第6節 黒い薔薇のアヴェ・マリア
第35話 愛亡きアヴェ・マリア
マリアは他の魔法師と比べて特別だった。
他の魔法師にはない、特別な特徴があったと言う方が正しい。それが彼女だ。
“共鳴”と呼ばれる体質はごく稀に肉体そのものに魔法を宿して生まれてくる特殊体質の中のひとつ。
触れるだけで他人の心、感情を理解でき、また己の感情や心を共有できた。
だからマリアは――幼少期から、孤独だった。
人は笑いながら他人を毒づく。
人は愛を簡単に偽る。
今はそうではないけど、子供の頃には全く理解できなかった。何故、そんなことをするのか。どうして人間はそう、なのか。
愛してほしいと言いながら裏で悪口を言う。愛してるだなんて言いながら今日も脳裏では捕らぬ狸の皮算用。
「……上部だけの愛だなんて。私はそんなもの要らないわ」
「見せかけだけでも、上部だけでも、なんでもいいから愛してほしい。ねえ、マリア。貴方はお父様に愛されてるでしょう? どうしたら私は愛されると思う?」
馬鹿馬鹿しい。そんなに愛されたいと願うなら、それに値する愛嬌を身に付ければいいのに。何故お母様はそうしないのかな。
「マリア。どうしてお前はそんなに愛らしいんだ。誰からも愛される子。そして誰もを愛する優しい子! まさに私とアイリスの子供だ!」
そうかしら。こんなものを愛と呼ぶなら、きっとそれは無価値な物よ。だってそうでしょう? 誰のことでも愛してるのなら、きっとそれは誰も愛していないのと同じ。博愛なんて、ただの見せかけよ。
「誰も愛してくれなかった! 誰も、誰も、僕を見てくれないんだ! ああ、お前には分かるまい! 誰にも愛される子供め!」
そうかしら。そうなのかしら。ただ貴方の目が曇っていただけよ。きっと誰かが貴方を愛してくれていた。でも、貴方はそれを受け取らなかったのね。
愛してほしいと言いながら、貴方は誰のことも愛していなかったんだわ。
「ああ、マリア。お前の力は本当に、魔法師たちの希望そのものだ。なんて素晴らしい! きっと誰もが喉から手が出るほどお前を欲しがるだろう! お前は愛を約束された子供だ!」
ああ、なんて馬鹿馬鹿しいお爺様。お金と愛を勘違いしないで。そんなものは愛ではないわ。私は、知ってるの。知っているもの。
「魔法師様……貴方がいなければ、僕は、一生愛などもらえなかった。貴方が愛されていてよかった。その愛を分けてくださって本当によかった!」
いいえ。それは嘘よ。偽りよ。でもよかったじゃない。貴方には愛されたように感じたのでしょう? なら、愛されていたんじゃない?
でもごめんなさい。そんな愛を私には向けないで。私は要らないわ。
私は、どんな愛も要らないわ。
だってそれ、上部だけで、嘘で、見せかけで、偽りで、薄っぺらい、そんなものでしょ?
「……マリア、ごめんね。僕、僕が……僕が弱いせいで、君ばっかり。ごめんね、ごめんね」
膝を抱えて泣いている子供がいる。海のような青い瞳は、本当に海みたいにぼたぼたと水滴をこぼしていた。
「うっ、うっ、ぼく、僕が、マリアの身代わりになれないから。ごめんね、ごめんね」
きっと、この瞳に堕ちたらもう二度と戻ってこられないだろう。それくらい深い――深い、深海のような青。堕ちてしまいそうなほど綺麗な青。
「……ううん。いいんだよ」
運命があるなら、私の運命はこの人がいい。繋いだ手は小さくて暖かい。なんの力もない無力な人。それでも守りたいと思ってくれる人。
私からはなんの愛もあげてあげることはできない。だってあげたら、あの薄汚れた軽い嘘偽りみたいなものと同じになってしまう。
でも、貴方からならもらってみたいわ。
きっと溢れるような、溢れかえるような、花の匂いがむせ返るような、そんなもの。
本物の、本当のそれを、ねえ……。
***
「モーゲン、ミスター」
そう声をかけてきた女性に嗣音は数回、瞬きを返すだけだった。
ひとつ言うと、その日は非常に完璧な日曜日だった。
戒那が朝食に作ったのはモーニングマフィンで、あまじょっぱいベーコンが格別だった。任された目玉焼きは何個も焼いたのにどれも完璧な半熟で、戒那からは腕を上げたなと褒められた。
毎朝胡蝶が出すペーパーテストの苦手分野の点数が無事赤点を抜け、普段の彼女からは考えられないほど優しい微笑みで良くできました、という声掛けをもらった。
朝は早くにすっきりと目が覚めたし、毎朝披露しているピアノ曲も今日は失敗せず、マリアがとってきた花は今日も綺麗で、昨日悩んだ末に買ったペンダントはマリアのお気に入りになった。
完璧だった。
拍手をしたいほど完璧だった。
欠点なんて少しも無いように思えたし、今日は一日完璧なんだという確信すらあった。
最も、それは知らない人に話しかけられた地点で崩壊したわけだが。
「……あのぉ、僕、のことですか?」
「
彼女はやや大袈裟な身振りで肯定するようにそう言った。
身長は嗣音とさほど変わらない。
金髪をツインテールにし、フリルがたくさんついているブラウンのワンピースを纏っている。手には大きな旅行鞄。だが何より嗣音の意識を引いたのはその顔だ。
猫のようなつり上がった瞳。小さくぷっくりとした薄紅の唇は愉悦そうな笑みを描いている。
端的に言えば、どこかで見たことのある顔だった。
だがどこかは思い出せない。
彼女は共通言語と旧文明の言語を織り混ぜた言葉遣いで話を続ける。
「ソーリー。不躾だとは分かってるんだけど、もしよければワタシを学都のアゲハ支部に案内してくれると嬉しいんだけど」
彼女の青紫の瞳が一瞬キラリと輝いた。
その瞬間、嗣音の中にあった怪しい人という彼女への印象は霧散する。
「わ、かりました」
「ダンケ! 本当に助かるよ! ちょっと待って、連れを呼ぶから……」
「あ! ま、待ってください!」
駆け出そうとした女性を引き留める。彼女は不思議そうにこちらを振り向いた。だが、戒那に言いつけられていたことを忘れるわけにはいかない。
例えこの人がどれほどの善人でも。
「……あの……貴方は、誰……なんですか?」
彼女は瞳を見開いた。そしてまたオーバーリアクションをする。
「ああ、そんなことか。ビックリしたよ。では初めまして少年! ワタシの名前はレム――
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