#8 優しさとは-届く日を夢見て-

優しいね、優しいね。君はどこまでも優しいね。

ゆるゆるとした言葉がまとわりついていた。締め付けるでもなく、ただそれでいて離れる気なんてさらさら無いような言葉。

振り払おうにも、振り払う言葉ではなくて。ぐるぐると思考を巡らせればふわふわとした足取りが変わることなんて決してなくて。


優しいが、褒め言葉なんて誰が言い出したのだろう。その優しさで苦しむこっちの身にもなってもらいたいものだと言うのに。




「アイツが、1番の嘘つきだよ」

そう言って優しく微笑むカミサマを敢は睨みつける。

「ふざけるのもいい加減にしろ。何故お前は命を侮辱ぶじょくする」

「命?命も何も無いだろ。ほら、最近あるだろ?自分で学習して知識を蓄える機械。」

「アイツはそれなだけさ。君たちと同じ、ヒトと同じだなんて…中にだぁれも居ない、NPCなんて1人で充分だって言うのにね!」

ケラケラと嘲笑ちょうしょうするその声にふつふつと敢の中で怒りが沸く。コイツは、どこまで人を侮辱しても飽き足りないというのか。


一方で、その会話を横目にこの状況を考察し始める者達も出始めていた。

何故、-mojito-はカミサマを最初から殺そうとしていたのか。そもそも-mojito-を作ったのは運営なのか、それともカミサマと同じ者なのか。……そして、-mojito-が『ヒント』と言ったあの言葉の意味。

(夢を見ている時の方が、まだ説得の余地がある……)

口元に手を当てながら、totoririは言葉を反芻はんすうする。“夢”とは何のことを指しているのか。この状況?それとも違うことか?カミサマのことも考えられる。瞼の開閉で変わる一人称の変化や雰囲気の変化…これも一体なんの意味があるとするのだろうか。

考えながら、totoririの中に何か引っかかるような違和感だけが残る。……自分たちは、何かを見落としていないか?些細ささいな違和感か、いつそれを見たのかは分からない。……だが、何か。何か違和感があったはずなのだ。そしてそれは、きっとのに。

いくら考えても思い出せないそのわだかまりを抱えたtotoririとは別に、残された者達もそれぞれ思うことがあるのだろうか。表情は晴れやかではなかった………若干名を除いて。


「お前と比べて、彼女は何をしたと言うんだ」

「何もしてないよ?なぁんにも、ね。何も出来ないからこそ僕を止められなかったんだ。あれだけ謝罪の言葉を並べたって、無くなったものは返ってこないっていうのに」

「……口を閉じろ」

「機械相手に何ムキになってるのさ。何も守れない、止められない……そんな奴、廃棄処分になろうがなんだろうが関係ないだろ」

「黙れと、言っているんだ」

「​───────じゃあ良いこと教えてやるよ。キミは彼女が諦めただけだ、と言ったね。……残念、彼女は諦めたんじゃないよ。努力しても何も出来ない無能だっただけさ」

「………」

ビリビリとする雰囲気を出しながら、カミサマと敢は視線を逸らすことなく互いの目を見つめている。しかし、先に口を開いたのは、カミサマであった。

「でもまぁ、明日は我が身……ねぇ、キミはどう?コモモ」

「、っえ、………わ、私…ですか……?」

突然振られた自分への問いにコモモは驚いたように目を見開く。「そうだよ」と言いながらカミサマは視線をコモモへと向けた。

「キミも優しい子だよね、優しすぎる子。何人かここにいた優しい子の内の1人。……優しすぎる子は、優しすぎるから何も出来ないよね」

「っ、………」

口元を歪ませるカミサマからふいっと視線をコモモは逸らす。何かを感じたのか、カミサマは「…何?文句でも言いたげだね」と誰かに向かって告げた。

「先も言っただろ?『少し気をつけた方がいい』、と。始まる前から僕に喧嘩を売るのは賢いとは思えないけどね」

ギロリ、とそちらをにらむように告げれば「彼女の願い、知ってるクセにね」と呟いてその瞼をカミサマは閉じた。


「​───────…さて、それでは次の試合に参りましょう」

顔を上げたカミサマは、先程とは少し違う…いつも通りの笑みを浮かべ、機械の女性の声で告げた。

有無を言わせず襲い来る一瞬の暗転を経れば、そこからまた2人が消えていて。

あぁ、やっぱり…と思ってしまったのは。1番嫌な予感が当たったからなのか。




ふる、とゆっくりと目を開けば、そこはメインストリートでは無かった。会場…のような場所であり、ろーゆーとREINの時の試合会場と構造が似てはいるものの雰囲気が異なることに気づく。

キョロキョロと不安げに周囲を見渡せば、脳内に声が響く。


「まだ、誰かを探し続けているのですか?」

「え、と…」


その声に少し戸惑いつつも彼女​───────コモモは、その声に応えた。

まだ、というのが彼女の願いを指しているのか。しかしそれすらも考える余裕が無いのか、彼女が言葉を続けることは無かった。

「想い人がいるから、とは思いましたが…その様子でしたら願いの変更は無さそうですね」

「……はい」

弱々しく告げれば、「では武器の説明に入りましょう」と淡々と続けられる。

「サブ武器はメガホン。どうなるか自体はよくご存知かと思いますが…敵を追尾する効果があります。ただ追尾させるだけでなく、その光が相手への目眩しとなる場合もございます。」

「しかし、先の試合にもありましたが無闇にそれを発動させれば自分の居場所を示すものとなります。また、使用する毎に聴覚に制限がかけられます」

「……聴、覚…」

「心臓音が響いて聞こえるようになりますね。5段階目で完全に周囲の音は掻き消されてしまいますが…それでも無理やり使おうと思えば使用は可能ですね」

淡々と続けられる説明にコモモは上手く言葉を返せずにいた。覚悟を決めている気ではいたが、実際にこの場に立ってみればそれは容易たやすく揺らいでしまった。

「聞こえていますか?」とカミサマに問われれば「は、はい!」と反射的に返してしまう。どうしても威圧的に感じてしまうカミサマの声は、何度聞いても聞きなれることの無い声であった。

「かしこまりました。​───────只今、両者共に説明が完了致しました。試合開始の合図と共にスタートです」

瞬間、コモモの足元を鮮やかなマゼンタの光が照らす。それは、自分が命を奪う側であり…相手に追われることを意味していて。

「先程調整が完了したため、今後の試合においての自死行為は一切不可とさせて頂きました。」


「伝えたい相手がまだ他にいるというのなら、その優しさは早急そうきゅうに捨て去った方が貴方のためですよ」

「それでは、ゲームスタートです」


空間にブザー音がよく響く。しかし、コモモは1歩を踏み出せずにいた。

(…そういえば、メイン武器についての説明…)

ふと、コモモはメイン武器の説明が行われていなかったことを思い出す。確かに扱いにくそうな武器ではあったが、恐らくコモモの反応を見て説明不要だとカミサマは考えたのだろうか。

自身の引いた武器を思い返す。……フープバトンだなんて、他の人であったら引いた瞬間から負けを覚悟してもおかしくはない。が、コモモの示した反応は明らかに異なるものであった。

(……結局、覚えてるのは覚えてるんだよな……)

ズキリと痛む思考から視線を逸らすように、コモモは周囲に目を向けた。辺りを見渡せば、どことなく見覚えのある光景。しかし、確かな違和感も見えていた。

「……ここから、山って見えたっけ…」

大きめの窓から見えるのは広大な山の景色。しかし、この場所の立地りっちとして山が見えるのはおかしな話なのである。

(……ぐちゃぐちゃなんだろうな)

深く息を吸い込み、吐き出す。気持ちを切り替える為、これまで見てきた対戦の見様見真似みようみまねではあるが気持ちを落ち着かせれるならそれで充分だと思っていた。

「……探さなきゃ」

ザワザワと騒ぐ嫌な予感を落ち着かせるために。それを否定するための証拠を探さなくては。

震える自身の両の手をギュッと握りしめ、コモモは周囲の探索を始めた。



「でも……本当に分からないな…」

ぽつりと言葉を零しながら、コモモは周囲を見渡す。これまでの流れならば、ここにあるのでは?と思われる場所は探した。幸いにも、この会場には見覚えがあったため、候補になりそうな場所はいくつかあったが…それでも見つからない。

(なんで……?なんで見つからないの?)

見つける場所が見当違いなのか、それとも既に回収されてしまったのか。どちらにしてもコモモは相手の個人情報も自分自身の個人情報すらも見つけれずにいた。

焦る気持ちと重なるように、パタパタと足音が周囲に響く。もう一度来た道を戻るべきか、それとも別の場所を探すべきか。

う、と小さく声を零しながら視線を横に逸らせば、ふと柱に真っ黒な紙が貼られていることに気づく。

(……そう、いえば…)

先程の-mojito-と敢の試合の中で、ポスターに個人情報が書かれている場面が存在していたことをコモモは思い出す。その時は大々的に情報が示されていたが……この紙は、不自然すぎる程に真っ黒であった。

(…どっち、だろう……個人情報なのかな、ただの装飾品なのかな)

恐る恐るその手を伸ばす。カリカリと爪を立て、そのポスターを剥がそうとする。かり、と音を立てればそれはぺらりと容易よういに剥がれる。片面は真っ黒であったが、くるりと裏返せばそこには何かの計画書のような内容が書かれていた。

「………?」

並ぶ“購入リスト”に書かれているカタカナは分からない。何かの薬なのだろうか?

順に文字列を読み込む。……そして、見えたのは。

「……っ、…!?」

(…うそ、だって、……)

その光る文字色と、書かれていた内容を頭がすぐに受け入れることが出来ない。​───────だって、これは、こんな事実なんて。

「…………う、っ………っ……ふ、………」

ぼろぼろと大粒の涙が零れる。全てを否定するように、この事実すら流れてしまえばどれだけ良いのだろう。​…いっそ、全てこの涙で流れてしまえたのなら。

どれだけ願っても文字色も、その内容も変わらない。これが、相手が望んでいる事なのだろうかとコモモはぼんやり考える。…いくらでも自分の嫌な予感を否定する言い訳を考えても、この内容も自分自身がこのゲームに選ばれる条件に当てはまったという事実も変わらないのだが。

「……でも、でも………」

ぐすぐすとすすり泣くようなコモモの小さな呟きだけがその場に響いていた。



どれだけ泣いたのだろう。手元の紙はいくら涙に濡れてもれることは無かった。ぽたぽたと落ちる涙は全て足元の影の光に吸い込まれていく。ぐし、と片手でぬぐいポスターを元に戻す。ピッタリと元の状態に戻ったそれを確認し、その場を足早に立ち去る。……全部全部、嘘であってほしいと願ってしまった。



先程よりも静かな足音が周囲に響く。コモモは周囲をキョロキョロと見渡してはいるものの、その視界には何も捉えていなかった。

(……やっぱり、信じたくないよ…)

その気持ちが強くにじみ出ているのか、チラチラと見えるに気づくことは出来なかった。

ふと、足を止める。目の前には会場へ入るための大きな扉。…ここまで探し尽くしてしまったのだろうか、とコモモはぼんやり考える。

(………この、向こうに居たらどうしよう…)

今までの試合の傾向からして、この扉の向こう側に対戦相手が待ち構えていることも想定出来る。事実、ミラーハートとキングの戦いではミラーハートが。ろーゆーとREINの戦いではろーゆーが先に会場内に居た。この広い会場で考えれば、可能性としては十分に有り得る話なのだ。

「………」

そっとコモモはその扉の取っ手へと手を伸ばし​───────止める。扉には、マゼンタの文字がぼんやりと浮き出ていた。


『あの人は、どこにいるんだろう。どれだけどれだけ探しても、面影すら見えない』


(…………)

ぐちゃぐちゃになってしまった感情をこれ以上どうしろと言うのだろう。先程のポスターの事実と、自分の願い。そして自分の大切な人たち。

戦う覚悟をしなければ。口で言うのはどこまでも容易だが心がそれに追いつけない。バクバクと早鐘はやがねを打つ心臓を抑えようと、トントンと軽く胸の辺りを叩く。いける、いける、がんばれ、がんばれと自分自身に訴える。

(でも、私は、)

久しく見ていない“あの人”を思い出した時だった。


「    」

「っ、」


自分を呼ぶその名前に反射的に手が止まる。バッと勢いよく振り返れば、その人物がこちらを見つめていた。


(あぁ、やっぱり)

どうして、という疑問と共に安堵感あんどかんが出てしまうのは、君を前にしているからだろうか。ぐちゃぐちゃの感情にその一石を入れれば、ザワザワと騒ぐ心は別のものに上書きされる。君が目の前に居ることが、この拒絶を否定するのだ。

「やっぱり………なんだね」

絞り出すような声でコモモは告げる。その人物はニッコリといつものように微笑み、優しくこちらを見つめていた。

「………どうして、私たちなのかな。」


「​───────…バニちゃん」


名前を呼ばれた彼女……バニヤンは、ただニッコリといつものように微笑んでいるだけであった。




「1回戦6試合目。恋属性 コモモ対地属性 バニヤンの試合となります」

パッと電子掲示板に表示されたそれを見て、何人かは「嫌な予感が当たった」とでも言いたげな渋い表情をしていた。2回戦1試合目で戦うことが確定しているラリマーとリルを除けば、連続で相棒同士の戦いが行われている。

何の意図があってなのかは不明だが、ここまで来ると愉快犯なのでは?と最初に-mojito-が告げていた言葉にも頷けてしまう。

ふとtotoririが視線を横に向ければ、バチッとMr.Bon-Bonと目が合う。いつものような大袈裟おおげさな笑顔にへら、と緩く困ったように微笑み視線を掲示板へと戻す。

(………今までと違うな)

ぼんやりとそう感じる。決して大きな違和感があった訳ではないが…やはりどこまで偽ったとしても人は人だ。なんとなく、その笑顔は今までとは違った印象を受けた。

(…………)

何度目かの静寂せいじゃくを感じながら、その場の全員がこの試合の行方を見守ろうとした。



「……バニちゃん」

「……コモたん」


絞り出すように名前を告げれば、バニヤンはニコッと笑ってコモモを見つめていた。

「やっぱりコモたんか〜★」

「やっぱり、ってことは…バニちゃんは私と戦うって知ってたの?」

「うん。だってヒントあったからさ」

「そ、そうだよね…」

バニヤンの口ぶりからして、きっとコモモの個人情報の為のヒントは見つけたのだろう。しかし、その手にはメイン武器どころかサブ武器すらも所持していなかった。

何故、という疑問が口から溢れる前に「なんでコモたんなのかな、バグカスなら良かったのに…」というバニヤンの呟きに思わずコモモは口を閉ざす。

「……私、だって……バニちゃんとは嫌だったよ」

「……そう、だよね…」

そっとバニヤンはコモモに近づく。悲しむ相棒に優しく声をかけるように、1つの提案を持ちかけた。

「……でもね、ワタシ。コモたんになら負けてもいっかなって思うんだよね」

「、え……」

その予想外の提案にコモモは声を詰まらせる。負けてもいい?自死は禁止されているのに?

目を白黒させて驚くコモモの反応に気づいたのか、「あ、信じらんないよね!?」とバニヤンは続けた。

「ワタシ性格悪いし嘘つくし!!……でもさ、少しくらい見たでしょ?ワタシの個人情報」

「……うん」

1番最初に見つけたヒントを思い出さないようにしながらコモモは素直に頷く。実際、見つけたのは最初のヒントだけであったがそれは言っていいものなのか?と思い口を閉ざす。

「バニ、本物の女の子だよ。でもそれ色々あって許されなくて…せめてココだけでもいいから可愛い女の子でいたかったんだ。」

「……キモいよね!20歳超えたオバサンが巨乳ロリのマネとか!」

「っ、そんなこと、ないよ……!!だって、だって……」

嘘か誠か。初めて聞く事ばかりではあったが、何とかコモモは言葉を繋げていた。

「……どんなバニちゃんだとしても、バニちゃんなのには変わりないから…」

「……コモたん……」

ふ、とバニヤンはいつものような笑みを浮かべる。これまでの相棒戦を連続で見たからか、前回の戦いがあったからか。自分の相棒を否定する気持ちは微塵もコモモには無かった。

「……コモたんはワタシの願い、知ってるっけ」

「え、……えっと、確か……」

「『自分だけの王国を作り上げる』。……これもさ〜…ワタシが女の子でいれる場所が欲しかったの。」

「そこでお人形みたいなふわふわのドレスとか着て、……お姫様になりたくって…」

手遊びをするように動かしながら、バニヤンはつらつらと言葉を並べる。ギュッとコモモが自身の手を握りしめたのを確認すれば、どこか諦めたような笑みをバニヤンは浮かべた。

「やっぱり自白じゃダメだよね〜…ワタシの情報渡せば武器ロックかかって本気って伝わるかなーとか思ったんだけど!」

「バニちゃ……」

確かにバニヤンはそれが事実であるとするならば、ギリギリまでの個人情報は言ったように思える。しかし、それでもロックがかからないのは仕様なのか、“個人情報”に選ばれたのはそこでは無かったからなのか。脳内でカミサマに呼びかければ分かったのかもしれないが、今のコモモにはそこまでの余裕が無かった。


バニヤンから視線を落としてコモモ自身の手元を見つめる。負けてもいい、だなんて。それはつまりコモモに殺して貰いたいということで。

ぐるぐると巡る思考にストップがかかったのは、バニヤンがコモモの手を掴んだ時であった。

「え、」

「んじゃ、こっちきて。あっち行こ。」

「あっちに部屋があるの。ワタシの情報全部そこにあるから」

ぐい、と手を引かれ誘われるがままにコモモは足を動かす。繋がれたこの手を離すことなんて出来なくて、いつもと何も変わらない相棒のその姿にどうしても安堵してしまうのはバニヤンのまとう親しみやすい雰囲気があるからなのか。

「わ、分かった。分かったよ、バニちゃん…!」

コモモはチラりと背後に遠のく扉を見る。ピッタリと閉じたその扉の向こうは、結局見ることは出来なかった。

(……やっぱり、“あそこ”なのかな……)

グッと苦い感情を噛み潰すようにし、コモモは手を引かれるがままに急ぐ足でその場を後にした。




「ここ、は……?」

手を引かれてしばらく。辿り着いたのはどこかの控え室前であった。

「ここね、ただの控え室に見えるでしょ?でもね、こっからワタシの思い出の場所と繋がってたの。」

「なんかぐちゃぐちゃになってるっぽいよ。ワタシと…多分ココがコモたんの思い出の場所っしょ?無理やり繋ぎ合わせた〜ってカンジ」

「そう、なんだ…」

その言葉にやっと納得がいく。遠くに見えた見覚えの無い山の正体は、恐らくバニヤンの思い出の場所の影響か。元々“模した空間”にすぎないのだから、必ずしも完璧に思い出の場所を再現している訳では無いのだ。

「この先に、バニちゃんのがあるの?」

「そうだよ。……コモたんになら、ワタシのこれまでの人生…受け入れて貰えるのかなって」

「〜っ、」

再び込み上げそうになる感情を抑えるように、コモモはギュッと口を結ぶ。バクバクとまた早る心臓音を抑え込むよう静かに息を吐き、ドアノブに手をかける。嫌なほどにヒヤリとしたその金属の冷たさが、強くコモモの印象に残った。


ガチャり、と扉を開けるも暗すぎて部屋の様子を伺うことが出来ない。

「……?」

目を凝らし、部屋の中へと入る。暗い部屋にマゼンタの光が差し込めば、ぼんやりと周囲が照らされ始めた。

恐る恐る進めば、橙に光るものがチラチラと見え隠れしていた。もっと近くで…とコモモが足を進めれば、その正体がぼんやりと照らされる。

「っひ……!」

照らされたそれを見て、思わずコモモの足が止まる。ゴロゴロと無造作に転がるそれは、誰が見たって。

​───────​───────タンっ、と。軽い音が響く。

同時に、コモモの前方を照らしていたマゼンタの光が消える。

「……え、」

くるりと振り返るのが先か、“それ”が先だったのかは分からない。しかし、コモモの耳には確かな攻撃の音が。…そして背には、確かな激痛を感じていた。

「〜〜〜〜〜つっ!?!!?」

ガンガンと痛む背と歪み始める視界に彼女が写る。

「……ば、に……ちゃ……」

今まで見たことの無い相棒の表情に戸惑いながら、次に写る天井の景色にあの日のことを思い出す。どんどん遠くなる天井、だんだん近くなる床。ダンッっと背に受けた強い衝撃は身に覚えがあって。思い返す嫌な記憶となんで?どうして?という疑問で埋め尽くされた頭のまま相棒を歪む視界で見つめる。

「ごめんね〜コモたん❤︎」

刃の部分を床に向け、握りの部分を軸にするようにしながらニッコリとバニヤンはコモモへと微笑んだ。

「ど、して……」

「どうして?逆になんで??元々こういうゲームじゃないの?」

疑問に当たり前の疑問で返すようにバニヤンは答える。

「『他人を犠牲にしてでも叶えたい願い』っしょ?そこまでの強い願いなのにそうカンタンに揺らぐ程のモンじゃないし。」

「殺し合いするのに、相棒とか恋人とか考えちゃうのダメだよ?」

バニヤンの足元を橙色の光が照らしている。優しく照らすその光とは対照的に、バニヤンの瞳はどこか冷めていた。

ひゅー、ひゅーと荒くなる口呼吸を繰り返しながらコモモはバニヤンの言葉を反芻はんすうする。相棒だから、友人だからと気が緩んだことが自分の敗因だと言うのだろうか。

「…う、ん……だ、め……も、しれない、けど……」

その言葉の続きを紡ごうとし、コモモは口を閉ざす。それ以上言葉を続けないと判断したのか、バニヤンは言葉を続けた。

「ワタシ、コモたんより自分の願いの方が大事なんだ。」

「だから、コモたん切り捨てて夢、叶えるね」


傍から見れば、酷い裏切りだと罵られてもおかしくはないだろう。しかし、バニヤンが告げた通りこのゲームにおいて“相棒”や“想い人”などの関係性について考えてはいられないのだ。それすらも乗り越え、夢を叶えようとする覚悟が……バニヤンにはしっかりと確立していただけなのだ。

ひゅー……、ひゅー……と荒い息が途切れ途切れのものへと変わる。ぼろ、とまたコモモの頬を何かが流れる感覚はこの状態でも感じることが出来た。

「バニ、ちゃん…………」

「なぁに、コモたん」

(ちゃんと、ちゃんと伝えなきゃ……)

これが最後だというのなら。せめて、目の前にいる彼女にこの気持ちを……ありのままの本心を、伝えなくてはいけないとコモモは考えた。


「………私、恨んで、ない、……からね………」

「……………」

「​───────…だいすき、だよ」


ふっ、と。大粒の涙を流しながらそれを告げたコモモの瞳から光が消える。しかし、その最後の言葉がバニヤンには引っかかった。

「っ、はぁ〜ッ!?うっざ!」

声を荒らげるも、それに対してコモモは何も返すことなくただ虚ろな目でバニヤンを見つめていた。

「何それ!!そんなんだからワタシ如きに負けるんだよ!! 今更この期に及んでいい子ぶんな!!!!!」

「コモたんのそーゆーとこ、ほんっと嫌い!!いつもそうやってワタシのこと見下してたんでしょ!?!?」

コモモの言葉を全て否定するように拒絶の言葉を並べる。荒々しくその斧の握りを離せば、ツカツカとコモモの元へと向かう。うつろにバニヤンを見つめるその瞳が、コモモの死を示していた。

ギリッ、と歯を噛み合わせればバニヤンの苛立ちがあらわになる。早く、早く。判定をするなら、早く。

急かす気持ちとは裏腹に。カミサマが訪れるのはいつもより少し遅めであった。


「​───────お待たせしてしまいましたね」

ぺたぺたと足音を立てながらぬっとカミサマはバニヤンの隣に立つ。瞼を閉じ、コモモの状況を見たカミサマは何かを考え込んでいるようであった。

「なんかあったん?」

「いえ。……それでは判定に入らせていただきます」

ぺたぺたと進み、ストンとコモモの傍に座り込む。4本の腕を器用に動かし、コモモの手首や首元をカミサマは触る。……小さく、コモモの口元が動いた気がしたがそれを聞き取ることは出来なかった。

そして、「…確認致しました」とカミサマは告げた。

「おめでとうございます、今回の勝者は地属性 バニヤンさんです」

座り込んだ状態のままでニコリ、と貼り付けたような笑みを浮かべたカミサマに対し「ねぇねぇ、」とバニヤンは提案を持ちかけた。

「コモたんの情報、バニに探させて?❤︎勝者のバニには知る権利、あるよね?❤︎❤︎」

ニッコリと微笑むバニヤンにふむ、と少し考えるような仕草を見せれば「えぇ、構いませんよ」とカミサマは告げた。

それを聞くや否や、バニヤンはくるりと踵を返してコモモの個人情報を探しに動き出す。


「………」

その後ろ姿をカミサマはじっと見つめていた。

視線を下げれば、虚ろに空を見つめるコモモの姿がそこにはある。

「​───────…」

その目元へとスっとカミサマは手を伸ばし、当てる。ゆっくりとそれを下げれば、コモモの瞼は閉じていた。軽く目元の涙を拭えば、とぷんとコモモの身体は濃い桃色の影に呑まれていった。

じっと無言で下を向いていたカミサマであったが、パッと顔を上げる。その真っ黒な瞳は素早く周囲の状況を確認すれば、「探しに行ったか…」と呟いて立ち上がった。そして決して振り返ることなく、その場を後にした。




「………」

その光景を映像越しに見ていた組は、何とも言えない表情のままその戦いを見ていた。

ふと、ラリマーが視線を落とせば近くに居たリルの顔色が優れないことに気づいた。…確かに、今回の戦いは酷なものもあっただろう。

「……嫌なら、見なきゃいいんじゃねぇの」

「…………でも、っ、……それ、は、…」

「……っそ」

素っ気なく返し、ラリマーはその場から離れた場所へと移動する。その後ろ姿を目だけで追いかけながら、リルは自身の手をきゅっと祈るように握りしめる。それでも小さな震えは止まらず、顔色も悪いままであった。

しかし、そっと寄り添うような温かさに気づく。「大丈夫?」と優しく声を掛けられた方向を向けば、totoririが心配そうにこちらを見つめていた。

「totoriri、さん…」

「ラリマーくんも言ってたけど…無理に全てを見ようとしなくてもいいんだよ」

優しく背中をさするその手に少しの安堵感をリルは覚える。「だい、じょうぶ…です……無理は、しないようにします」となんとか告げれば優しく困ったように微笑まれる。

(………あ、)

柔らかく細められたその菱形が浮かぶその瞳と、誰でも気にかけてくれるその優しい対応にどこか懐かしさを覚えてしまう。…同時に、ぽっかりとした虚しささえ感じてしまって。

(…………………ラリマーくん…)

心の中でぽつりと元相棒の名前を呟き、リルは改めて電子掲示板へと視線を向けた。



一方、コモモの個人情報を探す為に動いているバニヤンはガジガジと自身の爪を噛みながら素早く周囲を確認していた。

顕著になる苛立ちの意味は、バニヤン以外誰も理解出来ない。しかし、コモモが最後に告げた言葉が今のバニヤンの心境を狂わせていた。

(あああぁ、ウザいウザいウザい!!!)

大きく舌打ちをし、目に映るマゼンタの光を辿るように走る。これまでのように行くならば、何か大きなヒントが近くにあるはずなのだ。

道標みちしるべのままに階段を上る。よく響く自身の足音を耳にしながら、踊り場に出る。

ふと、そこに大きな全身鏡があることに気づく。そこにはバニヤンの姿と、マゼンタのネオン文字で『ありがとうと、進む勇気を』と書かれていた。

「……………」

怪訝けげんな顔のまま、バニヤンはその鏡に近づく。ありがとう、の文字の下にフレンドリストのアイコンが表示されていることに気づいた。本能的に、「あぁ、これが個人情報か」と察する。ペタりとそのアイコンに触れるように鏡に手を当てれば、刹那、バニヤンの中に大量の情報が流れ込んで来る。



キラキラと、輝く光景が一面に広がる。仲間と思われる人たちと笑い合う。高く、高く。飛べばその分だけ、観客の笑顔と驚きの混じった表情が見える。その表情を見ることが何よりも楽しくて、大好きだった。

しかし、そう思っていたのは幼少の時までで。中学に上がってから酷く周りの目が気になるようになってしまった。同時に、“あの場所”は自分に不釣り合いだと感じるようになった。

キラキラとした可愛い女の子。皆の注目を集める素敵な女の子。誰よりも輝いて、皆の笑顔を誘う女の子。​───────それは、私なんかじゃダメなのだ。

歪んだ心境のままに迎えたチアダンスの大会。任された役はいつものように高く飛ぶ役で。

高く、高く。飛べばいつもと異なる浮遊感を味わう。だんだん遠くなる天井。響く大きな音。痛むのが身体か、心か。誰かが必死に自分の名前を呼ぶ声すらも、バクバクとうるさく鳴り響く心臓の音に掻き消されてしまった。

場面が切り変われば、ゲームの画面。チラりと机に目を向ければ無造作に散らばる勉強道具と、あの日の診断書。受験期と周囲の人と異なるという焦燥感と自己嫌悪感が私の全てを悪い方へと引っ張っていく。ゲーム画面へと視線が向けば、見たことの無いアバターと会話している場面であった。

この人物にどれほど救われたことだろう。嫌になる自分の過去を話しても、優しく受け入れてくれた優しい優しい人。この人になら、何でも話せる気がした。何を話しても、許してくれる気がした。

「ありのままの自分でいること」。あなたが、私に指し示してくれたこの道を歩くことは出来なかったけど。それでもその考えは、私の信念になった。

胸を占めるこの感情が、必ずしも恋情であったかはもう分からない。次第に会えなくなってしまったあの人の面影を、私はずっとずっと探していた。それは、一種の執着心に過ぎなかったのかもしれないが…それでも、もう一度あの人に会いたかった。

場面が切り替わる。そこにはこれまでコモモが交流してきたであろうアバターの姿があった。スクリーンショットを押す時のように、パッパと変わる色々な人たちとの思い出の中。先程見た“あの人”とコモモが写るものもあった。それが変われば、バニヤンとコモモがフィクティシャス・アーバンと呼ばれていたShadow taG内のイベントに参加した時の画像に。最後にフラッシュが焚かれれば、そこには笑顔の表情でピースモーションをした時のコモモとMr.Bon-Bonの姿があった。


パッと最後のフラッシュが焚かれると同時に、バニヤンの意識は現実へと戻る。手を当てていた全身鏡からは文字もアイコンも消えており、こちらを覗く棒立ちのバニヤンのアバターが映っていた。

一切表情を変えないバニヤンであったが、ツー…っと涙が流れる。

「…………………………は、」

ようやく声が溢れたかと思えば、バニヤンはその口元を歪めた。

「あはははははははははっ!!!!!ほんまお人好しなんだから!だぁいすき!!もー!可愛いなぁ!!!」

その歪んだ表情は恍惚こうこつとした表情へと変わる。ツツ…と文字のあった場所を愛おしげになぞれば、バニヤンはニッコリと微笑んだ。

「コモたんほんっと…あぁ…好きだなぁ…いいなぁ…❤︎」

狂ったように表情をコロコロと変えるバニヤンへ「見つけたみたいだね」という低い声が掛けられる。

視線だけそちらへ向ければ、楽しげにその黒い目を細めるカミサマがいた。

「そろそろ戻らなきゃいけない訳だけど…武器トレードは?するの?」

その問いに対し、バニヤンは即座に「しないよ」と答える。

「あんな武器持ってるから負けんだよ、コモたん‪‪❤︎‬」

ケラケラと嘲笑するように告げれば、ふぅんとでも言いたげなカミサマがいた。

「…いいね、さっきの試合はあのワンコに引っ掻き回されてイライラしたけど…キミみたいな考え方、僕は案外好きだよ。キミの勝った時を見てみたいと思うほどには、ね」

「なぁに?バニのことめっちゃ褒めるじゃん」

「僕との同族意識を感じただけさ。褒めたからと言って、キミを特別扱いとかはしない…公平に行くけどね」

その声を聞けば、ゆらりと視界が歪む。これが最後だと言わんばかりの勢いで、バニヤンは笑みを浮かべて告げた。


「​───────ばいばーい、コモたん‪︎❤︎‪︎」

そしてありがとう。ワタシに、最高に幸せな恋を教えてくれて。


そしてバニヤンはゆっくりと瞼を閉じた。





馬鹿だなぁと、言われてもおかしくなかったとすら思う。

バニヤンが対戦相手であると気づいた時点で、「あぁ、私は負けるだろうなぁ」という気持ちがコモモの中でぼんやりと芽生えていた。きっと誰が対戦相手として選ばれても、私はきっと同じことを考えていただろう。自分がそこまで強い人間だとは思っていないし、勝ち筋なんてもっと分からなかった。ボンボンさんを残して逝くことに、心残りが全く無い訳では無いが…それでも自分のこの結果にどこか納得してしまったのも事実であった。

……今の私の願いを知れば、「大切な想い人も相棒もいるのに」と思われてしまうだろうか。だけど、ボンボンさんがあの日私に向き合ってくれた時のように。私も誠心誠意あの人に向き合うためには自分の気持ちに区切りをつけなくては、と思っていた。与えられたその優しさにのめり込み、執着していたのも事実だ。しかし、それでももう一度会いたいと願った。そうしたら、過去の面影に囚われ続ける日々ではなく、今の大切な人たちと向き合うためになると思っていたから。

白く何かが霞む景色の中、コモモは確かに小さく呟いた。


「……やっぱり、死にたくないなぁ…」


その呟きは、たった1人​───────カミサマにしか、届かない声となってしまった。

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