【B視点】奴が来た

・SideB


 あたしはちょっと遅めの昼食を摂っていた。

 本日のまかないはヘルシーリゾット。最近流行りの代用食ね。

 カット野菜を米代わりのダイエットメニューとして出したところ、女性層から一定の支持を得ることに成功。

 めでたくグランドメニューの仲間入りを果たした新人ちゃんだ。


 うん、食感はいいよね。トマトベースのスープに魚介エキスとパセリとサラダチキンが絡んでいるから味の満足感もあるし。

 これ毎日って言われるとご飯が恋しくなるけど、週3くらいだったら食卓に並べてやってもいい。


 もっしゃもっしゃと咀嚼していると、来店を知らせる鈴の音が鳴った。

 あいつ、来たのかな。スプーンを動かす手を少しだけ早める。

 LINEに既読ついてたから、もう座ってんのかもしんないけど。

 ほら、今また鳴ったし。案内したかったなあ。


 食べ終わって食器を厨房に戻す時に、あたしは客席を確認するべく顔を出そうとした。

 その時だった。


「(ごめんね)」


 店長が視線を遮るように、大きく体を乗り出した。

 もちろん、嫌がらせの行動なんかじゃない。

 あたしと店長は合わせ鏡のように顔をしかめて、大きく息を吐いた。


 奴が、来たのだ。


 良く言えば金を落としてくれるお得意さん。悪く言えば痛客だ。

 外見から中年を過ぎて久しいその人は、おそらく仕事してないのか平日でも白昼堂々とやってくる。

 いっつも同じと言うか似たような、部屋着っぽいよれただっさい格好で。


 頻繁に食事に訪れるだけだったら無害だよ。そういうお客さんもいるし。

 むしろ常連サービスでこっちが繋ぎ止める側だ。

 ただ、こいつはちょっと常連客の範疇には入れたくない。

 理由はただ単に気持ち悪い。

 お店の雰囲気や食事目的じゃなくて、あからさまに店員目的で来ているのが見え見えだから。


 きっかけは春先の夕方頃。人がほとんどいない日だった。

 同僚がレジカウンターでその客と話しており、いくら暇な時でも仕事中だからと注意したところ、一方的に話しかけられて迷惑してたらしい。


 常連客では身内のように親しく話しかけてくる人も珍しくない。一言二言世間話を交わせば相手もそれで満足する。仕事中だしね。

 その当たり前の常識が、奴には通用しなかったのだ。


 それからその客は、決まって暇な時間帯を選んで訪れるようになった。

 ウザ絡みの鬱陶しい客。そういった認識があたしたちの間で広まるのにそう時間はかかんなかった。


 店長が『仕事の邪魔をするのでしたら法的措置を取りますよ』とビシッと言ってくれたのが効いたのか。

 それから大人しくなったのまでは良かったんだけど。

 でも、生理的嫌悪感は拭えなかった。訪れる頻度も、吟味するように舐め回す視線も変わらなかった。


 けど、態度だけで実害はないので店側も出禁にはできなかった。

 暴れるとか、セクハラするとか、個人情報を聞くとか。そういった業務妨害はやらないから警察も動いてくれない。

 むしろ、自意識過剰じゃないの? 自分が嫌いだからってなんでもまかり通るわけじゃないんだよ。なんて説教まで頂戴してしまった。

 多分、相手も程度を分かってるんだろう。ただじろじろ見るために来店するのがいっそうタチが悪い。


 最初に絡まれていた同僚は奴のお気に入りだったのか、そのうちその子がいる日を狙って来店してくるようになった。

 あたしたちは同僚とそいつを鉢合わせないように、来たらバックルームに隠すとかで精一杯のフォローをした。つもりだった。

 結局は守りきれなかったのだ。彼女は気味悪がって辞めてしまった。悔しかったけど、業務にまで支障が出るほど参ってたから仕方のないことだった。

 その客も退職を知った瞬間に店へは足を運ばなくなった。露骨すぎてムカつくわ。


 でもまあ、ひとまずは一件落着だと思ったのだ。

 あたしが次のターゲットになるまでは。


 

 とりあえず、こんな顔を他の客に見せるわけにはいかない。なので裏へいったん移動する。


「……いるんですか?」


 あたしは被った猫を剥がした。露骨に不快な声調で店長に問いかける。

「うん。だからまだこっちいていいよ。私がなんとかするから」

「……ありがとう、ございます」


 自分の休憩を潰してでも部下を庇ってくれている。理想の上司だ。なんだけど。

 今日はちょっとタイミングが悪すぎて、あたしはちっとも感謝してない口ぶりで言ってしまった。

「気にしなくていいよ。あなたもミヅキちゃんを守ってくれてたじゃない」

 店長はなだめるように、優しい口調で肩を叩いた。


「いえ、その……」

 ああ、公私混同しちゃいけないんだけどなあ。

 でもあの客は長時間居座ってるから、隠れてる間にあいつが帰っちゃうかと思うと我慢ならなかった。


「……どうしたの?」

 かいつまんで事情を説明する。

 今日、”友達”がこの時間帯に来る予定なんです。もちろんお喋りはしないようにお互い了承していますが、顔すら出さないのは失礼だと思って。と。


「あー……そっかー……」

 それは悔しいよねえ。うんうんと何度か頷くと、店長は明るく声を切り替えた。

「じゃ、その間のお仕事はレジ周りを任せるよ。基本カウンター下掃除で、お勘定のときだけ顔出してくれればいいから。そしたらお友達とも会えるしね。あの人のときは私が代わるよ」

「ですが……」


 いくら頼ってくれてもいいとは言っても、他の人にあたしのぶんの仕事を負担させてまでエゴを通すのは限度がある。そろそろ上がる人もいるし。

 どうせ実害はないんだから、堂々としてりゃいい。あたしが我慢すれば済む話なんだから。


「それは駄目」

 店長はきっぱりと言い切った。

 普段穏やかな人がぴしっと空気を張り詰めると、怒りっぽい人よりも迫力がある。

「従業員を守るのが私の務めだもの。ストレスを抱えてまでお仕事させるなんて店長失格だわ」


 前の、あの子を守りきれなかったことを相当悔やんでるんだろうな。上に立つほど責任は重くなるし、それ相応の覚悟も必要となる。

 でも、店長は優しいから。あたしみたいにひねくれてなくて、いつもまっすぐで。皆からも慕われてて。だからこそ、胸が痛い。


 あー、本当に忌々しい。こういった事例って被害側がメンタルすり減らしていくだけなんだよね。くそったれ。


 いくら見られるのが仕事つっても限度がある。それで心身やられてたら本末転倒だ。客は神様にも疫病神様にもなるんだから。



「俺は全然大丈夫っすよ」

 店長がざっと説明したところ、もうすぐ上がる予定だった後輩の男子は快く延長を了承してくれた。


「……本当? もちろん超過したぶんはお給料に反映するけど、今なら私一人でも回せるよ」

「店長に背負わせてまで帰れるほど、俺図々しくないんで。それにヤなんすよ、こういうの。身内に似たようなことあったんで、余計許せないんです」


 男子は怒り濃く吐き捨てた。

 いつも素っ気なくぼそっと喋る子なのに。よっぽど腹に据えかねる何かがあったんだろうな。


「なんで、遠慮せずかくれんぼしててください。目ぇ光らせてますんで」

 男子はこぶしを握って、軽く自分の胸を叩いた。ダルそうな印象が一瞬で払拭されるほどの頼もしさを感じた。君、そのキャラで通してたら絶対モテるのに。

 ああ、まったく。あの客さえいなければ最高の職場なんだけど。


「ありがとう。今度シフト代わって欲しいときはあたしに言ってね」

「じゃ、そんときはよろしくお願いします」


 ついでにお菓子も買っておこう。みんなが気軽につまめるやつでも。食品売り場のお土産コーナーに今度寄ってくかな。

 そんなこんなで二人は仕事に戻った。

 あたしは言われた通りに隠れる形で、掃除へと取り掛かった。


 あいつはすでに着席していた。お母さんらしき中年の女性とテーブルを囲んで、静かに料理が来るのを待っている。

 入り口付近なのは、あたしが確認しやすいように店長が気を遣ってくれたんかな。

 ……なんで、従業員のあたしがこそこそ覗かなきゃいけないんだか。もちろん仕事はしてるけどさ。


 そして、問題のあの客は。

 気付かれないように一瞥したけど、一瞬でも見てしまったことを大後悔することになる。正直肝が冷えた。

 1ミリも理解できないし一生涯分かりあいたくもないけど、なんとなくこういうことするのは察せるんだよね。それが一番あたしにダメージ与えるって知ってるから。

 上も警察もさ。ほんと、軽く見られがちだよね。




 同性の付きまといってのは。



 そいつはあたしの真似をしていた。いや言いがかりじゃなく、ガチで。

 染めた髪色も、巻き加減も、ヘアアクセも、どこで見かけたのか私服も。

 そっくりそのまま。劣化コピーもいいところだ。


 対象が同性の場合、格好の真似から入るのはそんなに珍しくないっぽい。

 けど、奴がここまで露骨に似せてきたことは今までなかったはずだ。


 ……当てつけのつもりか? 前のあの子みたいにキモがらせて退職に追い込むってか?

 そんでトラウマ植え付けて孤立に追い込んで、自分が追い詰めてやったことに達成感を得てるんだ絶対そうだ。


 あたしは怒りのあまり思考が極端になっていた。握りしめていた布巾を思わず引きちぎりそうになってしまう。


 別にあたしはいい。自分の容姿はそれなりに同性をざわつかせるって自覚してるから、やっかまれることには慣れている。宿命みたいなもんだ。


 問題はあいつだ。

 気づいてほしくなかった。幸いあいつはあの客に背を向けるようにして座っていたからいいけど、このまま振り向かないことをあたしは祈った。


 ……なんか、こうやって隠れる形でいるのもストーカーっぽいなあ。

 同族には死んでもされたくなかったので、あたしは毅然と立つと布巾を洗いに裏へと向かった。


 そのうち別のお客様が会計に訪れたので、あたしはやっと従業員らしくまともに顔を出して接客する。

 あいつのほうをちらっと見ると、ホットケーキを静かに食べている様子が目に入った。

 それ、ほんと美味しいんだよ。厨房担当の腕がいいからね。心の中でつぶやいて、あいつのことだけを考えることにする。

 

「ありがとうございましたー」


 いつもどおりの台詞でお客様を見送って、お辞儀の姿勢から顔を上げた。

 ……うわ。

 視線を感じた。誰かは分かってしまっている。

 その方角に顔を向けると、そいつはバレバレの動作で顔を横に背けた。

 何見てんだその分会計に上乗せしてやろうか。黒い感情を必死に思い留める。


「いかがなさいましたか?」


 あたしを見ていることに気づいたのか、男子がさり気なく助け舟を出してくれた。嫌な顔ひとつせず、完璧な営業スマイルでその客の側へと近づく。

 何よ、と迷惑そうにそいつは男子を見ようともせずぼやいた。


「ご注文の合図かと思いまして」

「違うわよ。これ、渡してもらえる。今日いるんでしょう」

 客は下のカゴから紙袋らしきものを取り出した。

 またその手口か。前もやってたよねぇ。何がしたいんだか。


「申し訳ございませんが。安全性を考慮いたしまして贈り物の類は一切禁止しております」

「なによその言い方。アタシが危険物を持ち込んでるとでも言うの」


 ちなみに、常連さんの中には差し入れをくれる人も珍しくない。

 有名店の乾燥味噌汁セットをもらったときは、あまりの美味しさに従業員全員がリピーター化したくらいだ。


 でも、こいつは。親切の押し売りだ。くれてやるから店に居座ってもいいよね、みたいな。

 その贈り物もアクセや服といった個人に向けたものばかりで、本当に気持ち悪い。いくら服に困っても着ない自信だけはある。もちろん、前の子が同じ目に遭った際も全部処分した。


「ところで、他にご注文はございませんか」

「いらないって言ってるでしょう」

「当店ではお一人様につき、一品以上の注文を義務付けております。お飲み物一杯のみのオーダーはご遠慮くださいと、メニューにも記載されておりますが」

「勝手なこと決めて」

「追加のご注文がないようでしたら、入店から一時間を超えた段階でお引取り願う規則に従わせていただきます」

「……わかったわよ。頼めばいいんでしょう。これ。クラブハウスサンドで」

「畏まりました」


 それでも居座るんかい。あたしは半ば呆れたように一部始終を聞いていた。

 抑揚と声量は抑えていても、静かな店内には不快な雑音となって響いてしまう。BGMがカバーしきれてない。


 と、あいつとお母さんが席を立った。聞こえちゃったかな。ちょっと申し訳ない気持ちであたしはカウンター前へと立った。


「5千円、お預かりいたします。5千入りまーす」


 仕事中だから決まった台詞しか言えないけど、少しでもあいつと関わる時間ができたのは嬉しい。とびっきりの笑顔を作って、あいつとそのお母さんに向き直る。

 ちなみにあいつはじーっとあたしを見ていた。正確には服を。


 席を立つ前からなんとなく見ていたのにも気づいていた。あの客とは違い、純粋なあこがれを秘めた眼差し。恋人フィルターもあるけど、まったく悪い気はしない。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 よし、決まった。めっちゃいい顔ができたし、声のトーンもばっちり。好きな人がいるって、いっそうやる気が出るよね。


「ご馳走様でした」


 あいつはわかりやすすぎるくらいに俯いてそれだけを返すと、さっと背を向けて出口へと向かった。

 さて、やる気も充填できたし残りの時間頑張りますか。あの客がいなければもっといい時間になったんだけどね。


 ……だけどそろそろ、本当になんとかしないとなあ。

 人の真似まで来たら次は排除に決まってる。何を仕掛けてくるか分からない。

 アクション起こしたらこっちも突き出す準備はできてるから、いつでもかかってくりゃいい。

 そう、軽く思っていたのが仇になったのかもしれない。



 まさか、あんなことになるなんて。

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