第4節 子羊の告解

第18話 宣誓する白百合の天蓋

「さすがだなぁ……」

 感嘆を含んだ言葉を蘭は呟いた。

 アゲハのタウンハウスは赤いレンガでできたきらびやかな邸宅だ。ホールの床は大理石でできていて、蘭の顔を反射するほど磨かれている。


 屋敷全てが彼女の冷たいまでの完璧主義……言うなれば完璧さゆえの排他的な性格を表しているようだ。氷の古城のようにも感じるのは……蘭が歓迎されているわけではないからか。

「いや違うな。胡蝶はいいやつだ。少なくとも私の目にはそう見えた。噂だけで判断するなんて最低だぜ」

 とはいえ今日の用件は決して歓迎されるものではないのは、ちょっと、蘭でも分かる。


 蘭は決して愚鈍ではないし、いわゆる脳筋でもない。

 むしろ賢いのだから――とは隼斗の談。


「ま、とにかく早くいかねえとな。シャドウの話が本当なら時間がねえし……んぁ?」

 透き通ったベールが風に揺れる。

 床板に赤い液体がポタポタと零れた。それから、腹に突き立てられたナイフを見る。


 遅かったのだ。

 分かるのはそれだけ。ただもうすでに、あまりに手遅れだった。倒れた蘭を放置し、水滴がこぼれ落ちて、何者かが走り去るのを……彼女はただ、見送ることしかできなかった。


***


「……蘭からのアポ?」

「ええ。すぐに来るそうですよ」

 蘭が。

 なんとなく珍しい申し出に胡蝶は首を傾げた。そういえば今日、嗣音を見かけてない。これは個人的な心配事項だが……まあ彼も中学二年生ではないのだ。多少分別のある行動ができるだろう……多分。


 アゲハの執務室は先日よりも落ち着いている。どちらかと言えば戒那が不在の状態に戻ったのだから、戻るのにそんなに時間がかかるとは胡蝶も思ってなかった。

 思えば彼は自分にとっても大切な人になりつつある。

 昨日あんな風に嗣音に捲し立てたけれど……別に胡蝶はもういいのだ。


 願いが叶わなくても、人と共にいるという幸福の形を教授できるくらいには幸せだ。


 だから、もういい。もういいから胡蝶のヴァルハライドは決して堕ちない。絶望に染まることはない。ただどうしようもなく死んでるだけ。

「…………」

 思ったよりも昨日の会話に気を取られている。気にしている。魔女こちょうともあろう人間が。


「……あのー、ボス、ちょっと良いっすか?」

「ん、あ、は、はい。なんですか? いつも完璧な胡蝶さんですけど」

「いや、それはなんでも良いんですけどあの……あれ、なんなんですかね」

 夜蝶が指を指したのは上空に浮かぶなにか、だった。


 白い光で編まれたそれは白百合のつぼみのように見える。うつむいている姿は、可憐で美しいが。

「…………全隊員、業務停止。あの百合に座標を会わせろ」

 おかしい。

 あんなもの、朝起きた時にはなかった。それにそもそも光でできた百合なんて、そんなの。

「っ!! いやごめんさっきの嘘!! 魔力濃度を探知しろ!! 外部にいる隊員と連絡を取れ!!」

「ボス!! 魔力濃度検出できました!! 規定値を大きく上回る……推定濃度、三〇〇%です!!」


 三〇〇%

 間違いない。あれは何らかの魔法的物質だ。

「今はまだ表面を薄い幕のようなものでコーティングされていますが、あれが解放されたら……!!」

「全隊員に通達する! これより条約による権力の解凍を宣言!! 外回りをしてる隊員は今から言うポイントに指定されている魔法道具の設置を急げ!!」

「胡蝶」

「夜蝶はポイントの設置場所を割り出して。今回は私がやります」

 杖を呼び出したのを見て彼は頷くと外回りをしている隊員と連携を取り始めた。魔力の塊が膨張しているのを感じる。時間はそれほどない。あと十分程度だ。間に合うだろうか。

 ……いや。


「……間に合わせる」

 残り時間を伝えると共にタイマーが大きく表示され、アゲハの機能は防衛体制へと移行し、一時的に他業務が締結される。


 胡蝶は執務室の真ん中に立った。

「魔力、尚も上昇中です。凄まじい勢いです。このままではどのみち地球が死の星になりかねません」

「ははは、それを阻止するのが私とは。皮肉も大概にしてほしいよ。全く」

 じゃ始めてくれ、と告げる。


 執務室の真ん中には普段は隠してある特殊な魔法陣がある。胡蝶以外が使用することはできないように制約を無数にかけてもらっているそれは、こういった事態のために使うものだ。

 カウントがスゴい早さで減っていく。気がついたのがまだ早い段階で良かった。


 アゲハを守る結界を一時的に放棄する。外部から流れ込んでくる魔力に胡蝶の身体が熱を帯びる。

「……“其は旧き夢のひとつ”」

 龍脈へ、投身する。肉体は多すぎる魔力量に耐えかねて煮え立つように。

「“無意識の海を越え、遥かなる星海の彼方。流離える魂が辿り着く最後の理想境”」


 さざ波が聞こえる。

 私達は浅瀬に立っている。冷たい潮騒は人々の魂の声。それを無下にはせず、耳を澄ませる。


「“楽園は遥か遠く。春は二度と訪れぬ。決して壊れぬ凍土に覆われようとも、それでも――楽園は我が神域なれば”」

 隊員達に指示をして出した楔と霊脈を無理矢理繋いでいく。溢れんばかりだった魔力が今、膨大な奔流となり肉体から抜け落ちていく。

「“此処は我が土地、我が神域、我が領土! 其は彼方の現実にして此方の幻想。されど汝、我が裾のを汚すに能わず!” 許可のない人間はお帰り願おう!!」

 黄金へと変色する瞳を彼女は見開いた。高まった魔力は溢れだし、黄金の光へと変じる。


「【今は遥かなる常春の夢想境とこよのくに】よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る