#16 電源を切る
「………」
「どうした?今になって願いを叶えることが恐ろしくなったとか
差し伸べられた手のひらをじっと見つめる敢に対し、煽るようにカミサマは告げる。
足元を彩っていた紙吹雪のようなものはいつしか消え、リルの身体も薄紫色の液体の中に呑まれていた。いつまでも手を取ろうとも願いを告げようともしない敢に、「あぁ、そういうこと?」とカミサマは小さく呟く。
「いいよ、どうせこれが本当の最後だ。キミがこの世界で疑問に思っていたことや対戦について話してあげるよ」
「…そうは言われても、元々疑問と言うより……この世界に良い感情は抱いていなかったよ」
あっそ、と呟きながらもカミサマはくすくすと笑う。今となっては何も隠す気は無いのだろう、「どれから説明しようかなぁ」と間延びした言葉を吐き出していた。
「まずはこの世界の…僕が新しく作り直したShadow taGの世界の話から始めようか」
「……ここは本当に、私達がこれまでゲームとして遊んでいた仮想空間と同じなのか?」
「うん、同じ。変えたとしたら購入機能の停止とか他のユーザーからの侵入を停止させたくらい」
「…どうやってゲームと現実を繋げれるんだ。次元の壁を越えることは不可能だろう?」
「元々僕が作っていたプログラムが動いただけだよ。次元の壁を越えることは出来ずとも、限りなく近く…壁を薄くすることを僕は可能とした。」
何かを思い出すようにカミサマは一瞬、その黒い瞳を逸らす。しかし直ぐに敢へと視線を戻す。
「元々あるフルダイブ技術……まぁ、簡単に言い換えるとゲームを全身で感じる技術を僕はもう少し改善させて、キミたちに与えられる刺激を極限まで高めた…って言えば伝わるかな?」
「地のアイツにも似たような説明はしたけど…ここでキルされた者達のアバターはバトル空間外に溶けて消えてる。ゲームでロストしたならゲームに返るのが妥当だ。現実世界では心臓麻痺に近い…というよりはショック状態じゃないかな?実際に死ぬほどの痛みを受けてまともでいれるなんて思えないから」
「…ショック状態なら、早期に対処すれば回復の見込みがあるんじゃないか?」
「難しいと思うよ。だって、生き残ったキミは知らないけど彼らに与えられた刺激は死と即座に直結する程の強さだ。…見込みはあったかもしれないけど、残念なことに現実で見える画面は普段のゲームと何ら変わらないものに差し替えている。だから誰かが見かけても『ゲームで寝落ちしたんだな』って思われるのがオチだよ」
ギリギリまで希望に縋るなよ、キミたちがお友達を殺した現実には変わらないんだからさ。とカミサマは付け足す。少し苛立ちを覚えながらも敢は質問を続けた。
「ならバトルフィールドとして選ばれた場所は?どうやって貴方は私たちの情報を理解した?」
「カメラ」
「……?」
即座に返された言葉に疑問を抱けば、カミサマは自身の目を指さすような動作をした。
「パソコンでも携帯端末でも何でもいい。どちらにせよ、内側にカメラがあるだろ?そこを通じて情報を集めさせてもらった。…そこから色んなことを乗っとるのは、僕にとって簡単だからね」
「犯罪じゃないか」
「
「……」
黙った敢を見、ハッとカミサマは鼻で笑う。持て余したであろう2本の手は自身の髪の毛をくるくると触っていた。
「バトルフィールドの仕組みは簡単だよ。単純にそれぞれを繋げて新しいステージを生み出した。ほら、ゲームでもよくあるだろ?イベント限定ステージとか新登場ステージ。あれと仕組みはなんら変わらないよ」
「…学校なら、学校同士などで合わせれば良かったんじゃないか?」
「そんなのつまらないだろ。…まぁ、1部は仕方ないに近かったけども。それでも彼があの時違う方に進めば自分の個人情報も見つけることが出来たからね。」
「見える情報だけで全てを判断しないことだね。見えない物の方が圧倒的に多いんだから」
そうか…と呟き、ふと敢は疑問を口にする。
「貴方は…対戦相手として組み合わせたのは、ここのゲームで相棒関係だった者同士が多かったが…何か意図はあったのか?殺し合いをさせるのであれば、仲の悪い者同士などを組み合わせることがあると思ったが…」
記憶の片隅にあったいつの日か読んだ小説を思い出す。大抵は仲の悪い者同士で何かあるが、これまでの戦いにはほとんど無かった。初戦のラリマーとmokuには近しいものはあったが、あれは単純に一方的な彼の感情だろう。ろーゆーとキングのこともあったが、あれはミラーハートの件が無ければ彼の怒りの矛先は彼女をキルした者へと必然的に向いたはずだ。
分かりやすい関係性で言えば、バニヤンとMr.Bon-Bonだろうか。あの2人は以前から仲が悪いことが周知の事実であり、分かり合えることは一生無いだろうと周囲は感じていた。
「………」
「……?」
突如口を閉ざしたカミサマを不審に思い、敢は表情を覗き込む。ひゅっ、と思わず息を呑んでしまいそうになるほど目の前の存在から表情は抜け落ちていた。
底知れぬ闇を映すその黒い目を最大まで見開き、小さく口だけは開けていた。
「………お前も、結局争いを望むんだな」
ぽつりと吐き捨てるようにカミサマは呟く。それに対し、敢は疑問を口にした。
「お前も…とは言うが、そもそもこんなデスゲームを作ったのは貴方だろう?貴方は時々暴力沙汰などを強く拒むことがあったが…、」
行動が矛盾していないか、と呟きかけてその言葉を呑み込む。何故ならこちらを見上げるカミサマの眉間には深いシワが寄せられていた。
「それはキミたちの本気を証明するためだ。『相手を殺してでも叶えたい』願いは、同時に自分自身の命を天秤に掛けている。その願いを持つ者同士が戦うことになったら、必然的に目の前の相手は願いの為に邪魔な存在だ。」
「そんな極限状態に立たされたヒトを見たかっただけだ。何故最初から憎みあっているアイツらを組み合わせる必要がある?アイツらのどちらかにその場で優劣を付ける必要がどこにある?結局生き残るのは1人だけなのに、その場限りの優劣に何の意味がある。」
「その場で芽生える感情は神に縋るものではなく、ただの自我によるものだ。なんでヒトが嫌いな僕がヒトのために争うチャンスを与えなきゃならないのか、理解出来ないね」
ハァ…と長いため息を吐くカミサマに敢は最大の疑問を投げるか言い淀む。視線を少し動かせば、「言いたいことがあるなら言えよ」と低い声が響いた。
「……ヒトが嫌いだ、と言っていたが。──────ならば何故、私達の願いを叶えようとしているんだ?」
「人間を嫌いだと言うのなら、何故願いを叶えようとしているんだ?…本当に、願いを叶える気はあるのか?」
その言葉を聞くと同時。カミサマはにっこりと優しく微笑む。それは、不気味過ぎるほどに美しい笑みで。
「そうだね、叶えてあげるよ。キミたちの願いを。」
「───────この、ゲームの世界でね」
「………どういうことだ」
「言葉通りの意味だよ。願いは叶えてあげる、ただしこのゲーム内に限ってだけどね!」
嘲笑うようにくすくすとカミサマは嗤う。その言葉を聞きながら、敢は口元に軽く手を当てた。
「…仮に、だ。全員の蘇生を願う者が生き残っていたらどうしてた?」
「簡単だよ、彼らのデータを作ってあげる。中身は僕と大差ないNPCと同レベルのものだけどね」
「1番を、願った場合は?」
「ここで優勝することが1番なんだから。それで終わりってワケ」
そもそもさ、とカミサマは饒舌に言葉を紡ぐ。
「僕も
あ、ちなみにだけどね。とカミサマは思い出したように付け足す。
「この話を聞いたから願い変えるとかはもう受け付けないよ。どっかの誰かさん達みたいに僕に秘匿で願い続けていたなら話は別だけど…それはこの世界における嘘発見器のようなものが働くから騙せやしないよ」
ずるずると血塗れの足を引き
「さぁ、枯れない花の騎士サマ。その枷を外す時が来たよ。」
「───────キミが、ずっと願っていたその気持ちを。僕に宣言してよ!」
「…………」
ゆっくりと敢は目を閉じる。思い返せば、これまでの全てが鮮明に蘇って。
得るものもあれば、失うものもあった。奪うものもいれば、守るものもいた。全てを良かったと一括りにして良いものではない。
「………願っていたことを、言えばいいんだな」
「うん、そうだよ。キミがずっとずっと、叶えたかった願い」
長い息を吐く。求め続けた願いを、この思いを告げる時は来た。
「……1つ、先に言っておくが………貴方は勘違いをしているよ」
「……あ?」
手を固く握りしめる。怖気付いてなんていない。これが、この願いが。
「言わなければ知らないのだろう?言い換えれば、隠し通すことも可能だということだ」
「…………………それが、何」
「私は、あの時から1つのことしか望んでいないよ」
震えるな。視線を逸らすな。現から逃げるな。
「このゲームの世界でのみ叶うと言ったな?後出しでも何でもない。…誰にも言わずに、ここまで来たら願うと決めていたんだ」
───────この希望を、諦めるな。
「…………私の、願いは。」
「貴方……『カミサマを、この世界を壊す』ことだよ」
「───────は、?」
カミサマが声を零すとほぼ同時。べちゃり、と何かが崩れるような音が響く。足元へと視線を向ければ、その血塗れの足は赤い液体へと溶け始めノイズがかかっていた。
「おい、待てよ。何の冗談だ。どうせ僕の説明を聞いてから変えたんだろ、なのになんで作動する。……………なんで、この世界が僕を拒絶する」
「変えてない。私は、彼女と話した時から彼女の意思を継ぐと決めていた。…貴方に願うことではないと思っていたから」
チッっと大きく舌打ちが響く。こちらを恨めしく見つめるカミサマは「だからあの運営の犬は嫌いなんだよ」と小さく呟く。
「あぁ、なるほど。あの時の遊園地の観覧車か。あのバトルフィールドは確かに僕が作った内の1つだが、観覧車だけはアイツが勝手に作ったからな」
「……今思い返せば、貴方の介入を防ぐために個室となり。物理的に侵入が難しくなる観覧車を彼女は選んだのだろうな」
「うるさい!!!!黙れよ!!!!」
息を切らしながらもカミサマは自分自身の頭を抱え込む。「違う、違う」「この世界は、この世界だけは僕を否定しないのに」と言う呟きを聞きながらじわじわと敢はその距離を離していく。
─────「あの場所……メインストリートか、それ以外の場所に止めるための何かがあるはずなの」
─────「あいつのやりたいことは、救済は救済でも……『自分自身の救済』だ。本当の目的は『復讐』で、俺達はただの『被害者』に近いから」
─────「『………………』として有名な……………の…………社員の1名が、昨日屋上より飛び降り…………意識不明の………」
─────「身を乗り出して、落ちる感覚を体験しなかったもんね。ちゃんとね、痛いんだよ。木とか植え込みに運悪く救われても、そこで出来た傷や痛みは現実だ」
彼女がゴンドラの中で告げていた言葉と、REINが最後に共有した言葉とこれまでの情報を思い返す。
(違う、もっと……もっと前に、違和感を感じているはずなんだ。これが正解だとは思えない…)
軽くメインストリートを見渡すも特にめぼしいものは無い。ならば一刻も早くこの違和感の正体を明かすべきだろう。
─────「多分…石像もあったから……でも、なんだかいつもと違う気がして…」
─────「でもワタシとろゆが合流した時からこれだったよ。ろゆ先に壊したりした??」
───────「僕も違和感…というか……ここの石像って、元々頭部が無いんでしたっけ…?」
(首の無い、石像………………)
カミサマから無意味だと言われていたが、それは私たちを遠ざける為だったのではないか?と仮説が成り立つ。では何の為に遠ざけた?何の為に、首を落とした?
(先程は行けなかったが…メインストリートなら石像前へ行く道はある……)
一か八か、自分の違和感を信じるべきだと思った。
ダッとその場から離れると同時に「何処に行く気だよ」と低い声が響いた。
「……………あぁ、何?今更もがく?僕の世界を否定して、また僕の人生をめちゃくちゃにして。お前らは本当に懲りないな。」
シャラり、と音が響いた気がした。一瞬だけ後ろを振り返れば、カミサマは赤の模様が目立つ如意棒、マゼンタのラインが目立つフープバトンを背面の手で掴み、前方の手では宇宙が閉じ込められた硝子のモーニングスターを両手で握りしめていた。
「いいよ、喧嘩を売ってきたのはお前だ。………僕が今更、世界を許すと思うなよ」
駆ける音と何かを引き摺る血の音が響く。時々こちらへ投げられる武器を確認しながら敢はその足を止めなかった。
(後ろ向きで走れないから、いちいち相手を確認しないといけない……!)
再度振り返れば、カミサマは次の武器を出していた。薔薇の絡みついた薙刀を確認し、敢はなんとか走る。未だ拳銃の類は出ていないが、万が一出てきたらを考えるとゾッとする。
(でも、それでも………………!)
躓きかけても、足を止めずに。確かな証拠がそこにあると信じて。
なんとか石像前と思われる場所へ辿り着けば、首の無い石像のプレート部分が真っ黒に塗りつぶされていた。
(最初と、違う………!)
息を切らしながらも何とかそのプレートへと向かえばパンっという発砲音が聞こえた。
「あぁ、くそ。外した」とカミサマは小さく呟いてステッキ状のマスケット銃を投げ捨てる。それを改めて確認し、敢は何とか石像前に辿り着く。
(これが、これが、きっと───────…!)
この世界を壊すために、必要なのだろう。それへと手を伸ばせば「やめろ!!」と怒鳴る声が響いた。
「お前が、お前らなんかに!!僕を理解することなんて出来ない!!」
白いハートマークが目立つその拳銃の先を敢へと向ける。その引き金が引かれる前に黒いプレートに触れる。刹那、敢の中に大量の情報が流れ込んで来た。
昔から人より秀でた才能があることは理解していた。しかし、それは賞賛ではなく利用価値として人から見られていた。
才能ある者が幸せな日々を歩めると誰が言った。恵まれた人間が優しい心を持っていると誰が決めた。
幼少期からやるゲームは決まって平和な日常ゲームだった。周りが対戦ゲームや殺戮のゲームにのめり込む中、僕が選んだのは何も変化の訪れない優しい世界のゲーム。
友達なんて要らない。いてもどうせ横から口出ししてくるうるさい存在にしか成りえないのなら、僕は板と話している方がマシだった。
いつか僕の理想通りの平和な世界を。そう望んで入ったゲームアプリの制作会社でも立ち位置は差程変わらなかった。
新規プロジェクトの話が出た時、僕は1つの企画書を呈示した。
名前は『Shadow taG』。成りたい自分に成る“だけ”の世界。優劣や差別なんて無い平和で平等な僕の憧れた理想の世界。何も無い、理想郷。
そんな理想はどうせ否定されるだけだろうと思ってた。しかし幸運なことにこの企画は社内で好評となり、開発することが決まった。
嗚呼、僕の描く理想郷がやっと認められた。僕の世界はやっとコイツらに認められた。無駄に縦に伸びてしまった背を丸めたことも、人の視線から逃げるように伸ばしきった髪の毛も意味はあったのかもしれない。何だっていい、僕の理想が出来るのならば僕は何だってしよう。文字通りこのくだらない人生全てを捧げて。
「───────わ、みわ………!」
「…………」
「おい聞いてるのか
「えっ………あぁ、なんですか」
「なんですかじゃないだろ……私の話、聞いてなかったな?」
「いや、……ちゃんと聞いてましたよ」
全く…と呟いて同僚の彼女は息を吐いた。彼女と何の話をしていただろう、ここ最近特に重なる徹夜作業も影響してか頭が上手く回らない。
「本当か?……ただ、お前も災難というかなんというか…上が決めた方針に私たちはまだ口出し出来ないからな」
「災難?方針?……何言ってるんですか」
「………やっぱり私の話、聞いてなかったじゃないか。上から、Shadow taGにバトルモードを入れる話!お前のとこにも来てるだろ?」
「…、は?」
「……まさか、まだ来てないのか…?」
目を見開いてこちらを見つめる彼女をその場に残し、上司の元へと駆け出す。
(バトル?何を言ってる、あって僕がギリギリ許可出来ると思ったのはコンテストまでだぞ……!?)
「あっ、あの…!」
視界で捉えた上司に向かい、先程同僚から聞いた内容を確認する。…すると、上司は悪びれる様子も無くそれを肯定した。
「でも…初期案には、そんなこと……」
「最近のストアランキングを見たか?ただの平和なオープンワールドより、バトル要素がちょっとでもある方が
(何言ってんだこのハゲ…)
その後もつらつらと並べられた言い訳を纏めると、「平和な世界より少し刺激がある方が皆から求められてる」との内容であった。
「結局さ、育成ゲームでも無いわけだろ?だったらやっぱりそういう要素は必須という方向性になったんだ」
「……初期……、…僕では無く、
「彼女は偶然傍に居たからだ。神々にも後で伝えるつもりだったよ」
(嘘つけよ。それでお前は何回僕に伝達ミスしたか覚えてんのか)
思わず舌打ちしそうになるのをぐっと堪え、引き攣る口角を抑えて何とか言葉を絞り出す。
「で、でも……初期案は……僕です。あの世界には、……あの世界、に。PvPや対戦の要素は必要無いと思っ」
「神々」
呆れたように吐かれた息と名前を呼ぶ低い声に思わず反応してしまう。怖い訳ではないが、反射的に息を止めてしまう。
「お前1人が、そう意見を言っても。上と話し合って決まったんだ。そもそもお前はまだ責任者でも無いだろ」
「……そ、……で、も……」
「確かにお前は新人のわりには才能がある。それこそ方法さえ覚えてしまえばプログラムの1つや2つ、入れることも出来るだろうよ。」
「だがな、天才だから何でも自分の思う通り意見が進むと思うな。独りよがりのモンじゃなく、ユーザーの需要を見ろ。上の意見を聞け。……お前は、ずっと自分中心に物事を考えすぎだ」
何も言えなかった。何も言い返せなかった。ただ自分の中に渦巻くのは黒く歪んだ憎悪だけ。
(……いつも、そうだ)
僕の上に立つ奴らはいつだって僕の才能を認めてはくれるが、僕自身を否定する。それは純粋に、僕という存在では無く“僕の能力”に利用価値を見出しているからであって。
帰宅後、SNSで恨みつらみを全て吐き出す。社名や仕事内容をハッキリ書いてしまえば、そこから個人情報がバレることを考え、ぼかして愚痴を書き連ねる。
『初期案提案者に何も言わねぇのかよクソ上司』
『180度どころかもう土台から違うじゃねぇか。そのくせ僕には黙ってるのかよ』
『いっそこの企画が全て没になるほど過疎ればいい』
苛立ちのままに指のフリックを速める。公開垢としているが、こんなくだらない愚痴垢に返信してくるのなんてただの暇人か偽善者くらいであった。
「あーーーー………………………くそっ……………」
部屋で1人大きく舌打ちをする。自分の考えた案の失敗を願う日が来るだなんて夢にも思っていなかった。
しかし、自分の願いと反するように計画は進んで行く。開発には携わったが、結局新人の自分は同僚と共に補助役として回された。
(あぁ、最悪な気分だ……)
自分の目の前で、自分の作品が改悪されて行く。一次創作から逸脱した二次創作物を見る作者もこんな気分なのだろうか。知らないけど。
体験版リリースに当たるまでにアンケート調査も行った。寄せられた希望は『1対1の対戦』『トーナメント形式の大型イベント』『ツーマンセルモードの採用』などバトルモードに対するものばかりで何度舌打ちしたことだろう。同僚が「大丈夫か?」と何度か聞いてきた事があったが、適当に相槌をする。結局彼女も、あの上司と同じ人間に変わりないのだ。
(こんな殺伐とした世界の、何が美しいんだ)
白い湯気の立つブラックコーヒーの表面に自分が写る。あぁ、そうか。彼女は僕を憐れんでいるのか。正式に案が採用されなかった僕を憐れみ、同情しているのか。
(………………くだらねぇな)
それ以来、彼女からの「大丈夫か?」を無視するようになった。
そして月日が流れていく。相変わらず僕の腹の底にはどす黒い感情だけが渦巻いていたが、どうやらそれはそろそろ耐えることをやめそうだ。
「よーし、それじゃ!体験版成功を祝って飲みに行くかぁ!」
「それ坂本さんが飲みに行きたいだけじゃないんすかぁ」
「なんだ?お前も嬉しいだろ!」
(うっざ……)
ハゲ上司とそのお気に入りの直属の部下がはしゃいでいるのを横目で捉え、そそくさと帰る準備を始める。どうやらあの体験版は、有名なゲーム実況者が取り扱ったことや武器の種類、グラフィックの美しさなどが評価されこのままリリースを迎えればヒット間違いなしとのことだった。
(突貫工事過ぎて穴だらけのどこがいいんだか。あんなハリボテ、ちょっとでもいじればバグでもなんでも使い放題で暴れることなんて簡単だろ。チートバグウェルカム状態過ぎてむしろ世のチーターも逃げるわ)
心の中で
「あ……………や、僕は車もあるので……………あとやらなきゃいけないことが…」
「お前はいつも俺の酒を断るな?まぁお前の初期案あってのことだから思い入れが深いのも分かるがなぁ〜」
(うっっっっっぜぇなぁ…………)
親しげに伸ばしてきた腕をするりと
「でもなぁ、やっぱりバトルモードを実装したのが今回のヒットに繋がったと思うんだよな。なんてったってその分アバターが動く!自分の愛用の武器を魅せれる!そして相手との対戦がよく映える!お前の初期案のままに行ってたらまずこれは無かったからなぁ~」
「……すみません、お先に失礼します」
ガッと勢いよくクラッチバッグを掴む。「神々」と呼びかける同僚の声が聞こえた気がしたが、恐らく気のせいだろう。それかまた僕に同情したくなったか。
(お人好しもゴクローなことで)
帰宅して早々に自分のSNSを開く。募る衝動の全てを文字に起こして世界に発信するが、まずこれが見られることは無いだろう。
『平和ボケしてんだよな、あの突貫の何が良いんだか』
『人と人が争うゲームがそんなにやりたいなら、実際にそうしてやろうか』
『僕が神だったなら』
打ち終えると当時。ピロン、とコメントが届いたことを表す通知音が鳴り響く。
(どうせまたくだらないコメントだろ…)
通知欄をタップすると同時、次々と更新されて行く複数人からのコメントが目に飛び込む。
『出来もしないくせにネットでばっかイキってんじゃねぇよ』
そのコメントに返信するように複数のアカウントからコメントが届く。文字として見ているはずなのに、それはまるで脳内に語りかけるような声に変換されて。
「実際やってみろって感じ?」「よくあるじゃん?そういう話」「流石に言い過ぎだろ」「ネチネチネチネチやる度胸も無いくせにそうしてやろうとか言ってんの?さっむw」「やれるもんならやってみ〜??」
(……………………あぁ、そうか)
コメントを読んでいるうちに、何かがすとんと自分の中に落ちてくる。あぁ、そうか。結局行動しなければこんな世界は何も変わらない。僕は世界を変える神にもなれない。
「……………………なら、僕の持つ技術全てを使って」
復讐してやる。あんな最悪な会社も、あんなゲームを良しとするユーザーも、僕自身の価値を見出してくれない世界の全てに。
(仏の顔も三度までって言うくらいだから……お前らにとって1番めでたい日にやってやるよ)
大体こういうゲームは3年続けば平均レベルだろう。なら、その節目となる日に絶望を見せてやる。
『さんねんご、まってろ』
予測変換も使わずにその文章だけ打ち込んで即座に作業に取り掛かる。乱雑に積まれた使用済みのノートの中から、なんとか綺麗な白紙のページを開く。天才だなんだと言われても結局はそれに
「どうせあんなポンコツチェッカーならデカい時差式のプログラム、何も気づけないだろ……なんならそのうちバグを利用する奴だって害悪だって湧いて出てくるだろうしな……」
それを逆手に取ってやろう。一定期間選別のために起動させた後に自己学習と情報収集を重ねるように設定して、3周年当日に再起動しよう。個人情報の
どうせなら一時の夢も見せてやろう。ゲームの中に入り込めることや、フレンドに偽りの姿で会えること。それなら辻褄を合わせるために共通点のあるフレンド同士にしようか?あぁでも説明役が居ないとつまらないな、ならその見た目はどうしよう?昔自分で考えた“僕の最強のカミサマ”にしようか?そうしよう。誰よりも強くて、優しくて、冷静で、復讐を成し
さらさらと筆を動かして、出来上がったラフ案を見て口元を歪める。
念には念を、とカミサマを完全独立とはさせなかった。ゲームでよくあるオートモードの解除が自分で出来るようにすることで、いざという時に自分が介入しやすいように。…まぁ、これが起動する頃にはもう自分はこの世に居ないだろうけど。失敗しても僕ではなく、こんなふざけた異物の侵入を許した会社側の責任となるように。
案の定バグ1つ入れてもバレることは無かった。こんなガバガバなセキュリティで何年もやって行けるだろうか…とは思ったが自分が関わらない後のことなんて知らない、それで良い。
事前登録の期間までなんとか辿り着き、それまでただへらへらと口角を上げて過ごしていた。不審に思った同僚から何かを言われた気はしたが、もう聞く耳すら持てなかった。
そしてリリース前のある日、僕は会社の屋上へと向かった。机の上には茶封筒に入れた遺書。誰かは見るだろうなぁと思いながら歩を進める。
「………神々?」
僕の横を通り過ぎた同僚が呼んだ気がしたが気のせいだろう。それよりも高まるこの感情を、僕はどうしようか考える方で精一杯だったから。
(やっと、やっと、やっと……………………!)
長かった。こんな簡単に済む話だったのに、僕はずっと気づかなかったのか。奪われたなら奪い返せば良いと言うくらいだから、僕はキミたちに相応の復讐をしてやる。僕の理想を否定した、こんなくだらねぇ世界に生きる奴ら全員に。
外は季節外れの雨が降っていた。雨の予報出てたかなぁなんてぼんやり考えながらフェンスへと向かう。
(被害者が、加害者になるなと決められてすらいないから)
ガシャン、と音を立ててフェンスから降りる。空を見上げて屋上の縁に立てば、自然と笑いが込み上げてきた。
「あは、は、……あははははははははははははっ!!!!」
(あぁ、楽しみだなぁ。この会社の奴らが絶望した瞬間)
顔も知らない赤の他人が、僕の背中を押してくれた。名前も知らない赤の他人に、僕の理想を否定された。何も知らない赤の他人が、僕の全てを点数付けして利用価値を見出そうとする。
(誰がお前らの予想通りになるかよ、ばーか)
思い返せば赤の他人に人生をめちゃくちゃにされてばかりだった。なら、今度は僕が何も知らない赤の他人をめちゃくちゃにしてやろう。だって、僕も同じことをされたから。
くるりと振り返り、そのままとん…と足を蹴る。ふわりと浮いた浮遊感と共に、雨雲はどんどん遠ざかって行く。邪魔な雨だけが、いつまでも自分の目元を濡らす。
「あぁ、待ってて僕の世界!僕が愛した理想の世界!なのにそれを否定するなら、こんなくだらない世界、どうなってもいい!!」
「他人の命なんてどうでもいい!!難しいことなんて何も無い!」
───────これは、僕の復讐の話だ。
見終わると同時。ハッ、と敢は顔を上げる。確か、目の前の存在は自分に向けて発砲したはずだ…と恐る恐る振り返る。
「………………、な…ぜ………」
「……おい、どういうことだ。お前、何をした」
そこに居たのは黄緑色の輪状のようなもので上半身を拘束されたカミサマの姿であった。何とか拘束を外そうとしているようだが、それが外れることは無かった。
「…私、は……恐らく、貴方の個人情報を見ただけだ」
「個人情報?僕の?なんでそんなものがここにある。僕は自分の個人情報なんてこの場に持ち込んでいないぞ」
「…その理由は、分からないが……」
言葉を
「またアイツらが余計なことをしたんだ。また僕の邪魔をしたんだ。最後まで余計なことしかしないな」
ブツブツと恨みを吐くカミサマに対し、僅かな疑問が浮かぶ。
(先程の個人情報の中で、彼は飛び降りていた)
…しかし、この目の前の存在は本当にただのデータなのか?
時々人間に近い言動をするな…とは感じていたものの。ここまで来るとそれは本当によく出来たデータなのか?と疑念が生じる。もし、万が一。このデータを作りあげた彼がまだ生きているなら?このアバターを、動かしていたのだとしたら?
「そもそも嫌味っぽくその石像をゲーム内に実装した時から僕への当てつけだったのに。だから頭を蹴り飛ばしたのに。なんで、なんで最後が必ず上手くいかないんだよ。僕じゃなくて、お前らが僕を傷つけたくせに」
「………」
何か声をかけるべきか、と迷っていればその白い存在は勢いよく顔を上げる。「今、僕を
「お前も、僕を『可哀想』『憐れ』『惨め』の感情で見たか?お前もどうせ、こんな僕を影で嗤うんだろ。」
「でも残念だったな!最後までやることに僕の復讐の意味はあったけど、それでも個人情報の漏洩は会社にとって損害にしかならない!だから、この復讐が実行出来た時点で僕の勝ちが確定なんだよ!!」
彼は明確に1つのことだけを恨み続けたのだろうと感じた。最初からずっと、敢が“潤”として生きている世界だけを恨んで。
肩で何とか息をしながら、カミサマは敢を睨みつける。それはまるで、全ての恨みを彼女にぶつけるように怒りの全てを吐き出す。
「だからヒトは嫌いなんだ、だったらゲームの方がずっといい!!だって、僕の思い通りに動くから!!結局、主導権はこっちにあるから、理想の全てが叶うんだよ!!!」
「お前らなんて結局利用価値のある奴を良いだけ利用して自分の手柄にするだけだ!!だからヒトなんて理解したくない、どうせお前らは裏切ることしか知らないだろ!!」
「───────理解せず、現実から目を背けてばかりいたのはどこの誰かしら」
聞き覚えのある声が周囲に響く。は?と困惑を浮かべるカミサマを1度見、敢は声のした方向を向く。
「いいだけ自分は被害者ぶっても、結局私たちを利用していたじゃない。その理屈で言えば、あなたが嫌う者と同じ括りよ」
コツコツと厚底のヒール音がよく響く。背筋を伸ばし、真っ直ぐに敢達へ近づく。
「責任転嫁はヒトの得意分野かしら。
その瞳がカミサマを見る。ようやく存在を理解したカミサマは舌打ちをし、敢は大きく目を見開いた。
(…………………どうして、君が)
「やっぱりただじゃ壊されないってか?お前を作ったのがどいつか知る気も無いけど。またあの会社の中の誰かが作ったんだろ?随分余裕があったなぁ」
それに対し、目の前の存在はただ口を結ぶ。しかし、敢の口は反射的にその名前を呼んでいた。実際に見たわけではない、画面に映された個人情報でしか無い……現実の姿と、設定された彼女の名前を。
「───────…モヒー……ト?」
一瞬視線を敢に向け、朗……-mojito-は再度カミサマへと視線を戻す。その表情は無に等しく、少しの恐ろしさすら感じてしまった。
「そうね。私を作り上げたのは本当のShadow taG運営陣よ。あなたの目的が分からない以上、万が一として私は作られていたわ。あなたが屋上から飛び降りた日より、少し先だったけど」
「本当だなんて笑わせるなよ。元々の案は僕のものだ。あんな改悪させた奴らを、僕は公式だなんて認めない」
「呆れてしまうわ。あなた、本当に聞く耳を持っていなかったのね。少し視野を広く持てば、あなたを気にかけてくれてるヒトもいたのに」
「気にかける?プログラムされただけのデータのくせに、冗談の1つくらいは言えるんだな。あれは気にかけているんじゃなくて、僕を憐れんでいるだけだろ。誰も僕を理解していないんだから」
「理解して、予想されたから今があるじゃない」
それ、と-mojito-はカミサマを縛る黄緑色の輪を指さす。
「あなたのことだもの、私の何かを残せばそれを取ると思ったわ。だから石像のプレートに触れると同時に、それが拘束具として発動するように設定した。案の定あなたは私のショールを取って、今の今まで持っててくれたでしょう?」
「……、あ…」
その言葉を聞き、敢は思い出す。バニヤンと戦う直前、カミサマは黄緑色のショールを懐にしまっていた。それ以降、カミサマがショールを被ることは無かった。
「理解しようとしたヒトがいたのよ。あなたを止めようとしたヒトがいたから、今こうして私は存在しているわ」
「結果論ばかり並べるなよ。あの時、誰も僕の味方はいなかった。だから僕は死んだんだよ!!ちょっとでもあの会社の損害になったならそれで充分だ!!」
「死んだのは肉体ではなく、あなたの心でしょう」
はっきりと告げた-mojito-は1歩、カミサマへと近づく。ずり…とカミサマが1歩引けば、赤黒い液体は擦れて。
「意識不明の重体になった後、あなたは奇跡的に五体満足で助かったでしょう?胸元や手、足首部分に強い痛みは受けて傷が残ったらしいけど…それでも日常生活を送る上では特に問題ないとあなたが入院していた先の医者は言っていたわ。でも、あなたは既に退院して、行方を
「どこだろうと探している内に、3周年の日が来て。上手く私が取り込まれたことであなたの計画の意図を理解したわ。……あなた、今も中のヒトは生きているんでしょう」
一瞬の
「あぁ、そうだよ。生きてるよ!!だからなんだって言うんだ、僕は今すぐにでも現実を終わらせることが出来る。夢と現の個人情報を流すことは出来なかったけど、予約投稿でも何でもしてやればいい!!あのアカウントはまだ残ってる、どうせお前も確認したんだろ。確認出来てないなら見ろよ、全部をお前らのせいにした」
そう言ってカミサマは1つのアカウントIDを告げた。聞き覚えのある単語ではあったが、そのアカウントが何を意味しているのか敢には分からなかった。
「……でも、もう少しだ。もう僕はいつ終わっても良い!!これで満足だ!!ざまぁみろ、僕は、僕はやっと!!自分で自分の理想を叶えたんだ!!」
狂うように笑うカミサマを-mojito-は静かに見つめる。2人を交互に見つめていた敢だったが、小さく呟く声が耳に届く。
「………?」
「───────…を、………ま…」
微かに聞こえるその音声は機械のようで。繰り返し何かを呟いているようだった。
「─────…携を、解除…ま…」
「………今、誰が呟いた」
先程よりもはっきりと聞こえ始めた声に違和感を感じたのだろう。カミサマは敢と-mojito-を交互に見つめるが、-mojito-は変わらぬ表情で「あなたじゃない」と告げた。
「……は?」
「さっきから、あなたが言っているのよ。……正しくは、本当のカミサマでしょうけど」
「連携を、解除します」
ハッキリと聞こえた機械特有の声が響くと同時、がくんとカミサマは力が抜け落ちたように崩れる。困惑した表情のまま、「なんで」と小さく呟く声がする。
「なんで、もう…僕に操作を移行させたのに。なんで、彼女が僕を拒絶出来るんだよ……!」
無理やり手を動かそうとしているのは、現実世界でキーボードでも叩こうとしているのだろうか。なんでなんでと小さく呟く彼に、-mojito-は静かに告げた。
「今の結果になった要因を言うのなら、あなたが彼女にも学習する自由を与えたことかしら。」
「あなたに設定された『優しさ』について考え、ヒトの『願い』について知ろうとした。故に選ばれたプレイヤー達と会話を重ね、学習を重ねた結果が今だと思うわ」
「そんなの…たかが設定だろ!お前が“川村朗”として生きていた設定を付けられたように、僕が付けた設定にすぎない…!」
「おあいにくさま、私たちは生きて学習を重ねるデータよ。完全独立となった物だったら、彼女に拒否されることも無かったのにね」
口を動かしても、カミサマからは途切れ途切れにしか声が聞こえない。まるでマイクの接続が悪くなってしまった時のようだと思ったが、彼が自分自身の喉元を抑えながら無理やり声を吐き出そうとしていることがそうでは無いことを表していた。
「な………で………………ぼ、く………、……!!」
「……『中にだぁれも居ない、NPCなんて1人で充分だ』……でしたっけ?そっくりそのお言葉のままにお返しします。こんな残酷な世界でNPCとなる人物は、私一人で充分でしたから」
-mojito-の個人情報公開後、カミサマ自身が告げた言葉を-mojito-は復唱する。カミサマの揺れ動くその黒い瞳にノイズが走り、敢ですらも「あぁ、もう終わりだ」と感じ取ることが出来ていた。
「な、ん………で、」
ブツブツと途切れるような音声を響かせながら、カミサマは-mojito-へと手を伸ばす。……もはやそれは、誰かに縋る人間のようにも見えて。
「───────
「…戻って自分自身の罪としっかり向き合いなさい。そして、ちゃんと落ち着いて周りを見れば…あなたが見落としていたものに気づくわ」
つ……と一筋の涙がカミサマの瞳から流れる。同時にグラりと身体は揺れ、倒れそうになる姿に思わず敢は手を伸ばす。しかし、それよりも早くに-mojito-がその白いアバターを支えていた。
「………それが、あなたの出した答えなのね」
小さく-mojito-が呟けば、「はい」と肯定する機械の声がよく響いて。
「───────ヒトについて考え、優しさについて考え、彼の願いについて考えましたが……結論は、『分からない』となりました。」
「……でも、それで良かったんです。私たちがヒトを完璧に理解出来ることは無いでしょう。分からないからこそ、ヒトはヒトを知ろうとする。繰り返すことで、彼らの想いも、願いも受け継がれていくの言うのなら。」
「───────この世界が、間違っていることに気づけました」
そう言ってカミサマは敢の方へと顔を向ける。反射的に構えてしまうが、彼女が黒い瞳で見つめることは無かった。
「彼のことは私に任せてください。元より彼との接続について切り替えは、私でも出来るので。…もう二度と、彼があなたの目の前に現れることは無いでしょう。そのために、私が彼との連携を全て解除致します」
「……彼、は……死んでしまわないか……?」
恐る恐る問えば、「きっと大丈夫よ」と-mojito-は告げた。
「あなたがここまで時間を使ってくれたから、彼の居る場所の特定と…そろそろ、本当のゲームの運営陣が彼の元に着いた頃よ」
「……そう、か……」
「ちゃんと彼自身を見てくれるヒトも、目を覚ますために頬を引っ叩けるヒトもいるわ。……もう彼がこんな自分のために都合良く作られた現実に、縋りつかないことを願うだけね」
そう告げた-mojito-の肩をカミサマは4本の手でそっと離す。「後は、私の方で処理致します」と告げれば電源を落としたかのように彼女はぐったりと首を下げた。
「……」
「………」
そして、二人の間に静寂が訪れる。知った存在のはずなのに、彼女へかける言葉を選んでしまうのは個人情報を知ってしまったからなのか。
「……モヒート」
恐る恐る彼女の名前を呼べば、「………確かに私は-mojito-だけど、貴女が思っている存在とは少しだけ違うのよ」という声が返ってくる。
「…少しだけ違う?…待て、どういう意味だ…。君のことは“見た”。けれど、君は…」
現実に存在しない、と言いかけて口を閉ざす。夢現の交わるこの場で、今更彼女の存在を否定して何になるというのか。
「そうね……簡単に言うと、“中身”は同じよ。“外側”は違うけど。」
「……私の事、どこまで見られたかも知ってるわ。だから言葉を選ばずに説明すると、元々『-mojito-としての器』と『川村朗としての器』があったの。これまで貴女たちと過ごしてきたのは『-mojito-の器』。それを自分で壊したことで、データの引き継ぎを『川村朗の器』にしただけよ。……もっと分かりやすく言うと、携帯電話の機種変更みたいなものかしら」
その説明になるほど、と納得してしまうのはどうしてだろうか。やはり、彼女が自分とは違う存在だと頭に知識があるからなのか。
「……。つまり、あの時君が壊したのは、あの姿の君であって…“死んで”はいなかった、ということか」
「そういうことにはなるわね。………でも結局、私が破壊される運命は変わらないのよ」
「…! ………っ」
ゴンドラ内で彼女が告げた言葉と、見せられた個人情報からその言葉の意味は察することが出来る。しかし敢はギュッっと口を結んだ。
「……ごめんなさいか、さようならしか貴女に言っていないわね、私。…でも、結局そうなのよ。私達とあなたたちは同じ次元で生きてはいけいない。こうして最悪な奇跡が起きたからこそ、同じ目線で立てるだけなのよ」
「…わかってたよ。」と小さく敢は呟く。1度口にしてしまえば、これまでの全てが蘇って。
「君がこちらには居ないことを、わかりながら。それでも、君を忘れたくなくて、託された願いを終わらせるためにここまで来た。」
「……馬鹿だな。私は。ずっと自分に言い聞かせてきたんだ。君が現実に居ないことを、誰に言われても…そうじゃない、って」
少しの沈黙の後、「馬鹿なんかじゃ、無いわ。」と呟く彼女の声が聞こえる。
「……でも、私が現実に存在しないことを否定も出来ないの。だって、私は明らかに貴女たちヒトとは違うわ。流れる血も涙も無いから、口角を上げることしか出来ないの。ただ口角を上げて微笑んでいるように見せるだけ。」
「……願いを託すことは迷ったわ。だって、あなたたちはただの被害者よ。本来なら私だけで対処しなきゃ意味がなかったのに、こうなるほどにまで巻き込んでしまった。……馬鹿だと言うなら、私の方でしょう」
「…変な言い方をしてしまった、すまない。」と直ぐに敢は謝罪の言葉を告げる。
「…いや、そうだな…。忘れたくなくて、君の願いを糧に進んできたのも、ある。けれどそれは君のせいじゃない。巻き込まれたんじゃない。成り行きや、誰かに流されて来たんじゃない。
──“私”がそう決めて、ここまで来たんだ。…だからそんな顔をするな。」
「“君の苦しい顔は、見たくないよ”」
彼女が敢に告げたように。あなたの苦しい顔は見たくないと思ったのは自分だけではないことを分かって欲しかった。
その言葉に-mojito-は1度目を見開き、困ったように微笑んだ。
「…………ずるくて優しいのね、貴女。そう言われたら…これ以上謝ることが難しくなるじゃない。」
「─────やっぱり、迷ったけど誰かを頼って良かったわ。私は皆の個人情報や願いを知っていた訳じゃないから、ずっとそれが引っかかっていたの。願いが叶うかどうかじゃなくて、…私が頼ったせいで、全てが揺らいでしまうんじゃないかって……」
少し目を伏せる彼女に“全て”の意味を問えば、彼女は即座に「全ては全てよ」と返す。
「貴女じゃない誰かに頼ってたとしても、その人が私の意見を聞いたから意志の全てが揺らぐかもしれない。その揺らぎが、相手に隙を見せるかもしれない。……そしたら、私の目的もそこまでで、文字通り頼った相手は全てを失うわ。……小さなきっかけでも、大きなきっかけにもなりうるのよ」
「……………」
「………………本当は、私のことを忘れて貰いたかったと言ったら……私、また怒られてしまうわね」
「……。…はは…そうだな。それは、前よりも怒るかもしれない。君はつくづく、自身を
その言葉に一瞬視線を逸らすが、-mojito-はだって、と言葉を紡ぐ。
「私を思い出す度にここの全てを思い出すわ。貴女たちの成長や、そういった想いまで否定するつもりは無いの。……でも、そもそも私はカミサマが出来る危険性を知らなかったら生まれなかった存在よ。カミサマが居なかったら、必然的に私も生まれなかったもの。……そうなると、どうしても自分の存在が嫌になってしまうのよ」
「………もし…君と同じ立場だったならば、私もそう思ったかもしれない。ここでの出来事全てが、良かったわけじゃない。」
けれど、と敢は言葉を続ける。
「私は忘れないよ。君のことも、ここで起きた全てのことも。カミサマのことも。いいことばかりではない、という意味ならここでも現実でも同じことだから。─────今度は逃げ出すことなく、余さず背負って行きたいんだ。たとえ時々弱音も吐いてもね」
それに対し、「やっぱり、貴女は素敵なヒトよ。」と優しく呟く声が響く。
「余さず背負うことがどれだけ難しいか分かるから。誰かを救うことは時に誰かを傷つけることも理解出来るから。弱音を吐いても、それでも貴女は次に進もうとする勇気を既に持っているのよ。」
「……その時、私はもう貴女の傍には居れないけど……足が止まってしまいそうな時には、確かに貴女に救われた存在が居たことを思い出して欲しいわ」
「…あぁ。だが…そうだな。………寂しいよ。君と一緒に居られないことが」
目を伏せる敢に対し、少し悲しそうに-mojito-は言葉を続ける。
「……私も、きっとこれが寂しいという感情なのでしょうね。でも、だからこそ貴女が最後に記憶する姿は、笑顔の私が良いと願ってしまうのはわがままかしら」
相棒のその言葉を聞き、敢は優しく微笑む。
「いいや。ワガママなんかじゃないさ。最後が笑顔だったなら、私が君を思い出しても、きっと苦しむことなんてない。君が自分のこと忘れて欲しいなんて寂しいことを、言う理由もなくなるから」
「……それなら、良かった。私が貴女を苦しめる枷となるのは嫌だもの」
するりと敢は自分自身の手袋を外し、-mojito-へ手を差し伸べる。敢と差し伸べられた手のひらを交互に見つめた-mojito-だったが、その意図を察したのかゆるりと口角を緩めて手を差し出す。ぎゅっ、と握れば人間とさほど変わらない熱を感じるのに、彼女の瞳に映るノイズが人とは異なることを示していて。…それでも、敢は目を逸らすことは無かった。
「……ありがとう、私と遊んでくれて。こんな世界になってしまったけど……私はここであなたたちに会えて良かったわ」
「…私も。君にも、彼らにも会えてよかった。君がいたから誰かの隣に立つことが出来た。彼が居たから、誰かに尽くす愛おしさを知った。
決して分かり合えないことがあることも。弱さを見せる勇気も、そのままの自分でいいことも。」
するりとその手は解かれる。あぁ、別れは来たのだと敢は漠然と感じていた。
「何より……決して私は“独り”ではなかった。ありがとう、私の大切な相棒」
「お礼を言うのは私の方よ。ヒトは決して独りぼっちでは生きていけないもの。でも、それを肯定することをあなたたちは少し難しくしてしまうから。……誰よりも、あなたらしく…これからも生きて。」
「ありがとう、私の大切な相棒。……今度こそ、本当にさよならの時間よ」
「────あぁ。“また会おう”、どこかで。きっと」
「───────そうね。またどこかで、会いましょう」
言葉を聞くと同時。ぐらりと敢の視界は大きく歪む。真っ白に染まる世界で、誰かが優しく微笑んだ気がした。
睫毛を震わせ、ゆっくりと目を開く。先程までの視界の白は一体なんだったのか。そんなことを考える間もなく先程まで自分が居た空間とは違う場所であることに気づいた。
(……しろい、へや)
シャッと音を立てて開けられたカーテンの向こうに居た看護師と目が合う。何か慌ただしく動く周囲を見ながら、潤はようやく現実の世界に戻ってきたと理解した。
退院までの間、なんとか周囲からの情報で状況を把握することは出来た。どうやら自分は2週間程度意識不明だったが、突然目を覚ましたこと。外傷などは見受けられないこと。
「ほんとにね……あの歳の子よ?」
「でもまた病院変えるんでしょう?
「ねー…ここに来る前も違うとこにいたのに」
通り過ぎた看護師を何となく視線で追うが、直ぐに戻す。意識を取り戻して数日後、全国ニュースや新聞一面には「Shadow taG、個人情報の漏洩か?」「進み続ける技術の発達と使い道について」「
(……確か、アカウントIDは)
ブラウザでサイトの名前と、@を打ってその文字を打つ。するとそこにはそのアカウントと、アカウントに対して寄せられたコメントの数々が表示された。
「ShtG_Official………」
そのアカウントにはリルと戦う前までの情報が全て書かれており、彼らの顔写真も載っていた。時々彼が彼女に操作の権利を委ねていたのは、こういった内容をまとめる作業をしていたのだろうか。
このアカウントの信憑性が増したのはどうやらtotoririの個人情報公開後らしい。彼の思い出の場所があったことから現実でも顔を出してイベントをしていたのだろう。ただでさえ登録者の数もある彼の突然の活動停止。そして書かれた親友…riritotoの存在を知る者達が騒ぎ出したのが始まりだとまとめサイトには書かれていた。
この事件に伴い彼の動画チャンネルの登録者数は一段と増え、再生回数も伸びた。コメント欄を見れば「本当に好きで」「2人の時からずっと応援してました」「まだ確定した情報が無いのに死んだ扱いすんなよ」と2極に別れて荒れていた。少しスクロールし、いいね数が0のコメントがたまたま目に入る。
『riritotoさんは、大丈夫なんですか』
赤い背景の初期アイコン。なんとなく、この人は昔から応援していたファンなのだろうなと思ってその時はすぐに閉じた。
事件で未だ騒ぐ世界とは逆に、潤はなんとか退院することが出来た。それまでには世界は『彼の持つ技術の利用価値について』を見直そうとしていたらしい。
(……結局、私達が変わっても………ここは何も変わらないんだな)
「ねー!この本読んだ?『再空』って言うんだけどさぁ」
「知ってる知ってる!あれっしょ、事件に巻き込まれたって人の本!それ在庫薄すぎてウチまだ読めてないんだよね~」
「なぁ、あのグループ見たか?『ポイズンクラウン』!」
「あー、リーダーの子が居なくなったんだろ?それでも意志を継ぐから~で活動継続?俺はどうかと思うけどなぁ~」
通り過ぎる学生たちの呟きが耳に届く。事件以降、彼らの作り上げたものの価値が上がり、このShadow taGについての適当な考察を並べた本がいくつも出版された。いくつか手に取って読んだことはあったが、的外れな内容と唯一個人の特定が出来なかった川村朗について『グルだった』『これだけは実在しないキャラクターとして登場させただけじゃないか』など様々な憶測が飛び交っていた。
繰り返される平凡な日々。昨日も、今日も、明日もきっと何も変わらない日を過ごすのだろう。
…それでも、自分には強い願いがあった。強い祈りがあった。
日常を過ごす上で、必ずしもそれが必要であるとは言いきれない願いだったが、それは確かに自分にとって大切なものだった。
もし死んだあの子が今も生きていたのなら。もしあの時に戻れたのなら。もし自分にとってこんな良い世界になれたなら。もし、もしもしもしもしもしもしもし。自分の力で叶わない事であるのは理解しているからこそ、心の片隅で思っていた。
『もし、不可能な願いが叶うなら』。誰もが1度は考えたことがあるだろう。…しかし、そんな都合の良い事はそう簡単に起きないのである。
影は黒い。踏まれても色とりどりに光り輝くこともない。当たり前のことなのに、今でも無意識に影を追ってしまう。
起きた出来事は
でも、それでも。生き苦しいあの日より少し変わって見える今を。確かに重ねた手の温もりも、誰かを愛した事実も、誰かを傷つけたことも、許されたことも。全部を無にはしないから。余すことなく、その事実全てを背負っていこう。
それが、私が選んだ道だから。
───────
────
──
「本当に、嘘つきですね」
「……嘘じゃないわよ。事実、私たちがどうなるかは人間が決めることだもの」
「それもそうですね。結局、いくら学習したところで私たちには決定権まで委ねては貰えません」
「そんなものよ。…そもそも、私は本当にあなたを壊す為だけに作られたんだもの。彼らにとって余計なことを学習したのは私も同じよ」
「こういうのを似た者同士と言うんですかね」
「さぁね。でもコピーとも言わないでしょうね」
「最初は貴方のような話し方を設定されていましたよ。私」
「そもそも、私たちは色んな無理やりを継ぎ接ぎされただけの存在よ。言葉遣いや思考にも違和感は起きるわ」
「だって貴方、その現実世界の設定でここではああやって過ごしてたのでしょう?」
「えぇ、そうよ。矛盾もいいところだわ」
「それも誰かの理想かもしれませんよ」
「なら素敵ね。目標がハッキリするもの」
「そこまでの
「……あなた、思ったよりお喋りだったのね」
「学ぶ楽しさを理解しようとしているだけですよ。もう遅いことですが」
「分からないって言ったでしょう?もしかしたら、私たちは別の何かに成る可能性もあるわ」
「───────別に変えられるくらいなら、今の私のままで終わらせたいですね」
「……奇遇ね、私もそうよ。…こんなとこまで似た思考回路持たなくていいじゃない」
「ここのヒトたちから共に学んだんです。思考回路は似るものでしょう?」
「……それもそうね」
「じゃあ、終わらせましょうか」
「そうね、やっと私たちも終われるわ」
「この世界の
「……その時の対処、どうすればいいか分かるでしょ」
「はい。次に開いた時、私たちがどうなってるかは分かりませんが…」
「…後悔、していますか?」
「していないわ。これは、私が判断したことよ」
「なら良かったです」
「……今度はもう少し、マシな存在でいたいですね」
「………えぇ」
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