第6話 海上異界

 青い空、そして同じように青い海。澄み渡り雲ひとつない空の下を、いっそうのボートが駆け抜けていく。生ぬるい海風を前に何故か目の前の戒那、という青年は微妙な顔になっていた。

「しののめさん?」

「……あー、レディ。もし良ければひとつ聞きたいんだが」

 いいも悪いも、疑問があるなら躊躇わずに聞いてほしい。だが彼はしばらく躊躇ってから口を開いた。


「これ、どこまで行くのかね?」


 烏羽を出て、転移ゲートを使いやってきたのは半島の海岸だった。かつては長い砂浜が続いていたとされるそこからボートに乗り込み数十分。最早岸は遥か遠く。見渡す限りの海水……もとい海である。

 胡蝶は小さく咳払いをする。

「今回の異界は海の上なんですよ」

「そうは言っても大分海だが?」

「……………………海に、あるんです」

「レディ???」


 とはいえここからはそう遠くない。

 魔力測定器と渡された位置情報、そして時間経過から測定しそうであると考えられるポイントに到着した。

「ここです、止めてください」

「おう」

 魔薬の副作用があるため戦うことはできないが運転はできる、とやってきた夜蝶がボートを止めた。

 戒那は辺りを見回す。そして結論を口にした。ずばり。

「……なあ、ここ、だいぶ海なんだが?」


 閑話休題、と行きたいところだが余裕がないのでそのクレームを黙殺する。

 魔力測定器は無事、異界を発生させる規模の魔力濃度になっている。だが計算した時間よりも些か早い。やはり侵食濃度が早いのだろうか。

「獄幻殿」

「少し待ってくださいね。それと気軽に胡蝶と呼んでください。異界は現実を侵食する幻想、或いは言葉通りの別世界なんです……この異界、演算よりも侵食が早いので」

「いや、難しいことは私には分からないので構わんのだが。それよりもどうするのかね。言っておくが私のブーツに水上歩行の魔法はかかってないぞ」

「水上歩行以外はかかってるみたいな言い方はよしてください……それに貴方、魔法がある世界に住んでるのにずいぶん堅実な考え方をなさるのね」

 薄紅の光が舞い散り、幻想の吹雪を切り裂くのは普段使いをしている短い杖ではない。身長よりも長い、黒鉄の杖だ。黒鉄に先の閉じた蕾のような、或いは槍の穂先のような、薄紅の石が煌めく。


「魔法ってのはこう使うものだ」


 黒鉄の杖で甲板を叩く。瞬間舞い散った花びらは空気に溶けて消える。それを確認した後、胡蝶は勢い良くボートから飛び降りた。

 そのブーツが海面に触れる。

「ほら、しののめさんも降りたらどうですか?」

「……どうなってるのかね?」

「異界は魔力濃度が高いので、奇跡が固定されてるんです。ここの異界は特に海上歩行の奇跡が固定化されてるみたいですね……」

「ボス、潜界の補助は?」

 戒那も胡蝶にならいひょいと降り立つ。足場の感触になれないのか、しばらく様子を見ているようだ。


「必要ない。ただ崩壊したら回収を頼む。くれぐれも無茶をするなよ。お前は病み上がりなんだから」

「分かってますよ。胡蝶のこと、くれぐれもお願いするぜ。こいつ結構無茶するから」

「余計なことを言うな」

 杖をくるりと回転させ異界に向き合う。

「……ここは私の領地。私の領域だ。邪魔者にはそれ相応の対応をさせてもらう」


 ヴァルハライドとは魂を武器に変えたもの。その形状も、コツさえつかめれば天元自在だ。

 胡蝶のカラメル色の瞳が沸き立つ神威に黄金へ染まっていく。

「“ここはかつての日溜まり園。お伽噺の残滓。汝は女神の裾を辱しめる者。故に、門は我が前に開かれり”」

 黒鉄の杖の穂先が黄金の魔力で構築された槍の刃へと変じる。


「“汝、我を阻むに値せず”」


 槍を凪ぎ、うすく柔らかな結界のベールを剥いだ。瞬間、青く澄んでいた世界が歪み、黒く曇った洞窟の風景へと変じる。

「……これは」

「異界内部です。現実と幻想を隔てる結界……鏡面結界と呼ばれるそれを槍で破きました」

 黒いもやへ武器が変じ、普段使いをしている短い杖――指揮棒へと変わる。

「取り敢えず魔力の反応が最も濃い地点まで歩きましょうか」

「いや、その必要は無さそうだ。胡蝶、構えろ……来るぞ」


 瞬間、水平線で光が煌めいた。それとほとんど同時に戒那が刀をふるい斬撃を弾く。

「……は?」

「魔力による斬撃だ」

「魔力による斬撃!? いや、おかしいでしょ!? なんですあの速さ!」

「あれは光と同じような性質を斬撃に持たせることができる。速度特化の居合斬りならこれくらい容易いだろうな」

 彼の瞳がすうっと細くなる。どうやら誰がいるのか見えているようだ。

「チッ。なんであれがこんなところに? 前はいなかったはずだが」

「ええと、しののめさん?」

「…………すまない。行儀が悪かったな。取り敢えず距離が離れていると一方的に殺られるだけだ。接近しよう」

「ち、近付く???」


 どうやってだ。

 もし仮に魔法でフルで肉体能力をあげても恐らくあの斬撃には対応できないだろう。戒那以外は。

 瞬間移動も条件が整わなければ難しい。


 彼は問題を笑い飛ばすようにふっ、と笑みをこぼした。

「まだ気がついてなかったのか」

「え、ええと……?」

「では改めて自己紹介をさせてもらおうか、胡蝶。私は神之瑪 戒那……〈匣〉に所属する御三家のひとつ、当主は神之瑪 時雨。現代まで存続する神家のひとつ、神之瑪家だと言えば分かってもらえるかな?」

「…………は」


 戒那の説明を、ようやく飲み込んだ瞬間、思わず声がこぼれた。呆然としている胡蝶を戒那は片腕で抱きあげる。

 胡蝶の続く言葉はこうだ。


「はぁああああああああああ!!!?」

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