになあ。

 前の辞めていった子も最後は逃げるように実家に戻っていったから、前科持ちの可能性は高い。

 

 上等だ。

 本当は今すぐにでも車両を移動したかったけど、動揺を悟られれば余計に付け上がるだけだ。

 仕方ない。着いたら一旦降りて人混みに紛れて、別の車両にさり気なく逃げ込もう。



「ねえ」

「っ」


 ちょっと。なんで来るんだよ。どっと冷や汗が流れていく。


「聞こえてないの、もう。起きてんのは分かってんだからね」


 うっすら目を開けると、ああ、見たくもない。視界に入れたくない存在がすぐ目の前まで来ていた。

 やっぱ仕掛けに来たか。呆れるほどの行動の速さには笑いしか出ない。


「ちょっと、サトウさん。ねえ」


 サトウ、というのは店の通名だ。今の御時世、本名のネームプレートなんか付けてたら何お漏らしするかわかんないからね。

 あたしは寝たフリを続けた。こんなとき、下手に反応して応戦するのはよくない。

 周囲に『この子絡まれてるけど大丈夫?』という共通認識を確立させることが大事なのだ。


「……何してんだい、あんた」


 見かねた隣に座るサラリーマンが、その客とあたしを遮るように声を割り込ませた。第三者の介入により、またたく間に周囲が好機の視線に変わっていく。


「何もしてないわよ。この子次の駅で降りるのに寝てるんだもの。だから声かけたのに、寝たフリしてるのよ」


 奴はもっともらしい理屈を述べた。

 サラリーマンは一瞬納得したようだったけど、ん? と疑問の声を漏らす。

 なんで、こんなおばさんが年の離れた子の最寄り駅を知ってるんだ? 話を聞いてれば引っかかる部分だろう。


「その、失礼ですがお二人はどういったご関係で?」


 とまあ、そう聞きたくもなるよね。周りもそうだそうだと、耳を澄ませてる気がする。閉じたまんまだから分からんけど。

 ごめんね、名前も知らないおじさん。見ず知らずの女に関わるとか社会的地位が脅かされる事態に巻き込んでしまって。

 万が一このアマが被害者ぶったら全力で庇うからね。


「ただのご近所よ。……もういいでしょう? 無視されてるのはアタシなのに責めるっていうの」


 ご近所同士が電車でたまたま鉢合わせるとかレアケースじゃない?

 つかガン無視決め込まれてたら嫌われてるってわかんない?

 嘘の設定に苦しくなったのか、『ほらサトウさんってば』と客はあたしの肩を掴んできた。


 ……さわんなよ。気安く。あいつ以外の人間が。

 不快さに耐えきれなくなって、あたしはとうとう目を開けた。


「…………」


 うわ、思った以上にみんなめっちゃこっち見てる。撮影現場に居合わせたエキストラみたいだ。

 とりあえず、あたしは困ったような苦々しい表情を浮かべた。あたし絡まれてます、そんな雰囲気を醸し出すように。


「……その、この人が言ってることは本当なのかい?」


 あ、これこっち側につけばいいパターンなんだな。

 サラリーマンはそう確信したっぽくて、あたしに多分違うよね? と言いたげな声調で聞いてきた。

 客はあたしに牽制をかけるためになんか言おうと息を吸ったけど、あたしはその前に畳み掛けた。

 はっきりと通る声で言い放つ。


「いいえ。そもそもあたし、この方の名前は一切存じ上げません。疑うようでしたら大家さんに確認を取らせましょうか。近所の方だそうですし」


 客は声を詰まらせた。

 あたしのアパートの大家さんは長年ここに住んでいるから、情報通と言っていいくらい近隣住民との密着は強い。

 周辺は子育てが終わった世帯ばかりが立ち並ぶ昔ながらの住宅街が拍車をかけている。地域のネットワークを舐めないでほしい。


「すみません。巻き込んでしまいまして。助けていただきありがとうございました」


 あたしは心からのお礼を言った。いいえ、とリーマンのおっさんはほっと胸を撫で下ろしている。

 もし勘違いからの暴走だったら生きた心地しなかったろうしね。


 なんだやっぱりこのおばさんが頭おかしいだけか。

 と野次馬も事実を周知したことにより、客を敵視する目つきへと変わっていく。

 共通の敵が分かると、個となった人間は強くなるのだ。


「な、何よ」


 客の顔が面白いほどに引きつった。居心地の悪い空気に押され、どんどん声がしぼんでいく。四面楚歌の状況だった。


『ご乗車、ありがとうございまーす。お忘れ物にご注意くださーい』


 ちょうど電車が止まって、ドアが開いた。あたしが降りる駅だ。

 で、この客が降りる設定となった駅でもある。


「…………」

 ここで降りなきゃ、この客はもう一つ嘘をついていたことになる。

 まだ何か言いたげだったけど、奴はしぶしぶと下車していった。


 あたしはまあ、ここでバカ正直に降りたらどう絡まれるかわからんし。何駅か乗り過ごすのが賢明だろう。そのまま座ってることにした。


 ドアが閉まり、車内は再び沈黙に包まれる。あたしは無言でお辞儀をした。

 それで周りには解決したと受け取ったのか、多くの目線はあたしから外れていった。



 それから何駅か過ぎて、あたしは一度も降りたことがない駅に立った。

 とりあえず、反対側のホームに回ろう。そんで戻ろう。

 人の波が過ぎ去るのを待って、途切れてきたところで階段を降りだした。


「…………」

 次の電車が来るまで15分待ちかあ。この時間じゃちょっと寒いけど。


 へたり込むように、冷たいベンチへと腰掛ける。

 ホームに静寂が訪れると、途端に寒気が襲ってきた。

 あたしは膝に乗せたカバンに頭を埋めた。体の震えが止まらない。風邪引いたとかじゃない。久しく忘れていた、恐怖が這い上がってきたのだ。


 今、自宅に戻るのは危険だろう。最寄り駅を知ってたんだ、待ち伏せされていてもおかしくはない。

 あの客は恥をかかされ、あたしに対する恨みを募らせているはずだ。

 頭の中でとんでもない極悪人に仕上がって、どんな罪を犯してもいいと思っているに違いない。ああいう輩は絶対に自分の非を認めようとしないから。


 じゃあ、警察? 絡まれた確証もないのに?

 話は聞いてもらえるだろうけど、交番は宿泊施設じゃない。自宅まで送ってもらってそのまま解散が関の山だ。


「…………」


 なんで、こんなに恐いんだ。


 高校生までは一人じゃなかった。帰るときもいつも誰かと一緒だった。家に帰れば優しい両親と美味しいご飯が待っていた。

 親は特にあたしの身に関しては敏感だったから、バイト先は常に送り迎えをしてくれた。甘やかされてたとも言えるけど。


 それが、今。もう大学生なんだし自活できるよと、一人暮らしを始めた矢先にこれだ。もちろん自衛していなかったわけじゃない。

 でも、隣に誰かいない状況がこんなに恐いだなんて。


 真っ暗な夜の闇が、電車の来ないホームが、田舎駅らしく見渡す限りの静かな町並みが、恐い。


 あたしはおぼつかない手でスマホを取り出した。

 震える手で、着信履歴から一人の番号を呼び出す。


 第三者に、それも一番大切な人に縋り付くなんてタブー中のタブー。

 でも今はそんな余裕もないほど、あたしは声が聞きたかった。安心が欲しかった。


『どうした?』


 2コールもしないうちに、あいつの声が聞こえてきた。

 それだけで、胸が締め付けられるような痛みが走った。喉が焼け付くように熱く、うまく言葉にならない。

 震える声で、あたしはただ一言をつぶやいた。



「たすけて」

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