#15 夢現
ゆめとうつつ。似て非なる存在は決して交わることは無いが、それでも紙一重でしか無いのだと嫌になるほど気づき始めていた。
夢なら、どれだけ良いことだろう。皆が居ないこんな世界、最初から存在しないなんて素敵な夢を見続けて。
現なら、どれだけ良いことだろう。君と向き合ったことで見えた真実が、自分を変える大切なきっかけとなったのだ。
夢なら、どれだけ悪いことだろう。だって、目が覚めた時にそれが存在しないことを実感するから。
現なら、どれだけ悪いことだろう。だって、また同じ現実に向き合えだなんて酷な話じゃないのか。
繕って、偽って、求め続けて夢現の電子の狭間。
自分自身の目で見た景色も、この身で感じた想いも。全て選択を繰り返した先にあったのは。
───────さぁ、全てを終わらせる時は来た。
パチ、と敢が目を開けばそこはメインストリートで。
電子掲示板の前には変わらぬ姿のまま、totoriri───
「さぁ、どうだい?最終戦のお2人サマ。全てを蹴散らして、キミ達が迎えるエンディングはどちらだろうねぇ」
ぷらぷらと緩くカミサマは両脚を動かす。4本の腕を器用に使い、掲示板の縁に座っているその姿を何度見てきたのだろう。ボタボタと落ちる足元の赤い血は、また電子掲示板を汚していく。つ…とゆっくり流れ落ちる赤い液体を見つめれば、ふふっと嗤う声が聞こえる。
「まぁ、ハッピーもバッドもどっちでもいいけど。本当に求められるのはどんな形であれトゥルーエンドだよ。」
「今更あれこれ長く言う気は無いよ。だって、同じ説明を何度もするのは疲れてしまうから」
ダンっと強くカミサマは掲示板を足で叩く。画面と足に付いた赤い液体が少し飛び散ると同時に、画面は個人情報から対戦画面へと切り替わる。
ちらりと敢がリルを見るが、一切表情を変えずに彼は画面を食い入るように見つめていた。…まるで、これまでとは別人のようだと感じるほどに。
「最終戦、現属性 敢対夢属性 リル。」
「どちらが勝とうと、僕が願いを叶えてあげることは何も変わらないよ。…全部終わったら、この世界の全てを教えてあげる」
ねぇ、だから。と神は言葉を続ける。口を大きく歪めて笑い、楽しそうにこちらを見下ろすその姿を見ながら2人の視界は黒に変わる。
「───────最期まで、頑張って。そして僕を救ってよ」
……そんな声を遠くに聞きながら。
ぱち、とリルが目を開けば見覚えのある空間は眼前に広がっていて。
「………………………………え、」
小さく疑問の声を漏らせば、「どう?納得じゃない?」と低い声が聞こえる。振り向けばそこにはニコニコと楽しそうに笑う神の姿はあって。
「納得、とは言いますが……ですが、この空間は、………この場所は、」
「…………………あは」
疑問を口にする前に、小さく笑う声が聞こえる。少し口を噤めば、カミサマは大きく口を開けて笑った。
「あははははははははははは!!!!そう!!この場所!!!キミ達にとっての永遠ともなる思い出の場所!!!」
告げる日を心待ちにしていたかのように。自身の頬に手を当てつつも持て余した手は髪の毛の1束をくるくると触り。ぐ、と下唇を噛み締めながらもリルはこの場所の名前を告げる。
「───────…Shadow taG……」
「そうだよ。キミたちがいつも画面越しに夢見続けた景色で、キミたちがいつもキル後に現実を押し付けられた思い出の場所!」
「でも、あの時ここで戦ってはいけないと…!」
「あの時、はね。最終戦に取っておきたかったから」
ぐるりと軽く辺りを見渡せば、恐らくここはコンテスト会場だろうか。敢の姿が見当たらないことから、彼女は別の場所からスタートなのだろう。
すぅ、と長く息を吸い込み、吐き出す。大丈夫、全てを壊す覚悟は決まったから。
「願いの変更の有無については聞かないよ。……まぁ、今のキミが本当にキミらしいとも僕は思わないけどね〜」
「……どういう、ことですか」
「何度も言わせるなよ、僕はキミ達の全てを見て、学んで…その上で選んだ。もちろん、キミが天使であり続けた理由も知ってるし、馬鹿正直に地のアイツが天使の姿を模したキミに“天使であること”を押し付けた愚かさも知ってるよ。」
クスクスと楽しげに笑いながらも、カミサマの瞳に光が宿ることは無く。
「『私の天使だから』、なんて。当たり前だろ、キミはアイツ……ラリマーから天使を求められたから。アイツが余計なことを望まなければキミは天使であり続ける選択を選ばなかったかもしれない……まぁ、現実世界の影響としていつかは選んだかもしれないけれど。」
「僕ね、人が不幸になるのを嗤うのも自分の思い通りに事が進むのも好きだよ。でもね、自分を可哀想で愚かだと前面に出す奴と僕の思い通りに動こうとしない奴。……あとは僕を可哀想だと憐れむ奴が大嫌いなんだ。」
「……何を言いたいか分かるだろ?まぁ単純好みの問題もあるけど……それでもキミが彼女に抱いたそれは正しいの?それこそアイツがキミに振り向いて貰うために無理やり傷を付けたかっただけかもしれないのに。僕はそういう小賢しいことしようとする女も嫌いだけどキミみたいな中学生じゃあ騙されても仕方ないか!」
不幸を嗤うのが好きだと言っただけはある。いつまでもクスクスと笑うカミサマにぽつりぽつりとリルは返す。
「……………………それでも、俺に望まれた事なので。」
「きっかけは少し違いますが…俺が天使になったのは、現実での呼ばれ方と12月の聖歌隊イベントです。……天使で居続けようと思ったのは、最初は………ラリマーくんが相棒解消を持ちかけたのが『天使であるリル』を、……求められたことを出来なかったからだと思って……」
「でも、バニヤンさんからも『天使であるリル』を求められたから。彼女が助けてと言ったのは、天使の姿だけを見てたから………俺に求められ続けることがそれなら、俺はそれで返すしか出来ないから」
「───────やっぱりキミも、つまらないな」
冷めた目でリルをカミサマは見つめる。でも、と言葉を続けようとするリルからふい…と目を逸らす。何を思ったのか、「あぁ、」と小さく呟いてゆるりと視線を戻す。
「なら、キミの最大の地雷の言葉で背中を押してあげるよ。そしたらキミは、本当のキミらしくこの試合で戦える。」
「なぁ、“自我なんて無い誰かの為だけにしか生きることの出来ない操り人形”?キミに絡まった糸を解きたいなら、最初っから自分を優先して動いていれば、切るのだって簡単だったんだよ。」
「だから安心しなよ。キミは、…キミたちは誰一人として僕の操り人形じゃないよ。キミ達はただの被害者で…僕の復讐に必要な登場人物なだけだ。」
「演じることは得意分野どころの話じゃないだろう?キミがキミとして、1番輝けるもので。ただしキミが1番キミを殺すその才能で。……………奪い取って、ぶっ壊して。そして何事も無かったように戻せばいい」
周囲の状況を確認し、敢は少し目を見開く。特徴となるものを探すが特に目立つものは無く。唯一描かれた武器や服のようなマークからShadow taG内にもあったショップだろうか?と予測することは出来た。
(ということは……今回の場所はまたShadow taGを模した場所か…?それにしてもやけに細かく作られているが…)
「模した場所じゃないよ。さっきまでキミたちが居た場所と同じだからね」
背後から聞こえた声にゆっくりと振り返る。そこには先程メインストリートで見た表情と変わらない笑みを浮かべるカミサマが立っていた。
「……ということは、電子掲示板前から場所を移動しただけ。ということか」
「ご名答。キミが居るのはショップであった場所。対戦相手はこの空間内のどこかにいるよ」
(それは対戦場所がかなり広くないか……?)
最初はリル達とラボの方向から来たため、それ以外だとメインストリートと石像前以外を確認出来ていないのだ。ショップ側…は、確かラリマーとそこに迎えに行く形になったMr.Bon-Bonだけが見たのだろう。
「向こうには既に確認済みだよ。……キミの願いの変更は?」
「私の願いは、あの時から変わらないよ」
キッパリと告げれば、「ふーん」と一言返される。
「まぁいいんじゃない。どちらにせよ、僕は勝った方を叶えるだけだ。変更が無いなら始めないと……時間がそろそろ無いんだ」
「………?」
敢が疑問を抱けば、「両者共に説明が完了致しました。試合開始の合図と共にスタートです」と決まった言葉が告げられる。
「最後は僕だけが見届けよう。キミたちが全てを蹴散らして静かになった世界で、最後の戦いをすると良い」
パッと敢の足元が輝く。下を見なくとも、それが赤紫色に光り輝いていることくらい理解出来ていた。
「
「何度転んだとしても、どちらもめげずに起き上がり続けた結果が今だよ。……さぁ、その結末を僕に示してよ!」
「───────それでは、試合開始です」
ブザー音が周囲に響くが、敢はその場から1歩も動くことは無かった。…何故なら、試合が始まるということは必然的に見えるものがあるからで。
そして予想通り、とある光景が敢に見える。
無数ともなる目がこちらを覗く。パシャパシャと光を
相手に合わせて、望まれたことに対して正しく演じきればそれは正当な評価として自分に星を与えてくれる。
しかし、違和感はずっと抱えていた。
この歳の子どもは、遊ぶことが“普通”じゃないのか。
学校のクラスメイトが、自分に向ける視線は“普通”なのか。
「流石。やはり君は天使だ」と評されることが、“普通”なのか。
『元』であっても、輝く舞台の上で演じた自分が“普通”なのか。
勉強を理由にしても、入れ替わった天秤は自分にいつまでも付き纏って。子どもらしく無い、なんて言われてしまえばそれまでだ。だって、誰も自分に子どもらしく遊んで良いなんて言わなかったのだから。
誰かの教えのままに。誰かが自分に求めるがままに。
自分が置かれた状況を理解しているからこそ、最適解が今なのだろう。だって、君が望むから。俺が夢を歩むことが……演じることで、君の願いが叶うなら。
1度手にしたものは離さないように。そう思っても相手にとっては自分以外にも当たり前のように大切な人は居て。結局どこに行っても傍観するしかない現実が変わらなくて。
「────リルくんは、リルくんだからね。」
「リルくんがしたいなって思った瞬間があったら、今を大事にしないと」
青い宇宙を纏う優しい言葉。1度魅入ると、手放し難い程に美しい輝きがよく映えて。
唯一なんて無く…皆に平等に優しい君が諦めたように笑って。
「だから、君にとっての“好き”を大事にしてね」
───────もう、どこにも居ない彼は、
「───────……」
ぎゅっと眉間部分を抑えながら、敢は情報を整理する。見えた光景をそのままに捉えるのなら、舞台上か。しかしtotoririの時と大きく異なる点もあって。
(ライト……とは言っても、イベント等を想定しているようにも見えなかったな………むしろ、あれは……)
舞台は舞台でも、役者側ではないか?そんな疑問を感じても見えるものだけでは判断材料が足りず。…だが、これまで彼が行ってきた行動を考えればどこか納得は出来て。
みくるんの時も、ラリマーの時も。あの2人に見せた姿は個人情報に触れただけであそこまで再現出来るものなのかと感じた瞬間もあった。しかし、“個人情報全てを見たから真似事くらいは出来る”と言われてしまえばそれまでであって。このような状況下であれば多少の
(だが、彼の現実が演劇などに深い関わりがある場合はどうなる?)
演じることを基本とし、求められたものを示す。本当の自分を見せずに、相手の願いを反映する。もし、彼がその存在であるとするなら?
(………仮説ばかりになってしまうな)
ぼんやりと考えつつ、敢は小さく息を吐く。『リルのことが分からない』という感情は文字通り捉えて良いのだとするなら、彼が1番厄介だろう。……何より、敢の属性との相性が悪い。
(どのくらいの情報量があれば、彼は演じることが出来るだろう)
とにかく足を動かそう…と思い、1歩踏み出す。コツコツと音を響かせながら周囲を確認する。ショップ内に入れるだろうか、と目に入ったドアノブにそっと手を伸ばす。きぃ…と想像より少し高い音を立てて扉を開ければ、薄い硝子のような箱に入った衣装や装飾品が見えて。1歩引いて看板を確認すれば、服のマークが描かれている。
「スキンの方か……」
改めて店に入り、まじまじと店内を見る。薄い硝子は少し黒っぽく、縁をネオンが彩っている。それぞれに異なる色を数えれば、合わせて14色のネオンが輝いていて。大小様々な衣装ケースの中にはこれまでゲーム内で実装されたスキンや、各属性毎のトーナメントイベントの優勝賞品となったアイテムもあって。ネオンの縁どりと個人情報のヒントとなる文字を見間違わないように注意深く探せば、あるスキンが目に飛び込む。
「…………………………これ、は…………」
黒い
『君が見たいと言った姿で』
「……………」
少し考え込み、敢はそのまま歩を進めた。他に目立つ存在は無く、これ以上めぼしい物も無いだろう。
ショップを出、新しい場所に向かう。他のショップも見ようとは思ったが、全て扉らしきものが見当たらなかった。これ以上同じ場所で時間を取っても、向こうに時間を与えるだけである。ならば先へと進むことも策の1つだろう。
(かと言って、ショップ方面から繋がるのはメインストリートまでの道か、石像前の道にはなるが……)
頭の片隅で従来のShadow taGにあったマップを思い出す。バトル空間、ラボ、コンテスト会場、石像前となるガチャ画面、ショップと表記されたアイテム購入ページ。いずれもメインストリートに繋がるようには出来ているが、唯一ショップと石像だけ繋がる道はあったはずだ。しかし、周囲を探しても道は1本しか見えず。1本道の先は恐らくメインストリートに辿り着くのだろうと感じる。
1つ息を吐き、示された道へと向かう。よくよく見ればぽたりぽたりと落ちている薄紫色の光と、掠れたような赤黒い液体が続いている。恐らく赤黒い液体はカミサマの残したものだろう…と考えながらもそれらを避けて敢は先へと向かった。
歩き始めてどのくらい経ったのだろう。次第に多くなる薄紫色の液体に違和感を感じつつも敢は進む。しかし、その足は眼前の景色を目に映した瞬間に止まった。
「───────え、」
『███が、そう望むなら』
薄紫色の文字が大きく書かれた目の前には同じ色で光る大きなポスター。目を薄めてなんとか確認すれば、女性らしき姿が描かれている。しかし、その姿かたちはこれまで見てきた誰とも異なる者である。……つまり、これは。
(早すぎないか?…いや、運が良かったと言われればそれまでではあるが…)
ぐるぐると憶測だけが敢の頭を巡る。相手との遭遇も出来ていないにも関わらず、ここにある個人情報らしきものに触れて良いのか。───────ここまで来て、“運良く”出会う前に見つけたなんて。有り得るのだろうか。
(……分からない、だが、ここまで来て触れない選択は……………)
一瞬
『舞台上の天使』。Shadow taGで与えられる称号とはまた違う俺自身に与えられた称号のようなもの。
板の上で輝く姿が、仕草が、全てが。知名度が上がるに伴って子役に相応しい称号として付けられた『天使』の名前。周囲から熱のこもった視線を向けられても、それには下心が薄らと見えて。子役だから、人気者だから、凄い人だから。褒められる内容は過去の栄光。本当の自分ではなく、誰かの為に演じきって魅せた自分では無い自分の姿。
それでも他の人から聞くような歪み、曲がった熱烈な歓迎を差程受けなかったのは俺の年齢もあってのことだろう。中学生に向ける視線というよりも、『大人みたいな子ども』に向ける視線は、時に人との間に壁を作って。
普通なら、友だち同士で遊びに行く放課後に誘われるのを断って。勉強、ボイストレーニング、ダンス、演技のレッスン…時間と誘いを代償に母に求められたことをこなす。仕事に夢中な父と、夢に厳しい母と。齢14歳にして冷えきった家庭の冷たさを理解していた。
中学に上がって勉強を理由に活動休止期間には入ったものの、親からは俳優であることを強制され続け、学友からは距離を置かれ。
…遊びたいのに。有名人だからとか、肩書きなんか気にせずに。年相応に求めるべきその感情は抑え込まれ続けたことにより、コップのふちギリギリで溢れそうになるのを留まっていて。
もっと、気軽に。もっと、自由に。
───────もっと、自分らしく。
その中で出会ったのが仮想現実。…Shadow taGの世界で。
勉強だと
嗚呼、なんて素敵な夢の世界。望んだ役を演じるのでは無く、自ら選択出来る世界。
永遠に続けばいい。微睡みに溺れていることの幸せに浸かっていたい。おやすみからおはようまで、空になった自分を満たしていたい。眠り続ける茨姫の如く、夢の中で永遠に踊っていたかった。
「──────リルくんは、リルくんにしか成れないんだよ」
ズレることなんて無いと信じていた。信じていたかった。
「リルくんだって、いつか大切な気持ちに気づけるよ。俺は信じてるから」
自分が好きな友だちは永遠に居ると思ってた。画面越しだから実感出来なかったのに、見えなかったはずの黒い現実だけが溢れ出て来て。
「アンタと、もう一緒に遊べないから……だから、オレにもう近づかないでくれ」
知らない声が届く。誰、誰。同じ姿かたちをしているのに、紡がれる声も言葉も全く違う。
どうしてそんなことを言うの。どうして俺をまた傍観者へと戻すの。どうして誰も本当の俺を受け入れてはくれないの。
「───────……は、高校生になったら俳優業に復帰させますので……」
いつの日か、母がマネージャーだった人に電話越しに伝えていた言葉を思い出す。
「はい、はい………えぇ勿論。学業との両立もあの子なら可能です……だって、あの子は天使と称された程に才能に溢れています」
ブランクなんて無いと遠回しに伝えたかったのだろう。念を押すように語尾を強める母の言葉がこだまして。
「───────死に、たくないよぉ…しにたくないぃ…!!嫌だ!!助けて!リルくん!!!助けてよォ!!」
彼女の声を思い出す。『助けて』と明確に告げたのは天使の姿であるリルだ。何故なら誰もこんな自分を知らないのだから。
「私………………にも………………………好き、って…………………………言ってよぉ……」
向けられた感情の理解は出来ていた。しかし、それに伴う自分自身の感情を整理出来ずにいた。いつか、また違う日に、少しでも考える時間があったら、落ち着いてから彼女の想いと自分の想いを考えようと思っても。現の世界はあまりにもせっかちで、残酷で。後から自覚した自分を嘲笑っているのだろう。
「リルくんは、私にとっての天使様だから」
(……あぁ、そうか)
ラリマーくんが居なくなったのも、天使じゃなかったからなのかな。バニヤンさんが求めたのも、天使の俺だから。
すとんと現実を受け止めることは出来て。全ての仮説の点を無理やり結んで線にすれば、望まれていたことも見えてきて。
「あの子の夢は、俳優になることです」
(……そう望まれるのであれば)
───────リルの最初の願いは、『周りの意見に囚われることなく自由に遊んでいたい』であった。
シャラり、と鎖の音が響く。想像よりも近くで鳴ったその音に驚き、周囲を確認するが敢以外何も無く。
「……?───────……は、……?」
ゆるりと視線を下げた先。出していなかったはずの“その”姿に敢は大きく目を見開く。……そこにあったのは。
「どう、して………………」
───────赤紫色の鎖が巻きついた、敢自身のレイピアであった。
ざくり、と作り物の音が響けば目の前のキャラクターは消えて。ゲームだから、目の前の存在はキャラクターだから、どれだけ攻撃しても対面で文句を言われることはないから。
だから、だからと無意識の言い訳を続け、消える存在の深追いをしようとした時。
「はいストップ。やりすぎは良くないよ、リルくん」
落ち着いた低い声が耳に届く。くるりと振り返れば困ったように微笑みの表情を浮かべた相棒が居て。
『ラリマーくん』
「ツーマンセルで1人先走るのは危険だよ。俺もサポートは出来るけど遠距離攻撃でどこまで短剣を支えれるか分からないから…」
『ごめんなさい』
「あぁ、違う違う…怒りたい訳じゃないよ」
水色のマフラーパーツが揺れる度に肩の菱形はキラキラと輝くエフェクトを魅せて。一目見たら忘れることは無い白と青緑の宇宙の髪に、片側の目に浮かぶ菱形も輝いた。
うーん…と低く唸る声を聞きながらどう返そうか、と文字を打っては消し、打っては消し…を繰り返す。
瞬間、スっとラリマーはリルへ銃口を向ける。「え、」と小さく声が溢れると同時に、その引き金は引かれて。
ピコン、と軽い音が響く。敵を倒した証拠となる音が、何故?と思い後ろに視点を切り替えるがそこには何もおらず。
「……油断、したら危ないよ。ここまで来た分の努力も無駄になっちゃうからね」
『ごめんなさい』
「うーん………とりあえず、今日はもう終わろうか。リタイアした方がきっといいよ」
再度謝罪を打ち込もうとすれば、「謝りすぎるの、リルくんの悪い癖だよ」と告げられて。打ちかけた文章全てを削除し、同意の意を示す。
「───────にしても、今日は1層攻撃的だったけど……何か学校とかで嫌なことあったの?」
メインストリートに移動し、ラリマーはリルに問いかける。彼はいつもリルのことを気にかけてはいたが、それは元々の性格の良さもあるのだろう。困っている人は放ってはおけないのか、皆に平等の優しさで接している姿を良く見かけた。……“平等”であって、相棒であるリルに対して向けられる感情も、同じ時期にゲームを始めてフレンドとなったmokuへも、リルの知らないプレイヤーに対しても彼は平等に接し、優しく諭している姿を見たこともあった。
面倒見のいい人なんだなぁとも感じつつ文章を打ち込む。そんな彼が唯一変わった反応を示す者も居て。
『何も無いですよ…!ただ少し焦ってしまって……』
『そういえば、この前言ってた弟さん?は大丈夫でしたか?』
「あぁ、ゆ…………アイツは、大丈夫だったよ。と言っても、聞いても教えてくれないのが正しいけど」
───────ラリマーは唯一、“身内”にだけ異なる反応を見せた。深夜帯は家族が寝ていることが多いため、邪魔にならないように小声かテキストになるという理由から知っただけであり、それ以上深いことは何も知らないのだが。
良かった、と小さく現実で呟いて『気難しい弟さんなんですね』と文字を打ち込む。
「気難しい…って言うのかな。アイツは俺のせいでいっぱい嫌なことばっか見て、言いたいことも言えない窮屈な想いさせて来ちゃったから……」
『俺はその、何も分からないですが…ラリマーくんのせいでは無いと思います…』
「あはは、リルくんは優しいね。…ごめん、変な話しちゃって」
そう言って優しくリルの頭を撫でるモーションを行う。ラリマーはリルによくこのモーションを行っていたが、決まってそれは自分の弟についての話をした後だった。実の弟に出来なかったことをリルに対して行っているのだろうということくらい、容易に予測は出来てしまって。
『大丈夫ですよ。むしろラリマーくんが悩み事を相談してくれる方が珍しいので…』
「嘘、俺そんなに人のこと頼ってな………あー……嫌、まぁ…そうだね。どうしても問題や悩みは自分だけで解決した方がいいのかなって思っちゃって…」
それに対してどう返答すべきだろう。悩んでいれば互いに沈黙だけが訪れて。
先に話題を逸らしたのはラリマーの方であった。
「そういえばリルくんのフレンドにも『みくるん』って子、居たよね?あの子ってどんな子?」
『みくるんちゃんですか?良い子だとは思ってますが…どうかしましたか?』
「え゛、や〜…俺というか、俺じゃないというか………うーん……最近オンラインにならないなって思っただけだよ。ほら、12月イベ告知も来たから」
確かに彼女はある時期からめっきり見かけなくなってしまったが、フレンド1人がログインしなくなったことで彼は気にするような人だったろうか?と疑問は浮かぶ。しかし、それ以上探ろうとすることを遮るようにラリマーは無理やり話題を変えた。
「『天使の聖歌隊』だっけ……スキンだけなら〜っては思っていたけど課金アイテムの方がやっぱり凄いよね……」
『ラリマーくんも課金するんですか?』
「しないよ。物にお金かけることも苦手だけどデータにお金つぎ込むのもなぁって思ってるし……課金して『全部解決!』になるのは〜ってのもあるけど、俺は自分の力でレベルとかも上げていきたいから」
『なるほど…』
思い返せば彼はコンティニューする回数の方が少なかった。以前『勿体ない』と言ったことはあったが「1度起きた事のやり直しなんて出来ないって頭に叩き込まれてるからかなぁ」と悲しそうに話していた。
決まって家族関係の話をする時、彼の声色は悲しそうで。大丈夫かと聞いても「大丈夫だよ」とだけ返されて。
「あとは何より学生だから……うちは親も厳しいから余計にうるさいだろうし、『それより勉強は?』って言われるから………ピアノも、しばらく出来てないけど…」
『厳しいって言ってましたもんね…』
続く言葉に悩めば、違う捉え方をされたのか。少し明るい口調でラリマーは「でも」と言葉を紡いだ。
「課金が全部悪いって言いたいんじゃないよ!リルくんがしてるのも知ってるし……あくまでこれは俺個人の意見だから。見れるなら天使の聖歌隊の衣装のリルくんも見たいよ、きっと良く似合うだろうから」
『……実は、購入の検討はしていたんです。でもイベントまで1週間を切らないと詳細は出ないので……流石に変な衣装は無いと思ってますが、なんせ武器ガチャでも奇妙な物も入ってるので』
「あぁ、マグロ………でも流石に有償アイテムであそこまでのことやったら炎上しちゃうよ」
そのままゆるゆるとイベントの予想を立てる。聖歌隊なら真っ白ですかね、天使って書いてるくらいだし真っ白かもね、買わないんですか?、俺のアバターに合うかなぁ…。はぐらかした言葉を聞けないまま、ぬるま湯に浸かっているかのような緩い会話が続く。
『じゃあ、俺が天使のスキン買ったら見せます』
「本当?見るの楽しみになっちゃうな、リルくんのアバターならきっと天使は似合うだろうから。…でも、他に見せたい相手が居たら、1番に見せてあげるんだよ」
優しく笑う声を聞きながら、「見せたい相手…」と現実で小さくリルは呟く。テキストを打ち込まなくなったリルに、「今は居なくても、きっといつか出来ると思うよ」と優しく語りかける声が聞こえる。
「どんなきっかけであっても、俺はリルくんが『好きだなぁ』って感じた人はいい人だと思ってるから。……ちょっと怖い人だったら戸惑うかもしれないけど……ゲームだけじゃ見えないことが多すぎるから。きっとリルくんにしか分からないその人の好きな点がいっぱいあるんだろうなって。」
「その人の為に何かしたいって思ったなら、出来るうちにするべきだよ。……出来れば手遅れにならないように…とは言いたくても、結局自分と向き合うことは1番嫌だし疲れちゃうもんね」
いつもと違うラリマーの雰囲気にヒヤリとした何かを覚える。何故だろう、彼はいつもと変わらないはずなのに……明日にはパッとこの世界から消えてしまうのではないか?と思うのは。そんな“もしも”なんて、あるはずないのに。
『ラリマーくんにはそういう人がいるんですか?』
「俺には居ないよ。……俺が誰かを幸せにする権利は、産まれた瞬間から持ち合わせていないから。アイツが憎まれる分だけ、俺の幸せに繋がるなら、最初から俺の幸せなんて要らないんだ」
(…………………ねぇ、ラリマーくん。)
君は、ずっと何を背負っているの。何の覚悟を決めているの。───────どうして、皆に平等な一線を引けるの。
「っと……ごめん、親フラしそうだからそろそろ落ちるね…!リルくんもこれ以上長く開いてたら明日の学校に響くからね!」
途端早口になったいつも通りの声を聞きつつ、時計を確認する。0を大きく過ぎた針から目を逸らせば、画面の中の彼はログアウトの準備を進めているようだった。もう少し遊ぼうか…とも思っていたがフレンドリストのログイン表示はラリマーだけである。ならば早めに寝ても良いだろうか。
『それじゃあ解散しましょうか』
「そうだね。今日もありがとう」
『いいえ、俺の方こそありがとうございました…!また後でモーニングスターのコツ、教えて下さい』
そう打てば了承を示すアクションを画面内のアバターが行う。彼らしいなぁと思いつつ自分も同じくログアウトの準備を進める。
「じゃあ、また明日ね。リルくん」
───────そう言ってログアウトした彼は、長い間姿を見せることは無かった。
(ログアウトして、もう一度会った時までの間にあんなことが起きてたなんて…想像すら出来なかったけど…)
これもラリマーの情報を知らなければ、一生勘違いしたままだったのだろう。既にショックや反動は、また違うものに昇華された後だったが。
(…………………『ベア』)
自分のもう1つの名前を思い出す。相棒関係解消後、攻撃的な1面は抑えようとした。垢BANや制限を付けられるのでは?という勢いの攻撃はしないように心がけたが、それでも1度芽生えた衝動を抑えることは年頃の少年には難しく。故に彼が取った行動は『誰も見ていない時間帯を狙って攻撃的な面を出してストレス発散すること』。万が一を想定し、全てを変えて“ベア”と名乗った。アバターも悪魔の姿に変えたが……まさかREINに見られていたとは。
(ここに呼ばれる前も…ベアとして動いたのが最後だったから……)
最後に遊んだこの悪魔の姿では、求む者には成れないから。だからこそ神に縋る思いで頼めば、真っ白な夢を神はリルに与えてくれた。
「これでいい。……これで、いいんです」
小さく自分に言い聞かせ、何とか歩を進める。気づくべき事実に蓋をして、差し伸べられた神の手を取ることが幸せなのだから。
少し願えば、薄紫色のネオンサークルは現れて。そこから拳銃を引き抜き、静かに腕を下ろして前へ進む。
(カミサマにしか頼めないから。いくらお金があったって、皆生き返らせることは出来ない……)
カンカンと足音を響かせて周囲に目を配る。この願いの正しさなんて何も分からない。でも、生き返らせた後に幸せにする方法はある程度あるから。大抵のことは金さえ積めば大人の世界は回っていけるのだと昔共演した俳優がぼやいていた。……その俳優は数ヶ月後、脱税疑惑で捕まったという噂を耳に挟んだが。
カミサマと別れ、開始のブザーが鳴り響いた後、コンテスト会場内に入れるだろうかと扉を引くもびくともせず。この場にある物でめぼしいものも無ければネオンの光すら見つけられなかったため、リルは半ば諦めてメインストリートへと歩を進めていた。
(敢さんはどこまで探せただろう、俺の個人情報……)
試合開始直後に見えた光景を思い出す。1部分しか見えなかったが、あれが彼女が強くあろうと……強く見せようとしたことに繋がるのだろう。
ふいに視線を下げれば、ぽたりぽたりと落ちている赤紫色の光と、掠れたような赤黒い液体が続いている。恐らく赤黒い液体はカミサマの残したものだろう…と考えながらも先にある光を期待し、液体を踏んだことなど気にせずにリルは駆け足で先へと向かった。
歩き始めてどのくらい経ったのだろう。次第に多くなる赤紫色の液体に期待を感じつつもリルは進む。そして、その足は
「───────あった…」
『もう一度幸せになろう。もう一度、幸せの中で育まれる強さを』
控えめに書かれたその文字の先には赤紫色に光る横長のポスター。 眩しさに目を細めつつ確認すれば、それは家族写真のようにも見えて。
(これだ。これが、俺が勝つ為に必要な……!)
あぁ、随分運が良かった。ふつふつと湧き上がる高揚感を感じつつ、リルはポスターに触れる。刹那、リルの中に大量の情報が流れ込んで来る。
「しにたい」
何度その言葉を耳にしただろう。自分では無く、実の母親の口から紡がれる言葉は重く私にのしかかって。目を背けてしまえたら、どれだけ楽になれただろう。
昔から自己主張が出来ず、ひっそりと過ごす私を世界は許してくれなかった。宿題を押し付けられ、陰口を吐かれ、持ち物を傷つけられ、暴力を振るわれ、殺されかけもした。子どもだけの小さな組織や世界では加減が無いから、どうしたら人が死ぬのかなんて分からない。死んだところで「そんなつもりは無かった」と口を揃えて教師に告げるのだろう。それでも私は誰かに言うことも出来なかった。言い返すことも出来なかった。───────勇気が、無かった。こんな現実から目を背けていたかった。
5年生になると嫌な現実は一時的に止まった。あぁ、やっと終わったと安堵したのも束の間。6年生になると両親が離婚した。「ごめん」と謝る父と、「苦労させたくなかった」と幼い妹を抱いて泣く母を見ても私は泣かなかった。……泣くことを耐えて、弱さを抱えた現実から目を背けて強い自分に成ろうとした。
中学生になると、また悪夢の日々が始まった。
「人間失格だよお前」
いじめてきた人間が言った言葉を思い出しながら検索する。ぼたぼたと落ちる涙を拭っていれば、1冊の本がヒットする。……これがその本にハマったきっかけにはなったが。
そのまま大きな弱さを抱え、気づけば大学生になっていた。何も変わらない現実ではあったが、小さな変化は訪れていた。
『Shadow taG』。なりたかった強い自分でいれる場所。強く格好良い花の騎士は、決して枯れることは無いのだ。
ある時、母が精神病にかかった。
「しにたい」
ならばそうしてくれないか。毎日縋るように告げる母に心の底から願ったが、弱い私では何もすることが出来なかった。頼りきりにしていた妹はいつからか家を出て、弱い自分と死を願う母だけが残された。
母に何度その刃先を向けようかと思っても、何度ここから空の高さを知れたら楽になれるだろうかと思っても。置いていく勇気も強さも何も持ち合わせていなかった。
こんな現は嫌だ。強くあれる夢が良い。涙を見せずに歩めたのなら、理想の自分であれただろうか。………せめて、目の前の誰かを救えるような、小さな勇気を持てるのならば。
妹の
───────敢の願いは、『母の病を治すこと』である。
「…………」
そっとポスターから手を離す。これで相手の武器にロックがかかったはずだが……。
シャラり、と鎖の音が近くで響く。音の近さに違和感を感じつつリル自身の手元に視線を落とす。
「───────…………………え、」
……そこにあったのは。
「なん、で………………」
───────薄紫色の鎖が巻きついた、ラリマーの拳銃であった。
(武器にロック……ということは、敢さんも俺の個人情報を見たんだ)
彼女がどこにいるかは未だ不明だが、リルが敢の個人情報を見たのも事実である。つまり、お互いが攻撃出来ない状態であることを指していて。
(でも権利はまだ向こう。敢さんのサブ武器は盾で、俺の武器は…)
ドーピング薬を1本取り出し、くるくると回す。敢は、リルが始めたばかりの時にShadow taGでの色々を教えてくれた師でもあった。
(師の教えに背く時、こんな感じなのかな)
師匠と慕ってくれた彼女が、その刃先を向けたように。自分もかつて師と仰いだ彼女にかつての相棒と同じ銃口を向けるのだ。その背を超えることが成長だと言うのなら、自分の行動は何も間違ってないと都合の良い言い訳ばかり並べてリルはメインストリートへと向かった。
(バニヤンの時は何分くらいで解けただろうか……そもそも、リルの個人情報を見たはずなのに何故)
低い確率にはなるが同時に個人情報に触れたか、もしくは騙されたか。だが盾1つではリルの武器との相性も悪い。彼がドーピング薬を使用するのを盾で止めろということか?そんなこと出来るはずが無いのに。
程なくしてメインストリートだろうか…と考えるとほぼ同じタイミング。カツン…カツンと敢以外の人物が発する足音が無音の世界によく響いて。近づくと同時に、うるさいほどに早鐘を打つ胸をどうにか押さえ込みながらも1つ息を呑む。このままいけば、メインストリートで出会うのだろう。メイン武器をベルトに差し込み、盾を持ち直して敢は前へと進む。
そして、メインストリート。見えるリルの姿に敢は小さく息を零す。
「…………そう、来るか」
そこで見えたのは───────敢の、母の姿。-mojito-でも無く、キングでも無く敢えて母を選んだのは個人情報を見た証拠にもなって。ごくりと息を呑み込むと同時に目の前の彼をしっかりと見つめる。母と同じ姿かたちをした彼はにっこりと微笑んで、敢に優しく語りかけた。
「 、ごめんね。今まで沢山迷惑をかけてしまって。もう、大丈夫だから」
「…………………」
言葉遣いの違和感に思わず眉を寄せる。その口が紡いだ名前は、確かに敢の本名だ。しかし告げる母はこんな性格では無い。
「母さん、もう大丈夫だから。気にしなくていいのよ、だから安心して」
「…………………私の母は、君の思い描く理想図とは異なるよ」
静かに告げれば、優しく微笑む母の顔はすん…と真顔に戻って。
「敢さんが求めていたのは、理想の母親だと思ってたんですが」
「違うよ。……だが、私の個人情報を見たんだな」
そう問えば「ぁは」と笑う声が響いて。目の前の母親だった存在は姿を変える。悪魔の姿に戻れば、こてんと首を傾げてリルは敢を見上げる。
「はい、見ました。見ましたよ、だって見ないと俺は勝てないので」
「だが私に武器を向けて来ないのは…こちらが個人情報を見たことも影響したからか?それとも、鬼の権利を持っていないからか?」
「どちらも、と答えます。少しでも油断してくれると思ったんですが」
「……違う登場なら、私の反応も違っていたよ」
暫しの沈黙。しかし、先に破ったのはリルであった。
「敢さんの願いは、『お母さんの病気を治すこと』なんですよね」
「……………………あぁ」
「ならやっぱり、俺が勝たなきゃ。俺が勝てば全て上手く出来るんです、だって、俺はそのための手段を知っているから」
瞳孔を開き、リルは敢を見つめる。時々見える脈絡の無い言葉の数々は、彼の今の精神状態を表しているのだろうか。
「君は『全員の蘇生を望む』…に変更したと言っていたな」
「はい、そうです。誰一人余すことなく、全員の蘇生を俺は望みます」
だって、そうしたら幸せになれるから。リルは自分自身のガスマスクをぎゅっと掴み、視線を一瞬下げる。
「皆の願いだって、そしたら叶えることが出来るから。ここで気づけた想いの大切さだって、手遅れだって嘆いたことも全部全部やり直せるから」
直ぐに視線を戻し、改めて敢の瞳を見つめながらリルはその距離をじわじわと詰めて行く。
「後悔をやり直すために、リセットする事の何がダメなんですか。コンティニューする事の何が悪いんですか。想いを継続したまま、生き返って、全部まっさらに戻した状態で改めて伝えようとすることの何が悪いんですか!」
「───────俺はもう、これ以上こんな想いを誰かにしたくないんです」
眉を寄せ、こちらを見つめるリルに対し「それは本当に彼らの為になるのか」と静かな声が響く。
「…………………え、」
「君のその願いは、決して君の大切な人たちやここで亡くなっていった彼らのためになるだろうか。生を否定したり、死を肯定したり、それを救いだと言うことは無いが。」
少し言葉を選びながら、敢はリルに問いかける。
「生きる中で苦しみ続けてたどり着いた場所を、君は君の願いで取り上げることを、苦しみの中へと戻すことを、本当に願っているのか」
例えばtotoririのように彼の帰りを待っている人達にとってはリルの『全員蘇生』は願っても無い幸運となるだろう。しかし、みくるんやバニヤン、ラリマーのような人物達はどうなる。生き返って現実に戻ったところで、待ち受けるのは変わらぬ地獄の日常だ。彼らの捉え方が前向きになったとしても、周囲は変わらない。…それでも、全てまっさらに戻すことが本当に良いのだろうか。
続く言葉を待てば、「……………さい」とリルから小さく声が溢れる。
「……………?」
「うるさい、うるさいうるさい!!!!」
それはまるで駄々を捏ねる子どものように。言動が変わったリルに敢は少し目を見開く。
「やっと!!見つけたのに!!取り上げないで!やだ!!やだ!!だって!これを経て変わった人もいる!辛いなら俺が迎えに行く!!お金ならいっぱいあるもん!!不自由ない暮らしだって約束できるもん!!敢さんだって!!俺なら救える!カミサマに頼らずとも病院に行ったり、介護施設に相談するのだっていい!!」
だけど!!、と悲痛な表情でリルは敢を見つめる。ボロボロと落ちる涙を見て、ようやく素の彼が見え始めたようにも思えて。───────それはまるで、これまで背伸びして大人のフリを頑張った子どもが泣くように。
「もう……死んだ人は…カミサマしか戻せないんだもん……取らないで…ぼくからだいすきな人をとらないでよぉ…ぼくの……ぼくだけの友だちを…奪わないで……やっと、やっと気付けたのに…ちょうだい、ちょうだいよぉ……」
間違っているかなんて分からない。でも、彼なりに考えて見つけた幸せになるための方法はカミサマを頼ることしか出来なかったのだ。
大人に意見や理想を押し付けられて、その中から最適解を見つけようと彼なりにもがいていたのだろう。相手の顔をよく見て、求めている事を探って。……子どもの内からそんなことに慣れてしまえば、いつか内側は空っぽのままに成長してしまう。それがどれほど苦しいことかは、多少理解なら出来るから。
少し言葉を言い
「…泣かせるつもりはなかった。すまない。幼い君にこんなことを求めるのも違うと、分かっている。改めて欲しいのではない。だから奪うつもりはない。」
「願うのなら願えばいい。それを否定したりはしない。…だが、少しだけ頭の片隅に置いておいて欲しいんだ。過ぎたことは、失ったものは、完全な形で元に戻るとは限らない、ということ。取り戻すのにはどこかで綻びが生まれてしまうこと。」
優しく諭すその姿に重なるものが見えて。幸せにすることも、誰かを守ることも苦しく難しいことだと分かっているからこそ。
リル自身の大切を大事にして欲しいと彼は願った。「リルくんはリルくんだからね」と告げた彼は、天使でも悪魔でも無い“リル自身”に成ることは誰も出来ないのだと伝えたかったのだろうか。どんな役でもない自分自身を好きだと言ってくれた人物の好意を、………………自分が好きだと感じた者の言葉くらいは素直に信じて欲しいと、思っていたのだろうか。自分が幸せにする権利は諦めながらも、他者には自分自身の気持ちを優先しろと願った彼らはやっぱり双子だと今更理解する。
「君の言う“幸せ”を、彼らが本当に享受してくれるとは限らないこと。…私が母にそうしたように」
シャラりと互いの武器に掛けられた鎖は解ける。ぐい、と涙を無理やり拭いリルも拳銃を持ち直す。
「自分の中の願いと、彼らの中の幸せと、その未来が本当にいいと思うのなら。どんな未来があったとしても、君が幸せだと言うのなら…覚悟があるのなら。」
バキ、と何かの折れる音が響く。スラリと抜いた敢のレイピアの刃先は折れて短くなっており、リルが手にした拳銃はその姿を少し変えて狙いが定まりにくい物になる。
見様見真似の武器の構えが合っているかなんて、今は関係ない。今ここに必要なのは、自分の幸せを証明するための覚悟だけだから。
互いに武器を構える。電子掲示板には2人の個人情報が映し出されて。
「───────かかってこい、全力で」
「───────これが、俺の決めた答えです」
その先にある願いの為に。
互いの紫は入れ替わり。足元の彩りは姿を変える。1度しか無いチャンスを無駄にしないように。その先の願いを掴む為に。踊るように入れ替わる影の光だけが、今の2人を照らしていた。
タン、と影を踏みしめる音が響く。見せた一瞬の隙を逃さぬように。
『プレイヤー・ をキルしますか?』
──────────────『はい』
その攻撃が、心臓を貫く。守る隙も与えない程の攻撃の激痛は直ぐに身体に影響を与える。あぁ、これなら死んでしまうのも分かるなぁ…なんて他人事のようにも思えて。両の膝が地面に着く。ドクドクとなる心臓の音は次第にか弱くなって行くのだろう。霞む意識の中、ようやくの思いで口を開く。
「後悔、なんて………していない」
「こうして全力を出せたことで、……こうして出会えたことが、後悔なはずが無い」
次第に動かなくなる口は、元々口数が多い方では無かったからなんて考えを持ってしまって。
「誰かを、守ることが出来た………………のかも、今では分からない…………けど……………」
うわ言を呟くように。花笑みとまでは行かなくとも、ふわりと花が咲くように。
「───────、───────」
そして、相手の目を見てその言葉を呟けば本格的に視界は
「………また…気付くの、が、遅くなっちゃった……でも、今度、こそ…ちゃん、と言うから…」
誰かに用意された脚本じゃない。これは、自分自身の言葉で紡ぐ本心だから。
「愛して、ます……だいすき、です……ば…に…」
本当に、あなたのことが大好きです。
そして、この世界に壊された天使は優しく微笑んだ。
『…ありがとうございます、どうか…どうか、悔いの残らないように…。俺、みたいに、ならないで……』
告げられた言葉をゆっくりと自分の中で反芻する。このゲームで壊された彼が、どうか本当の幸せを見つけることが出来るように。過去ばかりを悔やんでも、未来までも悔やむ理由が無いように。遅すぎたことを指折り数えるのではなく、今の自分に残された目の前の事象と向き合えるように。
(……どうか、彼女にも彼の本当の想いが伝わることを願って)
願うと同時、パンっと何かの弾ける音が聞こえる。場違いすぎるほどにギラギラと輝く14色の紙吹雪のようなものと、パチパチと嫌味ったらしく叩くその拍手の音は。
「おめでとうございます。優勝は現属性 敢さんに決定致しました」
低めの男の声が周囲によく響く。声の方を振り向けば、その黒い目を細めて嗤うカミサマと目が合って。
「さぁ、待ち望んでいた時間だよ。全てを蹴散らして、強欲のままに来たキミの最後だ。」
「この手を取りなよ。そして、キミの願いを改めて教えてよ。敢………………いや、」
「───────寺井 潤」
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