383話 そう言う事らしい

 




「これから、こちらでお世話になります。

 どうぞよろしくお願いいたします」


 努めて何でもない事のように、何の感情も乗せずに、ルヴィアはそう一礼をした。

 そうして見ると意識することなく、周囲の反応を見る。

 ルヴィアは特別な観察眼を持っている。

 それは他者の表情や態度から感情を読み取るという、どんな人間でも持っていて、商業都市の人間であれば得意であって当然の技能だ。

 そんなありきたりな技術が特別と呼べるほどに、ルヴィアの観察眼は卓越していた。


 眼だけに頼ることなく、感情によって生まれる体臭の変化、肌で感じる魔力と空気の温度変化、声音の変調やしぐさによって生まれる些細な衣服が擦れる音までも捉え、それらを感覚的に統合することでこの場にいる人間の感情と思考を読み取っていた。

 眼の届く僅かな範囲という制限こそあれど、それはセージが封じられた仮神の瞳に勝るとも劣らない眼であった。


 ルヴィアがブレイドホーム家預かりになることについて、事前に知っているシエスタに感情の変化はない。

 事前に知ってはいてもまだ納得できていないものを抱き、しかし今は口を閉ざすべきだと考えているのがアベルとマリア。

 別の事に気を取られているのがケイ。

 今は静観の構えを見せるのがアール。

 話を理解できず、ただ動揺しているのがマギーとカイン。

 そして観察されていることを察して、負の感情を隠そうとしているのがセージ。

 そしてそんなセージを心配そうに見ているのがセルビアだった。


「話が見えないな。

 一体どういうことだ」


 ルヴィアは皆が落ち着くのを待って黙っていたが、場の静寂に焦れたアールがそう尋ねた。

 それを機にただ混乱していたマギーとカインも再起動を果たしたので、ゆっくりと口を開いた。


「私はエルシール家の当主名代を任されておりました。

 ですので、身内の不始末に責任を取る事となりました」


 アールはそれで一定の理解をしたが、それでは足りないとカインが声を上げた。


「は? わけわかんねえよ。捕まってないってことはあんたらはテロリストとは別って事なんだろ。何がどうしてうちに来ることになるんだよ」

「ちょっとカイン」


 好意的とは言い難いその言葉遣いに、偉い人を相手に良くないよとマギーが口を挟んだ。

 ルヴィアは首を横に振って、落ち着きのある声でカインの疑問に答える。


「テロリストであると証明はされていませんが、しかしテロリストでないと保証されたわけでもありませんので」


 ルヴィアのその説明は要領を得ないもので、見かねたアベルが口を挟んだ。


「……色々とややこしい話になるんだけどね。

 あのオルロウって男は商業都市で知らない人がいないくらいの悪党なんだ。

 そしてそんな悪党を実の兄だからって放置してた当主ダイアン様も相当に嫌われていた。

 ルヴィアさんはダイアンさんから当主の権力を奪い取って、悪い名家を懲らしめる天使の母親だって名乗りを上げたからちょっとしたヒーローになってるんだよ。

 オルロウやダイアン様を排斥するために立ち上がったんだって。

 そして実際、オルロウが排斥されたことでセージは称えられ、ルヴィアさんは影の功労者として称賛されてるだろうね」

「それに関しては、予定外の流れでしたけれどね」


 アベルの説明に、ルヴィアが嘘偽りのない感想を漏らした。

 ルヴィアはオルロウやダイアンと共に失脚する予定だったのだ。自身の行いが好意的に評価される芽は潰していたはずだった。

 だがとある女性が、そんな事前準備すらダイアンの策略であると上書きして噂の種を育みこの短期間に芽吹かせた。


 観察眼や人心の誘導には自信のあるルヴィアであったが、情報の取り扱いという点においてはそれを成した女性に劣っていた。

 おそらく彼女にはルヴィアを救う事も破滅させる事もどちらも出来た。

 ジオの残した言葉を鑑み、セージのためにそうしたのだ。

 ルヴィアがその女性を見れば、勝ち誇った笑みを見せている。


 シエスタ・トート。

 英雄の功績も天使の実績も利用して、荒廃した守護都市の改革を推し進める新進気鋭の官僚。

 政界の若き竜とも呼ばれる彼女に、ルヴィアも笑みを返した。

 彼女が心からセージの味方をしていることは、ルヴィアにとってただただ好ましい事であった。


「本来ならばエルシール家の代表者として厳しい取り調べを受け、少なくとも数年は軍の監視下に入るはずだったんだけどね。

 その、家ではアールさんを預かっているから」

「事後承諾という形にはなりますが、あなたの名誉をいくらか貶める事になりました。それに関しては謝罪を」


 シエスタから口先だけの謝罪を向けられて、アールは苦笑した。


「身から出た錆ではあるのだろうが、もう少し具体的に説明して欲しいな」

「はい。あなたが当主継承権を剝奪されて、この家で奉公をしていることを利用いたしました。

 もちろんあなたも奉公に来ているわけではありませんし、マージネル家がブレイドホーム家の下に来たわけでも断じてありません。

 ですが名家への監視役という立場を得るうえで、あなたの事を前例として利用させて頂きました。

 もちろんマージネル家を貶めるようなことはしておりませんので、その点に関してはご安心ください」


 シエスタの言葉は、裏を返せばアールの名誉に関しては少なからず貶めたという事だ。

 オルロウの屋敷を検めた後に、ケイとラウドという二人の皇剣の下で略式の査問会議が開かれた。

 ラウドはスノウが死んだ可能性が高いと聞かされ動揺こそしたものの、魔女襲来と関連するオルロウとエルシール家の問題を放り出すことも出来ず出席をした。


 その会議でシエスタはルヴィアが商業都市で苦しむ民衆にとって救いの主となったこと、ブレイドホーム家には追放されたアールを受け入れ更正させた実績がある事、さらにセージが彼女の実の息子であることを前面に出し、望んだ結果を勝ち取った。


 そんな会議の詳細は知らずとも、アールはそこに出席したケイの様子を見て傷つけられた名誉がそう深刻なものでないことを予想して頷いてみせた。

 そもそも表舞台に返り咲くことを望んでいなかったアールからすれば、過去の醜聞に多少の色がついたところで気にする事も無かった。

 そしてそれを知っているからこそシエスタも彼を更正させたのだと声高に訴えたし、そもそもそれは全くの嘘という訳でもない。


「話を戻しますが、民衆からの理解を得つつエルシール家の権威から距離を取らせ監視する。

 そのためにルヴィアをブレイドホーム家に迎え入れる事になりました」


 シエスタが話を続ける。


「エルシール家の方はダイアン氏が拘束され、当主の座から離れることが決定しています。

 これからどうなるかは現状ではまだ話し合いの段階ですが、ルヴィアが当主となることだけは無いでしょう」


 短くそうまとめられた所で、食事を終えていたセージが立ち上がった。


「なるほど、だいたい分かりました。

 とりあえず僕はギルドに行ってこようと思います」


 セージはそう言ってマリアを見る。


「マリアさんもちょっと良いですか」

「ええ」


 マリアは理由を問う事も無く快諾し、セージと共にダイニングから離れた。



 ******



 廊下を歩きながら、セージがマリアに問う。


「親父が何か言ったんですよね。ルヴィアさんの事」

「ええ。彼女はあなたの側にいるべきだと」

「そうかぁ……」


 面倒くさそうにため息を吐いたセージに、マリアは躊躇いがちに問いかける。


「その、彼女の事が嫌いですか」

「え? いえ、そういう訳ではないんですが。色々と難しいなぁと。

 ああ、それよりもマリアさんたちは僕らの方で何が起きたかを聞いていますか」

「いえ、詳しくは。

 シエスタが言った通りの事しか聞いていません。もちろん、言葉通りには受け取ってはいませんが」


 それを聞いてセージは少し考えた。

 黒髪の美少女(推定300歳超え)が口止めをした以上、何があったかを告げる事は出来ない。

 そしてそれは事実を告げなければいいなどと、都合よく解釈していい事でもない。

 とぼけた様子も見せてスノウには愚かだとまで言われた少女だが、国益のためデイトにシエスタ暗殺や虐殺を命じていた。


 皇剣3人が一方的に嬲られたなどという醜聞を、明言したにもかかわらず漏らせばセージにどのような処分が下されてもおかしくはないし、教えられたマリアにも厳しい対応がなされてもおかしくはない。

 なのでセージは事実を伏せた上でケイが強いショックを受けていることを上手く説明しようと考えた。

 考えて無理だと悟ったので、端的に要望だけを伝えることにした。


「ケイさんの様子がおかしいのは気づいてますよね。しばらく気にかけててあげてください。

 僕も折を見て話しをしてみますので」

「……やはり、何かあったのですね。

 いえ、詳しくは聞きません。

 シエスタは何か気付いているようでしたが、推測すら口にしないところを見れば私にも答えはわかります。

 ギルドでもそちらに関しては聞かれないと思います」


 そこまで言って、マリアは再び躊躇いがちに言葉を続ける。


「……セージはスノウが生きていると確信を持っているようですが、何か理由はあるのですか?」

「え? いえ、理由というほどの事ではないんですが、あのスノウさんが簡単に殺されるとは思えませんし、本当にテロリストだったなら、あるいはそうでなくともテロリストから逃げるために、死を偽装するくらいの事はやる人でしょうから」


 セージの答えを聞いて、マリアは静かに息を吐いて覚悟を決めた。


「……私はかつて、アンネが死んだ際に同じ事を思いました」

「え?」

「いえ、なんでもありません。そうですね。スノウは生きているかもしれません。

 ギルドへ行くのでしょう、アリスたちも心配していました。早く顔を見せてあげてください。

 ああそれと、まかり間違ってもスノウがテロリストの仲間だったなどと、それが可能性であっても口にはしないように。

 もしもラウドに聞かれれば、彼は絶対に許さないでしょう」


 マリアに促され、セージはブレイドホーム家を後にした。

 その背中を見送って、マリアは呟く。


「お嬢様だけではない、あなたの事も心配ですよ」


 険しい顔をするマリアの背中に、声がかけられる。


「セージはもう行ったの」

「マギー。ええ、出かけましたよ。どうかしましたか」

「そっか……。私たち、10時の便で政庁都市に戻るから」


 挨拶をしそこねたと、マギーは悲しそうに俯いた。


「ねえアベル、夜の便にしない? 明日の朝には戻れるんでしょ」

「だめだよ。明日は学校なんだから。早く帰って準備しないと。

 マリアからも、セージによろしく言っておいてください。あまり無理をしすぎるなって。

 ……きっと無駄になるんでしょうけど」

「私からも、セージに言っておいて。セージはまだ子供なんだから、たまには難しい事は大人に任せてって」


 二人の言葉を聞いて、マリアは苦笑した。


「ええ、必ず。任せてください」


 そうして、力強くそう請け負った。




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