390話 スノウ・スナイク~~前編~~
俺の人生には3度の転機があった。
最初の一つは生涯の伴侶、サニアと出会ったこと。
当時の俺は武の才で兄に劣っていたことで、父から見放されたと思い荒れていた。
彼女は政庁都市の名家の令嬢で、生まれながらに難病を患っていた。
先天性魔力欠乏症。
無魂症とも呼ばれるそれは不治の病で、彼女は大人になることなく死ぬことが運命づけられていた。
そして彼女の両親は、その運命に全力で抗った。
無魂症は生命力の根本的な欠損を伴う。
それだけならばまだ良かったのだが、サニアはさらにアルビノの病弱な身体で生まれてきた。
サニアは幼いころから何度も死の淵を彷徨い、名家の用意する最先端の医療で乗り切ってきた。
だが無魂症や先天的な虚弱体質の根治には至らず、彼女の家は非道な手段に手を染めた。
政庁都市を中心に守護都市で中級相当の高い魔力を保有する者たちが次々に失踪する事件が発生した。
後に吸血鬼事件と呼ばれるそれは、当時所構わず暴れて世間を騒がしていた魔人ジオレインの仕業とも囁かれたが、実際は違う。
当時の俺は監視と護衛を振り切ってアシュレイの死の真相を探っていた。ジオレインの恩師であった彼の死は、武闘祭決勝で兄が確実に勝つための陰謀だと噂が出回っていた。
俺と違って高潔な兄がそんな事を良しとするはずがない。だからスナイク家の潔白を証明するため、駆けずり回った。
軍や地元の名家が調べられなくとも俺なら出来る。そう根拠のない地震を持つぐらいには思い上がった子供だった。
そうして、その事件に巻き込まれた。
吸血鬼事件で攫われた者たちは殺され、加工され、魔石に近しい粉末にされていた。
それがサニアの無魂症を治すと信じて、彼女の両親はただの薬だと言って彼女に飲ませ続けていた。
裏では帝国の間者が暗躍して、非道な実験の一環でそれは行われていたようだ。
全てを突き止めて、彼女の両親に泣いて止められながらも、俺は彼女に全ての真実を伝えた。
お前のために多くの人が殺され、お前はその死体を飲み込んでいるのだと。
彼女は罪が裁かれることを、そして自死を望んだ。
俺はそれを当然だと思いつつも、心のどこかで彼女に惹かれていた。
政庁都市の名家が帝国と内通していたこと、非道な人体実験を繰り返したことは内々に処理される事となった。
名家は精霊様の名の下に取り潰しが決定され、関わった者たちは残らず処刑されることになった。
何も知らなかったサニアもまた、その中の一人だった。罪を咎められたというより、彼女が強く望んだことが理由でそうなった。
俺はその日が来るまで、何度となく彼女の下を訪れた。
彼女は家族を処刑台に送り込んだ俺を憎むでもなく、出迎え、話を望んだ。
それは特別な話ではなく、他愛のない話だ。
人生のほとんどをベッドの上で過ごした彼女にとっては、何でもない日常の話すら刺激的な冒険譚に聞こえる様だった。
「ねえ、もっと優しい国になれば良いのにね」
両親の処刑が執り行われた後、彼女はぽつりとそう零した。
テロリストと通じた国賊であっても、多くの無実の人間を手に掛けてきた犯罪者であっても、サニアにとってはずっと守って来てくれた血を分けた家族なのだ。
何も感じていないはずもない。
思うところが無い訳がない。
家族が、そして自身が処刑台に送られる事となった俺の話を、彼女は本当に喜んで聞いていたのだろうか。
そんなはずがない。
ただ俺が喜んで欲しいと願って、彼女の気持ちを都合よく受け取めていただけだ。
俺は名家の次男として生まれて、出涸らしなどと蔑まれて、守護都市から学園都市に追いやられて、それでも己を有能だと信じていた。
自分以外はみんな馬鹿だと思うくらいには、頭の良さには自信があった。
この国は腐っている。
精霊様の恩寵と権威を笠に着て為政者の立場を得ながらも、みずからの欲を満たすだけの名家たち。
俺の生まれ育ったスナイク家も例外ではない。
彼女とその家族に罪を突きつけたのも、名家に対する鬱屈した気持ちが理由だ。
そんな俺の身勝手さが、彼女を深く傷つけていた。
「俺が変えるさ、優しい国に」
気付けば、そう口走っていた。
彼女の無念を、俺は理解できていない。
俺の理想とする国に、彼女の居場所はなかった。
俺は、優しい人間には程遠かった。
お願いねと、彼女は微笑んだ。
何を期待しているわけでもない。
何を恨んでいるわけでもない。
彼女は空っぽな気持ちで、そうなれば良いのにねと微笑んだ。
俺は、このまま死なせたくはないと思った。
それはただの我がままだ。
俺は優しい人間じゃあないから、彼女が死を望んでいても、その通りにはさせたくなかった。
処刑を取りやめる事も、彼女の体を治すことも、少しばかり頭がいいだけの俺には手に余る。
だからそれを何とかできる御方にお願いすることにした。
その御方にお目通りすることは簡単なことではない。
特別な申請書を書いて、審査官に袖の下をたっぷりと送って、その上でいと尊き御方のお許しを得ることで初めて可能となる。
もしも俺が名家の次男でなければ、申請書を書くことも許されなかっただろう。
もっとも今はそんな正規の手順を踏んでいる時間もない。
サニアの処刑はもうすぐそこまで迫っていたから。
だから俺は処刑台に送られる覚悟で、無茶なことをやった。
守護都市時代からの親友トールは最初は止めていたものの、俺の意志が堅い事を知って付き合ってくれた。
そして俺とトールの学び舎時代の恩師クライブも、ひどく胃の痛そうな顔で付き合ってくれた。
色々あったが俺たちは無事、精霊エルアリア様との謁見を果たした。
その時の事は記憶に靄がかかったかのように思い出せない。
精霊様とは何かを話した、何かを約束した。
だがそれが何だったかどうしても思い出せないし、精霊様がどんな姿をしていたかもあやふやだ。
だがその時から俺はトールといがみ合う様になった。
クライブ先生とも疎遠になった。
それをなぜか、仕方のない事だと割り切っていた。
思い出せない記憶が、それだけの事をしたのだと俺に告げていた。
親友と恩師を失って、俺はサニアを救うことに成功し、そしてまた彼女を傷つけた。
彼女は精霊様と契約し新たな至宝の君として皇剣の座についた。
異論や不満が出なかったわけではなかったが、精霊様が決めた事に表立って反対できる者がいるはずもない。
死を望んでいたサニアが精霊様のお言葉に従った理由は簡単だ。
その方が、よほど苦しい思いをするからだ。
そしてそれが、この国の糧となるからだ。
彼女は延命のためではなく、贖罪のために皇剣となったのだ。
サニアは俺と結婚し、子を儲けた。
俺以外の男の血が混じった子供を。
俺はそれを、理由もわからず納得していた。
その矛盾に思いを馳せればひどい頭痛に悩まされる。
理由を思い出せなくとも、それで察することはできる。
俺は精霊様と契約をしたのだ。
サニアを救ってもらうために、非道な実験を黙認することに。
彼女が体を許した男は一人だけではない。
納得はしていても全てを許せたわけではなく、俺は未練がましく調べを進めていた。
精霊様が契約や生命の謎を解き明かすべく研究を進めている事。
無魂症とは生まれ落ちる時に世界との契約に不具合が生じたため魔力が無いという事。
サニアが精霊様にとってとても貴重な実験サンプルだった事。
それらを突き止めて、俺は一つの疑いを持った。
もしかしたら、全ては精霊様の手の平の上の出来事だったのではないかと。
今回の事件で、精霊様のお膝元である政庁都市に潜むテロリストがあぶり出せた。
テロリストに協力する不信心な名家を潰すことが出来た。
成人するまで育った無魂症の協力的な実験体を手に入れた。
結果的には、精霊様にとって都合の良い結果に落ち着いている。
そんな疑いを以って、しかし俺はただの杞憂だと振り払った。
いいや、例え仕組まれたことだとしても、私益のために動く名家を弾劾したのも、サニアに生きて欲しいと願ったことも、それは俺が望んで決めたことだ。
後悔する権利など俺にあるはずもない。
それに例え血が繋がっていなくとも、最愛の女性が腹を痛めて産んだ子はとても愛しかった。
この子には幸せな未来が訪れて欲しいと、そのためなら命なんて簡単にかけられると思うほどに。
精霊様はサニアに酷い責め苦を負わせている。
だがそれもこの国の将来のためだろう。
発展と同時に権力者の腐敗が進むこの国の歴史の中で、時折目を見張るほどの自浄作用が発揮されることがある。
そんなときは決まって精霊様の影が見え隠れする。
その歴史の流れから精霊様がこの国の発展を願っているのは間違いないし、民主主義という大衆の代表者による合議制を試みようとする辺りからも統治を人間に任せようという意思を感じる。
今、この国で起きている問題の大半は精霊様に期待されている俺たち人間の欲深さこそが問題なのだ。
サニアの事も決して苦しめるために苦しめているわけではない。この国の将来のために必要だからやっているのだ。
サニア自身も、生きるためだけに他人の命や家族を犠牲にしてきた贖罪が出来て満足している。
俺に対しては後ろめたく思っているようだが、俺が彼女にしたことに比べればどうという事は無い。気に病まないで欲しかった。
俺は兄に代わって名家を継ぎ、そしてこの国を変える。
サニアが心から笑えるように。
俺たちの子が安心して暮らせるように。
そして何よりも精霊様のために、優しい国に変えて見せる。
そう思っていた。
俺に二度目の転機が来たのはこの時だ。
父が病に倒れ、代々伝わる精霊様の願いを聞かされた。
精霊様は神の力を欲して、この国の全てを生贄に捧げようとしている。
そのためにこの国を発展させようとしている。
そう聞かされた。
俺は程なくスナイク家を継いだが、将来は真っ暗な絶望に閉ざされていた。
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