386話 会いに行かないといけないらしい
覚悟はしていた。
遠く離れた異国の地に私たちが遣わされたのは同盟国であり、我らが盟主である世界樹イグドラル様の盟友たるエルアリア様を助けるためだ。
いつか帝国の魔女と相対すると予言された遠いこの国に、イグドラル様のお言葉とお力を届けるのが使命だった。
そのために命を捧げる覚悟はしていた。
帝国の魔女が現れたと聞き、兄は即座に本国と連絡を取った。
精鋭と名高いエルフたちが力を結集して展開した儀式魔法でも、荒野の魔力障害を越えて本国と交わせる情報量はあまりにも少ない。
その短く少ないやり取りで、イグドラル様がその眼でセージ君を見定めることが決まった。
本国には年に一度、定期報告を送っている。
その報告に神子のセージ君が記されているのは当然だし、興味を持たれることも当然だった。
そして共和国に――ひいてはイグドラル様の前に招き入れることが出来るかどうかを事前に見定める事も、当然の事だった。
だから私は手を上げた。
高い魔力量と鍛えた肉体があればイグドラル様を降ろした際に耐えられる時間が延びる。
私は精鋭と呼ばれる派遣組の中でも強い力を持っている方で、さらには族長代行の妹という責任のある立場だった。
兄は内心ではともかく、私の意思を尊重し認めてくれた。
きっとこれが今生の別れになると理解したうえで。
思い返してみれば、この国に来てから遊びまわっていたのはこの時のためだったのだろう。
いつか来るであろうこの日が恐ろしくて、悔いのないように、あるいは考えずに済むように毎日を楽しんでいた。
同郷のエルフたちからは使命を忘れていると、変わってしまったと蔑まれることもあった。
変わってしまったというのなら、変わったのだろう。
故郷では森の奥で弓と魔法の練習漬けの日々で楽しい思い出などほとんどないし、そもそも森の中には遊びや娯楽というものが少なかった。
整ってはいても似たような顔の男たちはみんな奥手で、甘い言葉を囁くことも無ければ、小粋な漫談で楽しませる事も無かった。
私はエルフとして整った顔立ちをしていたが、それはつまるところありきたりな顔という事だ。
特別な女性として情熱的に口説かれた経験などまるでなかった。国でもトップクラスの実力者として尊敬はされていても、色恋の対象としては見られていなかったと思う。
だからこの国の男たちに誘われたとき、最初は喜びよりもこんな平凡で可愛げのない私をという戸惑いの方が大きかった。
もっとも口説いた男は体だけが目的で、朝には姿を消していて誠実さとはまるで無縁だった。
でもそんな事すらも新鮮で、こんな関係もあるのかと感動すらしてしまったほどだ。
この国の文化と男女関係を調査をする必要を感じてしまい、結果的には不名誉な二つ名が囁かれるほどには経験を重ねてしまった。
この国はとても豊かで満ち足りているが、時に騒がしくそして暴力的だから、森の中の静かで穏やかな日々を恋しく感じる事はあった。
ただそんな愛すべき故郷と同じくらい、この国が好きになった。
嫌なことも苦しい事ももちろんあったけど、楽しい事も嬉しい事もそれ以上にたくさんあって、森の中では得られない刺激的な経験が出来たのだから。
だから私は最初の一人として死のうと思った。
ずっと屋敷に引きこもっていた同胞たちと違い、遊びまわっていた私はこの国の良い所をたくさん知っている。
それをイグドラル様に知ってもらおうと思った。
時に恐れられることもある神子が、とても優しくて楽しい良い子だと知ってもらおうと思った。
あとショタのパンツはとてもいい香りだという事も。
だから死ぬとしても悔いはなかった。
そのはずだった。
◆◆◆◆◆◆
色々あって、アリスさんに抱きかかえられている。
いや、本当に色々あったのだ。
具体的に言うとアリスさんの治療はつつがなく目途が立ったので病院送りにしてアーレイさんと大事な話をしようとした。
だがアリスさんがそれに抵抗し、そして粗相をした門番さんを吊し上げにしようとした。吊し上げというのはつまり耳を切り落とした上での縛り首という事で、つまり処すということである。
文明的で平和的な良識人である私がそれを押しとどめたのだが、何故か結果的にアリスさんの抱き枕となってしまった。
******
「いやぁ、エルフが聡明なのはわかりますけどね。あなたの行いは聡明とは程遠いものだったでしょう」
「確かに私の振る舞いは上品とはいいがたく、いと尊き御方に見せるにはあまりに不躾だったかもしれませんね」
「でもそこで短絡的に剣を抜くのは違うんじゃないんですかね」
「ほら、それこそ粗野で野卑な暴力以外に取り柄のない――ええと、なんでしたっけ、そう、人にも劣る、お猿さんのようでしょう」
「ああ、怒らないでください。私はあくまで感想を言っただけです。私の個人的な感想です。決してエルフという種族を悪く言っているわけではありません」
「そう言えばあなたのお名前は?
ファーキラヒルさん?
ファーキラヒルさん。ええ、わたしはあなたに言ったのです。
確かにあなたのおっしゃる通り私たち人間はあなた達エルフに比べて短命で、それゆえに短慮なところもあるのでしょう。
ですがあなたの行いはその言葉に反するものではありませんでしたか?」
「え? わからない?
ははっ、ご冗談を。
ああ、冗談ではない。
それでは僭越ながら説明させて頂きましょう」
「私は確かに礼に失する態度を取ったかもしれません。
それは確かに責められるべき過ちであるのかもしれません。
ですがその権限をあなたは持っていなかったはずだ。
その証拠にアーレイさんはあなたを叱責していましたよね。
だってあの時、時間はとても貴重で、何よりも大事にしなければならなかったのですから。
私の態度を責めるよりも、大切なお方のお言葉を少しでも多く拝聴する事こそが何より大事だったでしょう」
「まだわかりませんか?
あなたは大切な時間を浪費し、仲間の身をそれだけ危険なところへ追い込み、そして尊いお方のお言葉を頂く時間すらも奪ったのです」
「ああ、ようやくご納得いただけたようですね。
私は短慮な人間かもしれませんが、あなたはそれ以上に短慮なのですね。
もちろんエルフが短慮などというつもりはありませんよ。
ファーキラヒルさんが、エルフとしては考えられないほどに、それこそ人間と比べても劣るほどに短慮なだけですよね」
「あれ、違うんですか?
でも短慮な真似をしたのは事実ですよね。
あなたはもしかしてエルフが人間よりも短慮で当たり前などというおつもりですか」
「ええ、ええ、そうですよね。
そんなはずはありませんよね。
ならどうお答えすればいいかなんて簡単にわかりますよね。
ほら、聞かせてくださいよ。
はっきり口に出してくださいよ。
エルフって誇り高く潔い種族なんですよね。
僕、エルフのお兄さんの格好いい所が見てみたいなぁ」
「――よし。
ほら、謝りましたよ。アーレイさん、アリスさん。
これで約束通り無罪放免ですよね。
……あれ、なんで二人してそんな目で僕を見るんですか?」
******
文化的で平和的な私はあくまで話し合いで、考えなしに無礼を働いた門番さんを殺処分しようとするアーレイさんとアリスさんを説得し、そして門番さんの心もへし折り――もとい、改心しました。
門番さんもきっとこれからは気軽に人間を馬鹿にしたりはしないだろう。
フレンドリーに接する事も無いだろうけど、それはまあ、仕方ない。
私は頑張った。
そんな訳で門番さんに関しては平和的に片付いたのだが、アリスさんはかたくなに病院へ運ばれることを拒否し、こっちの方が治療効果があるとの虚言をのたまい私をぬいぐるみのように抱えている。
「え~、本当だよう。
いま、私の体に入ってるのはセージ君の魔力だもん。
似せてくれてるし、しばらくしたら私の魔力に置き換わるけどさぁ。やっぱり違和感はあるし、拒否反応だってあるんだよ。
でもこうして肌を合わせてればだいぶん落ち着くもの」
「……本当ですか?」
「本当だって」
チート魔力感知が無いのもあって私の魔力操作技術も調査能力もだいぶん下がっている。
だからアリスさんの感覚が正しくても何もおかしくはないのだが、頭に鼻をうずめて息を吸い込んだり、お腹に回されている手が嫌らしく蠢いたり、お腹よりも下の方に行くのでまるで信用できない。
なお悪戯好きな手は抓り上げております。
「……体の異常というよりは、精神的な異常でしょうね。
雛鳥が親鳥に妄信的について行くようなものでしょうか。
不埒な気持ちも交じってはいるようですが、今は付き合ってあげてください」
「いやまあ……アーレイさんがそう言うなら。
やっぱり無茶な治療でしたか?」
アリスさんを助けるにはほかに手が無いと思って勢い任せでやったが、どんな魔法書でも他人の体に直接魔力を直接流し込む行為を禁じている。
どうしたって拒否反応が起こるため治療目的ではもちろん、戦闘においてもよほど格下でなければ体内魔力の反発に対抗できない。
門番さんにもアリスさんにも、魔法書の定説を覆すような真似をしたという自覚はある。
「無茶と言うべきか、治癒魔法が目指す到達点の一つに、死者の蘇生がある。
肉体の治療に成功しても、魂の修復がなせなければ蘇生は成しえないと言われている。
そしてその魂の修復の前段階として、魂への干渉があり、そしてさらにそこに繋がる道として魔力の同調や魔力回路の修復があるんだ。
自身のものならともかく、他人の魔力回路をここまで正確に迅速に治療できた例を、僕は知らない。契約を介さない魔力の譲渡に至っては聞いた事も無い」
アーレイさんはそう言って私を真剣な眼差しでじっと見つめてきた。
それは探るような目つきではなく、伝えた言葉の意味を真剣に考えろと忠告するような眼差しだった。
「まあ出来ちゃいましたからね。
出来るような経験を積んできたと考えれば、私は神様の手の平の上にいるのかもしれませんね」
「こら、そんな風に言わないの。
もしかしたらその神様の試練はあったのかもしれないけど、それでもセージ君がその試練を乗り越えてきたからでしょ。
自分が頑張ってきた結果なんだから、もっと胸を張りなさいよ」
私を抱えるアリスさんがそう胸を張って言った。
そしてその張られた胸は私の背中に押し付けられるのだが、間違いなく
「そうですね、じゃあもう離れても良いですか」
「なんでそうなるのっ!」
私は良いこと言ったのにとふくれるアリスさんを、アーレイさんが笑った。
「そうだな。安心してくれ、誓って他言はしない。
……話を戻そうか。
君にはイグドラル様のお言葉に従い、我が故郷まで足を運んでほしい。
もちろん今すぐにという訳じゃあない。今回の件はエルアリア様にも報告し、許しを求める。
おそらくだが、来年の守護都市遠征で共和国によることになるだろう」
遠征というのは荒野の奥地にいる上級の魔物を綺麗に掃除しようという大きな作戦の事で、5年から10年おきに行われている。
前々回の竜の襲撃で大きな被害が出たこと、前回の竜の襲撃が予想よりかなり早かったことが原因で長らく行われていなかったのだが、それがどうやら来年実施されるらしい。
「わかりました。よっぽどおかしなことが起きない限りはお邪魔させてもらおうと思います。
ただ来年までに共和国の礼儀作法とか、その辺を教えてもらっても良いですか」
ちょっと気安い態度をしたぐらいで背中から斬りかかられて心を折らなければいけないのはちょっと面倒です。
「それは私が教えてあげるよ。
……ただその、先に謝っておくけど、共和国の、特に私達エルフはさっきの馬鹿みたいに傲慢で人を見下す小物が多いから、ちゃんとしてても仲良くはしない方が良いと思う。
セージ君が悪いって訳じゃあなくて、そもそも他所の人と仲良くする気が無い人ばっかりだから」
「ああ、そうなんですね」
そうなんだろうなぁとは思っていたけれど、空気を呼んで相槌を打つにとどめておいた。
「それじゃあこちらの話はこれで終わりになる。
アリスの事もある。折角だから泊まっていって欲しい所だけれど、どうだろう」
「ああ、そうですね。アリスさんに家に来てもらっても良いんでしょうけど、お言葉に甘えさせていただきます」
「良かった。イグドラル様が認めた子をもてなしもせずに帰らせては族長代行の名が泣いてしまうところだった。
君の家には部下を使いに出すよ。もちろん礼儀を弁えたものをね」
アーレイさんは冗談めかしてそう言ったが、目は笑っていないしアリスさんはうんうんと深く頷いている。
アリスさんがフランクすぎて実感がまだわかないが、エルフってそんなに態度悪いんだろうか。
まあ態度が悪くなくてもそもそも守護都市は喧嘩っ早い人多いからなぁ。
エルフの人が外に出ないのって人間の町が嫌いってのもあるかもしれないけれど、喧嘩にならないように気を付けてるってのもありそう。
その後、私は大使館で共和国料理でもてなされ、一晩を明かすこととなった。
食事中の会話でスナイク家に触れることがあったのだが、その際にアーレイさんが気になることを言っていた。
「僕はスノウの願いを知っている。
それを教える事は出来ないが、スノウがその願いを諦めることは絶対にないと確信している。
だから僕は彼が国を裏切ったと聞いたとき、死んだと思ったよ。
死体は見つかっていないそうだけどね、僕にはスノウが生きているとは思えない」
……なんだろう。
みんながスノウさんは死んだと念を押してくる。
私は生きてると思うんだけどな。
根拠はまあ、確かなものはないんだけどさ。
きっと適当なタイミングで、いやぁ、死ぬかと思ったよと、けろっとした顔で出てきて驚く私たちの顔を見て笑いそうだからね。
あの人はそんな人だからね。
ちなみに話は変わるが、お風呂でもベッドでもアリスさんがべったりとくっついて離れなかったが、結果的には無害だったと言っておく。
「いけず」
アリスさんは体が治ったら牢屋の中に入った方が良いと思います。
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