第38話 愛亡きその日の夢想

 疑ってるような様子にレムは言葉を重ねる。

「胡蝶のところの情報網にこの情報はかかってないはずだ。何せ……あー……」

 勢いよく口にしようとした言葉が途切れる。

 相変わらず人形のような完璧な笑みに惚れ惚れしそうだ。まさに死刑宣告にも等しい笑みに現実逃避をする。

「……Ja。分かってる。でもこれもひとつの誠意の形だと思うんだよね」

 言い訳にも眉ひとつ動かさないなんて、やはり彼女は完璧な独裁者だ。うん。


 つまりだ。

 その情報はシュバルツバルトがアゲハの動きを封じるために飲み込んだ情報のひとつだったというわけだ。それは胡蝶も当然知らない。

 ましてやそれをお詫びに差し出すなんて。


 レムは咄嗟に今自分が掘った墓穴を数える。二つだろうか。ならまだ何か、代金を下げる程度で手を打てないだろうか。

「レム?」

「は、はい!」

「今いくつ地雷踏んだと思いますか?」

「…………ふ、二つ?」

 クエスチョン。

 胡蝶は綺麗な笑みのまま指を弾いた。水銀が影から隆起する。それは胡蝶のもうひとつのからだ。それは胡蝶のもうひとつの影。


「不正解。正解は三つです」

「だからってこれはあんまりなんじゃぁーーー!!」


***


 まさか液状銀に体をなっちゃいけない方向の弓なりに歪められるなんて思ってもみなかった。死ぬ。即死。腰は少なくとも逝かれた。

「で? 情報は?」

「うう……」

 文句を取り合えず飲み込む。言ったところでもう一発プロレス技を決められれば今度こそ体が持たない。

「最近この辺りで呪殺が多発してるんだよ」

「呪殺」

「そう。汚染された魔力を噴き出しながら死んでるのがたくさん見つかってね。まだ犯人は決まってないしアゲハとの接点も見当たらないけど……」


 もし接点があれば、それを逃しはしないだろう。

 アゲハは多くの権力者にとっては邪魔な存在だ。目障りで、憂鬱。価値そのものを貶めても足りないほどに邪悪。


 アゲハの定めた中立の法は人々を縛るに至った。彼らの前で闘争をすれば、言い逃れはなく善悪を定められる。不可抗力の暴力であれば辿る末路はまだ救いのあるものだ。

 けれど、だけれども。

 意味の無い闘争、意義の無い抗争。他者を害する為だけに、鬱憤を晴らす為だけに、行われた暴力をアゲハは決して許しはしない。


 そしてそれは年々苛烈になっている。


 彼らは戦を喰らう獣。彼らは闘争を阻止するために蹂躙を行う巨人。彼らは秩序のために和を乱す害獣。

 貪欲なまでに平和を欲する獣。

 アゲハの武力は一国に真っ向から対立しうるものだ。

 それがあるから彼らはアゲハに手を出せない。合理的な結論。平和のための暴力。或いは。


「正義の味方、みたいな?」

「……」

 彼女は沈黙を返した。面白くない。つまらない。

 アゲハの力を削ぐにはまず発現力を落とすところからだ。人々が不信感を抱けば、彼らの武力を削ぐのは綿を裂くように簡単になる。


「だけどまだ舞台を降りるには早すぎる。早い限りは私は徹底的に抵抗するよ。それに……終わりの準備も始まったばかりだ。そう焦るなよ」

「ワタシに言われてもねえ……」

 紅茶の水面は薄紅色だ。

 揺れる柑橘の匂いは場違いな平穏のようだった。


「いずれ、多くの人々が気が付くことになる」

 全ての悪を排斥し、平穏な暮らしを手に入れた時、箱の底に残るのは正義の味方だ。彼らこそが不穏分子。彼らこそが危険分子。

 彼らがいなくならない限り、悪が消え失せることはない。

古代の概念えいゆうはいずれ排斥される。自然のなり行きだ。私たちは最終的に悪にも依らず善にも依らない。天秤は右に大きく揺れれば左に大きく傾く」

 人間と言う種は善い種ではなく、悪い種でもない。自然そのものがそうなのだから、それは当然で。


「けれどもそれを覆すための方法がひとつある」


 レムは目を細める。決意と言うにはあまりに脆いそれを口にした胡蝶に、言葉を返すために。

「聞いても良いかい? どうして、彼だったんだい?」

 獄幻 胡蝶は一人でも生きていける。

 一人でも戦える。


 たった一人でもこの世に存在する全ての悪を排斥することが可能だ。


 彼女はなにせかくあれかしと願われたのだから。

 だから彼はいらなかった。ずっと彼女は選ばなかったのだから、それは事実に相違無い。


 カップを起き、穏やかな春の日のように微笑む。

「……私は…………疲れました」

 花が咲き乱れて、地上の全てが悪に落ちても諦めなかった星はもうとっくに死んでいたのだ。

「私が彼を選んだのは、彼ならそうできると信じているからです。彼は最後の最後、その瞬間に至れば必ず――愛以外の全てを選べる」


 願わくば、彼はそれを愛ゆえに選んでくれるのが一番良いが、そんなことは湖に映る霞と同じ。幻の幻だ。

 ならば、そんな夢を見るくらいならばいっそ。


 誠実を示す剣のような白銀の髪が靡く。燃え盛る民衆の怒りを示すように赤く染まった彼の瞳が、侮蔑を伝えてくる。それは決別だ。

 愛とは二者択一で、どちらか片方しか選ぶことはできない。選ばれることが愛ならば。


「彼にはそれだけのものがあります。だから私は彼を選んだ。そして同時に彼もまた、私しか持ち得ないものを求めている」

「人はそれを愛と言うのでは?」

「まさか。だとしたら私が彼にできるのはこの世で最も酷い仕打ちだけと言うことですよ」

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