388話 憂鬱らしい





 時刻はお昼。

 さてどうしたものか。

 とりあえずアリスさんの異質な体内魔力の放出には成功した。

 アリスさんは回路が損耗した状態でさらに体内残魔力もかなり消費しているので気だるげな様子ではあるものの、命に別状はないし日常生活に支障が出るほどでもない。もちろん私が離れても特におかしくなる様子はなかった。

 そんな訳で面倒くさいお守から解放されてこれからはいつものように一人で行動が出来る。


 だから妹たちに合流してカグツチさんに会いに行くのもありだが、まあなんだ。

 これまでの経験から一週間も大人しくしていれば魔力は回復するし、回路の方も一か月もあれば完治するだろう。

 しかし医者でもなければチートもなくなった私の素人判断念がどこまで正しいかは定かではない・

 念のためすぐに駆け付けられるところにいた方が良いだろうし、それにいつまでも逃げていてはいけないだろう。

 ちょっとルヴィアさんとお話しするか。


 ……とはいえ、どうしたものかな。

 落としどころが分からないんだよな。

 いや、そもそも落としどころが無いんだよな。


 ルヴィアさんは私が母親だと思っていないのを当然だと考えているし、そもそも私に何かをして欲しいとかどう思われたいとかが、無い。

 だからもう、落ち着くところに落ち着いてはいるのだ。

 実害はほぼないし、私が止めてくれと言えばお節介を焼くことも無いだろう。

 現状はただ、私がそれに納得できていないだけだ。


 彼女はそれこそ心のない人形のように、ただ私に奉仕したがっている。

 そんな姿を見ていると、見たくもない鏡を見せられている気分になる。


 それは遠い昔、決別したはずの弱くて欲深い子供の願い。

 前世の母は父や兄弟の顔色を見て、世間体を気にして、お前が我慢すればそれでいい、愛していると言えば我慢できるでしょうと、私を蔑ろにし続けた。

 かつての私はそれで仕方がないと諦めつつも、心のどこかで自分の味方をしてくれる母親を求めていた。


 殺したはずの昔の自分、泣くことも出来ずに我慢を続けていた弱い自分、そんな自分が抱いていた忘れてしまいたい過去の醜い願望が、今生の母親として現れた。

 酷い皮肉だ。

 しかも彼女がこうなってしまった原因は、間違いなく私にある。


 ああ、そうだ。

 白状してしまえば、私はルヴィアが気に入らない。

 彼女を見ていると、自分が腐っていた時を思い出す。

 生まれ変わる前に全て割り切ったはずなのに、未練があるんじゃないかと囁かれているようで、心が苛立つ。


 それは全部私の問題で、彼女に落ち度はない。

 しかしもしも私がこの苛立ちに任せて彼女を罵倒したとしても、彼女は全てを受け止めるだろう。

 死ねと言えばそれこそ自害しかねない。


 だからだろう。

 色々と理由を付けて、私は彼女に憎まれようと立ち回っていた。

 私の事を忘れて、自分の幸せのために生きてくれれば気が楽だから。

 いっそのことそれを伝えてみようかとも思うが、まあ無駄だろう。

 私のために離れてはくれるだろうし、新たな生きがいや恋を見つけた振りはしてくれるだろうが、それを信じられるだけの素直さが私には無い。


「……まあ、私が振り切れてないのが原因だよな」


 結論のところ、問題はそこなのだ。

 マリアさんに殺したいほど憎いとは言ってしまったことからもわかるように、母親への嫌悪感は私の心の奥底にこびり付いている。完全に割り切れたなんてできはしないのだ。だって私という人格はそこから始まったとすら言えるのだから。

 前世でも家族を作ることに抵抗があったし、今生でもそれは治っていない。

 アリスさんを避ける理由とは何の関係ないが、デボラやエメラを避けてしまうのもそれが理由だ。私は恋人を作りたいと思えないのだ。


 だがもう十一年この世界で生きてきた。戻る事も出来ない前世の記憶なんて割り切れるに越したことはない。

 ルヴィアさんと話し合う事は、もしかしたらその助けにもなるかもしれない。


 ……そうか。

 そうだな。


 ルヴィアさんのためじゃない。

 私のために話し合おう。

 最初から私は善人ではなく、偽善者だ。

 彼女のために何てダサい言い訳は止めにしよう。

 私は自分の幸せしか考えていないクズなんだ。

 らしくいこう。



 ◆◆◆◆◆◆



 昼食の時間になって、道場からアリスを連れたセージが母屋へと戻ってきた。

 ルヴィアはなるべく視界に入れないよう配慮しながら、意識の隅で二人の様子を窺っていた。


 仲のいい姉のようにセージに寄り添うアリスは、エルフの種族特徴から外れること無く美しい外見をしていたが、全体的に少しだらしない。

 運動後にシャワーを浴びて体が火照っているからだろうが、シャツのボタンを三つも開けていて、わずかに下着が覗き見えるほど胸元をあらわにしている。

 幼いころから付き合いのある姉の様な存在だからか、セージはそれを気にした様子もない。


 しかしセージも思春期に入ろうかという年頃だ。

 外見的にはうら若いアリスがはしたない恰好で側にいる事は窘めるべきかもしれない。

 というか窘めるべきだという義務感が強く湧く。


 しかしそれはいけないと、ルヴィアは心の中できるまいはーとと、魔法の言葉を唱えた。


 セージには疎まれているのだ。

 母親ぶった真似をしても不快感を与えるだけだろうし、そもそも関わろうとすること自体を厭うかもしれない。

 アリスにはセージとは全く関係のない形で、それとなく落ち着いた格好を好むよう誘導するべきだ。


 そんな事を考えていると、二人が歩み寄って来る。

 ルヴィアは努めて愛想の良い笑みを浮かべて出迎えた。


「こんにちは。お昼の準備は済んでいますよ」

「こんにちは。任せっきりにしてすみません、助かります」


 セージは笑ってルヴィアにそう言った。

 それはルヴィアと鏡合わせのような意識して作られた美しい笑み――ではなく、老成した疲れた笑みだった。それはひどく自然な表情に感じられてルヴィアはわずかに戸惑った。

 そんな彼女が気を取り直して返事をするより早く、アリスが口を開く。


「はじめまして、お義母様。セージ君と親しくさせて頂いているアリンシェスです。

 どうぞアリスとお呼びください」

「ビジネス的な意味で、親しくしてますね」


 注釈を加えるセージをアリスが不満そうに小突き、セージは面倒くさそうにあしらった。

 少し心配になるところはあるが、仲が良いのは間違いなさそうだった。


「そう。私はルヴィア。しばらくこちらにお世話になることが決まりましたが、私の事はルヴィアとお呼びください。

 それと、あらぬ疑いを振りまくのは感心できませんよ」


 ルヴィアが放つ冷たい空気に、アリスがたじろいだ。

 ルヴィアはそんなアリスに歩み寄って手を伸ばす。

 白く長い指先が艶めかしく肌に触れて、アリスの体温は急上昇する。

 アリスのシャツのボタンを留め、しわと背筋が伸びるよう背中を撫で、ルヴィアは囁く。


「……これでよし。

 こちらの方があなたに似合っていますよ」

「は、はい」


 衣服の乱れが直り、姿勢も正したアリスからは抜け落ちていた清楚感が僅かなりに取り戻され、セージが感心のため息を漏らした。


「これで中身も矯正されてくれれば……」

「セージ君、どういう意味かな」

「え? アリスさんが普段だらしないって意味ですけど、分かりませんでしたか」


 無垢な顔でそう言うセージにアリスが腹を立て頬を抓り、ルヴィアの頬は緩んだ。


「食事にしましょうか」


 二人のじゃれ合いを遮る形にはなるが、立ち話をしていても仕方がない。ルヴィアは昼食が用意されている庭へ行こうと提案した。


「そうですね」

「はーい」



 ******



 晴れている日の昼食は庭で食べることが多い。

 ブレイドホーム家は守護都市では大きな邸宅に分類されるが、それはあくまで土地の狭い守護都市でのことだ。

 そもそも預かっている子供たちに開放できるスペースも限られているため、天気が良ければ――荒野で雨が降る事は無いため、つまりはだいたいの日は――庭を有効活用している。


 テーブルや椅子などは大人たちが広げ、年長の子らが食器を並べるのを手伝う。

 かつては弁当持参の子が大半だったが、保育に関して学び栄養バランスの整った食事が格安で提供されるようになった今では弁当を持参する子はほぼいない。

 単純に親が面倒臭がっているのもあるが、子供たちがみんなと同じものを食べたがったのも理由だ。


 テーブルに子供たちが座って、各自の皿に保育士たちが料理を盛りつけていく。

 大勢の子供たちに手慣れた捌きで配膳を終え、ルヴィアも邪魔にならないよう苦心しながら子供たちに水を注いで手伝った。


「それじゃあ、いただきます」


 代表して保育士の一人が号令をすると、子供たちがそれに倣っていただきますと合唱する。

 ルヴィアも見様見真似で頂きますと小さく呟き、食事を始める。


 ルヴィアという女性はとても美しい。

 アリスも種族的特徴に倣って美少女ではあったが、全体的に残念なためにブレイドホーム家では美少女と扱われる事は無い。

 ルヴィアという女性の所作はとても美しい。

 アリスも族長の孫娘であり友好国への大使であるため礼儀作法は完璧におさめているが、それをこの家で発揮した事は無くとてもずぼらに食事をしている。


 セージ左隣ではアリスが大口を開けてガハハと笑い、セージの右隣ではルヴィアが小さな口で行儀よく食事をとる。

 それを見た女の子は口を大きく空けることを恥ずかしがり、男の子は何か話しかけたいと食事を進める手が疎かになった。

 もちろん見ているのはセージの右の方である。


「……ふっ」


 何を言うでもなく、セージは可哀想なものを見る目をアリスに向けた。


「え、なに? 何よ?」

「いえ、何でも。

 ルヴィアさんには慣れない食事でしょうが、困ったことがあれば遠慮なく言って下さいね」

「ええ、お気遣いありがとうございます。セイジェンド様」


 アリスはそのやり取りを聞いて眉をひそめる。


「何で敬語?」

「敬語キャラなので」


 セージがそう言うと、確かにとアリスは納得してしまった。

 敬われた覚えはほとんどないが、自分にも丁寧な言葉は使われているなと。


「ルヴィアさんはもう少し肩の力を抜いた方が良いと思いますけどね。みんな緊張してますし、僕の事も気安くセージと」


 ルヴィアは意外そうにセージを見て、裏の意味が無い事を感じ取ってから頷いた。


「そう、そうね。ではこれからは、セージ様と」


 一線は引くべきだ。私は母親として扱われているが、それはエルシール家を打倒すべく講じた策でしかない。周囲にもそれを理解してもらうべきだ。

 ルヴィアは言葉の裏に込めた考えがセージに伝わったことを感じ取って、しかしまたしても意表を突かれる。


「いえ、ただのセージでいいですよ。

 これから一緒に暮らしていくんですから、ややこしいのは抜きにしていきましょう」


 あれこれ考えるのが面倒臭いとばかりに肩をすくめて、ルヴィアの気遣いを切って捨てた。

 ルヴィアはわずかに困惑する。

 何か気持ちの変化があったようだが、それが何なのかはわからない。


 セージがルヴィアを気遣っているのは、ずっと気付いていた。

 この家に預けられた時よりも前から、エルシール家に無理やり連れて行った時よりも前から、初めて顔を合わせるよりも前から、それこそルヴィアがセージに気が付いたときから、ルヴィアの立場や心情に配慮がされていた。

 ルヴィアの高い感受性はそれを確かに感じ取っていた。


 だからこそ違和感がある。

 自分を捨てた母親に愛情も恨みも寄せず、ただの可哀想な女として気を遣う。

 それにはセージが神子であり、ルヴィアの子供であるという感覚を持たないからだと答えは得ていた。

 しかし同時にルヴィアを避ける様子も窺えた。

 ルヴィアが血を分けた家族に拭いきれぬ不信感を持つように、母親というものへの忌避感が心の奥に根差しているのだと感じていた。

 そしてそれはルヴィアのものよりもとても強く、どうしようもないもののようであった。


 だからこそルヴィアは母親である事を認められるわけにはいかないと考えていた。

 本人がそう感じていなくとも、周囲が認めてしまえば圧力になる。

 セージがルヴィアを母親と認める事は、ルヴィアに憎しみを向ける事と同意であり、誰よりもセージがそれを望んでいなかった。


 セージにストレスをかけないために周囲の印象操作は続けていくつもりだったのだが、他でもないセージからそれは無用だとはっきり断られた形だ。


「まあ取りあえずアリスさんの問題も片付いたので、あとでちょっと話しましょう。

 これからの事とか、ね」


 ルヴィアの困惑を見透かしたように、セージはそう微笑んだ。

 困ったような、しかしそれでいてとても優しい、ともすれば難題に苦しむ子供を見守る大人のような微笑みをセージは浮かべていた。




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