377話 悪党と変態はおかしな地下室を造りがち





 ライムはテロリストとの繋がりを声高に暴露した後、オルパたちが連れていた護衛をほぼすべて昏倒させた。

 当主名代のルヴィアの直属の護衛たちは同席こそしていなかったものの、セルビアたちと話す際にルヴィアから席を外すよう言い含められていたため、ほど近い部屋に待機をしていた。

 そのため直接ライムの口から精霊様への反逆の意志を聞く事は無くとも、同僚たちの殺気立った気配まりょくを感じ取って部屋の様子を窺いに行った。

 そこでライムに一方的にのされる仲間たちを見て、そして短くライムの国家反逆の意志を伝えられ、護衛の筆頭であったハーマインは部下に時間稼ぎを命じてルヴィアへの合流を目指した。


 ライムはルヴィアの護衛たちも気絶させると――事前にベルゼモードから言い含められており、余裕もあったため殺しはしなかった――ルヴィアたちを追っていった。

 そしてオルロウは、気絶させる必要すら無かったエメラとお遊びを始める事にした。



「追いかけっこは楽しいなあ。さあエメラ。もっと頑張って走らないと追いつかれてしまうよ」



 オルロウの屋敷は彼の趣味により、迷路のような入り組んだ造りになっている。

 エメラはそんな屋敷の中を逃げまどっていた。

 これはオルロウの大好きな遊びの一つだった。

 私設騎士たちも心得たもので、外へ出る道を塞ぎ、そしていつもの部屋に逃げ込むようエメラを誘導する。

 追いつかれるたびに服を破かれ、肌を触られ、パニックになりながらエメラはその悪意の罠に落ち込んでいく。


 薄暗く長い廊下を気持ちの悪い大叔父に追いかけられながら、その先にあるわずかな灯りに向かってエメラは走る。

 廊下の先には下りの階段があって、ランタンの乏しい灯りはその先へと続いていた。

 必死の思いで駆け降りた先には扉があって、エメラは飛び込むのと同時にその扉を閉め、鍵をかけた。


 ドンドンドンと、乱暴にその扉が叩かれる。


「開けておくれエメラ。怖い事は何もない。とてもとても気持ちの良い事をしよう。きっと君もすぐに楽しくなる。ねえ開けておくれエメラ。凄くイイお菓子もあるんだ。天にも昇れるような素敵なお菓子だ。いくらでもあげるよ。君が素直になってくれたなら。さあ扉を開けて、服を脱いで、股を開いておくれ。なあ聞こえているんだろう。返事をしてくれないかエメラ」


 エメラは居てもたってもいられずその扉から離れた。

 残してきた父や他の家族の事は頭の中から消えている。

 ここにはいたくない。

 誰か助けて欲しい。

 それだけが頭の中を占めている。


 そうしてその暗い地下室の中を歩く。

 地下室の中に灯りは無かった。

 それでも手探りで伯父の声から遠ざかった。

 声が聞こえなくなって少しだけ落ち着いたエメラは、そこでようやく階段を降りて地下室に来たことを理解し、そして灯りが無いなら作ればいいという事に思い至った。


 手の中で小さな炎を作る。

 簡単な生活魔法なら一般人のエメラにも使える。

 それで見えるのはごくわずかな範囲だったから、エメラは破かれた服の端を切り離して近くに置いてあったハタキに巻き付け、火を灯した。

 即席の松明で辺りを照らし、どうにか出口を見付けようとエメラは地下室を見渡した。


 そうして、直立する無数の裸の女性を目にする。


「ひっ」


 エメラは悲鳴を上げた。

 地下室は一本道で、右にも左にも年若く整った容姿をした女性が飾られていた。

 最初は精巧な人形かと思ったが、よく見れば見るほど精巧すぎた。美しくもそれぞれに個性があって、とても人形には見えなかった。

 恐る恐る触れて、それは木や石膏、そして蝋の感触ではなく、まるで人間の肌のような感触で、エメラの顔を青ざめる。


 それと同じものはエルシール家にもいくつか飾られているし、博物館で目にすることもあった。

 だがそれは人間では無く、魔物のものだ。

 そんな事をする人間がいるなんて考えられない。

 そんな事をしようとする人間がいるなんて考えられない。

 そんなものを飾る人間がいるなんて考えられない。


 大伯父の、一生愛するという言葉を思い出す。

 多くの妻という言葉を思い出す。

 エメラの頭の中に、裸にされてこの女性たちと一緒に自分が飾られている未来がよぎる。


 ガチャリと、静かな地下室の中で鍵が開く音が響いた。


「いやぁぁぁぁぁああああああっ‼」


 エメラは走った。

 地下室は曲がり角はあれども一本道だった。

 その道をエメラは走る。

 何も考えられずただ走った。

 追いかけてくる足音は大きく響かされながらも焦る事は無く、ゆっくり近づいてくる。

 エメラは必死に走って、そしてその大きな扉に行きつく。


 扉は大きく、そして重かった。

 エメラは近づいてくる足音に急かされながら、幼く非力な力を振り絞ってその扉を開き、わずかに空いた隙間へその小さな体を滑り込ませた。

 そして体重をかけて押し込み、その重い扉を閉ざした。


 この扉にはカギが無い。

 何か重しで扉を塞ごうと考えて、部屋の中を見渡す。

 松明は逃げる最中に落としてしまったが、この部屋の中は燭台に魔法の明かりが灯っていた。

 エメラの目にまず飛び込んだのは部屋の中央にある台だった。

 病院の手術台のようなその上には、裸の男が横たわっていた。

 エメラは何度目かになるか分からない悲鳴を上げた。


 男は既に息絶えていた。

 顔面を潰され、左腕は切り落とされ、それ以外にも全身に傷があった。


 エメラは吐き気を覚えながらも気持ちを切り替えて、扉を塞ぐもの、或いは外へと通じる道を探す。

 だがそれを見付けるより早く、重い扉がゆっくりと開いていく。

 エメラは咄嗟に台の後ろに隠れた。


「エメラ、悪い子だ。とてもとても悪い子だ。早く出てきなさい。お仕置きをしないとなぁ。ああ滾ってくる。君は今、どんな顔をしているんだろう。君の中に埋めたとき、どんな声で鳴いてくれるのだろう。早く教えてくれ。私は待ちきれないよ」


 エメラは耳を塞いで悪い夢なら早く覚めてと精霊様にお祈りする。

 そんな彼女の腕を、オルロウは掴んで無理やりに立たせる。


「いや、いやだ、止めて」


 オルロウは台の上にエメラを押し倒す。

 背中で感じる冷たい死体の感触にエメラは悲鳴を上げ、その頬を殴られた。


「え……」


 鈍い痛みに、エメラは悲鳴を上げるよりも呆気にとられた。

 蝶よ花よと育てられた彼女はこれまで痛みらしい痛みを感じることが無かった。

 誰かに殴られるなど初めての経験だった。

 エメラは泣いた。

 正確には心の中で暴れる恐怖と悲しみ吐き出すため、泣き叫ぼうとした。

 そして、出来なかった。


「……ぁ、がっ‼」


 オルロウに首を絞められたエメラは泣くことも叫ぶことも出来ず、酸素を求めてオルロウの手を何度も叩く。

 幼い少女の抵抗など気にも留めず、エメラの涙を舐めとりながらオルロウは囁く。


「大人しくするんだ、いいね」


 首を絞める力を強めて、そう囁いた。

 エメラは心を絶望に染めて、あらゆる抵抗を止めた。

 オルロウは満足げにエメラの足を大きく開いて、邪魔な衣服をはぎ取った。


「さあ、夫婦初めての記念すべき共同作業だ」


 そうして次の瞬間、体を裂かれ、貫かれ、呻きと悲鳴が上がった。

 呻いたのはオルロウで、悲鳴を上げたのはエメラ。


 台の上で切り離されていた左腕が突如として動き出し、オルロウの腹に飛びつき、その皮と肉を裂いて腹の中へと潜りこんだ。

 オルロウの血肉を取り込んだ左腕は赤黒く変色していき、腹を貫かれ、そして体の中で暴れまわられたオルロウは声にならない呻きを口から漏らし、それを見たエメラが悲鳴を上げた。


 腹の中に入ったそれはオルロウの内臓を食い散らかしながら肥大し、すぐさまオルロウよりも大きく変化していく。

 オルロウの姿かたちはすぐに食われて崩れて飲み込まれて、それを取り込んで大きく育った化け物はさらなる獲物を求めた。

 恐怖に震えて台から落ちたエメラは、化け物が台の上の死体をむさぼる様子を目の当たりにする。


「……あ」


 逃げないと、あれを食べ終わったら次は自分だと、心の奥でどこか冷静な自分が叫ぶ。

 足は震えて、しかしそれでも這うように部屋を出る。幸い重い扉は開いたままだった。

 エメラは扉を支えに何とか立ち上がって、後ろを振り返った。


 化け物は男の死体を食べ終えて、物足りなさそうにエメラをじっと見ていた。

 化け物には目が無かったが、それでも見られているとわかった。


 エメラはもう悲鳴も枯れ果てて走った。

 化け物が追ってくる。

 だがすぐには追いつかれない。

 化け物は剥製となった女性たちを食べながら追ってきた。

 時折振り返ってはそれを見て、吐き気とおぞましさを堪えながらエメラは階段を駆け上がった。

 その先には私設騎士たちがたむろしていた。


「おいおい、逃げられてんじゃねえかあの爺さん」


 追い返そうとする私設騎士に、エメラは必死になって訴えかけた。


「殺された、殺されたの。食べられて、助けて、助けて」

「あん?」


 尋常でない少女の言い様に私設騎士が訝しみ、彼女の後ろから迫ってくるそれを見る。


「なんだ、なんだあれ」


 それは今まで見たことも聞いた事も無い異形の怪物だった。

 全身は赤黒い生肉の塊のようで、どこに四肢や頭があるのかも定かではなく這いずって迫ってくる。

 唯一わかる口と思わしき器官からは食べかけの女の足がはみ出ていた。


 私設騎士の一人が剣を抜いてそれに斬りかかった。

 剣は肉を裂いてめり込んだがしかし怪物が怯む事は無く、剣の埋まった切り口をぱっくりと開いてその私設騎士を取り込んだ。


「な、おい、止め、助け――」


 ゴキリ、ゴキュリと、異音を立てて私設騎士は取りこまれて、悲鳴も消える。

 他の私設騎士はそれを見て我先にと逃げ出した。


「待って、置いて行かないで」


 エメラが助けを求めて悲鳴を上げるが、誰一人としてそれに耳を貸す事は無かった。

 もともと彼女は体を動かすことの少ない名家の令嬢だ。これまで必死に走ってきたことで足は限界に来ていた。

 逃げないと。そう思う気持ちとは裏腹に彼女の足は立ち上がることも出来なくなっていた。


「いやだ、いやだ、助けて、お父様、精霊様」


 誰でもいいから助けてと救いを求めるエメラの前に、異形の化け物は這いよって新たに大きな口を開いた。



 そしてその口の中に燃え盛る真っ赤な鳥が飛び込んだ。



 口の中を燃やされながらも、化け物は悲鳴を上げた。

 何が起きているのかわからず呆気にとられるエメラの前で、その全てが吹き飛んだ。


 飲み込むような地下の暗闇も目を背けたくなるおぞましい化け物も床も壁も天井も何もかもが全部吹き飛んで、明るく晴れやかな陽の光が目に飛び込んできた。

 エメラが切望した外の光景。綺麗な青空が眼前に広がっていた。



「やりすぎじゃないですか」

「誰も巻き込んでないんだからいいでしょ」



 その青空の下で、とても美しい少年ととても凛々しく麗しい女性がそんなやり取りをした。

 そして女性がエメラのいる廊下に跳んできて、慈しみのこもった声で話しかける。


「大丈夫? 怖かったよね。もう大丈夫だから」


 エメラは彼女のたくましい胸板に飛び込んで泣きじゃくった。




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