第17話 割とピンチ

ピロン


 静かなトイレに響き渡るラインの通知音……おっさんに聞こえるには十分な音量だった。


「はははははははっ!! ばっっかじゃねえの! 通知音くらい切っとけよ!!」


 大声でおっさんはそう言うと、足音が近づいてくる……


「……ふぅ……」


 一度深呼吸をし、勇気はモップを持つ。

 覚悟を決めると、個室のドアを開けようとした。


「……」

 黙ってこちらを心配そうに見ている姫野に、勇気は頭を撫で、


「ごめん。じゃあ、行ってくる……」

 姫野はただ、頷き、にっこり笑う……だが、やはり作り笑顔は下手くそだ。引き攣っている。


 勇気は思わず少し笑ってしまい、体に入っていた緊張がほぐれる。

「ここは一応閉めてね……あ、あと耳を塞いでおいて」


 姫野はコクコクと頷き勇気は扉の外に出た。


トン……トン……


 音が近づいてくる。


トン……トン……


 少し落ち着けていたことで無視できていた胸の痛み、視界の赤さ、そして警報音が……気のせいか、さらに強まった気がした。


トン……トン……


「……手間かけさせやがって、探したぞ」

 さっきよりも顔を赤くした小太りの男――おっさんがこちらを睨む

「なぜ、俺を殺そうとする?」

「邪魔だからだよ。俺たちが結ばれようとしてるのをお前は邪魔してる!!」


 おっさんは興奮状態で、教えてくれる。

 (さっきとは違う……なるべく時間を稼がないと)


 勇気は震える手を見せないように後ろにし、なるべく冷静なフリをする。


「……お前、この後警察に捕まるぞ? それでも俺を殺そうとするのか?」

「捕まらねえよ!! そこは花音が説得してくれんだよ!!」


(なんだこいつ……姫野さんが自分のことを好いてると本気で思い込んでいるのか……?)


 恐ろしいくらいの妄想に背筋に冷たい何かがゾッとする。


(耳、塞げておいてよかったな……これは聞かせられないわ)


 勇気が姫野に耳を塞げと言ったのは、単純にそいつが姫野のストーカーだって気付かせないためだ。おそらく、まだ姫野はこのおっさんがストーカーだって気づいていないだろうからな……


(それよりも……どうしようか)


 もはや時間稼ぎしようにも、警察が来ない。

(外に出るしかないのか……!)


「おしゃべりは終わりか?……じゃあさっさと殺されろ!!」


「!?」


 考え事をしたせいか、勇気はかなりギリギリのところで刃物を避ける


「逃げるな!!」


(死ぬ死ぬ死ぬ!! 何か、考えろ考えろ……)

「……俺は姫野とは付き合ってないって言っただろ!! なのになぜ俺を狙う!!」


「いつも一人で帰ってる女に一緒に帰る男ができてたらそりゃ疑うわ、彼氏かってな……でも彼氏じゃない、とお前は言った。……ってことはつまり花音はお前にたぶらかされているってことだろう!!! その証拠に花音はさっきも俺に消化器を投げつけてきやがった!!! 花音はそんなことしない!! 俺を傷つけるようなことは絶対しないんだあああ!!!」


(こいつの思考……どうかしてやがる……うっ……)


 今度の攻撃は完全に避けることができず、少し掠ってしまう。だが、そのおかげで男と勇気は位置が入れ替わる。


(よし、少し痛いが、入り口に来れた! あとは走るだけ! ……多分俺のことを追いかけてくると思うけど、一応挑発しておくか……)


「姫野さんは……いや、花音は俺のことが好きだって言ったぞ!!」


 勇気は隠れている姫野に気付かせないため、あえて挑発し相手を激昂させる。それとともに、全速力で駆け出す。


「おい!!! おいおいおい!!! 待てやこらああああ!!」


(ははは……言ったやったぞ!!)


 勇気は命の危険に少しなれたせいか、少しテンションがおかしくなっている。

 体がいつも以上に冴えていて、今ならどんなことでもできそうだと、思うほどに


 ただ、そのふわふわした気持ちは何かの予兆に過ぎない


「あ……れ……?」


 バタン


 勇気は通路側に飛び出すと、突然床に倒れ込んだ。

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