379話 誇り高きマイスター

 




 素肌の上にボロボロとなったジャケットだけを羽織った黒髪の美少女が、薙刀を担いでバスの停留所に設置されたベンチに座り物憂げに空を見上げていた。


 魔女の強襲があった以上、一刻も早く居城に戻ったほうが良い。

 だが政庁都市と商業都市を結ぶ都市間ポータルは今日の朝一番にアベルとマギーを送るために使ったため、今しばらく使えない。


 ならば走って帰ればいいのだが、普段は引きこもって研究と実験を繰り返している彼女は控えめに言っても運動不足なので、自分の足で頑張るのはなるべく遠慮をしたい。

 幸いにも商業都市は新型バスや道路の拡張が進んでいるので、それに乗って帰ろうと思っている。


 着の身着のままと言うか、薙刀だけ持って全裸で飛び出してきた彼女は当然ながら無一文で、ケイに貰ったジャケットにもお金は入っていない。

 だが彼女は人とは隔絶した高い魔力を持ち、人の認識に干渉することが出来る。

 それはこの国の中で、そして相手がこの国の住人に限ればほとんど絶対的なものとなる。

 だから長距離バスに無賃乗車することも容易いのだ。


 それは今現在、薙刀という凶器を担ぎ裸の上に破れたジャケット一枚だけというあられもない姿でありながら、行き交う人々の注目を集めない事にも表れている。

 もちろん特定個人ではなく不特定の大多数に干渉しているので、効力自体はいくらか落ちてはいる。

 それでもその力はとても強い。


 もしもそれを破って彼女を認識できる者がいるとすれば、彼女からの無意識化への干渉をはねのけるだけの素養――長ずれば人間の限界である上級上位まで成長できるだけの霊格――を持ち、その上で事前に彼女を見知っている人間に限られる。

 だがそんな人間はそうそういない。

 凄惨な内乱から200年が経った現代では、彼女が姿を見せた相手など本当に数える程度にしか生きていないのだから。


 もっともそうそういないという言葉は、言い換えれば少しだけならばいるとも言える。



「あれ、クロちゃん?」


 鍛えれば上級上位にもなるであろう破格の才能を持ち、特にそれを磨く事も無くごくごく普通の女子高生をやっている英雄の娘にして天使の姉マーガレット・ブレイドホームはそんな一人である。

 そしてその彼女は半裸の黒髪美少女クロ(仮名)を見付けて慌てた声を上げた。


「こんなところで――どうしたのその恰好⁉」



 マギーの言葉にクロもまたとても慌てた。

 彼女は人の意識を誘導する事は出来るが、あくまでそれは誘導に過ぎず完璧にコントロールできるわけではない。

 マギーがあられもない姿の少女がいると声を上げれば、そこにいる一般人もクロがいる事を認識できてしまうのだ。

 そしてはっきりと認識してしまえば、薙刀を担いだ半裸の美少女が持つ注目度を覆すことは出来なかった。


 クロに対し、多種多様の視線が向けられる。

 半裸の美少女ということで性的な眼差しを向ける者もいたがそれはごく少数で、大半が彼女の身に起こったであろう悲劇を想像して同情的だった。


「クロちゃん。こんなところにいないで、こっちに来て」


 クロが衆目を集める原因を作ったマギーは、その視線から彼女を守るためにその手を引いた。

 クロとしてもまずは人目の無い所に逃げる必要があったため、逆らわずに一緒に走った。

 そしてそんな二人を遠目に見つけて、一人の男が後を追って駆け出した。



 ******



 人気のない公園の隅まで来て、二人は一息ついた。

 二人は共に一般人とは比較にならない高い魔力量を持っており、クロに至っては国内で並ぶ者のいないほどだ。

 だがしかし圧倒的に運動不足な彼女たちは走って乱れた息を整えるのに、少しばかりの時間が必要だった。


 そんな少しの時間で、その男は二人に追いついた。

 二人を刺激しないよう、少し距離の空いたところから男はゆっくり歩いて近づいた。

 そんな男にまずクロが気が付いて、マギーの前に立って誰何すいかの声を上げる。


「何者か」


 男は即座に跪いて答える。


「守護都市にて騎士養成校教頭を務めさせて頂いておりますクライブ・グライであります。

 この様な場でお声掛けをする無礼、平にご容赦ください。

 ですが尋常ではない事態とお見受けいたします。

 矮小なこの身であれど、何か助けになればと――」

「黙りなさい。

 ……私は、クロです。よろしいですか」


 クロはそう言って後ろにマギーがいることを目線の動きで示した。


「――はっ」


 グライ教頭はそう言って立ち上がり敬礼をしかけて、止めた。

 それで良いとクロは頷いて見せる。


「教頭先生もクロのお知り合いなんですか?」


 至宝の君に仕えているクロはやっぱり偉いんだねと、マギーはそんな思いで問いかけた。

 それで色々と察したグライ教頭が、しかしどの程度まで言葉を崩すべきかで悩みつつ声をかける。


「その、まずはお召し物を都合させて頂けますか」

「ええ、お願いします」


 クロはあえて頭を下げて、もっと言葉遣いを柔らかくしろと言外に訴える。

 グライ教頭も心得たもので、胃に穴が空くような思いで普段生徒たちと接している時の言葉遣いを心掛ける。


「とりあえずはこちらを腰に」


 グライ教頭は持っていた紙袋――何の変哲もない紙袋だが、その中にはさらに紙袋が入っており、その外装には華やかな装いの可愛らしい少女たちが描かれていた――から、とあるタペストリーを取り出した。

 それを渡すことに隠れマイスターとしての躊躇いはあったが、しかしクロの素肌が無為に晒されている事と比べれば大きな問題ではなかった。

 むしろ問題は未だ市民権を得たとは言い辛い芸術アイドルグッズを身に付ける事に、クロが嫌悪する可能性だ。その場合は腹を切って罪を贖う覚悟であった。


 タペストリーを受け取ったクロは、最近流行りのコミックアート調にデフォルメされた美少女が描かれているのをしげしげと見つめ、センターの女の子が良く見えるように腰に巻いた。

 ジャケットだけでは特に心もとなかった秘部はそれでしっかり隠された。

 マイスターGことグライ教頭は、温泉よりも熱く激しく沸き上がる感涙を鋼の意志で堪えながら、言葉を発する。


「代えの衣服――なるべく目立たないものを用意しましょう。しばしこちらでお待ちなさい」

「ええ、わかりました」


 折角なのでクロに似合うアイドル衣装を用意したい想いを必死で押さえつけながら、グライ教頭はその場から走り去った。



「ええと、何があったの?」


 その場に残されたマギーが、改めて彼女に問いかけた。


 人の認識に干渉できるクロは記憶を消すような事までは出来ずとも、それを思い出さないように思考を誘導することが出来る。

 だからマギーは街中で偶然その姿を見つけるまでクロの事を忘れていたし、その姿を見て唐突に思い出すことになった。


 勘の良い人間などは自らの身に起きた不自然な事態に気が付き、そこからクロへの不信に結び付けることもある。

 だがごくごく普通な少女であるマギーにとっては、そんな事はよくあるので気にはしなかった。

 今朝会ったばかりのセージにそっくりな美少女を忘れることなど、おおらかでごく普通の少女であるマギーにとってはそれはもうよくある事で片付けられることなのだ。


「何という事でもないのだけれど……」


 クロはマギーが納得できてかつ、真実にはたどり着かないよう情報を与えようと頭を捻った。

 しかし特に何も思いつかなかった。


「……大したことではありません。よくある事です」

「え? よくあるの」


 マギーもクロの落ち着いた様子と傷一つない綺麗な肌から男性から乱暴されたわけではないと察したが、そうだとするならば尚の事、半裸で街中を歩いていた事への違和感は強くなる。

 クロもそんなマギーの疑念を察して口元を難しいものにする。


 クロは普段から全裸で過ごしているが、しかし人目にさらされないからと言ってそのまま出かける事は無い。

 そこまで浮世離れした感性は持っていないし、そんな事をすればサニアに怒られるからだ。

 とは言えサニアが外に出ている間にちょっとお菓子やカップ麺を居城に補充するため、サニアの邸宅内を全裸で歩き回ることはある。

 そしてその際にうっかり警備や侍従の視界に入ることも稀に良くある。


「ええ。時に、そう言う事もありますね」

「そ、そうなんだ」


 マギーは学校のHRで、全裸にコート一枚で街中を徘徊している変質者が目撃されたので気を付けなさいと注意されることがあった。

 その時は全裸で武器を持っていないなら気を付ける必要もないと思ったし、そもそもそんな訳の分からない事をする人が本当にいるのかと疑っていた。

 だが変質者は現実に存在し、目の前にいた。

 そしてその変質者はなんと、至宝の君に仕えているであろう名家の令嬢(マギー予測)だ。


「その、止めた方が良いと思うよ。学校でも変な風に言われちゃうから」


 クロは誤解をされている事には気づいたが、しかしそれを解く言葉も思い浮かばなかった。

 そもそも寝ぼけて人避けの魔法を張り忘れて見つかった経験もあるため、クロは悲しい気持ちでその言葉を受け止めた。

 過去には至宝の君の邸宅に全裸の幽霊が出ると噂されたこともある。それを聞いた歴代の至宝の君と同じ目をマギーはしていたのだった。


「……ええ、そうですね」


 クロはそこで、そんなマギーの視線が自分の顔から股間にまで降りていった事に気が付いた。

 その視線は酷く真剣で、ともすれば熱量を感じられるものだった。


「……そういえばあなたは女子高に通っているのでしたね。

 周りに同性しかいなければ、新たな扉が開かれるというのは本当なのですか」

「えっ?

 ……?」


 マギーは何を言われたのか分からず頭を捻り、考えた末に良く分からないと分かったので、気になっていたことを口にした。


「その真ん中の女の子が、知っている子に似てるの」


 マギーが見ていたのはクロの股間ではなく、中心に顔が来るように調整されたアイドルだった。

 コミックアート調に描かれていることもあってそっくりという訳ではないが、描かれている特徴はよく似ている気がしたのだ。

 もしかしたらアイドルになりたがっていた従姉妹はその夢を叶えたのかもと思えば、その眼差しにも自然と力が入ってしまった。


「そうなのですか? この子は最近になってデビューしたアイドルです。それまで大した実績も無いのに人気アイドルのリーダーに大抜擢されたことからニュースにもなりましたから、見知っていてもおかしくはありませんね」

「へぇ、そうなんだ。

 ……クロちゃんって、アイドルに詳しいの?」


 学校では女の子は女の子のアイドルにあんまり興味が無いものだと感じていたのだが、もしかしたら女子高だからそう感じただけで、女の子のアイドルが好きな方が普通なのかもしれない。

 件の従姉妹もアイドルが好きで憧れていた。

 女子高というのは社会とは少し外れたコミュニティで、そこの価値観は一般的ではないとそう思わせるようなことをクロも言っていたし。

 そんな風に考えるマギーに対し、クロは訳知り顔のどや顔で自慢話を始める。


「詳しいと言うほどではありませんが、嗜みとして新たな文化を学ぶことを軽視してはいません。

 ええ。私の名はクロですが、マイスターAと呼ばれたこともあります」


 クロがそう言うのと同時に、がさりと物が落ちる音がして、二人が揃ってそちらに視線を向けた。

 そこには戻ってきたマイスターGことグライ教頭が驚愕の表情を浮かべていた。


「あなたが、伝説にして始まりの――」

「その話は止めなさい」


 クロは反射的にマイスターとしての武勇伝くろれきしが語られるのを防いだ。

 それは相手もマイスターであれば武勇伝となるのだが、しかしマイスターでなければただ引かれるような話なのだという自覚があったのだ。


「――はっ。

 失礼いたしました。

 お気に召されるかはわかりませんが、いくつかご用意させて頂きました。どうぞお好きなものを」


 グライ教頭から差し出された紙袋を受け取って、クロは鷹揚に頷いた。

 そうして頷いてからマギーの視線が気になり、コホンと咳払いをした。

 グライ教頭も気を取り直し、断腸の思いで言葉を崩す。


「着替えには公衆トイレを使うと良いでしょう。

 念のため、私は外で見張りをしていますよ」


 グライ教頭に先導され、クロはマギーと共にトイレに行き、用意された服を着る。

 事前にグライ教頭が言っていた通りに用意された服はどれも落ち着いたデザインだった。

 マギーは整った容姿のクロには地味すぎると思ったが、人避けの魔法を使いたいクロからすれば地味な方が都合がいい。

 クロは動きやすさも考えてスラックスとTシャツにジャケット――ケイの破れたものでは無く、グライ教頭が用意した新品――を羽織り、腰に巻いていたタペストリーは薙刀の刃に巻き付けてトイレを出た。


「助かりました。こちらはお返しします」


 クロはそう言って使わなかった服と、ケイの破れたジャケットをグライ教頭に手渡した。

 グライ教頭は一瞬だけ薙刀に巻かれたタペストリー(イベント限定グッズ)に目を向けたが、彼女に献上できるのならば喜びしかない。

 グライ教頭は頷いて受け取り、代わりに事前に買っておいた財布を手渡した。その中にはグライ教頭の所持金が全額そのまま移し替えられていた。


「こちらもあって邪魔になるものではありません。お使いくだ――こほん。お使いなさい」

「……そうですね。頂いておきます」

「こちらのジャケットは念のため持ち主に返そうと思いますが、よろしいですか」


 そのジャケットが誰のものか、グライ教頭は気づいている。

 だが何も知らないマギーに余計な気付きを与えないためにもそう遠回しに言った。


「いえ、そこまで破れたものを返されても迷惑でしょう。処分をお願いします」

「わかりました。確かに」


 グライ教頭はクロの言葉を、お前も余計な詮索をしないようにという意味に受け取った。

 そしてこれ以上助けになれる事も無いだろうと、この場からの退去を申し出る。


「それでは私はこれで。

 良き一日を。

 マギー君、君も何か用があったのではありませんか」

「ううん、別に時間つぶしをしていただけだから。

 でも、うん、私も行くね。

 何もできなくてごめんね」

「いいえ。そんな事はありませんよ。

 ありがとうございます、マギー。楽しい時間でした。

 あなたたちも、良き一日になりますように」


 そんな挨拶で三人は別れた。



 クロは貰ったお小遣いで長距離バスが来るまでの時間をお店巡りで潰し、その後もバスが停まるたびにその土地の名産品の買い食いを楽しんだ。


 マギーはクロと出会ったことを忘れて、気が付けばいい時間になっていた事を訝しみながらアベルたちとの合流を諦めた。

 彼女は急いで商業都市でお土産を買って、通行税を払って守護都市に上がり、一足先にブレイドホーム家へと戻ってみんなの帰りを待った。


 グライ教頭はなぜか捨てなければならないと使命感に駆られたジャケットを処分し、いつの間にか無くなった財布の中身と大切な限定ファングッズと、いつの間にか手に持っている女の子用の服と言いようのない満足感を抱いて家に帰り(上級公務員資格を持っているため通行税は必要ない)、妻からこっぴどく叱られた。



 その後グライ教頭が大切なコレクションを軒並み捨てられるという悲劇こそ起こったものの、何事もなく三人は家に帰ることが出来た。

 空には彼らの帰路を見守るように、紅蓮の鳥が羽ばたいていた。




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