380話 ring
さて、このヌメヌメの化け物はどうしよう。
土槍の魔法で串刺しにして拘束しているのだが、ちょっと治療はしたくない。
ぶっちゃけ私がこちらに来たのはエメラを助けに来たこと以上に、親父にこれを見せたくなかったという理由がある。
これを見るとデイトの死に際をきっと思い出す。
今の親父にそれはあまりに酷だろう。
なので人知れず殺してしまいたいのだが、しかし何故こんなものがいるのか、生かしたままの方が調査資料として役に立つだろう。
ベルモットさんがマリアさんたちとガチの戦闘をしている理由とも絡んでるだろうし。
でもなぁ、やっぱり親父が心配だからなあ。殺しておくか。ケイさんが致命傷与えたから介錯しましたって事にしておこう。
「なにチンタラやってんのよ」
そんな事を考えていたら、エメラさんを抱えたケイさんがやって来て文句を言ってきた。
エメラさんも黒髪美少女様と同じようにきわどい恰好になっているので、私のジャケットを差し上げておく。
エメラさんは私よりも小柄だが、そこまで身長差が無いのできわどい恰好には違いないが、少しはマシになった。
「……いえ、何かの証拠になるかと思って生け捕りにしておこうかと思ったんですが。
まあ、気持ち悪いし殺しておきますか」
私がそう言うと、エメラさんが目を見開いて声を上げた。
「危ないっ」
エメラさんがそう言うが、特に危ない事は無かった。
ヌメヌメの化け物が口を開けて襲ってきたが、土槍で固定しているので届かない。
ただ口の中から何故か人間の手が伸びて迫って来た。
触りたくはなかったものの、肉塊の中で人の手を保っているとか明らかに重要なパーツなので、壊さないように捻り上げたら千切れてしまった。
「え?」
「おや?」
「なに?」
エメラさんと私とケイさんが揃って声を上げた。
手が千切れた後、肉塊はずぶずぶに溶けてしまった。
溶けるのはデイトと似ているが、この肉塊は消えることなくただべっちょりとした肉塊となった。
何を言っているのか分かり辛いが、それまでは動くヌメヌメの肉塊だったのが、手を引っこ抜いたあとは脱力して動かなくなり命らしきものが失われたように見える。
それ自体はいつぞやのデイトと同じなのだが、あいつの時は溶けたものが時間と共に消えてしまった。
しかしこの肉塊はぶちまけられた肉の塊として存在感を放っている。
この生肉をそのまま放っておくと虫が湧いて異臭騒ぎや疫病の発生が心配になる。
殺してしまったものは仕方ないので、とりあえず親父の眼につく前に焼却処分しておこう。証拠はこのヌメヌメから生えた腕でいいだろう。ヌメヌメの体液も付着してるし。
そんなこんなで炎魔法で火葬を始めると、肉の焼ける匂いが辺りに立ち込めて、エメラさんが嘔吐した。
ケイさんが慌てて声をかけると、あれは人の肉なんだと、苦しそうな声で途切れ途切れにエメラさんが漏らした。
なるほど。
私たちが来る前に誰かしらが犠牲になっていたようだ。
デイトも人を食おうとしていたし、やっぱり共通点があるな。
……まあ、いいか。
今はエメラさんの精神状態の方が危ないし。
私は火力を上げ、ケイさんも聖域で力を貸してくれて、肉塊はすぐさま灰になり、私は風を吹かせてその灰と臭いを飛ばした
「亡くなった方も、天に還りましたよ」
「……そう、ですね」
エメラさんは気丈に答えた。
そしてその視線が私の持つ肉塊の手に注がれる。
「セージ」
「失礼」
私はグロテスクなそれを背中に隠した。
探査魔法で調べているが、この手に何かしらの魔法がかかっていた痕跡がある。
専門家ならばもっと確かなことが分かるだろうから、さすがにこれを焼却処分するわけにはいかないのだ。
「いえ、その手の、指輪が……」
「指輪、ですか」
「セージちょっと見せて」
ケイさんに言われて、肉塊の手を渡した。
手は人間の左手のようで、その薬指にはくすんだ銀色の指輪が嵌めてあった。
「
何かに気づいたようにケイさんが呟く。
皇剣武闘祭で親父が爆破して破片となった飛翔剣でカグツチさんがインゴットを作ったが、あれも分類でいえば魔鉱となる。
魔鉱白金はそういった人工的な鉱石ではなく、魔力溜まりでとれる魔鉱の一種だ。
自然生成される魔鉱は武具を作る鉱石としては大した価値はないのだが、滅多に取れないという事で希少価値がある。さらにそのなかでも宝飾品に使える程に美しい輝きを持つものはさらに少なく価値が高く、魔鉱白金はその中でも最上級の貴石だ。
そんなものを身に付けられる人物はお金をたくさん持っているだけではなく、高い社会的地位も持っている。
一応は名家直系のお嬢様であるケイさんは、この指輪の持ち主である左腕に心当たりがあるのだろう。
私もぶっちゃけ思い当たる人物がいるし。
そこまでするかぁとは思うけど、まああの人はするだろうなぁ。
◆◆◆◆◆◆
「魔王……そうか。ならばお前は魔女の手先か」
ジオがそう呟いた瞬間、空気が変わった。
色も重みもないはずの空気がどす黒い重圧を生んだ。
死ぬ。
殺される。
その殺意を待っ正面から受け止めてしまったベルゼモードはそう直感し、生存本能に突き動かされるがまま何かをしようとした。
それは反撃だったのか防御だったのか回避だったのか、それとも口先での誤魔化しだったのか。
何をしようとしたのか、彼自身にもわからない。
何をするよりも早く、ジオの刀がベルゼモードの首を切り裂いたからだ。
刀はベルゼモードの首に容易く切り込み、しかし跳ね飛ばす事は無くその刃を骨で止めた。
ベルゼモードが止めたのではない。
ジオが自身の意志で刃をそこまでしか進めなかったのだ。
死という崖の、一歩手前に立たされたベルゼモードは何をする事も出来ない。
魔力を使う事も体を動かすこともままならない。
何か言葉を発しようにも、わずかに口を動かすことすらできないのだ。
濃密な怒りと憎しみと殺意で作られたジオの聖域が、刀から流れ込む神力が、ベルゼモードから全ての自由を奪っていた。
ジオはその眼差しで、斬り込んだ刀で、ベルゼモードに憎悪で染まった殺意を伝える。
殺すならもうさっさとしてくれ。
首を斬られた痛みと、何もできない絶望感がベルゼモードにそんな事を想わせる。
だがいくら待ってもその時は来ない。
いっそ気が狂いそうなほどの時間が経って、ベルゼモードは解放された。
ベルゼモードの首は繋がったまま刀は引き抜かれ、体と魔力の自由を取り戻す。
ベルゼモードは膝から崩れ落ちて、首の治療をしながらジオを見上げた。
「どういうおつもりですかい」
「……魔女は俺を、俺たちを見逃した。
失せろ。
次は殺す」
それはジオにとっても不本意な選択なのかもしれない。
刀を握る手が、発する声は、わずかに震えていた。
「そいつはどうも。
それじゃあ俺たちはこれで」
マリアやハーマインはジオの行いに異を唱えようとしている。
折角見逃してもらえた機会を失わないよう、ベルゼモードは再び気絶したライムを抱えて脱兎のごとく逃げ出した。
目くらましの魔法を何重にも使って逃げ出したベルゼモードを見送って、ジオはマリア達に向き直った。
「何故見逃したのですか。あれは精霊様の敵ですよ」
「……ああ。
よく子供たちを守ってくれた」
ジオは気のない返事と、そして感謝をマリアに返してその肩を叩いた。
聖域を通じてマリアの傷を理解していたジオは肩に触れることで神力を通し、彼女に定着している傷の認知を正した。
それは呪いを解くようなもので、マリアもすぐに気づいて治癒魔法をかけ、体の傷を完治させた。
感謝するべきか怒るべきか、赤面しているマリアが僅かに迷っている間にジオはカインとセルビアの下に歩み寄っていた。
「強くなったな、二人とも」
ジオはそう言って寂しそうに笑った。
「カイン。お前には苦労を掛けるが、これからも妹を守ってやれ」
「お、おう」
いつもと違うジオの様子に、カインは戸惑った様子で答えた。
「セルビア。お前にはきっと、これから辛い事も苦しい事もたくさん訪れる。家族を頼れ。お前は、俺とは違う」
「う、うん」
セルビアも何かを感じ取って、相槌を打つことしかできなかった。
「ジオ、どうしたのですか、一体」
マリアの問いかけには答えず、ジオはルヴィアに向き直った。
「何か」
「俺は、約束を守れなかった。
あいつを守れる奴は、きっといない。
だからセージの側にいてやってくれ。
あいつには、母親が必要だ。
頼む」
ジオはそう言って深く頭を下げた。
「よしなさい。私にはそんな――」
「頼む」
「――っ、頭を上げなさい」
ルヴィアはそう命じるが、ジオは頭を下げたまま微動だにしなかった。
ジオの身に何が起きたのか、誰にも想像は出来なかった。
それでも尋常ではないことが起きたのだと理解させられた。
ジオがこのように頭を下げる姿など誰も見た事は無かったし、想像することも出来なかった。
その迫力に押されて、ルヴィアは折れた。
「……わかりました。私に出来る事なら、何でもいたしましょう」
もともとそのつもりだったのだ。
そこにジオの頼みが加わっただけだと、ルヴィアは自分に言い訳をした。
「ああ、安心した」
ジオは頭を上げてそう微笑むと、ベルゼモードが消えた方へと歩き出した。
「どこへ行くつもりですか、ジオ」
その背中にマリアが問いかける。
「神を、殺す」
ジオはそう言い、そのまま走り去った。
呆気にとられた一同はそれを見送る事しかできなかった。
そんな彼らに、気の抜けた声がかけられる。
「みんな大丈夫?」
ケイとエメラを連れたセージが、のんきな声でそう言った。
******
セージたちが合流するのとほぼ同時に、アベルとシエスタもその場に集まった。
全ての
「おおよその状況はそんなところです。
詳しい話はお嬢様に聞きますから、セージはすぐにジオを追いかけてください」
マリアがそう言うと、セージは首を傾げた。
「え? なんで?」
「えっ、いえ、何故と言われても……。
その、心配じゃあないんですか」
「心配と言えば心配ですけど、お腹が空いたら帰って来るんじゃないですか」
はははと、笑ってセージは答えた。
そんなセージに、ルヴィアが声をかける。
「……良いの?
私の眼から見ても、ジオレイン様は心が弱っているように見えましたが」
「それはまあ、そうでしょうけどね。でもだからこそ今は好きにさせた方が良いかなと。
長いこと帰ってこないようなら、適当に迎えに行きますよ。
まあきっと上手くやると思いますよ」
上手くやるの部分に、ルヴィアは引っかかるものを感じた。
嘘の気配ではなく、誤魔化しの意図を感じたのだ。
ジオではない他の誰かが上手くやると思っているのだろうか、そんな疑いを抱いた。
そんなルヴィアの疑いが宿った眼の色を見て、セージは別の話題を振った。
「ところでルヴィアさんは宝飾品にお詳しいと聞いたのですが、こちらが誰のものか分かりますか」
セージはそう言って例の左腕から取り外した指輪――左腕自体は布でくるんでケイが持っている――を手渡した。
「……ギーメール工房のコルコス様の作でしょう。彼が作ったミスリルプラチナの結婚指輪は一組だけです。
こちらは男性用ですから、スノウ・スナイク様のものですね」
やっぱりと、ケイが悲しげな声を漏らす。
周囲から何があったのかを聞かれ、ケイが事前にエメラから聞いていたことも含めて説明を始めた。
それを一通り聞いて、シエスタが言葉を発する。
「……つまりスナイク家に潜伏していた魔王ベルゼモードが、内々の協力者であるオルロウと共謀し、スナイク理事長を誘拐、殺害したのでしょうね。
この屋敷にはまず間違いなく帝国のテロリストを支援していた記録が残っているでしょう。
帝国の間者に気づかないとは、スナイク理事長も愚かですね」
死者への悪態にケイは眉をひそめ、それ以外の理由でアベルが異論を唱えようとする。
だが実際に口を開くよりもシエスタが肘で小突く方が早く、さらにセージとルヴィアが先んじて口を挟むことによって完全にタイミングを失った。
「まあそれだけ帝国の魔王が上手だったって事でしょうね」
「ケイ様。エルシール家から出た不始末を承知でお願いいたします。その身が精霊様より託された皇の権威を振るい、この屋敷を検分されてください。
もしもここで時間を浪費し、例え一つでも証拠を消されてしまえばスノウ様も浮かばれないでしょう」
「わかった」
ケイはそう言ってオルロウの屋敷へと歩き出し、それを補佐するためにシエスタとマリア、そしてルヴィアが追従する。
セージとルヴィアがおおむねシエスタの言う通りだと追従したことに呆気にとられたアベルはそれに遅れてしまい、慌てて三人の後を追った。
あのスノウが帝国の間者に気づかないはずがない。操られているはずがない。
スノウが殺されたのであれば、それは帝国の粛清と考えた方が自然だ。
ならばここにはむしろスナイク家が帝国と通じていた証拠が残っているだろう。
スノウを殺し、今後スナイク家の支援が得られないのであれば、名家が裏でテロリストと通じていたことを暴かせて守護都市に、そしてこの国に混乱を招く方がテロリストとしては合理的だ。
そうだというのにシエスタたちはここにスノウとテロリストを繋ぐ証拠がないと確信すらしているようだった。
そこまで考えて、アベルは口元を引きつらせた。
もしかしてスノウは死を偽装したのかと。
だとしたらなぜ。
パッと思い付くのはスナイク家とテロリストの繋がりをオルロウに着せるためだが、直感的にそれは違うと感じた。
「アベル」
「え?」
混乱するアベルに、シエスタが声をかける。
「今はまだ何もわからないでしょう。だから目の前の事を調べる事に全力を尽くしましょう」
「ああ」
確かにその通りだと、アベルは晴れやかな顔で頷いて前を向いた。
そんなアベルの前を歩くシエスタは、ひどく険しい顔で前を見据えていた。
その場に残ったセージに、難しい話は終わったよねとセルビアが駆け寄った。
「大変だったみたいだね」
「うん。返すね」
全身がボロボロで、かなりの激闘を潜り抜けた様子がうかがえるセルビアの頭を撫でて、セージは労った。
セルビアは嬉しそうに撫でられて、その手に持っていた竜角刀をセージに返した。
刀を受け取って、セージの手にチクリとした痛みと鮮烈なイメージが伝わる。
この場で何が起きたのかを、自我を持ち始めた〈傷だらけの刃〉から教えられた。
セージの眼の色がとても冷たいものへと変わる。
嬉しそうに撫でられていたセルビアがびくりと震えて、セージは慌てて気持ちを切り替えた。
「次兄さん」
「あ? なんだよ」
「あげる」
セージはそう言って、その手の刀をカインに差し出した。
「は? え? なんで」
「いいから、あげる。これからも妹を守ってあげて」
奇しくもジオと同じことを言われて、カインは恐る恐る差し伸べられた竜角刀を手に取った。
受け取った竜角刀はひどく重たく感じられた。
「……わかった」
鞘も剣帯もないため適当な布で縛って腰に下げて、カインは強い意志を込めてそう答えた。
それを見たセルビアが口をとがらせて不満を口にする
「……なんでカインなの。私の方が欲しかった」
「え?
あー……まあ、なんとなく」
セルビアが強い武器を持つと今以上に強敵相手に突っ込んでいきそうだとは言えなくて、セージはそう誤魔化した。
そしてそれはセルビアにはっきりと伝わった。
セルビアは怒った。
とても怒った。
怒ったついでにセージが勝手に出ていったことを怒りに来たことも思い出した。
「セージ。約束破った。
セージも破った」
「え、何のこと」
刀を上げる約束なんてして無かったよねと、セージは一切の悪気なくそう言った。
何もわかっていない兄を、セルビアは全力で殴った。
グーで思いっきり殴った。
「内緒にしないでって約束した」
セルビアはそう怒鳴った。
「え? あ、ああ。そうね」
いつか夜に交わした約束は、突拍子もなく切り出されたため記憶を刺激することなくセージは何も思い出せなかった。しかしそれを正直に言っては怒らせると分かっていたのでそう答えた。
そんな考えはしっかりばっちり完璧にセルビアに伝わった。
「ぁぁぁぁぁああああああああああああっ‼」
セルビアはとても暴れた。
全力で暴れた。
セージはとても頑張って宥めたが、あんまり効果は無かった。
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