一人の少年、一人の少女

初冬。

色鮮やかに樹々を飾っていた葉は今は地面の屑になり果てている。

そんな季節の変わり目は体調を崩しやすい。

そしてそれは天ケ瀬優衣にも当てはまっていたようだ。


「あー、これで帰りのHRを終わりたいんだが天ケ瀬に連絡物を届けてくれる奴はいるかー?」


そんな言葉に普段はふざけている奴らも視線を逸らし、だんまりを決め込む。

これには教師も眉を顰め、困り顔だ。

オレもあえて視線を逸らす。

噂など信じていないがために届けても構わないが、周囲の視線が痛すぎる。

せめて誰も手を上げなければ、このHRが終わった後にでも行くつもりだった。


――のだが。


「誰もいないのかー?――じゃあ、成績優秀者の春翔」


オレは担任からの指名を受けてしまう。

クラスカーストはせいぜいが中の上、厳しめに見れば中の下だ。

勉強はできるし、運動もそこそこ。

だが圧倒的にコミュニケーション能力が低い。

ゆえに親友もいない。

誰とでも話せるが特定の友人がいない半端者だった。


「せんせー! それじゃ春翔が可愛そうですよ!」

「先生も知ってるだろー! 天ケ瀬の噂!」


口々に上がる擁護の声。

オレは初めて横の繋がりに感謝しようと思った。


「ならお前らが行くかー?」

「「「「……」」」」


一斉に黙り込んでしまう。


前言撤回。

オレのために食い下がる奴などいなかった。

だがこれで痛い目というよりは、付き合わされて可哀そうくらいに思われるだろう。

どうせ周りの目が無ければ引き受けてもいいと思っていた仕事だ。


「分かりました。オレが天ケ瀬に届けてきますよ」


こうしてオレは天ケ瀬の自宅に向かうこととなった。



♢♢♢



天ケ瀬の自宅はこの街を一望できる丘の上にある。

ここまでの道は丁寧に舗装されてはいるがほとんど人が通ることはない。

なぜなら、天ケ瀬の家にしか通じていないからだ。

周りは背の高い樹々に囲まれ、別世界のように自然が多い。

色鮮やかに香る花畑や木製のベンチなんてものも置いてある。

さながら自然公園と天ケ瀬の家との融合だ。


――金持ち。


オレはしばらく丘の上からの景色を見下ろした後、天ケ瀬の家に向かう。

意外にも柔らかな印象を与える小さな一軒家だった。

テラス付きなのは羨ましい限りだが。


「これ、インターフォンがない……」


まさかのトラブルだ。

なぜ現代の家にインターフォンがない……?

オレは結局素手でノックすることを決める。

軽くこんこん、と叩いてみる。

返事がないのでもう一度。


「いないのか?」


それとも体調不良で起き上がれないほどなのか。


「うわっ……!?」


急に肩を叩かれてオレは飛びあがってしまう。

目の前にはヘッドフォンを付けた天ケ瀬が小首を傾げてこちらを見ていた。

なぜいるのかと純粋な疑問の表情。


「ああと……お前の課題とか持ってきたんだよ」


自分の鞄から配布物を手渡す。

天ケ瀬はそれを受け取るとぺこりと小さくお辞儀をした。


「なあ、お前はしゃべらないのか?」


ああ、余計なことを聞いてしまった。

どうしても興味が湧いてしまう。

本当に呪いなんてあるのかどうか。

彼女は喉に手のひらを当てて、ばってんを形作る。


「オレと話したくないか」


ぶんぶんと勢いよく横に振られる頭。

ロングの銀髪がそれに合わせて左右に揺れるさまはどこか面白かった。


「天ケ瀬に本当は呪いなんてないだろ……。お前にそんなことができるとは思えないよ、オレには」


容姿の上で飛びぬけていること以外はただの少女のように見える。

彼女がヘッドフォンを外す。


――外す?

――そういえば今まで彼女はどうやってオレの言葉を聞いていた?


「――」


溜息のような呼吸から絞り出すような小さな音が感じ取れた。

魔法は本当だよ、と。


「まさか! この世界のどこにも存在し無いはずだ。そんなものを信じているのはよほどの二次元好きか、狂信者かのどちらかだろ?」


首を横に振る天ケ瀬。


「だったら今お前の声を聴かせてくれ。そうすれば嘘か分かる」


小首を傾げる。

きっといいのかと確認しているのだろう。


「ああ、構わない。何があってもオレは平気だ」


念のために身構える。


「――わたしの言葉を聞いたら絶対に不幸にしてしまう」


なんだ、これは。

耳から全身へと浸透してくる得体のしれない幸福感。

銀鈴の声とは彼女のための言葉だろう。


「天ケ瀬、声を出さないなんて絶対に損してる――!?」


オレのわずか数センチ先に小さな石ころが堕ちて来た。


――地面が、赤熱している?


「はあ!?」


オレは思わず後ずさってしまう。

夕焼けに染まる空には何も見えない。

だが、これは。


「隕石の欠片、なのか?」


天ケ瀬を見ると、首を傾げつつも小さく頷く。

すでにヘッドフォンが耳を覆っている。


「これがお前の魔法? 声を聴いた人間に不幸を呼ぶ?」


形のいい眉を悲しそうに下げながらも、頷く。


「信じられない……」


まったくもって理解しがたいことが起きてしまった。

天ケ瀬は人差し指と中指を下に向けると、人が歩くような動作をさせる。


「ああ……そろそろ帰るよ。悪かったな」


もはやオレの言っていることが意味不明だ。

彼女の荷物を届けに来た人間が謝ってどうする。

来た道を戻るときに一度だけ振り返る。

天ケ瀬は深くお辞儀をしていた。



♢♢♢



「で、どうだったよ? 天ケ瀬のところは!」

「ねえ、あの子と何か話したの?」

「どんな家だった?」


次の登校日も天ケ瀬は欠席だった。

そしてオレはなぜかクラスメイト複数人に囲まれている。


「オレは聖徳太子じゃないんだ。同時にばらばらなことを質問しないでくれ」


まあ、全部聞こえていたから答えてみるか。


「まず天ケ瀬の家のことだが、人に自分の家を言いふらされるのは気分がよくないだろ? だからノーコメント。天ケ瀬とは連絡物の受け渡しと少し話をしただけだ」

「「「ええええ!!」」」


大きなどよめきがクラスを駆け巡る。


「……人の話を最後まで聞け。話したが何ともなかった。噂になっている声を聴いた人を不幸にするっていうのは眉唾だな」

「うっそ!? じゃあ、先輩が天ケ瀬さんの声聞いてから一年以上付き合ってた彼女と別れたっていうのも?」

「偶然だ」

「俺の友達が天ケ瀬の声を聴いて、すっ転んで骨折したのも?」

「自業自得だ」

「「ええええ!!」」

「授業始まるぞ、解散だ、解散」


オレはクラスメイトが去るのを待って溜息をつく。

本当に魔法はあって、不幸にするというのも事実のようだった。

だが本人が不幸を振りまかないように口をつぐんでいるのにオレがどうこう言うのもおかしい。

オレにできるのは噂の火が拡大するのを防ぐだけ。

決して消火などできはしない。



♢♢♢



そしてこの日もオレに連絡物の受け渡しが命じられたのであった。



♢♢♢



天ケ瀬の家に着くとオレは一回だけノックする。

返事はない。


「確か、昨日はこっちにいたよな」


家のさらに向こう側、木々の合間を縫って奥に進んでいく。

しばらく木々に視界を防がれていたが、開けた場所に出る。

ここは天ケ瀬の家に生えていた花々とは違う、どこか不思議な花が多く咲き誇っていた。

そして花園の中心に座って小さく声がする。

聞いてはいけない、そう思うけれどもう一度あの声を聴きたいとも思ってしまう。


「ふふふ、可愛いなぁ。ここがいいの? よしよし」


彼女の膝には野生のリスがちょこんと座っていた。


「天ケ瀬」

「っひゃいっ!?」


天ケ瀬はよほど驚いたのか、思い切り身体をびくびくさせる。


「あ、いや、その、ほらこれ」


オレはお約束のものを届ける。

天ケ瀬はすぐさまヘッドフォンを付けようとするが驚いたように固まってしまう。


「藤崎くん、わたしの声を聴いても何ともないの?」


いまだ全身の血が沸騰するような感覚はあるがそういえば不幸が降りかからない。


「そうみたい、だな。なんでだ?」


昨日は危うく死にかけたというのに。

天ケ瀬は硬直したまま動かない。


「お前こそ大丈夫なのか?」


オレは目の前で手を振って見せる。


「う、うん。わたしはわたし……」

「いや知ってるよ」


混乱がひどく、当たり前のことを自信なさげにいう姿に思わず笑ってしまった。


「くっ! あはは」


オレはその場に胡坐をかいて座りこむ。


「お前って冷血な人間かと思ってたけど、すごく面白い奴なんだな」

「そ、そう、なの、かな?」


くすりと微笑みを漏らす天ケ瀬。


「ああ。さっきだってリスに話しかけてただろ? お前が普通の女の子だってことを確信したよ」

「え!? そんなところから見てたの!? 早く声をかけてほしかったよ。藤崎くんは意外と人が悪いんだ?」

「そうかもな」


オレはいつの間にか天ケ瀬と普通に何の先入観もなく話すことができている。

とても不思議な感覚だった。

こう、身体の底からマグマが湧き上がってくるような……。


「あ、れ……?」


オレの視界の高さが一気に落ちる。


「藤崎くん? 藤崎くん!?」



♢♢♢



「ん、ここは?」


オレが目を覚ますとそこは知らない場所だった。

身体を包むように柔らかい掛け布団が掛けられ、上も下も心地いい。

つんつんとオレの肩を触るものがあった。

顔を傾けるとヘッドフォンは付けていないものの、口を閉ざした天ケ瀬だった。


「え? ああ!!」


勢いよく起き上がると身体中が軋む。

うっすらと明るくなってきているところだった。

再び天ケ瀬を振り返る。


「オレ、お前の部屋で寝てたのか?」


小さくこくりと頷いた。


「……ここ、お前のベッド?」


ぼっと音が出そうなほど急に顔が赤くなる天ケ瀬。

いや、こっちが赤くなるよ。

すぐに足に力を入れ立とうとするも、思わず倒れかけてしまう。


「――」


支えられ、耳元にある彼女の息づかいでなんとなく理解した。

まだ寝てて、と。

オレはやむを得ずベッドに腰掛ける。

身体の力が不自然なくらいに抜けてしまっている。


「これもお前の起こす不幸ってやつなのか?」


縦に頷く。

すると近くのテーブルの上に置いてあったスケッチブックを手にすらすらと書いていく。


“ごめんね。藤崎くんがわたしの声を聴いても何ともないのかもって勘違いしちゃったんだ”

“藤崎くんがわたしの初めてちゃんと話せる人なのかなって勘違いしたの。だから、異変に気付くのに遅れた。本当にごめんね”


複数のページにわたって紡がれる繊細な文字はそのまま天ケ瀬の内面を表しているのだと思う。

後半は少しだけ、本当にわずかに字が震えていた。


「いや、オレが不用意に近づいたのが悪かった。気にしなくていいからな」


スケッチブックが捲られ、新たに文字が紡がれる。


“今日、学校行くの……?”


「ああ、行くよ。授業サボれないから」


本当はこの具合の悪さで行きたくはない。

だがここで休んでしまえば、天ケ瀬の噂が真実であったと裏付けることになりかねない。

昨日から見ていて理解した。

天ケ瀬は体調不良ではなく、人に会うのに抵抗があるのだろう。

すでに学校中に噂が広がっているがゆえにいづらいのだ。

その『いづらい』雰囲気を『いてはいけない』という空気に変えてはいけない。


少し迷っていたようだがスケッチブックには次のように書かれていた。


“わたしもついていってもいい? そんな状態じゃ、すぐに倒れちゃうと思うから……”


「それは……」


この場合何が正解だ?

確かにオレ一人だと具合の悪さで倒れかけない。

しかしついてきてもらうということは天ケ瀬に嫌な思いをさせるかもしれない。

噂という名の火は延焼こそ防いだが、本人という火種が投下されれば再度拡大しかねない。


だが――。


「……ああ、よろしく頼みたい」


天ケ瀬はスケッチブックをテーブルの上に戻すと、隣の部屋を指さす。

そして服を持ち上げるしぐさをする。


「……それは、着替えて来るってことか?」


それからもう一度隣の部屋を指さしてから両目をふさぐようなしぐさをする。


「間違ってものぞくなってことだよな」


こくこくと頷いてからこの部屋を出て行った。

壁時計を見ると午前6時頃といったところだ。


「こんな時間帯に女子の家って、場違いだな、オレ」



♢♢♢



「おい、見ろよあれ」

「え、あの一年生マジ?」

「誰か取り返しがつかなくなる前に助けてやれよ」


オレと天ケ瀬は並んで正門を抜け、昇降口へと向かいがてらそのような言葉の嵐を受ける。

彼女はいつも通りヘッドフォンをしているが、オレは音楽を聴いていても声が聞こえることを知っている。


「天ケ瀬、何も一緒に登校することはなかったんじゃないか?」


いくら頭がふわふわすると言っても熱はない。

身体がどこかおかしいだけだ。

天ケ瀬は首を振る。


「そうか」


教室に入るとより反応が顕著だ。


「おは――お前らってそんな関係だったの?」

「乙」

「草」


最後の二つは絶対にふざけた反応だった。

オレは一瞬だけ彼女を見る。

ヘッドフォンを付けて無表情だけど、視線だけは合った。


「いやそこでたまたまあっただけだ。別に何でもないよ」


オレと彼女の席は幸い後部の左右で分かれている。

自分の席に着くと身体を机に倒し、居眠りの態勢を整える。

身体が重すぎる。

これはいつまで続くのだろう。



♢♢♢



「――」

「ん。んあ……」


誰かがオレの肩をつついている。

目を開けるとやはり天ケ瀬だ。


「もう放課後か?」


こくりと縦に首を振る天ケ瀬。


「じゃあ、帰るか。ねむ……」


オレが昇降口を出て、帰路につくと天ケ瀬も隣をついてくる。

寝て起きたらだいぶ身体が楽になった。


「天ケ瀬、明日からはもう平気だ。オレの付き添いをすることもない。悪かったな」


天ケ瀬はヘッドフォンを外すと首を横に振る。

それからメモ帳を取り出すと何事かを書きつける。

どうやら複雑なことを言いたい時は紙を媒体にして伝えるようだ。


“藤崎くんが謝ることじゃないよ。わたしが不用意にしゃべったのが悪いんだし。それに――”


「それに……?」


“今日学校にいて分かったことがあるの。藤崎くん、わたしの呪いが本当なこと知ってて、みんなに黙っていてくれてたんでしょ? たまたまクラスの子が話してるのを聞いちゃったんだ”


「ああー」


それは気まずいな。

こういうことは気づかれずにやるからいいのであって、気づかれてしまったらかっこがつかない。


「ん、まあな。嫌な噂流されて気分いい奴なんていないだろ」


天ケ瀬は柔らかく微笑んだ。

その笑顔にオレは不覚にも鼓動の高まりを知る。

彼女は学校では冬の六花のように冷たい表情をしているが、本来の彼女は春の日向のように温かい笑顔を持っているんだ。

これは、この感情は、もしかして。


「いや、そんなはずはないよな」


告白経験0。

ときめき経験0。

被告白経験0。

そんなオレが天ケ瀬に。

んなわけない。


「――」

「うわっ!」


急に天ケ瀬の顔が接近して来て驚いた。


「なにしてるんだよ」


“急にそんなはずない、っていうからどうしたのかなって問いかけたの。そしたら黙りこくっちゃうんだもん”


最後に怒ったような顔文字がついているのはご愛敬、なのかもしれない。


「何でもないさ。――ここまでだな。俺の家はここだから」


あるのは一軒家ではなくマンションだ。

オレはその最上階に住んでいる。

父が俗にいうエリート公務員だからだ。


「明日もしっかり学校に来いよ。そうしないとオレがまたお前の家に届けなきゃならない」


天ケ瀬はこくりとうなずくと何を思ったのか胸の前で小さく手を振る。

知ってるか? 

男の、それも年頃の男子にそんなことしたら、悶絶する。

オレも挨拶代わりに片手を挙げ最上階の自分の部屋に入る。

そのままベッドにダイビングだ。


「あいつ、可愛すぎだろ……」


脳裏に焼き付いた映像はなかなか離れようとしない。

これでは本当にあれじゃないか。

それも超S級にやばいあれだ。

その日、オレはあれなゲームをやってみた。

もちろん、すべての選択肢を外し、ハッピーエンドにたどり着けたものはなかった。


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