第26話 Why do you fight here?
ドボン、と言う音がして、嗣音の身体は水に落ちていった。深く、光差さない水の中、意識だけが浮遊していく。
ああ、多くの愛を得た王よ。
白亜の宮殿。絶えぬ笑い声と、果てなき空、澄んだ水と生い茂る草木。濃密な花の香り。誰もが夢見る王の楽園。
貴方は最後の王になるだろう。
貴方ほど優れた者は後にも先にもこの土地を踏まないだろう。
ああ、絶えぬ幸福で満ちた宮殿よ。
どうか永久に八千代に。
「私はね、多くの者に幸せでいてほしいのだ。例え堕落と貶められようとも」
王は多くの者に慕われながら、そう言った。
「それはお前達も例外ではない。外側に生きるもの。享楽を愛しながら、形は違えど神を愛する者達よ。私は贅沢だから、お前達にも幸福でいてほしいのだ」
だから王は契約を与えた。
そして誰かに愛される幸福を、魔に名を列ねる者達に教えようとした。
それが無駄なことであったかは分からない。ただ、ただ。
ああ、恵みの枯れぬ白亜の宮殿、そこに住まう愛多き王よ。
絶えぬ笑いと、果てなき空、澄んだ水と生い茂る草木。濃密な花の香りが漂う楽園よ……。
映像のように、その光景がはっきりと思い浮かんだ。今なら分かる。さっき熱かったのは魂だ。あの瞬間、嗣音の魂はきっと激しく燃えたのだ。
「……でもこの映像は、一体」
「これはヴァルハライドの起源。魂の起源だ」
海全体に声が響く。それは自分の声のようだ。彼は姿を表さないまま、言葉を紡ぐ。
「お願いだ」
なんのために戦うのか。なんのために生きるのか。どうして転写石は嗣音に答えたのか。何故願いが魂を煌めかせるのか。
戦う覚悟を、生きる覚悟を、勝つ、覚悟を。
頭の中に流れ込むヴァルハライドの強力な責め立てるような声を前に、海の底で自分が言う。
「…………神之瑪さんを、助けて」
***
殺される。
そう思った。
生きていて死を覚悟したのは何千回だってある。その度に果たせない約束に後悔と罪悪感が迸り死にたくなった。
だけど今日ばかりは。
(……きっと、私は死ぬ)
不死鳥の血は死んだものを生き返らせる不死だ。死なせない不死ではない。胡蝶の身体は木っ端微塵、挽き肉にしない限りは何度でも甦る。
だから命への執着は薄い。
肉体を燃やして生まれ変わるのは、少しだけ痛くて怖くて辛いが、ただ、それだけだ。
それでも今日ばかりは、不死殺しが相手の今だけは、胡蝶も凡人となんら変わらない。
だから今日が獄幻 胡蝶の命日になるはずだった。
振り下ろそうとした瞬間、ペルセウスの頭に石が投げられた。
「いつっ……」
「れ、レプリカントっ!!」
やわっ、とした声掛けだった。
いまいち、決まらないその声は自信がなさそうで少し弱々しくて声も震えていた。
だが胡蝶は信じがたいものを見るように嗣音を見つめる。
「…………なん、で」
戦う覚悟もないくせに、逃げることもできないくせに、どうしてそこに立っている? どうしてそこに立つことができる?
心がくじけたくせに、完全に折られたくせに、なんで――。
「なんで前に出てきたんだよ!! 嗣音!」
「う、うるさいですよ!! つべこべ言わないで、ぼ、僕に助けられればいいんですよ! 胡蝶さんは!!」
「はあ!?」
「だって僕は神之瑪さんに頼まれたんだ!!」
なにを、言ってるのだろうか。
彼我の実力差はそんなことでは埋まらない。そんなことでは変わらない。そんなことでは覆せない。
「…………ふうん。俺すっげえ興味が湧いちゃった」
「!! 待て! レプリカントッ……」
「君は面白いし不死者を殺すのはとっても柄にあってるんだけどさ、正直、願いを灰にした君より彼の方がずーっと強そうなんだよねえ、俺らレプリカントの目から見ると。だ、か、ら……」
ペルセウスが地面をけり飛ばした。嗣音は驚きと恐怖を浮かべる。大剣が鈍く、魔力に共鳴した。
「俺と戦ってよ」
目の前に肉薄して、ペルセウスはようやく違和感を覚えた。先程まで怯えて話にならなかった少年が、何故、こちらをまっすぐと見据えているのか。
嗣音は思う。
そうだ、こちらを見ろ、と。
自分にはチャンスがある。嗣音がどの程度強いのか、敵はまだ把握していない。たった一歩踏み出すのに、この武器の真価はある。
「……“盟約の元に、魔に名を列ねし者よ、来たれ”」
「まずっ……!!?」
十の光が彼の背後で円を描く。ペルセウスは咄嗟に大剣で魔力を弾こうと動く。そうだ。危険な魔法だったら危ないもの。きっと誰だって庇うだろう。だから。
「“バエルよバエル。お前の糸は叡知のように強かだろうよ”」
全身に激痛が走った。ごっそりと魔力を奪われた感覚がある。だがどこかで何かがその言葉に同意したような声が響いた。そして。
ペルセウスの四肢を蜘蛛の白く滑らかな糸が縛り付ける。
「っ……!! メドゥーサ!!」
「全く、人使いの荒いヒト」
地面から伸びる無数の蛇が蜘蛛の糸を引き裂いた。だがそこで終わらない。終わらせる、訳にはいかない。
響き渡るのは渇いた音。
ペルセウスの背後で胡蝶は二度、手を叩いた。
完全にペルセウスの視線は原理の分からない技を繰り出した嗣音に向けられていた。このままでは死ぬと、頭の片隅で警告が鳴り響く。
「“我が内におります神に願い奉ります”」
ぞわりと身の毛がよだつ。
長年戦場にいたがゆえに培われた経験がうたう。あれは、あの詠唱は、完成させてはダメだ、と。
咄嗟に嗣音を攻撃すると言う選択肢を見捨て、更には紙音に殺されても構わないと背中を向ける。大剣を、半ば投げ捨てるようにして胡蝶へ振りかぶった。
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