【A視点】恋人のバイト先へ来た

・SideA


 休日ということもあり、店舗正面に位置する第一・第二駐車場は満車。

 少々遠回りになるが入り口の通りを突っ切って、裏口に面する第三駐車場へと向かう。


「収容台数こんなにあって駐車料金取らないのね。駅にも近いのに」


 母親が感心したように辺りを見渡した。

 おそらくそれも関係しているのか、いつ来てもこの大型小売店は賑わっている。

 付近には店を取り囲むようにして住宅団地が立ち並んでいるため、多くの住民の生活基盤施設となっていることであろう。

 もちろん私もその一人である。夜八時半には閉まってしまうので買い物は早めに済ませないといけないが。


「ゆっくりでいいからね。縁石乗り上げには気をつけて」


 なるべく連続して空車となっているスペースを選び、慎重に白線内に車を停めていく。

 何度か車体がはみ出してその都度ハンドルを切ったが、一応形にはなった。


「ふうん。2ヶ月ぶりにしてはなかなかね」

「今日は路上ほとんど走ってないから」

「そりゃそうだけど。でも練習したかったら言ってね。やらないと本当に忘れちゃうから」

「じゃあ、帰りは駐車場を大きく回る形で行ってみるよ」


 ここの駐車場は敷地内が広いし、大通りにも通じている。良い練習になるだろう。

 流石に公道で慣らす走行となれば、人通りの少ない時間帯を選ぶ必要があるが。


 久々の運転とあって思った以上に緊張していたらしい。

 車を降りると、首に浮いた汗を拭うようにそよ風が吹き抜けていった。


「今日はいい天気だね」


 母親の言葉通り、お天道様を拝むのは久しぶりとなる。

 たなびく雲の群れを見渡すように、遥か彼方まで澄んだ晴天が広がっている。

 秋の空模様だ。

 昼時を過ぎていても車の往来は激しく、家族連れもちらほらと見かける。行楽日和には最高の日であろう。


 解放感あふれる気候に、乗車時の張り詰めた糸がほどけたためだろうか。胃痛にも似た強い空腹感を覚える。

 朝食もあまり摂らず昼過ぎまで寝ていたのだから、当然の生理現象ではあるが。

 ……自覚したら軽い目眩もしてきた。早く自慢の味と彼女の御姿を堪能するとしよう。


「…………」


 タイミングを見計らったように、胸ポケットに入れたスマートフォンが鳴った。通知の音だった。

 彼女からだ。おそらく休憩に入ったのかもしれない。了承と受け取れる文面が返ってきた。


「ちょっと歩きスマホしないのー。そんなん店でやればいいでしょー」

「ごめん、鳴ったもんで」


 にこにこしちゃって。やっぱ行きたかったんじゃないのと母親が含みのある笑みで背中を叩く。

 そこまで顔に出ていたのか、私。不審がられてないといいが。


 市道を挟んで隣接する専門店街へと、私達は足早に向かった。



「いらっしゃいませー」


 店内は意外と空いていた。ぽつぽつと空席が目に入り、客も単独で食事をしている中年層が多い。

 いくら昼時を過ぎたとはいえ、休日であれば学生のたまり場になっていると思ったのだが。


「よかったわね、時間ずらして」


 母が小声でつぶやく。

 とりあえず店員に案内されるがまま、私達は入り口付近の丸テーブルの席へと座った。


 見渡す限りの木を基調とした厳かな空間が、とてつもない己の場違い感を抱かせる。

 何から何まで、私とは縁遠い世界がここにあった。


 足元のクロークバスケットに荷物を置く。

 すぐさま『店長』の名札を下げた女性の従業員がこちらへと歩いてきた。

 丸みを帯びた、店名が刻まれた木製のコースターにグラスが置かれる。


 椅子ひとつ取ってもやたらデザインが凝っており、籐で編まれた椅子は程よい弾力がある。

 また、しなりのある背もたれは座り心地がよく、包み込むような温かみを感じる。


 瑞々しい葉を茂らせる観葉植物と、天井から無数の蛍のように吊り下げられた電球のコントラストもまた儚げだ。

 やや薄暗い店内に溶け込んで、隠れ家のような雰囲気作りに一役買っている。


 静かな店内にせせらぎのごとく流れるBGMは、よく耳を澄ませると聞き覚えのある流行歌だった。

 音の少ない奏は穏やかな響きとなって、耳に心地よく染み渡っていく。何時間でも居座る人の気持ちも分かる気がした。


 確かに、女性人気が根強いのも頷ける。

 私自身、褪せたと思っていた美的感覚が呼び覚まされたことに驚いていた。


「お母さんはやっぱりホットケーキにするけど。アイストッピングまでならいい?」

「いいよ遠慮しなくて。好きなもの頼んで」


 そもそも、このお金自体も元々は親のものである。

「そう? じゃあカフェモカ付けるわ。季節限定の。焼き芋風味だって」

「どうぞ」


 当店自慢と手書きで強調されたホットケーキが気になったが、きりきりと鳴る胃袋は塩分と油を欲していた。

 空腹には勝てず、気取らず存在を主張するカレーライスに目が吸い寄せられていく。


「それが気に入ったの?」


 だったら早く頼もうよ。お腹空いてるんだから。

 口に出さずとも、急かす空気が伸し掛かっていく。


 しかし、仮にも初来店で、恋人が働いてる空間で匂いが強く残るものを頼むのもどうなのか。

 明らかにカップルの彼氏側に配慮したようなメニューだ。注文内容も間違いなく目を通されるだろうし。

 せめて隣のビーフシチューハンバーグ、カレードリア、いやオムライスに妥協するべきか。


「……いい。高いし。こっちにする」


 迷った末に、私はカルボナーラを注文した。

 せめてもの抵抗にランチセットメニューも付けた。



 頼んだ料理はそこまで待たずに運ばれてきた。

 最初に案内してくれた方と同じ人が、丁寧に注文の品を並べていく。

 ざっと見渡したものの、ホールにまだ彼女はいないようだった。


「わあ、美味しそう」


 母親が少女のように目を輝かせる。

 ホットケーキは焼き上がったままの姿で真っ白な皿に鎮座しており、店の洒落た雰囲気から期待すると拍子抜けするほどにはシンプルな盛り付けだ。

 付け合せのアイスクリームやバターですら別の容器での提供となる潔さには、いっそ清々しさを感じる。


 ただ、存在感があった。飾りなど余計だと言わんばかりに。

 均一な焼色に包まれた表面に、うっすらとカーブを描く艶。芸術品のような丸いフォルム。

 一切の焼きムラがない鮮烈なきつね色は、品も忘れてかぶりつきたくなるほどには食欲をそそる様相を呈している。


「……食べる?」


 恥もなく首を何度か縦に振った。当店自慢の謳い文句は伊達ではなかったのだ。

 母親は丁寧にナイフを入れて、四分の一ほどに切ったケーキを小皿に置いてくれた。

 貰いっぱなしも悪いので、こちらも巻き取ったパスタにサラダを添えて提供する。


「こればっかだと口の中甘ったるくなっちゃうからね。ちょうどいいわ」


 おすそ分けが終わったところで、互いに黙々と食べ始める。

 私は特段舌が肥えているというわけでもないので美味しさの度合いは詳しく述べられないが、一気に平らげたので文句はつけようがない。

 一皿で客を満足させられる料理は真の絶品だ。

 とはどこかで見かけた言葉だが、あながち間違いではないのかもしれない。


 食べ終わってぼんやりと店内を眺めていると、彼女がカウンターで会計をしている様子が目に入った。


 休憩、終わったのか。

 ここからだと横顔くらいしか伺えないが、白と黒の引き締まった色合いの制服をまとった彼女は抜群の存在感を放っていた。

 極限まで派手さを抑えたカマーベストを手足の長い彼女に身につけることで、成熟した大人の女性感を一層引き立てている。


「ねえねえ、ちょっと聞いてもいいかしら」

 まるで同年代の友人に話しかける口ぶりで、母親が声を掛けてくる。


「何か?」

「あーた、ひょっとして彼氏できた?」

「ごふっ」


 一切の予告なくぶん投げてきた剛速球に、私は思い切り咳き込んだ。

「あー。図星か? 図星なんだな?」

 気管に入り込んだ水分を追い払うのが精一杯で、否定する余裕もない。

「なにを、ごほ、根拠に」

 それだけを絞り出すのが精一杯であった。

「だって。遠出でもないのに。普通の店だし。親と食事するだけなのに化粧してから行く?」


 恋人の職場に行くなら身だしなみを整えていくのは普通だろう。

 とは言えないので、思いついた言い訳をとりあえず述べていく。


「顔が顔だから。化粧でもしないと人前には出られなくなる」

「ああ、そ、そうなの……」


 生まれ持った事情を盾にされると、親としては口の出しようがない。一応これも理由の一つではあるが。


「で、ぶっちゃけどうなの? 黒なの?」

「…………」


 この人はこれしきではめげない性分なのを忘れていた。

 仕方ない。開き直ろう。


「いる。でも詮索はしないでください」

 思い切って伝えると、意外にも母親は安堵の息を漏らした。


「わかってるわよ。親しき仲にもってやつでしょ。むしろ安心したわ」

 母親からすれば、色気がまるで無く女として終わりかけていた娘だ。

 大学に上がってやっと浮いた話が出てきたことに、悩みの種が一つ取り除かれた心境でいるのだろうか。


「今があなた、一番きれいよ。前よりずっといい」

「…………あ、ありがとう」


 実の親に面と向かって褒められるのは、思った以上に恥ずかしい。

 照れ隠しにグラスを呷ったが、中身はすでに氷だけしか残っていなかった。



「ありがとうございましたー」


 会計を済ませて、店を後にする。

 私は母親と並ばず、あえて少し前を歩いた。今の気色悪い顔を見られたくなかったのだ。


 元々奢る約束だったので、私は伝票を持ってレジへ行った。

 そこに彼女がいた。

 流石に仕事中だったので一切の私語は交わさなかったが、確かに、彼女は私に向かってそっと微笑んでくれた。

 またのお越しをお待ちしております。

 定型文ではあったが、あの笑顔でこう接客されてはそれだけでお釣りが返ってくるものだろう。

 我ながら引いてしまうほどに浮かれている。あとでお礼のメールを送ろう。


「カフェの経営って、やっぱ大変なのかしらねぇ」

「え?」


 いきなり現実的な話題を切り出されて、茹で上がった頭が一気に冷めていく。


「お店の中では言えなかったけどね。あなたの後ろ、ずーっとコーヒー一杯で粘ってた人見えたからさ」

「ああ……」

「それにね。自分は大したお金払ってないくせに店員さん引き止めて、ずーっと喋ってるの。耳障りだったわ。もう信じらんない。なにしにお客様として来てんのかしら」

「そ、そっか……全然気づかなかった」


 結局の所、こういったお洒落なカフェはコストパフォーマンスが悪い。

 基本的には雰囲気を買いに行くようなところなのだ。

 普通の飲食店よりもボリュームが少なめで、かつ物価も高い。

 そして、母親が目撃したようなコストパフォーマンスが悪い客も出てきてしまうのだ。


 喉を潤すだけなら水でもできる。

 一杯の珈琲ごときに金を取られるのが納得行かない。腹持ちが悪い店に通い詰める理由が分からない。そう敬遠する側の意見も分かる。


 それでもくつろげる場所として一定の支持を得られれば、常連客はつく。

 老人の社交場と化した純喫茶が良い例だ。儲けになるかは別の話として。


「立地条件が全てじゃないかと思う。ここはほら、人通りが多いし」

「そうねぇ。あのお店、お母さん的には気に入ったから生き残って欲しいけど」

「うん、分かるよ」


 辛気臭い話を払拭しようとしたのか、母親は今晩のおかずを買いに食品売り場へ行くと言った。

 私も続くことにする。

 秋の味覚と大きく掲げられたのぼりが見えたので、そういえば秋刀魚食べたいなあと思ったのだ。

 ……先ほど食事したばかりなのに。

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