第24話 戦場に紛れ込んだガキ
赤い十字架が無数に降り注ぐ中、ペルセウスは壁へ床へ天井へと軽やかに駆けていく。避ける彼の足はなによりも軽やかに。
目の前に降り注ぎ避けられない十字架を前に大剣を構えた。勢いよく凪払われた魔力は空中で爆発し、赤い閃光を散らす。
まっすぐに、愚直に突き進む、その先にいるのは傷まみれの胡蝶だ。
「っ、嗣音! 逃げろ!!」
何度目かの忠告に嗣音はまだ、動けずにいた。ペルセウスはそんなの眼中にないというように大剣を振りかざす。
「悪いが、退治させてもらうぜ……!!」
うつむいたまま、胡蝶は手を前に出した。
「“鬼さん、鬼さん、手の鳴る方へ”」
低く紡がれた詠唱と共に乾いた音が二度なり響いた。それと同時に赤い筋肉隆々の腕がペルセウスを掴み吹き飛ばした。
簡易的な召喚呪文、その劣化魔法により呼び起こされた鬼が姿を表す。それは人によっては絶望を掻き立てる容姿をしていた――が、ペルセウスはどこまでも不敵に笑ってみせた。
一回転するように凪払われた大剣が鬼の腕を切り落とす。そこにすかさず形作られるのは氷の槍だ。
「“氷葬・蒼蓮の槍”」
「ッ……
轟音と共に落下すら槍は先端部から砕け、破片は空中で氷の蓮を作り出す。
嗣音はただ、なにもできないまま、己の顔を庇うように腕を差し出した。
ペルセウスは蔦を一気に走っていく。彼を追いかけるように花開く氷の蓮は掠めただけで凍傷を引き起こす。
「碎け堕ちなさい!! “氷爆呪”!!」
魔力の塊を握り締めると同時に氷の槍がはぜ、そのてっぺんが無数の氷柱を作り出し、はぜた。投げ出されたペルセウスは空中で姿勢を整えると、好機を確認し、強かな笑みを浮かべる。
「チッ」
舌打ちと共に胡蝶は駆け出した。
正直、満身創痍で辛い。だが胡蝶は先ほどからもう一人のなにもできない少年に、手を焼かされていた。
ペルセウスの振り下ろしよりも先に胡蝶が嗣音の首根っこを掴み床に叩きつける。うぐ、と呻き声を上げながら倒れた嗣音の頭にあたる位置を剣が通過する。
「嗣音っ! 早く逃げてってば!」
「へえ、よく避けるじゃん……じゃあこっちは、どうなんですかねェ!!」
ヴァルハライドが魔力を集め始める。胡蝶は嗣音を抱えたまま後方に下がった。
紫色の不気味な光と共にコアに目の模様が描かれる。それはかつて神の怒りを買った化け物の視線。
「【
杖を叩きつけて張った結界に、視線などと形容するのは生ぬるい、ビームが叩きつけられる。
「ふっ…………くっ……」
魔力の圧が高すぎる。
結界に僅かなヒビが入っていく。次元の壁すら砕く魔力の圧に、胡蝶は歯を食い縛った。タイルが吹き飛び、そして。
その瞬間は、訪れた。
分かりきっていたことだった。剣より放たれた魔力は濃厚な死の幻想を纏っていて、結界を中和するのにそれほどの時間を必要としない。
結界の破片が砕け、暴力的な魔力の前に身体が吹き飛ぶ。視界が黒く暗転し、意識すらも簡単に断絶した。
瓦礫の中、嗣音は目を開く。
時間にして意識を失っていたのは一分程度だった、と思う。ただ何時間も眠っていたかのような妙な倦怠感があった。
その正体は、起き上がろうとした瞬間に判明した。
「………………え?」
頬を流れ落ちるのは血液だ。
赤くて黒くて淀んでいるそれは、嗣音を庇うようにして覆い被さっている少女からだった。
「こ、ちょう、さん…………?」
手が震えて奥歯がぶつかり合う。伸ばした手は、絶望からくる想像によって止まった。
……もしも。
もしも、触れた身体が冷たかったら、どうすればいいのだろうか。
この軽すぎる身体はどれほどの血液を喪ったのだろうか。足は石になり、不死殺しにより傷ついた傷は癒えることなく血を流し続けている。
「…………ぅ、あ……あ……」
「………………っるさい」
「!! 胡蝶さん!!」
「吠えるな……頭に響く」
低く吐き捨てるように言われた言葉よりも、返事があったことに思わず安堵した。彼女はゆっくりと身体を動かし、瓦礫に背を預けると苦しそうに息を吐いた。
良かった、なんて口にしようと思った時だった。
不意に伸びてきた手によってコンクリートに叩きつけられた。背中にわずかな痛みが走り顔をしかめる。
傷だらけの胡蝶が、血に濡れた顔の奥から鋭利な刃物のようにこちらを睨んでいた。
「…………え?」
「てめえ何考えてるんだよ」
「こ、胡蝶、さん?」
「何考えてるんだよって聞いてるんだよ!!!」
質問の意味が分からない。
胸ぐらを掴む彼女の手に力が入る。
「お前魔法師なんじゃねえのかよ!! 何もせずに戦場の真ん中でつったってんじゃねえよボケ!! 死にてえのか!!?」
「そ、それは」
「震えるのも、立ち向かえないのも、いいよ。勝手にしろよ。でも弱いなら弱いなりに逃げ惑えば良かっただろ!!! 何つったってんだよ! ざけんな!! どうしてオレが! 戦場の真ん中で! ガキのお守りなんざしなくちゃなんねぇんだよ!!」
「でも僕は何もできない!!」
「何もできねえならできねえなりにさっさと逃げろつってんだよ!!」
荒々しい口調で捲し立てるように怒鳴る胡蝶を前に、ただ、言葉を飲み込む。
だって怖かった。恐ろしかった。動けなかった。恐怖に身体が支配されて、何もできなかった。
だから仕方がないじゃないか。
それに。
「……胡蝶さんは僕より強いんだから……別に守ってくれたっていいじゃないですか」
彼女は目を見開いた。
うつむいたまま、ふてくされた子供のように嗣音は言葉を閉ざす。
「……ああ、そーかよ。貴方がどういう心構えなのか十分解った」
嗣音を地面に投げ捨てる。優しくしてやる価値もない。怒りをぶつける価値もない。これはただ、戦場に迷いでた子供とおなじなのだ。
匕首を懐から抜き、石化した足を激痛に耐えながら切り落とす。腕も、傷口より上で切り落とせば、断面から炎でできた血液がこぼれ落ちてとっとと四肢を再生させた。
…………最初からこうすれば良かったのだ。
立ち上がった胡蝶は嗣音を冷たく一瞥する。
「そんなに守ってほしいなら、ママのだっこしてもらいながら部屋の角でガタガタ震えてりゃいいだろ」
吐き捨てられた言葉を前に膝を抱える。胡蝶は返事なんて期待していないのか、ブーツの音が遠くに行くのが聞こえた。
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