第25話 それは願いに応えるモノ

 遠くから剣戟が聞こえる。

 或いは爆発音や轟音さえ混じりながら、あの二人は戦っている。


 ……その傍で嗣音はまだ、踞っていた。

 軽蔑したような胡蝶の顔に嗣音は更に膝を抱き寄せる。

「…………だって仕方がないじゃないか。僕は……僕は、何もできないんだから」

 持つ者に持たざる者の気持ちは分からない。えてして人間は自分の視野こそが世界だと思っている……思い込んでいる。そんな風に、繰り返し自分に言い聞かせる。


「ふっ、あっ!!!」

「ッ…………」

 床の上に、胡蝶が叩き付けられる。

 直して新しくなったはずの腕は切り傷まみれになり、ぶつけたのか頭からは血が滴っている。

 それでも胡蝶は、床に腕をたてて身体を起こした。

「立ち上がる意味、分かってるんすか? 俺のヴァルハライド、ハルペーは今でこそ大剣になってますがねえ、本来は不死殺しの首切り鎌なんだよ」

「…………」

「見たところアンタの再生力の根源は心臓から供給される血にあるみたいだけど、こう何度も傷口を切ってたらその血を完全に喪って失血死しますよ? それとも、死にたいんすか」

「…………死にたい訳じゃ、ない。戦う理由が、あるだけです」

 胡蝶はようやく、立ち上がった。


 全身満身創痍。それでも立ち向かうなんて、とても正気じゃない。そう思った。

 ばれないように瓦礫の影で身体を小さくする。幸いにも胡蝶もペルセウスも、嗣音に気がついていないようだった。


「ならどうして立ち上がるの?」

「…………言ってるじゃないですか。私には、戦う理由があるんですよ」

 それはまっすぐと透き通った、実に胡蝶らしい答えだった。彼女はただ、まっすぐと、一種の誇りのように言葉を紡ぐ。

「誰だって死ぬのは怖いです。私だって怖い。何度戦場に赴こうと手は震えるし汗が止まらない。それでも……それでも、私は今日、ここに立っている」

 戦う理由がある。

 だから、戦う覚悟をして、生きる覚悟をして、勝つ覚悟をした。そして今日もこの戦場に立つ。まっすぐと、その命を誇るように。


「貴方が私を殺すなら、私は殺されないように貴方を倒す。私はアゲハの女王、恐れられる魔女だ!! 今ここで退けば私はきっと後悔するし、アゲハの女王でいる資格を失うだろう!」

 杖が床を叩く。嗣音はただ呆然と、その口上を聞いていた。黒いコートが靡き、もう息も絶え絶えでありながら高らかに声を張り上げた。


「だから私は戦う。多くの人々が笑い会える世界を作るために、戦うと約束した!! そのためなら、私は死の恐怖だって乗り越えてやる!!」


 告げられたそれは、あまりに、美しかった。

 まっすぐで、歪んでいなくて、愚直なまでに素直な美しさ。誰だって死ぬのは怖い。そんなこと、考えたこともなかった。

 持たざる者の気持ちを持つ者が知らないように、持たざる者も持つ者の気持ちが分からない。そうだ。人は自分の視野が絶対だと思うから。


『すまん、嗣音。胡蝶のことは頼んだ』

 脳裏に響くのは別れ際に告げられた戒那の声だ。顔を上げる。細く、弱々しい身体を持つ胡蝶は今、必死に戦っていた。

 なのに自分はここで踞っている。


 信頼してくれた戒那の優しい表情を思い出す。彼は嗣音が胡蝶の手助けをできると本気で信じているようだった。

「…………僕は」

 ふと、視界の端で光が反射した。


 四つん這いになり移動して拾ったそれは透明な石――ヴァルハライドのコアを精製するための転写石、だった。


「…………? どうしてこんなところに転写石が?」

 すぐに手放そうと思ったのに、手が動かない。ヴァルハライドは願いに応じて生まれる武具だ。


 それひとつで形成を逆転させることのできる黄金の切り札。


 何故か今、そんな情報が頭の裏を過る。

 手を、離せない。

 まるですがるように握りしめてしまう。

 もしも自分が、ヴァルハライドを持っていたら……持っていたの、ならば。


 ペルセウスが大剣を抜いたのが見えた。

 胡蝶は啖呵をきったものの、動ける身体ではないのか杖を握りしめて荒い呼吸を繰り返している。


 ああ、なんで――なんで、彼女は戦場に立っていて、自分は隠れて踞っているのだろうか。守ってほしいなんて身の程知らずな願いをぶつけたのだろうか。

 まるで自分だけが、死の恐怖を感じてると言わんばかりの言葉で彼女を傷つけた。


 いつだってそうだ。

 いつだって嗣音は、誰かが傷付くのを指を咥えてみていることしか、できない。マリアが暴走した魔法師の精神汚染に苦しめられていても、助けることもできない。

 ただ指を咥えて待っているだけ。


「……ダメだ。このままじゃあ、ダメなんだ」

 信頼してくれた人を裏切りたくない。必死に戦ってる誰かを貶めたまま終わりたくない。指を咥えて誰かの終わりを、もう二度と、見たくなんかない。


 転写石を握りしめて、祈るように胸元に抱き締めた。もし奇跡が起こってくれるのならば。この転写石が、嗣音の叫びに答えてくれるのならば。


「僕は、僕は、力がほしいッ!! 戦うための力じゃない! ただ一歩! 恐れに立ち向かうために物陰から飛び出す、立った一歩分の勇気がほしいんだっ…………!!」


 涙が、こぼれ落ちる。

 落ちたそれは、転写石の丸みを帯びた表面を伝った。


 刹那、激しい胸の痛みに嗣音は胸を抑えて踞った。青い光がこぼれ落ち、焼けるように胸が痛む。

「ひっ、ぅ……!!?」

『――――願望宣誓、確認』

 続いて聞こえてきたのはどこか聞き覚えのある女性の声。

『血液、或いはそれに準ずる体液による承認クリア。世界樹への接続、クリア。星海の書庫アカティック・レコードへの接続……エラー。エラーコードの開示、現段階では不可。よって省略。魂の回廊ヴァルハラへの接続――クリア。直ちに接続します』


 それはただひとつの奇跡。

 強い願いは、魂を輝かせる薪となる。

 石の表面に青い光と共に魔法陣が刻印されていく。


『ようこそ、嗣音。世界は今、貴方のために』


 声の主が微笑んだ、そんな気配と共に嗣音の身体は仮想の穴へと落ちていった。

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